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愛を乞う  作者: 朔良こお
本編
4/11

(4)側妃達

 夜明けを告げる鐘の音に、マーランはゆるりと目を開けた。室内はまだ薄暗くほんの少し肌寒い。けだるそうに体を起こしたマーランは、黒く艶やかな髪を重たげに掻き上げ、ちらり――と緑柱石の瞳で横を見た。一人で寝るに広すぎる寝台には、彼女一人だけではない。昨夜は久しぶりに“渡り”があった。


「まったく……」


 彫刻のように整った顔……暫くその顔を見てから、マーランは大きな溜息をつき、面倒臭そうに彼に向かって手を伸ばした。


「ラシード、ラシードってば、起きなさいよ」


 もう時間よ――と、ゆさゆさと彼の肩を揺さぶれば、眉宇に深い皺が数本できた。だが、それでもまだ、ラシードは眠っている。そのためマーランは薄い掛け布団を捲り、眠っているラシードを寝台から蹴り落とした。ドスン――と鈍い音が室内に響いた。


「ってぇ……」

「おはよう。目が覚めたかしら?」

「マーラン……お前、どうしていつも蹴り落とすんだ? もっとマシな起こし方ができないのか」


 床に打ち付けた腰を擦りながらラシードは、のそりと起き上がりマーランを睨んだ。もしこれが他の側妃であれば、血の気が失せ、ぶるぶると身を震わせるだろう。涙を浮かべ、許しを請うだろう。だが、マーランは違う。彼女は口もとに冷ややかな笑みを浮かべ、鬱陶しげにラシードを見ていた。


「あら? これでも充分マシだと思うけど……何か?」

「……」


 相変わらずな返答に話にならないと、ラシードは深々と溜息をつき嫌みったらしく(かぶり)を振った。




 六つ年上のマーランとは、もう随分と長い付き合いである。昨日今日――ではない。彼女はラシードが、父王から下賜された側妃なのだ。


 ガジェンドラの王族男子は昔から、十三歳になると父から己が側妃を下げ渡され、女人との夜の過ごし方を知る――というしきたりがある。

 故に、ラシードもそれに従った。

 そして彼の初寝の相手として選ばれたのは、当時父王ラザークの数多いる側妃の中でも一番若かったマーランだった。彼女はラシードに閨の手ほどきをそ、そのまま彼の側妃となった。十二年も前の事である。 

 当時マーランは十九歳……中流貴族の娘で、十四歳の時に王妃の前で歌声を披露した際、それを物陰から見ていたラザーク王に見初められ、側妃候補として後宮に召し上げられた。まだ少女の域であったため、当時の彼女は側妃“候補”であった。

 彼女から“候補”が取れたのは、召し上げられてから二年ほど後である。特に寵愛があったわけではない。何故ならラザーク王は最初から、息子の初寝の相手として彼女を召し上げたからだ。

 マーランの純潔はラザークが奪ったものの、それ以降彼女に夜伽をさせる際は、己が欲望を満たすような事はしなかった。どこをどうすれば男が悦び、なにをどうすれば気持ち良くなるのか……閨房術なるものを、ラザークはマーランに教え込んだのだ。

 当時不寝番を努めていた宮女によれば、薄布で囲まれた寝台の中から漏れ聞こえてくる声は艶かしいものではなく、教師が生徒に指導するような会話だったそうで、それを盗み聞きしていたお陰で、この宮女はそちら方面の知識が娼婦並みに豊富となり、後宮を辞し結婚した後は、得た知識を存分に活かして夫をたいそう喜ばせたそうだ。


 三十歳になると閨での相手を辞退するのが決まりであり、現在三十一歳のマーランも例外ではない。

 今でも時折ラシードと寝台を共にはするが、もはや二人の間に体の関係はなかった。一緒に眠るだけだ。とはいっても、彼女はとても美しく、凹凸のある体は男の欲情をそそるほど(なまめ)かしい。ラシードをその気(・・・)にさせのるには充分過ぎるほどで、だが、マーランはいくら彼が求めてきても「それは若い側妃の仕事よ」と言って、猛る雄を口唇にて奉仕はするものの、それにより潤んだ己の秘部に招き入れはしなかった。そしてそんな遣り取りが何度かかわされた後、ラシードはマーランを求めなくなったが、それと同時に彼女の部屋を訪れる回数も減り、今では二月(ふたつき)に一度か二度となっている。


 余談ではあるが、女は三十を過ぎてからの方が、感度が増して“美味い”というのが世間一般の男達の感想である。

 だが、後宮ではしきたり(・・・)により、それを味わうことができない。

 王太子時代の、幾分気楽な立場であれば、宮殿を抜け出し街の娼館へ行って、三十過ぎの熟れた女を味わう事ができるし、実際ラシードは何度か味わっている。だが、王となった今では、それは到底叶う事のない無理な話である。




「朝の祈祷に遅れるわよ」

「もうそんな時刻か?」


 王の朝は早く、王妃と共に聖水で身を清めた後、祈祷所にて天上の神々へ祈りを捧げる事から始まる。


「早く支度をしなくちゃ」


 遅れてしまうわよ――と、マーランはラシードの背中をぐいぐい押した。


「ああ。そうだな」


 夜着の腰紐を解きそれを脱ぐと、籠に入っている衣服を身につける。マーランに髪を梳かせ、首の後ろで一つに束ねると、それを細い紐できつく結び銀細工の髪留めを嵌めた。


「あら? またそれなの? 随分と気に入っているようね。この前きた時も、これをつけていたじゃない。その前もそうだわ。まさかラシード、それしか持っていない……とかって言わないわよね?」

