契約
傾きかけた日の光が町並みを照らす。
僕とフランは手を繋ぎながら、奴隷商へと向かう。
今は呪い付きの発作も無いので、普通に繋ぐだけ。
別に僕が繋ぎたい訳じゃない。
もちろん嫌と言う事は無いのだが……。
なんでも、解放奴隷の救済措置らしい。
フランに僕の物を着せたり手を繋ぐ事で、その間だけ間接的に僕の物として認められる。
これは国が作った法律らしいが、無いよりはマシか……。
本当にフランは物知りで助かる。
本を読む事が趣味だったらしい彼女には、きっとこれからもお世話になるだろう。
今は知識がある分、怖いというのもあるのだろうが……。
僕と彼女は互いの手を握り締めながら、奴隷商を探した。
****
「金貨三枚だ」
待て、足りない……。
フランには金貨一枚と聞いていたが、そんなに高いのか。
ここで帰るとか、格好悪過ぎてヤバイ……。
「ウソです。国法で契約の料金は金貨一枚までと決まっています」
むむ……。
やっぱりウソなのか……。
「ほぉ、よく知っているな……。賢い奴隷に免じて、金貨一枚と銀貨二十枚だ。これは税金だ」
ふむ……。
税金なら仕方ない。
「ウソです。神が認めた契約に、税金をかける事はできません」
これもウソか……。
「ほぉ……。本当によく知っているな、しかしこれは知っているか? 解放奴隷は――」
待て、待て、何をそんなに熱くなっている。
僕は面倒事になる前に、黙らせる。
「分かったそれで良い。契約をしてくれ」
「ふん……」
「ご主人様……」
「その代わり、彼女との契約はきっちりしてくれ」
「あぁ、分かったよ」
フランは僕の方を見ると、耳元で囁いた。
「ご主人様、ギルドに突き出すべきです。そもそも奴隷商は――」
「フラン、大丈夫だから……」
僕はなるべく彼女が落ち着く様に、穏やかに呟いた。
僕とフランは奴隷商に来ていた。
彼女は僕の手をギュっと握りしめながら隣に座っている。
商人は初めに「解放奴隷との契約を」と話すと「売ってくれ」とか言い出したが、もちろん断わった。
続いて契約の話になると、今度は金額を吹っ掛け始めたと言うわけだ。
しかし、こちらも強気でいく。
奴隷商は契約を頼まれると断れないらしいからだ。
それにフランには、舐められないで下さいと念を押されていた。
強気なのは主にフランなのだが。
まぁ、当たり前か……。
僕は金貨と銀貨二十枚を出して商人に渡した。
「で、どんな契約が望みだ?」
契約にも種類があるのか……。
それに料金は一定なのか。
「命捧の契約を」
フランが商人に言った。
めいほうの契約?
どういう意味なのだろうか。
「ほぅ……。お前はそれの意味が解って言っているのか」
「もちろんです」
「対価は」
「いりません」
「ほぅ……」
待て待て、大事な事は詳しく……。
「それって――」
「ご主人様」
今度は僕が遮られた。
「大丈夫ですから……」
待て、それは僕の口癖だ。
じゃなくて、その契約で本当に良いのか?
フランが僕に不利になる様な事をするとは思えないが……。
「お前は? 奴隷に何か求めることはあるか?」
これはフランに教わっていた。
フランには「私に望む事があれば契約時に言って下さい」と言われている。
契約が私を縛るからと……。
特に無いので、そう答える。
「無い」
「本当に無いのか。効果は微妙だが、言霊で服従させる事も、女なら毎日欲情させる事もできるぞ?」
な、なんだそれは……。
激しく理性が揺さぶられるが、無いと答える。
「いや、無い」
僕にそんな趣味は無い。
うん、無い無い……。
「全く、奇妙な関係だな……。ほら、いつまでも手を繋いでないで腕輪を出せ」
商人が急かすので、フランから手を離して左腕の腕輪を出す。
フランも腕輪を出した。
「奴隷、名前は?」
「フラン・ノーツです」
「お前は?」
「蒼井・優だ。いや、ユウ・アオイか」
「どっちだ」
「優が名で、蒼井が姓だ」
「分かった」
商人が僕とフランの腕輪に触れる。
「我、神命に従い此処に主従の契約を印す。従者フラン・ノーツ。汝、ユウ・アオイを主として認め、その魂命を賭して仕える事を誓うか」
「誓います」
なんだか結婚の誓いの言葉みたいだな。
少しだけこそばゆい。
「主ユウ・アオイ。汝、フラン・ノーツを従者として認め、その魂命を預かる事を認めるか」
「認める」
事前にフランには、契約時に「認める」と言えば良いと言われていたので、そうしたが本当に良かったのだろうか?
