枕
フニフニ……。
柔らかい感触が僕の両腕いっぱいに広がっている。
うん、柔らかい。
そして、布団の中はとても温く心地良い……。
昨日の夜、泣き疲れた彼女はすぐに眠ってしまった。
そして僕は、彼女と同じベッドで寝ている。
決して、やましい気持ちがあった訳ではない。
彼女の発作が、なかなか収まらなかったのだ。
そして、物凄く眠かった。
結局僕は明け方まで起きていて、それでも収まらなかった為に、同じベッドに寝てしまった。
彼女の手と僕の手を繋いだまま、更にタオルで解けないように縛って……。
しかし僕はよく我慢できたものだ……。
呪い付きの眠さはあれど、こんなにも可愛くて柔らかい女の子と同じベットで寝ているのに……だ。
僕は恥ずかしさのあまり、目の前の抱き枕を少し強めに抱きしめる。
フニフニ……。
「ぁっ……」
ん?
いや、このベッドの上には抱き枕なんて無い。
抱き付き癖のある僕は、いつも布団なんかを抱いた状態で起きるのだが、今日はなんか違う……。
その……いつもより……柔らかいのだ。
おかしい。
僕はその柔らかなものから顔を離して目を開ける。
宿の中にはとても明るい日差しが差し込んでいて、眩しい。
もうお昼くらいかもしれない。
目の前にある物はなんだ……?
丸い二つの山を、はだけかけた薄い布が隠している。
普通に胸だよね……。
いや、下乳だ。
違うバカ一緒だ……。
僕は混乱しながらも、恐る恐る顔を上げた。
「あ、あのっ……ご主人様。その……髪が、くすぐったいです」
「……」
彼女が頬を真っ赤に染めて、こちらを見ている。
その空の様に青く透き通った碧眼に、僕は一瞬見惚れてしまいそうになるがすぐに我に返った。
あれ、彼女の瞳は青色だっただろうか……?
違う……僕は何をやっているのだ。
体がこれでもかというくらいに彼女に密着している。
完全にセクハラだ。
モゾモゾと身体を動かして彼女から離れる。
そしてその場で正座。
「あ、あの……ご主人様?」
まだほんのりと頬の染まった彼女が僕を見つめている。
可愛い……。
じゃなくて、僕はそのままの体制で彼女に謝った。
「ごめんなさい……」
顔を上げると、彼女がポカンと口を開けている。
昨日も彼女を抱きしめたが、あれは魔力を込める為だ。
それに彼女は多分知らないし……。
しかし、今回は謝罪が必要だろう……。
あまり怒ってなさそうだけど……。
いや、寝ぼけていたとはいえ、彼女に抱き付き、その胸に顔をうずめたのだ。
柔らかかったなぁ……。
じゃなくて、反省は態度で表すべきだ。
反省……してるよ……?
「ふふっ……。本当に私を奴隷扱いしないのですね」
彼女――フランは柔らかな微笑みを僕に返した。
彼女はとても美しい。
本当に見惚れてしまう程に……。
「いつ起きたの?」
「日が登り始めたくらいです」
やはり僕よりも早く起きていたのか。
「体は平気だった?」
「はい、ずっと抱きしめて頂いていましたから……」
彼女が頬を染めながら答える。
ずっと……。
僕は彼女にずっと抱き付いていたのか……。
恥ずかしい……。
僕らは二人して顔を赤くした。
いや……発作だ……。
呼吸が少しだけ荒くなり始めている……。
本当の意味で赤くなっているのは僕だけか。
「ほら、手を……」
彼女の手をとって魔力を注ぐ。
「ありがとう……ございます……。あ、あの。本当に……本当に平気なのですか……?」
彼女はまだ驚いている様だった。
昨日も同じ事を聞かれたが、僕の事を心配しているのだろうか。
「大丈夫だよ、全然平気。それより苦しくなったら、すぐに言って欲しい。寒くない?」
「は、はい。平気です」
発作が治まったらご飯。
そんな風に考えていたが、なかなか治まらない。
彼女はしばらく僕と話をしていたが、疲労の色が濃いので再び寝かせた。
つまり暇になった……。
****
彼は優しい。
今こうしている間にも私の手を握り続けてくれている。
名前しか知らない彼……。
ユウ――彼はそう名乗った。
奴隷の私に優しくしてくれる不思議な人。
それに、呪い付きになった私は彼にすがるしかない。
でなければ生きていけないのだから……。
でも、彼が言う様に本当に呪い付きが治ったら?
