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狩りの休日と封印の魔法陣

 それはのどかな昼下がりのこと。

 屋敷の窓からは優しい日が差し込み、外からは小鳥たちのさえずりが聞こえる。


 僕達はリビングでゆったりとした時間を過ごしていた。


「ご主人様、紅茶を入れますので、こちらを温めて頂けますか」


「うん」


 フランからティーポットを受け取り、彼女の入れてくれた水を魔法で温める。

 器の中から光が漏れないように、ティーポットの内側を温める要領でお湯を沸かす。


 実を言うと、透明な水を光で温めるというのは難しい。

 そのため我が家のティーポットは、内側を魔力に反応する黒色の魔石ガラス繊維でコーティングしていたりする。

 こうすることで、光を水が透過してもティーポットの内側の黒色部分に吸収されて熱を持つ。

 さらに使用している魔石ガラスは、魔力を込められるとその魔力圧により熱を発する特性を持つものを採用している。

 それらの生み出すハイブリッドの熱によりお湯が沸くという仕組みだ。


 あっという間にすぐに沸く。

 僕はこれならティ◯ァールにも勝てると踏んでいる。


 こうしたことは、最初はフランにもずいぶんと不思議がられたものだった。

 すべては魔法で生活を楽にしたいということと、魔法で実現できるのか、という好奇心の産物ではあるのだが、こうしてフランからお願いされるように、いつもの日常に組み込まれると妙な感慨があった。


