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愛を乞う  作者: 朔良こお
本編
8/11

(8)理由と怒りと告白

 今まで見てきた以上の不機嫌さに、マシェリラはラシードが怖くてしかたがなかった。

 やはり自分から離縁を申し出たのが拙かったのか……彼の自尊心を傷つけしまったのかもしれないと、ここは謝罪すべきだろうと判断し口を開いた。

 だが、それはいとも容易く閉ざされる。ラシードの方が先に口を開いたからだ。


「お前から初めて貰った手紙が離縁状とは……姉妹揃って俺を笑い者にしたいらしい」

「ち、違います! そんなつもりでは……」

「ではどんなつもりだ?」

「そ、それは……」


 ラシードにとって、自分は居なくても良い存在だから――そう言いそうになったのを寸でのところで飲み込んだ。唇を噛み締め俯くマシェリラに、ラシードは苛立たしげに双眸を細めた。


「言えないのか? まあいいだろう。だが、お前は分かっているのか? 離縁すればどうなるかということを」


 どかりと椅子に座ると、ラシードは脚を組み、胸の前で腕を組む。マシェリラを射抜く灰色の瞳は怒りに満ちており、血の気が失せていくのを感じながら冷たくなった指先を強く握った。

 けれどここで倒れるわけにはいかない。言うべき事を、今、言う時がきたのだから。

 マシェリラはこくりと小さく喉を鳴らし、気持ちを落ち着かせるために一度瞬きをしてからラシードを真っ直ぐに見た。色を失い微かに震える唇が、ラシードが見る中ゆっくりと開く。


「皆が……」

「皆が?」

「皆が……喜びます」

「な、に?」


 ピクッ――と、ラシードの米神に青い筋がはしる。けれどもう、マシェリラは止まらない。一度言葉にして口に出してしまえば、それを飲みこむ事はできない。

 それに今言わなくては、これからも自分は全てを諦め、生きながら死んでいるような日々が延々と続くのだ。

 それならばいっそ、死んでしまった方がどんなに楽か。


「喜ぶと……喜ぶと言ったのです。わたくしがいなくなれば、貴方をはじめ、王宮の皆が手を叩いて喜ぶことでしょう。違いますか? 違いません!」

「っ!!」


 ダン――と、大きな音を断てて、ラシードの座っていた椅子が後へ倒れた。彼が勢いよく立ち上がったからだ。大股でマシェリラの前までくると、その細い肩へと手を伸ばず。

 その気迫に、おもわず一歩後退したマシェリラだったが、肩を掴まれる方が僅かに早かった。それは骨が砕けるのではないかと思うくらい強く、マシェリラの顔が苦痛で大きく歪むほどだった。


「喜ぶと? 離縁し喜ぶと……お前は本当にそう思っているのか? 俺が喜ぶと?」

「そうではありませんか! どこが違うというのです? わたくしの命が狙われようと、貴方は無関心だったではありませんか!! わたくしなど、居なくても良いと思っているからなのでしょう。ええ。ええ。わたくしが居なければ、キセラ殿を王妃にできますものね。ミムヤイム国宰相息女ラナー殿を王妃にできますものね。ガーナム大臣の娘モニール殿を王妃にできますものね」


 次々に上がる側妃の名に、ラシードの眉間に寄った皺はどんどん深くなる。


「政略結婚などという手でスファールごとき小さな国を支配下に置くよりも、軍事力をもって潰し、己が領土にした方がどんなに楽か……。それをしなかったのは、お姉様を愛してらっしゃったからなのでしょう? わたくしを娶る必要などなかったのに……体面のためだけに、わたくしを王妃に据える事など、大国ガジェンドラには何の意味もありませんのに……どうして……どうして」


 マシェリラが叫べば叫ぶほど、彼女の肩を掴むラシードの力が増していく。ギシギシと骨が軋み、あまりの痛さに息をするのも上手くできず、声も出なくなってしまった。じわりと涙が溢れ出し、それでもラシードは掴む力を緩めてはくれない。感情的になっているせいで、彼は気がつかないのだ。マシェリラの痛みを。苦しみを。


「へ、いか……。はな、して……く、ださい。いた、い……」


 喘ぐように、か細い声でそう言うと、ラシードの目が見開き慌てて肩を掴んでいた手を離した。

 鈍い痛みに疼くそこを反対側の手で押さえると、マシェリラはその場に(うずくま)る。大きく息をしながら痛みに耐えるマシェリラに伸ばした手を、一瞬、ラシードは引っ込めたものの、歯を噛み締め意を決したようにもう一度伸ばし、労わるように背中に手を置いた。ビクッとマシェリラの体が跳ね、ラシードは顔を歪ませる。

