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愛を乞う  作者: 朔良こお
本編
7/11

(7)想いと諦めと決意

 眠る前にマシェリラは、香草茶を飲む習慣がある。

 張っている気を静め、そしてしっかり眠るためだ。

 それは離殿(こちら)にきても変わらなかった。


 ハナンの淹れてくれた香草茶を飲みながら、ふと、昼間の事を思い出した。


「キファーフ殿が、誤解しなければいいけれど……」


 サーディクと初めて会ったのは、姉タハミーナが出奔した時で、連絡を受けやってきたラシードの供が彼だった。


 父王に呼ばれ執務室に行くとそこにサーディクがおり、マシェリラは少々驚いたが、彼の柔らかな雰囲気はとても好ましいものだった。苦渋の表情をしている父王から、マシェリラが姉の代わりにガジェンドラに輿入れする事と、東殿大公ハムダーンが後見人となる事が告げられた。そして、そのハムダーンの嫡男が、サーディクである事も………。

 後見人は親も同じである。

 故に、息子であるサーディクは、マシェリラにとって兄同然なのだ。

 とはいっても、彼と同じ時間を共有したのは、ガジェンドラに向かう馬車の中だけであり、その目的はマシェリラに国と王家の歴史を、ざっとではあるが教えるためであった。


 あれから三年……サーディクは宰相補佐官となり、着実に政治の中心へと向かっている。華やかな道を、彼は迷う事なく進んでいた。だがマシェリラは違う。後宮の端へと追いやられ、夫に顧みられる事なく、日々、命の危険に怯えて暮らしている。


「いえ、怯えてなどいないわ。諦めているだけよ」


 自嘲気味に笑うと、マシェリラはカップの中にある残りを飲み干した。そして長椅子から立ち上がると、持ってきた衣装箱の中からそれを取り出す。燭台を引き寄せ、そこに書かれた文字を追いながら、これを読んでラシードはどう思うのだろうかと考えた。


「きっとあの方は、何とも思わないわ……」


 自分は形ばかりの妻だ。

 どうでもいい存在だ。

 嫁いでから一度として、夫が優しかった事などない。

 いつも自分を見る目は蔑むような……冷めたいものだ。

 毎朝の礼拝だって、本当は自分と一緒にあの場所に居たくないに決まっている。


「声、好きだったの……」


 祈りを捧げるラシードの、その声がマシェリラは好きだった。耳に心地良い響きで、いつまでも聞いていたいと思うほどで、あの声で睦言を囁かれているであろう側妃達に、嫉妬した事もあった。


 声だけでない。

 ラシード自身を、マシェリラは好きなのだ。

 初恋――と言っていいだろ。


 彼女が彼に会ったのは、まだ初潮がくる前……顔を隠さずに王宮内を自由に歩き回る事ができた年だった。


「きっと忘れておいでだわ」


 そっと溜息をつく。


「それにあの方は、今もお姉様が好きなんだもの……」


 ラシードがよくしている髪留め……あれはタハミーナが彼に贈った物だ。彼女に頼まれて、迎賓館に泊まっていたラシードに、マシェリラがそれを届けに行ったのだ。

 その時、初めてラシードに会った。

 その秀麗な顔立ちに驚き、あがってしまい、何も言えず無言で箱を彼に押し付けると、一瞬驚いたような顔をしたラシードだったが、優しい声音で「くれるの? ありがとう。嬉しいよ」と言ってくれた。

 嬉しいよ――ラシードのその言葉に、マシェリラは喜んでもらえた事が嬉しくて、ふわりと笑みを浮かべた。姉からだと言おうとした所へ、父王と宰相がやってくるのが見え、二人に見つかったら怒られると思ったマシェリラは、慌てて逃げるように後宮へ駆け戻った。


 そう……あの時はまだ、タハミーナはラシードの妃になる事に躊躇いはなかった。

 長女である彼女は、自分が自分の意思で、夫を選ぶ事ができない事くらい、幼い頃より言い聞かされ育ってきていた。だから愛情がなくとも、国のために有益な相手と結婚するのは、王女として当たり前の事だと思っていた。

 あの時までは………。


「お姉様……貴女は今、幸せですか?」


 そう問いかけても、もちろん返事はない。タハミーナが今、誰とどこに居るのか……それを知っているのはマシェリラだけだ。

 何故知っているのかと言うと、失踪前夜、タハミーナが彼女に詫びにきたからだ。これから貴女に迷惑をかけてしまう――と。

 自分が居なくなった後どうなるか、タハミーナにはある程度の予想ができていた。最悪の場合、ガジェンドラとの国交が断絶される。だからそれを回避するには、末王女であるマシェリラが、タハミーナの代わりに嫁ぐしかなかった。