 技術局からの報告書を読む片手間にティーポットに魔法を込めていると、少ししてお湯が沸く。

 僕はティーポットをフランの前に注意深く置いてあげた。


「はい、火傷しないようにね」


「はい。ありがとうございます」


 フランは穏やかに微笑むと、丁寧な所作でお茶を入れ始める。


 お礼を言うのはこちらの方だというのに、彼女はいつも機嫌良くあれこれと尽くしてくれる。

 その穏やかな横顔に、今日も美味しかったよと伝えると、また可憐な笑顔の花が咲く。

 そんな彼女にときおり目を奪われながらも、僕は幸せ者だなと思いながら、自らの作業に戻る。


 隣では幼い少女の容姿のフレイヤが四英雄の本を読んでおり、もう彼女から文字の読み方も聞かれなくて久しいのを思い出して、僅かな寂しさを覚えた。


 すると、視線に気が付いた少女は、宝石のような瞳をこちらに向ける。

 その真っ直ぐな視線を浴びて、邪魔をしてしまったかなと言って彼女の小さな頭を撫でた。

 普段は表情の薄いフレイヤが猫のように目を細める姿に、またつくづく僕は幸せ者だなと思いながらも、自らの作業に戻る。


 そんな優しい時間を邪魔……もとい乱す者がいる。


「ねぇ、なぜ貴方が奴隷の言うことを聞いているのよ」


 フランとフレイヤの視線が声の持ち主に向いたものの、僕が散々注意したおかげか声の持ち主が二人に絡むことはなかった。

 代わりに、僕に文句を言うわけである。

 呆れ顔で視線を向けている彼女に、僕は短く答えた。


「別にいいだろ」


 その素っ気ない返事に、ミミルは切れ長の目を細めて、より一層不満の表情を浮かべる。

 眼鏡を外して制御失った魔眼には、心なしか魔力が込められているように見えた。

 それは僕の邪推が過ぎるだろうか……。


「ミミル様、ご主人様が温めるとお茶が美味しいのですよ」


 そのフォローにミミルの標的がフランに向くのではと思ったが、ミミルは僕の方に視線をチラリと向けると、ミミルはフランに向き直って言葉を返す。


「そう……。たしかに料理は美味しかったわ。ご馳走さま、フラン」


「はい、ありがとうございます」


 二人のやりとりに、僕はそっと胸をなで下ろす。

 ミミルの態度は若干の上から目線な感じは否めないものの、パーティーメンバー同士のコミュニケーションは上手くいっているようである。


 それにフランが話を変えてくれたおかげか、不満の表情も消え去ったようであった。

 やっぱり、仲間同士は仲が良い方が良い。


 そう思ったのも束の間、赤いローブの主が再び口を開いた。


「でも、スープはあまり好みじゃなかったわね」


「げっ……」


 僕の声が聞こえなかったのか、ミミルは話を続ける。


「あれだけ精彩を欠いていたもの。雑と言うかなんというか、田舎っぽい感じかしら。でも、まぁ美味しかったけど」


「そうでしたか……」


 フランが困った顔をして申し訳なさそうにしているが、彼女の所為にするのは可哀想なので正直に告白する。


「ミミル、今日のスープは僕が作ったんだよ」


「ふーん」


 ミミルは僕とフランを見比べると……。


「塩気が濃いわ。あと、具の入れ過ぎね」


 僕に向けて端的に指摘した。


 突然人の家に上がり込んで文句を言うなと言いたいところだが……。

 フランには濁して伝えようとしていたあたり、ミミルも多少は気を使ってくれていたのだろうか。

 そうして考えていると、フランが再びフォローしてくれる。


「私は好きですよ。ご主人様のスープ。ミルクの入ったスープは優しい味ですし、ベーコンは体を作ります。あと、コーンも栄養があります」


 気持ちは嬉しいものの、最後は栄養の話になっている。

 そんなに不味かっただろうか。

 少し落ち込む。


 フランやフレイヤは何を食べても美味しいとしか言わないからな。


「そう、毎日運動してる貴方達には丁度良いのかもね」


 なにか突っ込みが入るかとヒヤヒヤしていると、ミミルは呆気なく話を終えた。


「でも、贅沢させてるのね。主人と同じ机に着かせた上に、お茶を飲むためにお湯まで沸かしてあげて。挙句に、貴方が料理なんて」


「ミミル、人の家のことなんだから、なんだっていいだろ」


「そうね」


 そこまで言うと、ミミルも興味を失ったように引き下がる。

 彼女も悪意はなく、ただの感想として伝えていただけなのだろうか。

 それとも、もう諦めてくれたのか。


 僕は再び視線を机に落として作業に戻る。

 ミミルも自分で持ち込んだゴシップ誌を読み始めていた。



