最後の夜
ガタガタと揺れる馬車の上で、私は荒い息を上げていた。
檻に掛る布の隙間から洩れる光だけが、今が昼なのか夜なのかを教えてくれる。
私は奴隷として売られたらしい。
あの憎き叔母夫婦の手によって……。
その憎しみも今となっては意味の無いことなのかもしれない。
何故なら、私はもう長くない。
呪いが発症してから今日で三日目。
すでに起きていられる時間も短くなってきていた。
薄れゆく意識の中、何度も何度も夢を見る。
まだ幸福であった、幼い頃の夢を……。
***
私は裕福な家に生まれた。
両親であるお父様とお母様は、優秀なお医者様であった。
特にお父様は治せない怪我や病気は無いと言われたほどに回復魔法の優れた使い手であったため、二人はあちこちの国々を飛び回る日々であった。
私は御爺様の元で育ち、両親が旅から帰るのをいつも楽しみに待っていた。
そんな暮らしの中でも、私は少しも寂しくはなかった。
御爺様も使用人も優しくて良い人ばかりであったし、御爺様はいつもお父様とお母様は「すごい人なのだよ」と小さな私に言い聞かせてくれた。
そんな幸せな日々が崩れ去ったのは、四歳のとき。
旅先で両親が亡くなったのだ。
二人が診ていたのは、呪い付き。
呪い付きは、力を暴走させて家ごと二人を飲み込んだそうだ。
尊敬した両親でも、男神の呪いは治せなかった……。
その後は御爺様と二人だけになってしまったけど、それでも私は寂しくはなかった。
御爺様が居てくれたから……。
その御爺様も、翌年には帰らぬ人となってしまった。
残された幼い私を引き取ったのは、遠縁の叔母夫婦であった。
叔母夫婦は、御爺様が納めていた領地を引き継いで屋敷にやってきた。
そこからの毎日は思い出したくもない。
叔母は私を使用人として扱った。
私の見知った使用人はいつのまにか居なくなり、炊事、洗濯、掃除……と何でもやらされた。
もちろん自分の娘の世話もだ……。
娘は私を毎日いじめた。
村で友達を作ってもすぐに嫌がらせをされて奪われた。
それでも私は耐え忍んだ。
御爺様が貴族は民を守るために強くあるべきだと、いつも言い聞かせてくれていたからだ。
それに楽しみもあった。
唯一の楽しみは、御爺様が残した本を読むこと。
私は色々な本を読んだ。
初めは難しくて読めない本も沢山あったが、年を重ねる毎に読める本も増えていった。
十歳になる頃……嬉しいことがおきた。
お父様と同じ水魔法に才能があることが分かったのだ。
その頃から、私は魔法書にも手を出し始めてこっそりと魔法の練習し始めた。
十四歳になる頃には、回復魔法が使えるようになった。
それでも、治せるのは軽い切り傷くらいであったが、その日から私は医者になる夢を持ち始めた。
いつの日かこの家から逃げ出して、沢山の人々を治すのだ……。
十五歳になる頃、私は悩んでいた。
どうやら、私は魔力量が少ないらしい。
私の魔力では、浅い切り傷が精々であった……。
その年、私は叔母の夫に呼び出された。
そして押し倒された。怖かった。
しかし、悲鳴を上げると、部屋に娘が入ってきて事なきを得た。
でも、その日から娘のいじめが酷くなった。
十六歳のある日、いつもの様に私が御爺様の本を読んでいた時だ。
今日の本は召喚魔術についての本。
夜、言い付けられた仕事を終えて、呼び出されるまでの……ささやかな自由時間。
あの娘が私の部屋にやって来たのだ……。
私は娘に卵をぶつけられた。
私の顔に当たって割れた卵が、読んでいた御爺様の本に落ちた。
そんな、いつものこと。
普段の私であれば、何食わぬ顔をして我慢できたことだろう。
でも、その日の私は、どこかおかしかったのかもしれない。
突然、目の前が、真っ赤に染まった。
