少女と死神
満月の夜、月明かりが草原と村を照らす。
ここは城壁に囲まれたあの町から、半日ほど南西に行ったところにある村だ。
僕は夜中に目が覚めてしまい、宿の窓から草原を眺めていた。
眠れなかったのだ。
結局、あの泉の近くにも、手掛かりと呼べるものは無かった……。
これからどうすれば良いのだろう。
僕は一人、窓の外を見つめる。
この世界は、日本ほど地上が明るくない所為か、月がとても輝いて見える。
銀色に輝く月はその模様までもハッキリと見ることができた。
そうは言っても、この世界の月は元の世界の月と同じ物ではないかもしれないが……。
僕の見つめるあの美しい月も、何の気休めにもならない……。
この世界では目標も、生きがいも、守ってくれる存在も、守るべき存在も、なにも……ない。
僕は元の世界に想いを馳せる。
日本では、学生であった。
理想に燃えていた。
夢を叶える為に毎日一生懸命だった。
毎日充実していた。
僕はエンジニアになりたいと考えていた。
いつの日か、人の役に立つような物を作りたいと思っていた。
それに、たくさんのお金を稼ぐために、技術を身に付けようと思ったからだ。
僕の家は決して貧乏では無かったが、母はいつもお金に苦労していた……。
兄弟が多かったのと……父が浪費家だったからだ。
僕は小さい頃から苦労している母を見て思ったのだ。
お金はとても大切な物だと。だから、僕は頑張っていたのに……。
いつか自分の作る家庭だけは、自分の奥さんや子供には決して苦労をさせまいと……。
しかし、この世界では僕の学んできた知識など無意味だ。
どんなに効率の良い電子回路を設計できようと、どんなに早くプログラムが書けようとも意味がない……。
文明が、僕の知識を活かせるほどに進んでいないのだ。
僕は完全に希望を失った。
「本当に、帰れないのかな……」
僕は、月を眺めながら、今日一日のことに思いを馳せる。
***
その日は、ボンヤリと朝日が差し込む宿の一室で、僕は目覚めた。
ここは、メイリス大陸の北東に位置する、リノスフルム王国という国の首都――
――その城塞都市リノという町の、ウサギ亭という宿の一室。
昨日の情報収集で、この町が《リノ》という名前であることやこの大陸の北東にあることが分かった。
さらに、町の周辺を調べてみると、この町から南西に村があることが分かった。
来たときは気が付かなかったが、おそらく森の影にでも隠れていたのだろう。
それに、その日の朝は、冒険者ギルドのギルドマスター、あのお爺さんにも、再び会う事ができた。
白髪のお爺さんは、グランドム・フォン・アレイスターと名乗っていた。
そこで、グランドムに日本に帰る方法を聞いてみたのだ。
結果は言わずもがな、知らないとの事だった。
ギルドの長が聞いたことがないと言う。
さらに、そこに居合わせたエールも、聞いたことがないと言っていた。
正直、かなり絶望した。
「いまだ手掛かりはゼロ……か」
そこで、今日は、あの光を放っていた不思議な泉に行ってみようと思う。
僕が、この世界に来て、最初に目が覚めた場所。
何か手掛かりがあるかもしれないからだ。
あの泉は、ここから歩いて6時間くらい掛る。
戻ってくる頃には、夕方か夜で危ないため、近くの村で一泊する予定だ。
宿で朝食を取り、洗濯を頼んでいたコートを受け取った。
水筒に水を入れ、マギーに軽食を作ってもらい、お弁当として皮袋に入れた。
革の鎧と剣を身に付けて、宿屋を出発した。
道中は、昼間だからか、危険はなかった。
どうしてなのか、スライムも追いかけて来なかった。
「ただ歩いてるのも、もったいないか……」
そこで、時間のある道中は、魔法の練習をしてみることにした。
魔力を感じ取りながら体の色々な部分に集めてみたり、掌から魔力を出して色々な形にしてみたりした。
光への変換も、何度もやってみた。
全身を光らせてみたり、光を前方に飛ばしてみたり……。
試行錯誤をしている時、ふと思い付く。
魔法剣――
僕はすぐに剣を抜いて剣を魔力で包んだ。
そして、魔法を発動させてみる――