 再びリビングが静かになり、穏やかな雰囲気へと変わっていく。

 フランの入れてくれたお茶にお礼を言うと、彼女が微笑む。

 このところはレベル上げに忙しかったこともあり、僕にはこうした癒しの時間が大切なのだ。


 ほんの少し来客が騒がしいものの、まぁ許容範囲だろう。


「おいし……。これ美味しいわね……」


 紅茶を飲むミミルがフランに茶葉の産地を聞いたりして、驚いている。

 二人で一通り話し終えると、再びこちらを向いて話し始めた。


「ねぇ、このお茶もそうだけど。どうして安い材料で、あんなに魔力に溢れた料理ができるわけ?」


「単にフランの料理が上手なんじゃないか?」


「そんな訳ないじゃない。料理は素材が命なのよ」


 なにを当たり前のことを言っているのかと、彼女の言葉の意味を考えていると、僕から聞き出すのを諦めたのか、ミミルの視線が再びフランに向けられる。

 すると、フランがおそるおそる答えた。


「それは、魔力を込めていますから……」


「はぁ? なぜそんな無駄なことをしているの? 魔力・・なのよ?」


 ミミルがひどく困惑した表情で言った。

 別にそんなにおかしいことだろうか。


「もう、なに力はパワーみたいな、当たり前のことを言っているんだ。料理は美味しい方が良いだろ」


「だから、なぜ魔力を回復するための食事に魔力を使ってるのって言っているの。ホント意味が分からないわ。フランだけ、実はレベルが低いんじゃないの?」


「ミミル、そんなことはないよ」


 そう言いつつ、僕はフランに向けて手を差し出す。

 フランはチラリとミミルの方に視線を向けると、そっと手を乗せてきた。


「なに人前で手なんか繋いでいるのよ」


「違うよ。魔力の補充。この前説明しただろ。料理に魔力を使って悪いのなら、補充すれば良いんだ」


「はぁ、貴方ね……。主人が魔力を渡すとか馬鹿じゃないの?」


「もう、うるさいな。ウチはこれで良いの」


「意味が分からないわ」


「料理に魔力を使ってくれたお礼だよ。分かるだろ」


「貴方疲労し過ぎると、レベルが上がりにくくなるって話、知らないの?」


「ん? そうなのか。じゃあ、二人とも疲れたら、すぐに僕に言うようにね」


「はい」


「分かった……」


 フランは困り顔で返事をし、フレイヤのほうは表情もなく頷きを返した。

 ミミルはやはり不満げな顔のままであった。




***




「あの、ミミルさん?」


「何よ、未亡人」


 私がぶっきらぼうに返事をすると、エールは気にする素振りも見せずにニコリと微笑んだ。


 この一見穏やかそうに見える外見はいつまでも好かない。

 外見に似合わない内面を持ち合わせていることを知っているからだ。


「ミミルさんに建物の前に立たれると、こちらとしては困ってしまうのです。

 貴女のことを知る人は寄り付きませんし、こうして用事のない方々が集まって来てしまいますから」


 冒険者ギルドの技術局は、冒険者ギルドにほど近い場所に位置している。

 そのため、辺りにはどこから聞き付けたのか見知った顔ぶれ――私に好意を持つ男達――が集まり始めていた。


 私は周りの男達を無視したまま、エールに答える。


「知っているわよ。悪いけど、そちらの都合なんて関係無いわ」


 私がこうしているのには理由があった。


 ユウ・アオイには、私の魔眼が効かない。


 彼のパーティに入ったまでは良いものの、このまま自身の有用性を示せないままでいれば、この先どうなるかは分からない。

 そして、例え今のままの関係が続くとしても、浅いつき合いで飼い慣らされていくということには、私は強い焦りを感じ始めていた。


 なんでも良い。

 ひとつでも安心できる材料が欲しかった。


 だから、なにか楔を打つ必要がある――


「ユウさんなら、しばらく戻らないと思いますが、聞いてはいないのですか?」


「知っているわよ。一緒に来たんだもの」


 休日に彼と昼食を共にしたところまでは良かった。

 だが、彼は午後からギルドの技術局で仕事があるという。

 私はそんな彼を甲斐甲斐しくも仕事場まで送り届け、仕事場の中に入れろと言ってはみたものの、機密があるからと断られた。

 ただ、その程度の理由で、この"災厄の魔女"が引き下がる訳にはいかない。


 そうしたことを悶々と考えていると冒険者の男達が勝手に集まり始め、異変を察したこの女(エール)が表に出てきたという訳であった。


