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愛を乞う  作者: 朔良こお
本編
9/11

(9)吐露する想い

 マシェリラはラシードの言っている事が理解できなかった。否、理解しようにも、それは自分の都合の良い事ばかりで……けれどそれが正しいのであれば、ラシードの態度はおかしい。あまりにもおかし過ぎる。


「マシェリラ?」


 厳しい表情の彼女に、ラシードは窺うように声をかけた。だが、マシェリラの表情は和らぐ事はなく、瞳はラシードの方を向いているが、彼を映してはいなかった。

 フッと息を吐くと、やけに喉が渇いている事に気がつき、ラシードはテーブルの上の水差しからグラスへ水を注ぐ。ごくごくと喉を鳴らしそれを飲むと、先ほどまでよりも、幾分気持ちが落ち着いた。


「陛下」


 相変わらず瞳は自分を見ていない……ラシードはそれを残念に思いながらも、できるだけ穏やかな声音で「何だ?」と返す。


「陛下はわたくしが……その……」


 そこまで言って続きが言えないでいるマシェリラの代わりに、ラシードがその先を引き受けた。


「愛しいと思っている」


 ピクッ――と、マシェリラの米神が脈打つ。

 愛しいとは……それはどういう意味か? 

 そう思っているのならば、この三年……何故あれほど酷い扱いをしてきたのか?

 マシェリラはラシードが何を考えているのか、ますます解らなくなった。


「わたくしが愛しいと? 本気ですの? わたくしを愛しいと?」


 頷いたラシードに、マシェリラの唇が戦慄く。


「信じられません、そんなの。信じられるわけないでしょう? ならば……それならばどうして……どうしてあのような態度をっ……」


 ぶるぶると拳が震え、じわりと涙が目に浮かぶ。

 今日までの年月、どれだけ耐えに耐えてきた事か……それを思うと、悔しさと怒りとがごちゃ混ぜになる。

 この男を好きにさえならなければ、さっさと離縁を願い出ていただろう。今までそれをしなかったのは、もしかしたら自分の事を見てくれる日が、いつかは来るのではないか?――という、淡い期待があったからだ。


 だが、祈りの間での一件で、それは愚かな願いだという事が解った。解ったからこそ、ようやく離縁を申し出る決心がついたのだ。それなのに………。


「わたくしが唯一、わたくしがこの国の王妃でいられる……貴方の妻でいられる場所だったのに……それなのに貴方は……貴方は……朝の祈りをも、わたくしから取り上げた。取り上げて……それをキセラ殿に与えた。わたくしにも誇りがあります。貴方にしてみればそれはちっぽけで、道端に落ちている小石程度のものでしょう。踏みにじっても、痛くも痒くもないでしょう。ですが……ですがわたくしは……」


 そこまで言って、マシェリラは口を手で押さえる。漏れ出そうになる嗚咽を噛み殺し、ぽろぽろと涙を流す彼女に、ラシードは一瞬躊躇ったものの、手を伸ばし抱き締めた。腕の中の細く儚げな体が、瞬時に強張った事に気付き眉根を寄せる。


「そう簡単に許してもらえるとは、もちろん思っていない。俺だって、そこまで恥知らずではない。だが、信じてほしい。キセラの事は俺の指示ではない。内務副大臣から賄賂を貰っていた神官が勝手にした事だ。唯一、誰の目も気にせず、お前と二人だけになれるあの場所に、他の女を入れるつもりは俺にはない。それをあの男が……」


 忌々しげに舌打ちをすると、ラシードは「あいつの位を剥奪し、神殿から追い出し、収賄の罪で監獄に投じた」と、吐き捨てるように言った。神に仕える者へのそれは、神を冒涜する行為であり、もちろん贈った側も処罰は免れない。そうなればキセラは罪人の娘となるため、王の傍に居るには相応しくないという理由により後宮から追放となる。