剣全体が眩しいほどに輝いた。
続いて刀身だけ魔法を発動させる。
なんだか、物凄くカッコイイ……。
「えへへ、こういうの、たしか中二って言うんだっけ……」
しかし、これではただ刀身を光らせるだけで、殺傷能力などは上がらないだろう。
火属性や風属性なら、切り傷に火傷を負わせたり、風の刃で切断能力の強化や切断範囲を広げたりできるかもしれない。
しかし、ただの光では、たいした意味もない……。
魔力があっても、属性が強くないのでは、あまり意味がないのだ……。
その後も、精々は目眩しとか、夜の明かりくらいにしか、使い方が思い付かなかった。
「光属性って、ただ珍しいだけなのかな……」
僕はそう呟いて、そのまま歩き続けた。
脳裏には、ときおり、元の世界のことが、チラついていた……。
***
「あった……」
歩いて何時間か……ようやく見つけた。
光魔法も、薄暗い森の中では役に立つものだ。
森はかなり広かったが、なんとか泉を見つけることができた。
ここから草原の方の間に、僕が目覚めた場所がある。
その場所は、すぐに見つかった。
地面に生える苔が一部禿げているからだ。
僅かに人の形の様に地面がへこんでいる。
僕には、それが落下物が付けた跡の様に見えた。
僕は落ちてきたのか……元居た世界から、この世界のこの場所まで……。
「グルルゥ……」
どこからか呻き声が上がった。
僕は剣を構える。
一頭の狼がこちらを睨んでいた。
「ウウゥゥゥ……」
「やっぱり、逃げるのは無理だよね……」
不意を突かれなくて良かった。
もう痛い思いはごめんだ……。
狼が僕に向かって飛びかかる。
心は落ち着いていた。
剣を握ると、自然と身体は動く。
身体が覚えているような妙な感覚……。
元の世界では、一度も剣を握ったことがないというのに。
「っ……!」
狼の突進を避ける。
と、すぐにまた飛びかかってくる。
構えていた剣を、横凪に払った。
「キャウン!」
「ごめんね」
腹部に深く傷を負った狼の首元に、剣を差し込んだ。
「……」
やがて、狼が沈黙した。
また、殺した。
その後、狼の犬歯と毛皮を剥いだ。狼の肉は、あまり人気がないらしい。
昨日の内に、買っておいた大きな袋に入れて、皮袋の中に入れる。
水筒の水で、剣と血塗れの手を洗った。
水筒に泉の水を汲んで一口飲み、再び満タンにする。
「やっぱり、水が光ってるのかな……?」
幻想的に光る美しい泉。
この泉は、何か特別な力があるのかもしれない……。
何時間も歩き続けた身体が妙に軽い。
疲れたら泉の水を飲めば、きっと癒されるのだろう。
その後、周囲をくまなく調べてみたが、なにか特別な物は見つけられなかった。
「村の人に聞いたらわかるかな……」
そうして、村に到着したのは、昼過ぎだった。
ようこそコルコ村へ。
大きなアーチ型の看板が迎えてくれる。
村の外周に建てられた柵に座って、マギーの作ったお弁当を食べる。
大きめのパンに、野菜とハムを挟んでくれたものだ。五〇エル。
シンプルで美味しい。
「外で食べると美味しいんだよな……」
その後は、村で宿を探した。
しかし、宿というものは村にはないらしく、特別に村長が余っていた部屋を貸してくれるとのことだった。
もちろんお金は取られた。五〇〇エル。
ついでに村長に話を聞いてみたが、手掛かりは無し。
僕はお昼を食べたからか、少し眠くなる。
疲労は抜けているが、もう疲れてしまった。
なにも、手掛かりがないのだ……。
もう――いやだった。
***
僕の視線の先には、大きな月がある。
絶望感に身を包まれながら、僕は縋るように月を見つめ続けていた。
早く寝過ぎて、夜中に起きてしまった。
「昼夜逆転か。この世界でも、あまり良くはないよな」
頭の中では前の世界での想い出が浮かんでは消えていった。
そんなとき、ふと――悲鳴が聞こえた気がした。
「うん……?」
月を見上げていた窓から、辺りを見回す。
しかし、部屋の窓が草原に面しているため、窓からは凪いだ草原しか見ることができなかった。
村の内側の方か……?