 彼は一度目を閉じ静かに息を吐き出すと、目を開けマシェリラを抱き上げた。


「陛下、な、何を!?」


 急に体が浮かび、視線が上がったことに驚き慌てたマシェリラに、ラシードは不快げに双眸を細めた。


「軽いな……食事はとれているのか?」

「……」

「ここには料理に毒を入れるような愚か者はいない。だから安心して沢山食べろ」


 彼女を抱き上げたまま寝室へ移動すると、柔らかな寝台の上にそっとマシェリラを下ろした。灰色の瞳が心配そうにマシェリラを見ているので、居心地の悪さにもそもそとお尻を動かした。


「医師を呼ぶか?」

「大丈夫です。もう、痛みも治まりました」

「すまない……加減が、できなかった」

「……」


 初めてだ。

 初めて謝罪の言葉を聞いた。

 これまで一度たりとも優しい言葉をかけてくれた事もなければ、労わる言葉だってなかったというのに、どういった心境の変化なのだろうかと、マシェリラは首を竦め胸の前で右手をぎゅっと握った。


「もう一度訊く。離縁をしたらどうなるか……お前は解っているのか?」

「ですからっ」

「そうではない。お前の国がどうなるか――それを解っているのかと、俺は訊いているんだ」

「……」


 首をかしげたマシェリラに、やはり解っていないのだなと短く嘆息した。


「今まで以上に、スファールがノーンブルクに狙われる回数が増える。祖国の軍の脆弱さを、お前は知っているか? スファールのあれは軍ではない。ただの自衛団だ。スファールは戦を永久放棄している旨を宣言している国だ。だから危機を感じ取っても、あからさまに兵を配置したり、兵器を置く事ができない。誰かに守ってもらうしかないんだ」


 静かに告げたその言葉に、マシェリラは目を見開いた。ラシードの言うノーンブルクとは、大河を挟んだ対岸にある大国で、以前からスファールを狙っている交戦的な民族である。彼らはスファールを足掛かりに、こちら側――スワラカン大陸に進出し領土を拡大しようとしているのだ。

 それはマシェリラも知っている事で、彼女が生まれる数年前にノーンブルク軍が河を渡ってきた事があった。その時の恐怖は今でも忘れられないと、幼い頃に一度だけ侍女頭が話してくれた。


「スファールを取られれば、スワラカンは戦場となる。お前は己が国を、何の力もない小さな国と思っているようだが、そうではないんだ。スファールがノーンブルクの動向を監視しているからこそ、ガジェンドラが……アガビルが……オズマルが先手を打ち、彼奴等の動きを封じ込める事ができている。だが、それは表立ってじゃない。ノーンブルクが真正面から何かしらやれば、こちらも真正面から対抗できる。だがそうじゃない。だからこちらも裏から手を回すしかないんだ」


 戦を放棄しているスファールに、真正面から何かしらの対策をとるには、それなりの理由が必要である。一番手っ取り早いのが婚姻を結ぶ事だった。何故ならそれは、国同士が結びつくにはうってつけだからだ。そうする事により、堂々と兵を河岸に配置する事ができる。


「同盟国であるアガビルには、結婚に適した年齢の王子がいなかった。オズマルも然り。だか、ガジェンドラには俺がいた」


 ラシードは苦渋の表情でそれを告げた。


「タハミーナ王女ならば、皆が納得すると思ったんだ」

「納得?」

「ああ」


 ガジェンドラは大国だ。その大国の王の妃となれば、やはりそれなりに大きな国の王女や、国内の有力貴族の姫でなければならない。スファールのような小国の王女がなれるものではなかった。なれたとしても側妃だっただろう。


「大陸の安寧のためには、スファールの王女を迎えなくてはいけなかった。タハミーナ王女は王妃となるべく教育を受けてきたうえ、たいそう美しいと評判だった。だから大丈夫だと……誰も文句を言わないと……そう思ったんだ」

「申し訳ありません……」


 マシェリラは姉達と違い、特別な教育は受けていない。彼女は末っ子らしく、伸び伸びと育ってきた。もちろん教育は受けている。だがそれは、王妃や女王となる為のものではなく、貴族の姫が身につけるべき嗜み程度のものであった。