――私はただの奴隷になる。
それは嬉しい。嬉しいけど、不安だ。
本当に売られないのだろうか――
呪い付きの奴隷なんて普通は売れない。
私は売られたのだと思うけど、おそらくタダ同然だろう。
でも、本当に……本当に治ったら。
彼は優しいままでいてくれるのだろうか――
彼は空いている手で、キラキラと魔法で遊んでいるようだった。
私は手が握られている彼の腕に手を伸ばして魔力を込める。
なかなか魔力が集まらない。
彼がこちらに気が付いたけど、私は魔法に集中する。
少しずつ、少しずつ魔力を集めて魔法を発動する。
やっぱり呪い付きの所為かな。
彼のほんの小さな切り傷も、治すのに時間がかかってしまう。
「……」
ようやく、ようやく……治療を終えた私は彼に目を向けた。
「フランの魔法はすごいね。ありがとう」
ふふ……。
少しだけ役に立てた気がした。
ほんの小さな傷を治しただけだけど、放っておけば治る傷だけど……。
彼はお礼を言ってくれた。
私は彼の言葉に満足すると、呪い付きと魔法の疲労に再び微睡んでいった。
****
結局、発作が治まったのは夕方だった。
途中彼女が腕の傷を治してくれた。
僕が何度か声を掛けたがあまり聞こえていなかったのか、再び眠ってしまっていた。
僕は部屋を抜け出して、ご飯を頼みに食堂へ向かう。
宿の主人のアランに宿代を催促されたので、一週間分を追加で頼んだ。
正直忘れていた……。
チェックアウトの時間は基本的に決めていないらしいが、もう少ししたら部屋に言いに行こうと思っていたらしい。
僕が食堂に入ると、宿の娘のティアがテーブルを拭いている。
お客さんも本を片手にウトウトと、船を漕ぐお爺さんだけだった。
「ティア、注文良いかな?」
「……朝食、食べてないでしょ。残ってるわよ」
もう日が傾き始めているのに、取って置いてくれたのだろか。
「待ってて」
とティアは厨房に入って行った――と思ったら戻ってきた。
「また部屋で食べるの?」
「うん、お願い」
「分かった。二人分ね」
少しだけサバサバとした印象を受けたが、キチンと対応してくれる。
またそっぽを向かれなくて良かった。
「はい、お待たせ」
「ありがとう」
ティアからお盆に乗った二人分の食事を受け取る。
水も二人分乗せてくれていた。
僕が戻ろうとすると、ティアに呼び止められた。
「ねぇ……。怪我は……平気なの?」
「あはは、ごめんね。またビリビリにしちゃった」
ティアに綺麗に直してもらった服は、あの死神との一戦で再びビリビリになってしまっていた。
「そうじゃないわよ。ケガはちゃんと治療したの? 部屋……出てないでしょ」
「タオルを巻いてあるから大丈夫」
そう……血は大体止まっているが服に滲んでしまいそうだったので、タオルでぐるぐる巻になっている。
「……消毒は?」
「多分、大丈夫……」
はぁ――とティアが溜息を付くと僕の腕を掴んで連れていかれた。
おそらく一家の居住スペース。
ティアは僕からお盆を奪いとると、顔を赤らめながらこう言った。
「脱いでっ」
「い、いやっ、えっ?」
「足も怪我してたでしょ。早く脱いでっ」
いや、確かに足も怪我したけど脱ぐ程じゃないんだが……。
ズボンの裾を捲れば良い。
僕が戸惑っていると、ティアは奥に入っていた。
僕が上着だけ脱ぐと、ティアが救急箱を持ってやって来た。
「ほら、早く脱いでっ」
「い、いや、ほら――」
「早くっ!」
僕はティアの態度に圧倒されながら、渋々と脱いだ。
また、パンツを見られた。
もうお婿に行けない……。
ティアは少し顔を赤くしながらも、タオルを剥ぎ取ってテキパキと手当をして行く。
「さぁ、終わったわよ」