「ミミルさん。許可証明アイディーが無ければ、冒険者ギルドの技術局に入場出来ないのです。ユウさんから聞いていないのですか?」


 エールは左腕を上げてみせた。

 その許可証明アイディーとやらの書き込まれた、銀の細い腕輪を見せびらかすようにして。


「それも聞いたわよ。だからここで待っているのでしょ」


「もしかして、局員を魅了して中に入ろうとしたり、中のことを探ろうとしていますか? それとも……」


 エールが滔々と理由を尋ねてくるが、それは危険な行為だ。


 私には、この会話に聞き耳を立てている連中の意識が、徐々に私の目的を正確に把握していくのが分かった。

 ジリジリと、指示をした訳でもなく男達がより近くに集まり始める。

 一部の魅了に完全にあてられた者達は、さも当然のように私のすぐ側に立ち、私の役立てることを嬉々とした表情で、出番を今か今かと待ちわびていた。

 それはいつ暴発しても可笑しくはない殺伐とした雰囲気を作り上げる。


 そして、爆発の代償は決して軽くない。

 ギルドにとっても、私にとっても……。


「私がけしかける訳じゃないわ。私に惚れた男が勝手に私の望むようにするだけよ」


「うふふ……罪な女ですね」


 エールは演技がかった上品な仕草で、口元を押さえて微笑む。


「貴女に言われるとムカつくわね」


「あまり問題を起こすと、ユウさんに嫌われてしまいますよ?」


「…………うるさいわね」


 再び焦れるようなしばしの沈黙の後、エールは困ったような顔を作り口を開いた。


「仕方ありませんね。もともと、ユウさんには『できれば入れてあげてほしい』とお願いされていましたから」


「アンタねぇ……」


「あら、『できれば』というところが大切ですよ。もっとも、彼の頼みでしたら私が断る訳はないのですが」


 エールは、自らの言葉に年甲斐も無く顔を赤らめる。

 その演技でない素の表情に、私はあきれてものも言えなかった。


 だいたい、あいつの一体何がそんなに良いというのか。

 エールの様子は、魔法薬の産物とはいえ、恋とはそんなにも盲目なものなのか。

 その恍惚とした表情に、私は妙に調子が狂った。




 窓のない通路をエールに先導されて歩く。

 純度の高い白色の魔光石で照らし出された通路は、白い壁の色もあり真昼のような明るさであった。


「それで、入口のアレはなんなわけ?」


「どれのことですか?」


「建物の周りを飛んでいたやつよ」


「あぁ、アレはゴーレムです」


 エールは何事もないように答える。

 自律型のゴーレムの開発には、魔術ギルドでも苦戦していると聞く。

 もうここ何年も開発が世に発表されては、虚偽の情報であったり、あるいは重大な欠陥が露呈して取り消しとなっている。

 ましてや、そんな代物が飛んでいるなどあるはずがなかった。


「ゴーレムが飛ぶわけないでしょ。さっき、鳥を追い払っていたわよ」


「使い魔を警戒しているんです。警備用のゴーレムで、ユウさんはドローンと呼んでいましたかね」


「ドローン? どこの言葉?」


「あら、ミミルさんは知らされていないのですね。貴女は彼のパーティーメンバーなのに」


 エールは振り返りながら言うと、その顔は勝ち誇ったように笑みを深めていた。


 そう思ったのもつかの間のこと。

 その表情は、すぐに感情を感じさせない微笑みを貼り付ける。


「なによそれ。どういうこと?」


「内緒です。必要であれば彼から話してくれることでしょう」


「ふーん。貴女が私に教える気は無いわけね」


「ええ。だからといって、魅了した方達をけしかけないでくださいね?」


「そんなことしないわよ。いつも私に惚れた男達が勝手にやるだけ」


「うふふ、罪な女ですね」


「うるさいわね……」


 私は聞くのを諦めて、話の続きを促した。


「それで、使い魔って一体どこの使い魔なのよ」


「おそらく魔術師ギルドでしょう」


「また潰されるわよ」


「今度は潰させませんよ」


「戦争するつもりなの?」


「はい、魔界の軍勢と」


 振り返ったその瞳は、確かな意志を感じさせた。


「魔界の軍勢に対して、技術局が魔法局よりも高い有用性を示すことができれば、立場の逆転さえも可能でしょう」


 この女、惚れた腫れたの状態でも、頭までボケたわけではないらしい。


「以前、ミミルさんには彼が本物かどうか聞かれましたよね?」


 だが、それもすぐに嬉々とした表情に変わる。


「彼は本物ですよ。むしろ本物以上です」




***




 そこは建物の地下であった。