 項垂れるマシェリラの、ほっそりとした首筋を、ラシードの手がそろりと撫でた。


「お前が謝る必要はない。むしろ謝らねばならないのは俺だ」

「陛下?」


 膝を折り床につくと、ラシードはマシェリラの顔を覗きこむように見つめた。


「あや、まる?」

「ああ」


 頷いて、ラシードはマシェリラの手を包み込むように握ると、きつく眉根を寄せ彼女の顔を真っ直ぐに見た。


「己の負の感情に負け、お前を蔑ろにし、命を狙われるようになっても、表立って何もしなかった」

「自覚が……ありましたの?」


 もちろんだと視線を伏せるラシードに、今度はマシェリラが眉根をきつく寄せた。引っかかる部分はあるが、今の彼女にはそんな事はどうでもよかった。


「今更ではないですか。今更そんな……」


 ぶるぶると握った拳が怒りで震える。大きく頭を振ると、マシェリラは力なく呟くようにそれを願う。


「離縁……してください。悪いと思うのならば、離縁してください」

「マシェリラ、それは無理だ。できない」


 溜息混じりに答えたラシードに、マシェリラはなおも同じことを願う。


「お願いです。お願い……。離縁してください。わたくしはもう……もうこれ以上……耐えられないっ」

「マシェリラ」


 聞き分けてくれ――と、ラシードは厳しい表情で、今にも泣きそうなマシェリラに離縁はできないと諭す。だが、彼女の我慢も限界であり、これ以上今の状態が続けば心が折れてしまう。そうなってしまったらもう、生きていく気力すらなくなるだろう。


「お父様にはわたくしから言って、ガジェンドラの兵が常駐できるよう……」


 説得いたします――と、震える声でそう告げたマシェリラを、ラシードは強い力で抱き締めた。突然の抱擁に驚き、目を大きく見開く。慌てて身を引こうとするが、更に強い力がそうはさせないと引き止めるため、呼吸が上手くできない。


「ラ、シードさ、ま……くる、し……」


 どうにかこうにか絞り出したその声に、慌てたのはラシードの方で、彼女を拘束していた腕を緩めると、彼の肩に額を押し付けハァハァと荒い呼吸を繰り返すマシェリラの背中を撫でた。


「すまない……」


 顔を起こし、強くラシードの胸を押すと、今度は簡単に距離をとる事ができた。マシェリラは詰るように彼を睨み、そして、低く押し殺した声でもう一度離縁を願い出る。

 だが、それに対する答えは同じだった。

 けれどここで折れる訳にはいかない。マシェリラは両手を強く握り締めると、だったら今いる彼の側妃を、皆、後宮から出すよう要求した。実家に戻すか、家臣に下げ渡すように――と。もちろん、ラシードとの間にできた子供も一緒にだ。


「それでいいのか? それならば簡単だ」

「は?」


 予想外の返事に、それを言ったマシェリラの方が慌てる。側妃はともかく、子供はラシードの血をひいているのだ。しかも王子もおり……彼はガジェンドラの世継ぎだ。後々、この国の王となるのだ。手放せるはずがない。それを言えばラシードは一笑した。


「第一王子が世継ぎだと? マシェリラ、それは誰が決めた?」


 ニッと口端を上げると、ラシードはマシェリラの頬を撫で、そのまま首の後ろへと手を回した。


「側妃が何人王子を生もうと、王妃が嫁いできてから十年以内に子を生めば、その子がこの国の世継ぎとなる。王子であれば王に、王女しかなくば女王に。故に、お前が子を生めば問題はない」


 ラシードは目を細め、唖然としているマシェリラを見つめる。そして空いている手で、己が髪を留めているそれを引き抜いた。


「これを覚えているか?」

「……」


 頷くマシェリラに、ラシードはホッと安堵の息をつく。


「俺がこれで、髪をよく留めていたのを……お前は知っているな?」


 もちろんですと返事をしたマシェリラに、ラシードは嬉しそうに笑みを浮かべる。


「あの日……これを届けにきてくれた小さな姫君に、俺は恋をした。送り主はその姉だったが、俺はこれを、その小さな姫君と思いずっと身につけていたんだ」


 忘れる事などできない。

 何故ならそれをラシードに届けたのは、他の誰でもない……マシェリラ自身なのだから。

 後宮からでる事のできないタハミーナに頼まれ、それを彼女が迎賓館に届けに行ったのだ。


――これを届けにきてくれた小さな姫君に、俺は恋をした


 ラシードのその言葉に、マシェリラは戸惑いを隠せない。まるで彼が、マシェリラを嫌っているのではなく、むしろその逆のように聞こえたからだ。



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