「ありがとう……」
僕は脱いだ服を着始める。
「別に下は脱がなくても平気じゃない……。そうなら言ってよね」
「うん……」
話を聞こうとしなかったのは、彼女の方なのに……。
僕が服を着終わると、ティアが手を差し出してきた。
僕はあぁと思い、銀貨を三枚程その手の上に乗せる。
「ちっ、違うわよっ! 服よっ! 服っ! ……どうせ洗ってないんでしょっ」
「ご、ごめん」
と言って服を取り出すとティアに渡した。
彼女は僕の服を受け取ると、その服を抱きしめる。
そして片手にはちゃっかりと銀貨を握り締めたままである。
「こ、これで許してあげるわ……」
「う、うん……ありがとう……」
僕は何か悪い事をした覚えはないが、彼女の機嫌が治るなら安いものだと思った。
僕はすぐに部屋に戻ろうとしたが、ティアが料理を再び温めてくれた。
彼女の顔には笑顔が戻っていた。
僕は料理を持って部屋に戻った。
料理を机の上に置いて、彼女の手に触れる。
一瞬ビクッと反応を示した気がしたが、起きているのだろうか?
「フラン、起きてるの?」
声を掛けても反応が無い。
まだ眠っている様だった。
僕は発作が起きていない事を確認すると、魔力を込めた。
彼女を薄い魔力の膜で包み込む。
魔力がなかなか彼女の中に入っていかない。
呪い付きの発作中も、吸い取られる量以上には魔力を注ぎ込む事はできない様だった。
普段は魔力を分け与えるのは難しいのかもしれない。
僕は机に戻るとご飯を食べた。
「よしっ」
僕はご飯を食べ終わると、お盆を置いたまま宿を後にした。
****
私はどうやって彼の役に立てばいいのだろうか……。
彼は冒険者だ。
彼が自分の屋敷に戻れば、少しは役に立てるだろう。
私は家事なら、料理や掃除なら自信があった。
しかし、彼は冒険者だ。
貴族なのにたった一人。
普通は貴族ならお付きの一人や二人居るものだ。
冒険者は危険だから。
でも、彼はたった一人。
彼は勇敢だった。
死神にたった一人で立ち向かい、退けた。
本当に彼が死ななくて良かった。
しかし、そんな彼に私はどうやって役立てば良いのだろう……。
私は一つくらいしか思いつかなかった……。
たった一つしか思いつかなかったのだ……。
私には、この身を差し出すくらいしか――
部屋の扉が開けられる。
私は咄嗟に目を閉じた。
なぜそうしたかは分からないけど、目を閉じてしまった。
怖かったのかもしれない。
コツ、コツと、部屋の床を彼の靴の音が響く。
少しずつ足音が近づく。
何かを机に置いた様な音が聞こえた。
サワッ――
突然、何かが私の手に触れた。
驚いて、びくりと身体が反応してしまう。
「フラン、起きているの?」
彼が私に声を掛けた。
私は返事をしなかった。
一度目を閉じてしまった事が、後ろめたかった。
私は彼に与えられてばかりなのに――
彼が私を魔力で包んだ。
こんなにも彼は優しくしてくれるのに――
彼の手が私から離れる。
私は少しだけ目を開けた。
でも彼は気が付かなかった。
彼は一人でご飯を食べている。
そのお盆には二人分の食事が乗っていた。
こんなにも、こんなにも私を気に掛けてくれているのに――
奴隷の私に、態度を変えずに優しくしてくれるのに――
まるで、彼を裏切った様な罪悪感が私の心を包んだ。
ホロリと涙が目尻を伝った。
私……こんなに涙脆かったかな……。
以前までは、人前で涙を見せた事なんて、ほとんどなかったはずなのに……。
「よしっ」
彼の声が部屋に響く。
彼が部屋を出る音がした。
そして、続けて鍵を閉める音。
その音に私は少しだけ安心し目を開けた。
私の頭を乗せていた枕は、涙に濡れていた。