「なんで……なんで私がこんな目に遭わなくちゃならないの!」
そう大声を上げると、娘は楽しそうに笑った。
「あはは! 怒った、怒った! お母様に言い付けてあげるんだから」
そうだ。
いつもそう、私が少しでも反抗すれば叔母に言い付けられる。
そして叩かれるのだ……。
「待ちなさい」
そう呼び止めると、叔母の娘は納得のいかない様子で振り返る。
「なによ」
私は怒りに任せたまま、彼女に向けて右手を構えた。
集中して持てる限りの魔力を集める。
ひどく鼓動が高鳴った。
私の属性は水。
それに魔力量も少ない。
半端な魔法を人に向けても、死にはしない。
「な、なによ? なに腕なんか構えちゃって、魔法でも打つつもりなの?」
でも……その日は、なぜか調子がよかった。
私の内には、いまだかつて感じたことのない程の力が溢れていた。
強い高揚感と共に、ほんのわずかな恐怖を感じる。
それでも、かまわない……。
私が魔法を放とうとした瞬間、集めた魔力が持って行かれた。
「あは、あはは! 失敗してるじゃない!」
違う。私は失敗なんかしていない。
本に魔力を吸い取られたのだ。
そして突然、私の周囲を真っ黒な魔方陣が描かれはじめる。
「な、何よそれ!」
これは……召喚魔法……?
読み始めたばかりではあるものの、魔力を捧げて何かを召喚する基本的な術式が描かれていた。
力は、みるみる内に吸い取られ――
やがて意識までもが薄れていく――
魔方陣があやしい光を放った――
真っ黒な何かが召喚された。
それが目の前の彼女へと襲いかかる。
私の意識はそこで途切れた……。
***
次に目覚めたときは、檻の中であった。
息が苦しく、そして凍えるように寒い……。
気が付けば、ひどい恰好をしていた。
そして、次の瞬間には理解する。
あぁ……売られたのだと……。
左腕の腕輪が、黒く鈍い色に変わっていた。
さらに、黒地の上に銀色の模様が、蛇が巻き付くような模様を作っている。
契約奴隷――
私が奴隷の身分に落とされ、貴族身分の商人に売られた証だった。
また意識が朦朧として来た……。
体を丸めてうずくまった。
私の身になにが起きているのか。
それは、看守が教えてくれた。
「お前は呪い付きになって、奴隷として売られたんだよ。ったく気持ち悪い眼を向けるな、俺が呪われたらどうするんだよ」
そう、吐き捨てるように言われたからだ。
呪い付き――それをよく知らない人はこう言うだろう。
男神の呪いを受けて、周囲に不幸を撒き散らす人。
発症した本人は、発作を繰り返してやがて死に至る。
しかし、本当は少し違う。
私は御爺様の本で読んだことがあった。
その本には、特別な力に目覚めた者のことだと書いてあった。
発症すると周期的に発作を起こし、目覚めた力を暴走させる。
その能力次第では周囲を巻き込むこともある。
そして、発症直後は体に貯め込んだ魔力を用いて暴走するために最も危険だとも書いてあった。
その後は、発作と共に徐々に生命力を奪われて死に至るという。
そうか……。私は死ぬのか……。
私はそのことを理解すると、再び意識を失った。
***
寒い……。
辺りは、深い闇に包まれていた。
「はぁ、はぁ」
私は荒い息を繰り返す。
冷たい檻の中で迎える、何度目かの夜。
もう寒さ以外には、何も感じなくなってきた。
どうやら、私は物音に目を覚ましたようであった。
すぐ側で、物音と共に話し声が聞こえてくる……。
「旦那、不味いですって。商品に傷を付けたら親方に怒られますって!」
「バカ野郎。こいつはもう死ぬんだ。売れるわけないだろ」
「ですから、死体趣味の貴族の所に売りに行くって言っていたじゃないですか! それに呪い付きです。触ったら死にますぜ?」