思い過ごしかもしれないが、そうではないかもしれない。
僕は重い体を引きずりながらも、剣を手に外へ出た。
「夜だから、誰もいるわけないよな……」
村の中を見て回る。
「気のせいかな……?」
僕が諦めて帰ろうと思ったとき、村の外に、テントと馬車を見付けた。
ゆっくりと、近づいていく。
「あれは、昼まではなかったような……?」
テントが三つに馬車が二つ。
それらに近づくにつれて、状況が分かってくる。
馬車には、たくさんの荷物が積まれていた。
さらに片方の馬車の上には、荷物と共に大きな四角い物体が乗っており、目隠しの布が被せられている。
四角い物は片面だけ布が開かれていた。
鉄格子だろうか……。
「檻……?」
扉が開いており、中に何か入っている。
暗くてよく見えない。
さらに近づいた。
「っと……」
ふと馬車の手前で何かに躓いた。
人間――の腕と首。
「――ッ!」
僕は声にならない声を上げる。
檻の中に誰か倒れている。
一体なにが……起こっているのか。
僕は恐る恐る檻の中を魔法で照らす。
檻の中には、首のない死体が二つと、切り離された生首が一つ、腕が一本転がっている。
吐き気と涙が、込み上げる。
「死んでる……犯人は……?」
僕は、光を消して辺りを見て回った。
怖い……。
死体は何か鋭利な物で切り裂かれていた。
二つの死体は、共に男。
たしか、悲鳴は女性の声であったはずだ。
いまもどこかで、助けを求めているかもしれない。
テントの方に目をやると、三つの内一つだけに明かりが灯っていた。
テントの壁には、明かりに照らし出されて、何かが飛び散ったような模様が広がっている。
テントの前にも、男の死体が一つ。
そして、近くに頭が一つ。
テントの中を覗くと、誰もいない。
もう残りのテントにも、誰もいなかった。
怖い。
僕は妙な使命感に突き動かされていた。
怖い……。
誰かが助けを求めているかもしれない。
怖いーー
すべてを失った僕に、いまさら何を恐れるものがあるのか。
僕は震える身体と共に、辺りを探した。
「あれは……?」
ふと――丘の上に二つの影が佇んでいるのが見えた。
二つの影に、近づいていく。
「女の子……と――」
月明かりを浴びながら佇む少女。
少女は、左手を前へと差し出している。
そして、その長い髪は、風に揺れていた。
キラキラと輝きながら流れる髪は、幻想的で、とても美しかった。
彼女の隣には、向き合うように黒い小さな人影が佇んでいる。
否――浮いている。
その全体像は、黒い影に覆われており、ほとんどシルエットしか確認することはできない。
その者の手には、身の丈程もある巨大な鎌が握られていた。
巨大な刃が、三日月のようにも見える。
そう、まるで空想世界の死神のような……。
「――子供……いや、魔物なのか……?」
そんな、小柄な死神の大鎌が、少女に向けて振り上げられた。
「あ、あぶない!」
僕が声を上げようとすると、黒い人影が不意に消えた。
少女が驚いたようにこちらを向いた。
そして、叫んだ――
「逃げて!!」
泣くように少女が大声を上げる。
僕は背中にゾクリ――とした悪寒を感じて、咄嗟に前に飛んだ。
ブォン――
何か長い物が空振りした音が草原に響く。
「人型……。でも、やっぱり魔物なのか……?」
僕は剣を構えて、死神と向き合う。
再び死神が消えた。
僕は五感を総動員して辺りを警戒する。
死神の出現に合わせて剣を振るう。
剣と鎌とが激しくぶつかり合った。
甲高い金属音――
火花が散り、一瞬だけ死神の顔が浮かび上がる。
真っ赤に光る虚ろな眼と視線が交わる。
女の、子供――!