 けれどそうなった場合、彼女のガジェンドラでの立場は、非常に辛いものとなるだろう。

 それ故、タハミーナはマシェリラに謝らずにはいられなかったのだ。


「お姉様……わたくしは、お姉様の代わりにすらならない……なれない……」


 不出来な妹でごめんなさい――と呟いたマシェリラの頬に、透明な雫が静かに伝い落ちた。それを手巾でそっと拭うと、手もとのそれへと視線を戻す。


「まさかこんなにも早く、これを使う事になるなんて」


 マシェリラは眉宇を寄せると、唇を固く引き結んだ。彼女手の中にあるのは離縁状である。離殿に来る前、誰にも見られないよう、夜中に書きしたためたものだ。


 夫婦仲が悪いことは周知の沙汰だ。それ故、離縁を申し出ても、反対する者はいないだろし、王自身もすぐに「諾」と言うだろう。彼には沢山の側妃がおり、その中には王妃となってもおかしくない家柄の者が何人かいる。それにすでに世継ぎの王子がおり、懐妊中の側妃も二人いた。お腹の出具合から、両方王女ではないかと専らの噂だが、どちらにしてもマシェリラがラシードの子を生む必要はないのだ。

 唯一、離縁に反対しそうなのは、マシェリラの後見人である東殿大公ハムダーンくらいで……だが、そのハムダーンも、反対しないかもしれない。王に厭われている自分の後見人など、彼を不利な立場へと追いやる原因でしかないのだから。それに好きなだけここに居て良いと言ってくれている。それはつまり、マシェリラが後宮に居ても居なくても同じ――という事だ。


「お父様は、許してくださるかしら?」


 祖国に戻っても、自分の居場所はどこにもないだろう。この先、どうやって生きていけばいいのか……それを考えると、不安で胸が押し潰されそうになる。

 けれど、もう無理だ。

 無理なのだ。


「あの場所も取り上げられて……もうどこにも、わたくしの居場所はないもの」


 抵抗する事に、疲れてしまった。今目の前に刺客が現れたとしたら、黙って刃を受け入れるだろう。それほどマシェリラの心は挫け、弱まり、悲鳴をあげていた。


「明日、サーディク殿に持っていってもらいましょう」


 散々渋ったものの、結局サーディクが折れ、キファーフと共に一旦王都に戻る事になった。彼はマシェリラに「一緒に戻りませんか?」と言ったが、彼女は首を縦には振らず、サーディクも無理強いする事はなかった。




**********




「すぐに戻ってまいりますから」

「わたくしなら大丈夫ですサーディク殿。あの、これを……」

「?」


 おずおずと差し出したそれに、サーディクの目が細められる。


「陛下に、お渡し願いますか?」

「陛下に? もちろんです」


 嬉しそうに笑みを浮かべた彼に、マシェリラの胸が痛んだ。


「お願い致します」


 書簡箱をサーディクに渡すと、マシェリラは小さく頭を下げる。


「確かにお預かりいたしました」


 では――と、サーディクはキファーフと共に馬車に乗り込んだ。東殿大公家の紋章入が入ってはいるが、余計な装飾が一切施されてはいない質素な馬車だ。

 彼等を乗せたそれは、ガラガラと慌しい音をたて、王都へ向かって走っていった。老執事に促されるまで、マシェリラはその馬車を見送った。


 部屋に戻ってからも、彼女の心は落ち着かず……乱れたままだ。そっと胸に手をあて深く息を吐く。

 ラシードの手もとにあれが届くのは、早くて明後日の午後であり、あれを読み彼はどんな反応をするだろうかと考える。

 鼻で笑うか、表情を変える事なく、宰相に離縁の手続きをするよう言うか……そのどちらかだろう。


「ラシード様……」


 最後に一度でいいから、マシェリラ――と、名前を呼んでほしかった。小さな願いだ。本当に小さくて、ちっぽけな願いだ。けれどそれが叶う事はない。嫌っている相手の名前など、誰が呼ぶというのだ。


 マシェリラはそっと両耳を手で押さえると、目を瞑りラシードの姿を思い浮かべる。笑った顔など、幼い頃に見ただけで、再会した彼はいつも怒っているようだった。

 タハミーナの事で怒っているのであって、マシェリラにではない。

 彼は、彼女に無関心だった。

 何かしらの感情を持たれる事は、相手が自分の事を少しでも気にかけている証拠である。

 だが、無関心は違う。

 存在自体を……マシェリラの存在そのものを、否定されているのも同じなのだ。






 八日後、離殿にサーディクが戻ってきた。だが、彼は一人ではなかった。

 出迎えたマシェリラを、鋭い眼光が射抜く。手足が震え唇が戦慄く。呼吸ができず、喉がじわじわと締め付けられているようで……マシェリラは救いを求めるようにサーディクを見た。


「あれは何だ」

「……」

「どういうつもりだ」


 震えが止まらないマシェリラを庇うように、サーディクは二人の間に体を割り入れた。


「すぐに部屋を整えさせますので、そこで少しお休みください。ここ数日、まともに寝てらっしゃいませんので、お疲れでございましょう」

「……新たな部屋など不要。これの使っている部屋があるだろう」

「で、ですが」


 ギロリと睨まれ、サーディクは奥歯を噛み締めた。氷のような冷たい視線は、そのまま彼の後ろに庇われているマシェリラへと向けられる。


「俺が何をしに来たのか……解っているのだろう?」


 頷いたマシェリラの腕を、ラシードは強く掴んだ。



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