 だが、ラシードの血を受け継いでいる第一王子は違う。後々彼が政治に利用されないため、秘密裏に神殿へと預けられ、自分が王子だという事も知らずに、俗世と切り離された生活を生涯送ることになる。子供に罪はない。けれど、そうしなければならない。後ろ盾のない王子ほど、惨めなものはないのだ。


「そうでしたか……」


 マシェリラはキセラが、ラシードの指示であの場に居たのではないと判り安堵した。


「マシェリラ」

「はい」

「俺は最初、お前を貰おうと思っていたんだ」


 そう言うとラシードは、苦しげに息を吐き出した。だが、苦しげな彼のその告白に、マシェリラは驚き過ぎて言葉も出ない。


「言っただろう、小さな姫君に恋をした――と。だが、俺の一存で決めるわけにはいかなかった。理由は言わずとも、もう解ると思うが……」


 小さく頷いたマシェリラに、ラシードは短く息を吐き出すと、彼女の手を取り甲を優しく撫でた。


「四殿大公に“妃には末の王女を貰いたい”と、言った。だが、彼らに反対されたよ。マシェリラ王女では筋が通らない――と……。スファール王国第一王女の美しさと聡明さは、スワラカン大陸中に知れ渡っていた。だから小国の王女であっても、彼女ならば大国であるガジェンドラの王妃になっても不都合はない。そうなればノーンブルクを牽制するための兵を、王妃の生国(スファール)の沿岸に堂々と置く事ができる。故に、タハミーナ王女でなければ、皆、納得しない。そう言われてしまったんだ。言われて……俺は反論できなかった。その通りだからだ。彼女ならば皆も納得すると、俺もそう思ったからだ……」


 双眸を伏せ、ラシードは嘆息した。そんな彼にマシェリラは頭を振る。


「その考えは、少しも間違っておりません。お姉様は本当にお美しく、わたくしと違って幼い頃より王妃となるべく教育を受けていらっしゃったもの……それにレスミムお姉様だって……」


 苦しげな顔でそう言うマシェリラの声は、あきらかに震えていた。

 ああ――と、ラシードは第二王女レスミムと話をした時の事を思い出し目を細める。第一王女だけではない。第二王女もまた、自国の女王となるべく教育を幼い頃より受けている。タハミーナと同様彼女も聡明であり、また、国の頂点に立つ者としての思慮深さを兼ね備え、将来(さき)を見据えて物事を考える事のできる才媛であった。それ故、タハミーナではなくレスミムを――と言った声も少なからずあったのだ。

 ラシードは俯いてしまったマシェリラの、長い睫毛が微かに震えているのを見て、これまでに彼女が“出来の良い二人の姉”と色々と比べられて育ってきたのだろう……心無い事を言われ、傷ついてきたのだろう……と、胸が痛くなった。

 気にしなくていいのだと、あやすようにラシードはマシェリラの甲を軽く叩いた。


「納得させなくてはいけなかった。娘を使って権力を手に入れようとする貴族どもを黙らせるために……俺は“王”として、タハミーナ王女を“王妃”にしなければならなかった。もちろん愛情など、そこにはひとかけらもない。お互い、自国の利益のため……大陸の安定のため……ただそれだけの婚姻だった」


 タハミーナ王女も、その事に関して充分納得していた――ラシードはそこまで話すと、庭に出ようとマシェリラを促した。




**********




 できるだけ自然のままにしてある庭には、今の時期、薄紫色の小さな愛らしい花がそこかしこに咲いている。ラシードに連れられて半円形の屋根がついている東屋へ行くと、困惑を隠せないでいるマシェリラを彼は奥へと座らせ、その横に自分も腰を下ろした。


「さっきも言ったが、タハミーナ王女ならば納得すると思ったんだ。国のために――と、王である事を優先し、お前の事を諦めた。それでもふとした瞬間に、お前を側妃にという考えが浮かんだ。けれどお前には許婚がいた。だから俺はお前を諦めた。それなのに……」