 昇降機で何メルトも降り、幾重にも壁に補強が施された通路と厳重なドアを潜った最奥の部屋へと案内される。


 室内の中心には大きな穴があった。

 エールに促されて、その中心へと近づいた。

 それは幅3メルト深さにして30センチメルトほどの大きくも浅い穴であった。

 穴の中には巨大な魔法陣の一部と思われる黄金色で描かれた神語の羅列が宙に浮いている。


 そこには、ただ一人で深くしゃがみ込んだ者の姿があった。


「ユウ……」


 彼はこちらに気付いた様子もなく、穴の中に魔法陣を注意深く覗き込んでいた。


「これを考えた人は天才だ……」


「魔法陣が完全に自然と一体化している」


「たぶん大地から力を得ているんだ」


「この魔法陣の力が尽きるということは……大地から力を吸い尽くしたことになるのか……?」


「もしそうなら、すぐにでも力を補給する必要がある……。しかし、大地を回復させるなんてどうやって……」


「つまり……それが封印の限界……?」


 彼が魔力を込めるたびに黄金の魔法陣が白光を放ち、室内が神々しい黄金と白色の光で照らし出される。

 幾度も強い光が瞬き、その度に加えられている魔力量を想像して、肌が栗立つ。


「僕の魔力を注入すると、通常の魔力とは異なる反応を示す……」


「自然界の魔力だけじゃ足りないんだ」


「魔力は条件によっては他の属性に変換可能だから……」


「他の属性が光属性に変換できない理由は、何故なんだ……」


「もしかして……魔…………ない……?」


 ユウはぶつぶつと独り言を呟きながら、魔法陣に魔力を加えたり止めたりを繰り返している。

 その横顔には強い焦りのようなものが見え隠れしていた。

 そして、ユウは口元を覆い隠していた左手を外すと、魔法陣に両腕をかざした。


「ユウさん」


 エールの呼び声に、ユウの動きがピタリと止まる。


「護衛を付けずに新しいことをおやりになるのは、お辞め頂きますようにお願いしませんでしたか?」


「あ、エールさん……。すみません……」


「ユウさんは、仕方のない人ですね」


 エールはユウに手を伸ばすと、大げさに腕を抱き上げるように立たせた。


「封印の儀に影響があるような調査は禁じられています。帝国の勇者が居るのですから、ユウさんが力を使う必要は無いのですよ」


「ですが……」


「いま私達にできることは、備えて待つことだけです」


「えぇ……。そうでしたね……」


 エールはユウの腕を抱きしめたまま、ユウの顔を覗き込んで尚も続けようとする。


「まだ気になるという顔をしています。ギルドで保管していたユウさんの魔力は、実験を通してその全てをこの封印の魔法陣に使用してあります。それでも反応はごく僅か。それから、封印の回復に必要な魔力量の試算は先に報告した通りです。たとえ貴方の力がとても強いとしても、無限であるとは限らないのですよ?」


 それは親しい者をただただ純粋に心配するという様子であった。

 彼の弱々しい姿に加えて、あの女のこんな姿など見たくはない。

 さらに、自身が話の外に置かれるのに僅かに苛立ちつつも、私は二人を見守った。


「あはは……。分かってますよ、エールさん」


 ユウはやんわりとエールの巻き付いた腕を外す。

 そして、もう一度だけ封印の魔法陣にジッと視線を向けると、部屋の出入り口へと足を踏み出した。


「すみません、少し頭を冷やしてきます」


 そう言って、彼は部屋を出て行った。


 私は残されたエールに話しかける。


「ねぇ、本当に私をここに連れてきて良かったわけ?」


 エールは僅かに思案の表情を浮かべていたものの、彼女はすぐに頭を切り替える。


「ミミルさんがこの事を知っていれば、外聞としてはトーラス家も深く介入したことになります。アレイスターとトーラスが手を組んだとなれば、政敵も無闇に手出しはしてこないでしょう。それに、貴女はそのことをトーラスには詳しくは報告しない」


「ふーん、そうね。考えておくわ」


 そう言い切るエールに、私は悔しさから含みを持たせて返事をする。


「そして、貴女は魔術に長けている。それに災厄の魔女の遺物は、封印の解読に役立つかもしれません」


「魔女の遺物は誰にも渡さないわ。それに、あれはただの落書き、あるいは発動できない魔術書よ?」


「冒険者ギルドが信用できなければ、渡して頂かなくても結構です。貴方が信用できたときにでも、ユウさんに見せて頂ければ良いのです。何か新しい発見があるかもしれません」