「はっ、発作中じゃなきゃ、命は奪われねぇよ。それに、こいつの呪いは人に危害を加えるもんじゃねぇ。抵抗するようなら殺しちまえばいいだろ」
と、冗談ではない話の内容が聞こえてくる。
焦る間もなく檻に掛った布が開かれると、月明かりが差し込んだ。
「起きてるじゃねぇか。おい、おまえ口を押さえとけ」
あまりの恐怖に、私は悲鳴さえも上げることができなかった。
「おい、早く押さえろってんだよ!」
「へ、へい」
手下の男が、私の口を塞いだ。
ドクリ――と、鼓動が高まり、目の前が真っ赤に染まった。
強い悪寒と共に、急激に身体の力が抜けていく……。
「ちっ、離れろ! 発作だ!」
「ひっ」
二人の男が飛び退くように離れる。
朦朧とした意識の中、何か風を切るような音を聞いた気がした……。
段々と意識がハッキリしてくると、すぐ目の前で男が二人死んでいた。
思わず上がる叫び声。
すぐに両手で口を塞いで止めた。
とにかく……檻の外に。
力が抜けて身体が思うように動かない。
男達の死体につまずいては転び、よろけては近くの物にぶつかった。
「おい、何をやっている!」
今度は別の人に声を掛けられた。
私の悲鳴を聞いて、やって来たようであった。
男に背を向け、よろよろと歩いて逃げ出す。
「馬鹿野郎! お前らなに寝てんだ! 商品には手を出すなと――」
背後から、再び風を切る様な音。
顔を向ければ、男の崩れ落ちる姿が見えた。
男の側には、身の丈ほどの大きな鎌を、だらんと垂らした少女が浮かんでいる。
その黒鉄の大鎌と漆黒の衣は、お伽話に出てくる死神を連想させた。
私はその場から離れるようにして、草原に向かって歩き出す。
そう……やはり、あの魔法陣は召喚魔法だったのか……。
「貴女が、私の受けた呪いなのですね……」
少女が音もなく後ろに着いてくる。
おそらくは、彼女は召喚者の私を守ろうとしたのだろう。
私は村から程なく離れると、空を見上げる。
最後に綺麗な月が見られて良かった。
今夜は、月がこんなにも綺麗だ――
私は死神に向き直り、そして言い放った。
どうせ、すぐに死ぬのなら……。
この先に、絶望しかないのならば……。
私は自分を保ったまま死にたい。
「さぁ、私はあなたとの契約を破棄します。私を殺して消え去りなさい」
死神の顔は、暗闇に隠れてよくは見えなかった。
それでも命令が受諾されたことが私には分かった。
なにか糸が切れたような気がしたのだ。
死神との繋がりがなくなり、途端に身体が重たく感じた。
死神の大きな鎌が、真上に掲げられる。
これで目の前の魔物は、私を殺してどこかに行ってくれるはずだ。
しかし、次の瞬間には、死神は音もなく消えていた……。
無防備な私が目の前にいるのに何故……。
私は辺りを見回した。
村の方、近くに男の子が立っていた。
「逃げて!!」
私は男の子に対して叫んでいた。
死神が男の子の真後ろに現れて、その手に持つ大きな鎌が横凪に振るわれた。
***
一体なにが起きているのか。
男の子と死神が激しく打ち合っていた。
死神はかなり高位の魔物のはず、そんな魔物と一人で互角に打ち合うなんて――
それでもきっと無理だ、私の所為ですぐにでも男の子が死んでしまう。
「お願い! やめて! 逃げてよ!」
私は力の限り男の子に叫んだ。
それでも男の子と死神は打ち合うのをやめない。
ドクンッ――と、胸が苦しくなり視界が赤く染まり始める……。
意識が朦朧としてくる……。
死神との契約はもう切れている。
それでも死神に向けて願った。
無駄なことは分かっていても、願わずにはいられなかった。
私は薄れゆく意識の中で願う。
お願い、どうか彼を殺さないで……と。
意識を失う直前――辺りがまるで真昼のように明るくなった気がした。