「お姉さまが駆け落ちをした」

「ああ。王女は俺を裏切った」


 相手は彼女の護衛騎士だった。騎士階級の出で、特別優れた容姿をしているわけではないが、真面目で、一途で、タハミーナを真剣に愛していた。二人は今、隣国に接した小さな村で、隠れるようにひっそりと暮らしている。夫となった騎士は畑を耕し、タハミーナは得意の刺繍やレース編みで収入を得ており、裕福とは言えないものの幸せに暮らしている。


「俺との結婚を囮にし、彼女は着々と準備を整えていたんだ。そして自分だけ(・・)幸せになる道を選んだ。俺は自分の幸せを諦めたのに、彼女は自分の幸せを選び、そして掴んだ。許せなかった。俺は怒りがおさまらず、お前にそれを向けるのは間違っていると思ったが、どうにもならなかった」


 己の態度が恥ずかしいものであったと気付いた時には、もう退くに退けない状態になっていた――と、ラシードは呟くと、深々とマシェリラに頭を下げた。


「俺が悪かった」

「……」

「俺のせいで貴族達がお前を軽んじ、後宮の女どもが王妃であるお前を蔑み、キセラが子を生んだ事により、命までもが狙われるようになってしまった……全て……全て俺の責任だ」


 申し訳ない――そう言って、さらに頭を下げるラシードに、右手で口もとを覆い、マシェリラは顔をそらした。


「許せるとお思いですか? 許せると……」

「思っていない。許してくれなくていい。それだけの事を、俺はお前にしてきたのだから。ただ、離縁は撤回してほしい。俺はお前と別れるつもりはない」

「どこまでも自分勝手な方なの、貴方って……」

「すまない」


 目を閉じ、深く息を吐くと、マシェリラはゆっくりと目蓋を上げて項垂れるラシードを見た。その目はまだ、不信感が満ちている。だが、ラシードはそらすことなく彼女の瞳を見つめ返した。


「陛下、本当にわたくしを愛しいと思ってくださっているのですか?」

「ああ」

「では、先ほどわたくしが言った事……本当にするおつもりなのですか? あのような非情な事を? 本当に?」

「もちろんだ。元々、大半の者達は望んで後宮に上がったわけではないし、俺が望んで召し上げたわけでもない。望めばいつでも出すと言ってある。実際、出ていった者は何人かいるし、これから出て行く予定の者もいる」


 できるだけ公平に側妃の許へ通っていたのは、王の義務としてであり、行ったからといって交わっていたわけではなかった。政務に追われるラシードにとって、後宮へ行く事は睡眠を確保するためでもあったのだ。側妃の数のわりに子が少ないのは、そのせいである。故に手付かずの者が多くいる。その者達の純潔は下賜された後や、実家に戻り新たに嫁いだ先で、夫となった者により証明される事だろう。


「お前を後宮の隅へと追いやったのは、お前を嫌っているからではない。身の安全を考えての事だった。ああする事で、俺がお前を厭っていると思わせる事で、お前が王妃である事を快く思っていない輩から守る事になると思ったんだ。まあ、結果は見事に外れ、思惑とは反対になってしまったが……。側妃やその侍女がお前の悪口を言っても見過ごしていたのは、その者の人となりを見極め、処遇を決めるためだった。後宮を閉めようと、以前から考えていたからだ。まあ、今更俺が何を言っても、お前には嘘にしか聞こえないだろうが……」


 一言一句違える事なく――とはいかないものの、ラシードはそれらを覚えているだけ書き留めてある。もう少ししたら、それが役に立つ日がくるのだが……もしかしたら、それは彼が思っている以上早く来るかもしれない。