しかし、なんだ魂命って……。
「我、これらの言霊を契約の証として印す」
するとフランの腕輪に変化があった。
まるで蛇が巻きつく様に、銀の模様が這ってゆく。
そして、模様と共に文字の様な装飾も施されていった。
「これで契約は完了だ。お前、奴隷を持つことは初めてか」
「あぁ」
「なかなか興味深そうに見ているからな。その文字は神語だ。お前には読めんよ」
「じゃあ、どうやって僕の奴隷になったことを証明する?」
「知るか、鑑定にでも出せ。それかそこの本棚に神語に関する本があるぞ」
商人が大きな本棚の方を指差す。
「ユウ……アオイ……」
と、フランが隣で腕輪を見つめながら呟いた。
「お前、読めるのか?」
「あ、はい。音を示す簡単な文字でしたら……。でも、難しいものは分からないので、本をお貸し頂けますか?」
「あぁ、分かったよ」
商人は立ち上がると本棚から分厚い本を持って来た。
「貴重な物だ、大切に扱え」
「分かりました。ありがとうございます」
フランは商人から本を丁寧に受け取った。
「全く……。何故、奴隷に落ちたかは知らないが、こいつは学者か何かの娘だったのか?」
僕は商人にフランの事を尋ねられた。
「いや、違うかな」
詳しく話す理由も無いので、適当に誤魔化す。
と思ったらフランが答えた。
「領主の娘でした。いえ、正確には孫ですか……」
フランは答えながら、丁寧にページをめくっていく。
「そうか……」
室内にページをめくる音だけが響いた。
商人はフランを見ていると、再び口を開く。
「なぁ……お前は奴隷に何故こんな良い服を着せているんだ?」
「何故って……」
「それに普通は契約には何かしらの制約を交えて行う。お前は何故、何も縛らない? この奴隷に惚れているのか?」
「別に惚れている訳じゃない、フランのことは好きだが……。それに無理に縛る必要は無いだろ?」
「ふん……。今は猫を被っていても、なんの制約も無ければすぐに言う事を聞かなくなるぞ」
「私は猫なんか被っていませんし、ご主人様に逆らうつもりもありません」
「フラン、別に僕の言う事を聞く必要は無いさ。君が思う様にすれば良い」
商人は訝しげに僕らを見る。
すると、扉からノックが聞こえた。
「入れ」
「失礼致します。ハイネ様、お茶をお持ち致しました」
「あぁ」
小綺麗な服に身を包んだ少女が、お茶を持って部屋に入る。
その一つ一つを僕らの前に置くと、一礼をして出て行った。
彼女は黒と白のストライプ模様の腕輪を付けていた。
あの少女も奴隷か……。
商人の腕輪は白い。
おそらく商人の奴隷なのだろう。
「気になるのか?」
「いや、別に」
「念の為に言っておくが、売らんぞ」
商人に釘を刺される。
しかし、買うつもりなんて無い。
「あぁ、買わないよ。しかし何故、彼女は綺麗な服を着ているんだ? 彼女にも何か制約を?」
僕はフランを待つ間、暇なので色々と聞いてみる。
商人にされた質問も返しておく。
「あいつには何も制約を掛けておらんよ。服は何を着せたって良いだろ?」
「ははっ、そうか。僕も同じ理由だな」
「ふっ……そうだな……」
ほんの少しだけ、お互いに笑い合う。
先程よりはマシな空気になった。
再び商人が口を開いた。
「時間が掛かりそうだ。少し昔話をしてやろう……」
「すみません……」
フランが謝る。
「いや、良い」
商人が言った。
先程の態度も何処へやら、商人はすっかり優しい声色になっていた。
「私は奴隷上がりなんだ。奴隷の頃には制約で雁字搦めにされていた。お陰で記憶も所々飛び飛びだ。全く……一体何をさせられていたか分からん。だから私は女の奴隷には制約を掛けんよ。やはりお前とは違う」
「そうか、大切にしているんだな」
僕は出されたお茶を口に含む。
良い香りだ、ハーブティーか……。
「気に入った奴だけだ。売る奴隷には依頼通りに制約を掛けるし、契約内容を了承させるために無理強いだってする。全く、腐った職業だよ……」
商人は自分の過去を隠しもせずに話す。
彼女も案外良い人なのかもしれない。
初めは僕らを騙そうとしたが……。
いや、僕をか……。
「ご主人様、分かりました。おそらく大丈夫です」
「当たり前だ。契約に細工すれば私が危ない」
「はい、失礼を致しました」
フランが本を畳むと、商人に返して謝った。
僕もそれに習う。
「すまなかった。契約を取り持ってくれたこと感謝する」
「いや良いさ。お前みたいな主人は稀だからな。精々大切にするんだな」
「あぁ」
僕はフランの手を取り、奴隷商を後にしようと立ち上がる。
すると商人に呼び止められた。
「おい」
「なんだ?」
「此処はお前の様な奴が来る場所じゃない。二度と来るな」
「あぁ、そうするよ」
僕はそう答えると、フランと共に奴隷商を後にした。