「私が読み間違えているとでも思っているの?」


 私の問い掛けに、エールは真剣な様子で首を振る。


「そうは思ってはいません。ですが、彼を侮らないでください」


 その釘を刺すような物言いに、私は彼の評価を上方修正した。

 エールは意地の悪い女狐だが、この女に認められるということは、その者の力が確かな証拠となる。

 かつてあまりにも優秀すぎて、魔術師ギルドを追放された身の上は伊達ではない。


「そう、考えておくわ」


 私はあくまでも可能性の一つとして返事をする。

 エールはいまだ真剣な様子を見せつつも、僅かに逡巡して口を開いた。


「最後に、もう一つだけ……。貴女には同じパーティーの仲間として、ユウさんを支えて欲しいのです」


 それは、私の能力に頼ったものではない。

 ひどく感情的な、純粋に彼のことを想っての願いであった。


 プライドの高いエールが、この私に頼むなんて……。

 エールもであるということか。


「どうして、私に頼むわけ? ユウには従順な奴隷が二人いるでしょう?」


「ユウさんは、勇者の結末を二人には話さないそうです。これはミミルさんの方からも決して漏らさないでください」


「あいつ……」




***




 夕暮れの空がオレンジに輝き、鳥達の影が空にコントラストを作り出す。

 貴族街のその場所は不自然に人が少なく、夕暮れ時のテラス席は貸切のような様相であった。


 そんながらんどうの喫茶店で、僕はミミルの身の上話に付き合っていた。


「それでね。アイツは私に結婚を迫ったのよ」


「へぇ……ミミルってモテるんだな」


「ねぇ、それって皮肉のつもり?」


 彼女は眉をひそめながら言った。


「いや……ごめん。今のは失言。そんなつもりじゃなかったんだ」


「ふーん、まぁいいわ」


 何がきっかけなのか、ミミルの僕への態度が和らいだように感じていた。


 ミミルの方も僕と一緒に技術局の地下で封印の魔法陣を眺めるよりは、気が休まると思ったのかもしれない。

 僕が休憩から戻った際に、彼女に封印の解析を続けると伝えたときは、ひどく驚いた顔をしていたものだ。


 そして、唐突にミミルの方から、『帝国の勇者のことを教えてあげるから付き合なさい』との誘いを受けた。


 ミミルは慣れた手付きで紅茶を飲むと、再び口を開く。


「かつての勇者ユークリッドには、一人あるいは複数人の契約者がいたわ。この辺は国によって残されている話が違うけど。少なくとも、勇者には一人の婚約者と二人の仲間が居た。それを現代に再現するために、仲間と契約をしようって訳ね」


「契りを纏いし若人か……。予言としては複数な気がするけど。でも、なんでそうまでして予言を再現したいんだろうね」


「予言の結末を正確に再現するために決まっているでしょ。世界の命運がかかっているのだから。それでも、お金の無い国や政治的な力を持たない国は、封印の旅路からは外される。歪んだこだわりだわ」


「その地に封印の要が有るか無いかで、旅路の道筋が決まる訳じゃないのか」


「大筋はそうだけど。たとえ封印が無いとしても、勇者という存在は人々に希望を与えてあげるべきよ。少なくとも、先代の勇者はそうだった」


「そうかもしれないな……」


 ごく普通の少女のように表情豊かに話すミミルの様子は、夕焼けの色も相まってなのか……なぜか儚げに見えた。

 一目視線を交わすだけで異性を魅了してしまう少女は、いままでどの様な日々を歩んできたのだろうか……。


「あとアイツってホント面食いなのよ。どんなに実力があっても、自分が気に入らなければ仲間の候補から外すわけ。もちろん男なんて論外ね。これって世界の命運を背負って立つ人間には、ふさわしくない価値観だと思わない?」


「確かにそうかもね。それで、その勇者ってどんな人物なんだ?」


「ただのムッツリスケベのクズ野郎よ」


「あはは、相当頭に来ているんだね」


「当たり前でしょ。アイツは私に会ったその日に迫ってきたのよ? 夜中によ? 後ろに女を何人も引き連れて。怖いと思わない? しかも、ボクが君と結ばれるのは世界を救うためで〜とか長々とご高説を垂れるわけ。気持ちが悪いったらなかったわ」


「それで、断って戻って来たのか」


「違うわよ。怖くて逃げて来たのよ。どうせ、アイツの気持ちもこの魔眼の所為なんだから」


 そう言って、彼女は眼鏡を外して見せた。

 「まぁ、貴方には効かないけどね……」と小さく言いながらポケットからハンカチを取り出し、眼鏡を拭き始める。


「しかも、私を口説く時に『ボクだけが君の本当の瞳を見つめることができる』とか言って、私の眼鏡を取ったわけよ。それで頬を赤らめて私に見惚れてるわけ。私頭にきてアイツの足を思い切り踏んづけてやったわ。あぁ……あの目の色を思い出すだけで虫酸が走る……」


 ミミルは、そう言いながら自分の肩を抱いた。


「そうか……ミミルはそんなにも怖い思いをしてきたんだな」


「なによ、悪いの?」


「悪くないよ。僕だって同じ立場だったら逃げ出すと思う。ミミルは間違ってないよ」


 そう言うと、彼女は目を大きく開けて驚いた。


「あら、貴方、今日はずいぶん物分りが良いじゃない。私に下心があるわけ?」


「あははっ、そんな訳ないだろ」


「なに爽やかに笑ってんのよ。逆にムカつくわね」


「はいはい、それで話続きは?」


「『はい』は一回で良いのよ」


「あはは、了解」


「それでね、アイツって城のメイドみんなに手を出してるわけ――」


 ミミルの話は、その大半がとりとめのないものであったが、彼女と話をしている間は気が紛れた。

 いつのまにか自然と肩の力が抜けている。

 いままで自分がいかに気負っていたのが良く分かった。


 女神の予言や魔界の封印、そして銀騎士、問題だけが積み上がっていくことに焦り、自分だけは休む間も無く走り続けなきゃいけないと、肩に力が入っていたのかもしれない。


 何もしないで、ただ話すだけ。

 そんな時間も、たまには良いか。


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