「それと、食事に毒が入れられていた件だが……お前が嫁いで暫くしてから、耐性をつけるために月に一度、食事に微量の毒を混ぜるよう指示をしていた。もちろんこれは、子ができても問題ない程度のものだ。耐性というか、舌に憶えさせる――と言った方がいいかもしれない。マシェリラ、俺は子供の頃毒により命を落としかけた事がある。犯人は当時父王の寵愛を一番受けていた側妃の侍女で、その時俺は助かったが母はダメだった。母がいなくなればその側妃が王妃になれたし、俺がいなくなればその子供が世継ぎになれていたんだ」


 その一件があって以来、ラシードは毒に対する耐性をつけるため、少しずつ食事やお茶に毒を混ぜ体内に取り込むようにした。今では、ちょっと口にしただけで、何の毒が混ざっているか判るほどだ。


「回数を重ねるごとに少しずつ量を増やし、時間をかけてゆっくりと慣らしていく予定だった。協力者はもちろん後宮の料理長で、俺がまだ王太子だった頃、俺のために料理を作ってくれていた者だった。だから彼が買収されるとは思っていなかったんだ。最初の頃、お前の侍女が訴えてきても相手にしなかったのは、そういう理由があったからだ。何回かに一度は、効果を確認するためにいつもより強くするよう言ってあった。だからおかしいと思わなかったんだ」

「そんな……」


 ぶるぶると震えるマシェリラに、ラシードはもう一度「すまない」と頭を下げた。それがおかしいと気がついた後も態度を変えなかったのは、黒幕に気づかれないためだった。そしてようやく尻尾を掴み、その者を料理長共々処断しようと身柄を確保した矢先、マシェリラの食事に強い毒が盛られた。


「犯人は下女として後宮で働いていた女だった。病気の夫を抱えていて、薬代欲しさにそれが毒薬とも知らず、料理に混ぜたそうだ。まあ、どこまで本当かは判らないがな」


 依頼したのは先ほどマシェリラが言った大臣ガーナムの血縁者であるが、ガーナムが娘の後宮での立場を強いものにしようとその者に指示をした。彼の娘モニールはラシードの子を宿しており、数ヵ月後には産み月を迎える。

 とはいえ、この件に関してモニール自身は関与しておらず、スハイルから己が父の犯した愚考を知らされ絶句した。そして父の罪は己の罪と、すぐにでも後宮を辞して女神殿に入りたいと願い出た。生まれた子が男でも女でも、その処遇はラシードに任せると言って、モニールはマシェリラが出立した三日後に後宮を出て行ってしまったのだが、彼女はマシェリラを貶めるような事を、ラシードの前で一度も言った事はない。大人しく、万事控えめな女性であった。

 だからこそラシードはモニールを抱いた。子を生んでも、マシェリラを追い落とそうとしないだろうと、そう判断したからだ。そしてサルマーという名の側妃も、モニールと似たような理由で抱き、彼女もラシードの子を身篭った。


「時間はかかると思う。本人にその意思があっても、親がそうでない場合は厄介だ。だが、必ずお前が望んだ通りにしよう」

「では……では……マーラン殿も?」


 一瞬、顔を顰めたラシードだったが、もちろんだと頷いた。マシェリラはふっと目を細めると、ゆるゆると首を振った。


「あの方は、貴方にとって特別な方なのでしょう? 無理をなさらないで」


 モニールがそうであったように、サルマーがそうであったように、後宮という美しくも残酷な檻の中で、マーランもまたマシェリラを蔑む事はなかった。だが、庇ってくれた事もなければ、優しくしてくれたわけでもない。彼女は常に傍観者であった。

 それが良いのか悪いのか……マシェリラには判らない。だが、時折送られる彼女の自分への視線は、労わるような優しいものであった。


「マーラン殿が望むのであれば、あの方だけは残ってもらってください。でも、他の方は嫌。侍女も宮女も……」

「解っている。もう何も言うなマシェリラ」


 震える彼女を抱き寄せ、ラシードは何度も何度もその背を撫でた。



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