「なんだこの力! くっ、けど……動きは遅い!」
死神は、真っ白な銀髪をなびかせながら、迫りくる。
恐ろしい音を立てて振り抜かれる死神の大鎌を、なんとか避ける。
力比べは、不可能だ。
打ち合った感触は、細い棒で、向かい来るトラックを殴りつけるかのようであった。
「お願い! やめて! 逃げてよ!」
背後では、泣き叫ぶような声が聞こえていた。
「君は逃げろ!」
やめてと言われても、向うが殺す気満々なのだから、止めようがない。
それに、そんな彼女を放って、自分だけ逃げられるわけもないだろ――
何度も何度も、剣と鎌とがぶつかり合う。
僕は、半ば剣を盾にするようにして、死神の攻撃をやり過ごしていた。
相手の一撃が重い。
手が痺れてきた……。
相手の攻撃が遅いといっても、僕の手足も所々切り裂かれている。
一方のこちらは、一つも決定打を浴びせられていなかった。
相手は、形勢が悪くなる度に、姿を消して死角から襲ってくるからだ。
このままではやられる。
刃と刃がぶつかり合い火花が散った。
「光れ!!」
僕は左手に渾身の魔力を込めて光を放った。
目暗ましのつもりだ。
辺りが一瞬強いフラッシュが焚かれた様な光に包まれる。
キャーーー
死神は、悲鳴を上げて、眼を抑える。
ここで、やるしか……。
「くっ……!」
僕は、死神に向けて、袈裟がけに剣を振り抜いた。
僕の剣が空を切る音が草原に響いた。
「はぁ……はぁ……はぁ……どこだ……?」
しばらく、警戒を緩めずに剣を構えるが、死神は現れなかった。
「よかった……逃げてくれたのか……?」
そして、緊張の糸が途切れて、気がついた。
「そうだ……!」
僕が襲われていた少女の方を向くと、少女は地面に倒れていた。
急いで、駆け寄る。
金色に輝く髪を草原に散しながら、地に伏している少女。
その透き通るような白い肌は、そのほとんどが覆われていなかった。
胸元と腰回りをわずかに隠すだけの布。
思わず視線が引き付けられるのを、首を振ってかき消した。
「ねぇ、大丈夫?」
僕は彼女を抱き抱えてその体を揺する。
「ねぇってば、聞こえてる?」
僕は大きな声で呼び掛ける。
しかし、彼女は目覚めない。
それどころか、彼女の粗い息の音だけが草原に響く。
とても苦しんでいる。
なにか不味そうだ。
どこかに医者はいないのか。
僕は、彼女にコートを着せてから背負い上げた。
すると、途端に力の抜けるような感覚。
僕は、こんなに力がなかっただろうか……。
***
村の村長宅に戻ると、物音に気が付いた村長が起きて来た。
「こんな夜更けに如何いたしましたかな」
「彼女が苦しそうなんです。この村に医者は居ませんか」
「まぁ、落ち着きなされ」
村長は彼女をベッドに寝かせるように促した。
僕が彼女をベッドに寝かせると、彼女はより一層苦しそうに息を荒げた。
彼女の身体は、とても冷えていた。
寒いのだろうか……。
村長が彼女顔を覗き込んだ。
彼女の額にそっと手を触れると、すぐに引っ込めた。
そして、神妙な顔をした村長が口を開く。
「お若いの。彼女は呪い付きですな。諦めなされ」
「呪い? 治す方法はないのですか?」
村長は黙って首を振った。
「まだ、すぐに人を殺すほどではない。しかし、すぐにでも症状は悪化するでしょう」
この症状はとても珍しく、また一方で有名な症状であるらしい。
呪い付き――突如に発症し、まるで何かに生命力を奪われるように弱っていきやがて死にいたる。
定期的に呪いを撒き散らす発作を起こし、さらには発作の最中は触れる者の魔力を奪い取る。
触れ続ければ死に至る程の。
治す方法はない……。
この苦しみ方から、もう今晩が山だろうと村長は言った。
「わかりました」
僕はすぐに部屋の荷物をまとめた。
彼女を背負う。
力の抜ける感覚――
これは魔力を奪い取られているのか……。
「やめなされ。長く触れていても平気な所を見ると、あなたは相当な魔力量を持っている。しかし、触れ続ければ確実に貴方の命をも奪うでしょう」
「町の医者を知っているのです。その医者ならもしかしたら……」
僕は答えて村を後にした。