「……具合がいいんだ」


 それだけだ――と、眉根を寄せ不機嫌そうに答えるラシードに、マーランの頬が引き攣る。昔はとても素直で可愛かったのに、今じゃすっかり捻くれて、可愛げのない男になってしまった――と、彼女は特大の溜息をついた。


「具合がいい――ねぇ……。そうなの。へぇ……」


 素直じゃないこと――と、彼女は背後からラシードの肩に手を置くと、彼のうなじに噛み付くように口付けて、きつく吸い上げ赤い印をつけた。そんな彼女の行為に、ラシードの眉宇の皺がますます深くなる。


「マーラン、その気もないくせに煽るな」


 赤いそれを鏡で見て、忌々しげに舌打ちをする。鮮やかなそれは、どうやっても隠せる場所ではなかった。


「よく言うわ。これを見たあの方(・・・)が、悲しそうな顔をするのが嬉しいくせに」


 捻くれてるわよね、貴方――と、マーランは呆れたように鼻を鳴らした。そんな事は彼女に言われなくても、ラシード自身充分自覚している。捻くれ過ぎて、自分でもどうしたらいいかのか、どうしたいのか、解らなくなっているくらいなのだから。

 ふるりと頭を左右に振ると、ラシードは長衣の裾を捌きながら、マーランの室を大股で出て行った。


 着替えを終えた地点で、彼の顔は“王の顔”になっており、(ラシード)の後ろ姿を見送りながら、最古参の側妃は溜息をつく。

 このままでは大切な物を失う事になるのに、どうしてそれに気がつかないのか?――と。


「バカだわ、貴方」


 大バカよ――と、マーランはもう一度大きな溜息をついた。




**********




 祈祷所に入ったラシードは、そこに居ても良い人物ではない者が居て、僅かに目を細めた。


「キセラ……」


 側妃の一人であり、内務副大臣の娘であるキセラが、祭壇の前に立っていた。ここに入る前、扉の前で控えていた神官は何も言ってはいなかった。彼はキセラがここに居る事を知っていたはずだ。それなのに………。


「おはようございます陛下」


 しな(・・)を作り、上目遣いにラシードを見る側妃(キセラ)に、何故ここに居るのだと怒鳴りつけてやりたかった。ここは王と王妃――神の祝福を受け、夫婦となった者だけが入る事が許されている、王宮内で最も神聖な場所なのだ。


「……誰が……誰がお前をここに入れた?」

「本来、朝の祈りは国王夫妻(・・・・)で捧げるのが決まり……。ですから神官殿が、わたくしを呼びにいらっしゃいましたの」


 王妃様は、その役目を果たせないから――と言って、キセラは愉悦の笑みを浮かべた。

 確かに彼女は第一子である第一王子を生んでいる。実家も有力貴族であり、王妃にもなれる家柄だ。故にキセラには他の側妃と違って、王妃の代理(・・)を多くさせている。だがそれは代理が必要と思った時だけで、|自分が指示をした時のみ《・・・・・・・・・・・》だ。他の誰かが勝手にしていい事ではない。


「キセラ」


 戻れ――と、言う前に、祈祷所の扉が静かに開いた。そして「あっ」と小さいが酷く驚いた声がラシードの耳に届く。その声の主を確かめなくても、彼には誰だかちゃんと判っていた。

 今朝、彼女がここへ数日ぶりに来ることを、宮女長からの連絡で知っていたからだ。そして祈りを捧げ朝食を食べた後、東殿大公ハムダーンの離殿で静養をするため、後宮(ここ)を出立する事も彼は知っていた。

 いつ帰ってくるのか……それはまだ決まっていない。

 だからこそラシードは、あの髪留めを嵌めてきたのだ。例えそれを、彼女が覚えていなくとも………。


 シャラリと音がして、キセラが体を摺り寄せてきた。甘ったるい香油の香が鼻をつく。


「何かご用ですの?」


 悪意のこもったキセラの声に、ラシードは扉の方へと視線をやった。案の定……蒼白な顔をしたマシェリラの姿がそこにはあり、彼はギリッと奥歯を噛む。


「あ、あの……」

「わたくしが居るから、貴女は必要ないわ。要らないの。お戻りなさい」


 セラはくすりと笑うと、さらに体を密着させる。豊満な胸をラシードの腕に擦り付けてくるのが不快で、おもいきり突き飛ばしたい衝動に駆られた。けれどそれをどうにかこうにか抑え、ラシードはキセラの肩に手を置いた。それは自分から彼女を離そうとしたからであるのだが、その瞬間、マシェリラは踵を返し駆けていってしまった。


「あら、逃げ足だけは速いのね。そのまま国に帰ってしまえばいいのに。ね、陛下?」


 そう思いますでしょう?――と、くすくす笑うキセラを無言で押し遣ると、氷のような鋭い双眸で彼女を睨んだ。灰色の、その瞳に宿る、激しい憎悪の感情に、キセラの顔から笑みが消え恐怖で体が硬直する。

 どうしてこんな目を向けられるのか……彼女は自分が犯した失態に、まだ気がついていない。


「出て行け。ここはお前が居て良い場所ではない」

「あ、あの……」

「出ろ!」


 鋭く言い放つ。キセラは慌てて頭を垂れると、その場から逃げるように去っていた。


「チッ」


 短く舌打ちし、杯を満たす聖水に右手を入れると、濡れた指先を額・顎・心臓のある辺り・両肩端と次々押し付け清める。最後に手早く聖水で両手を洗い清め、作法に則り朝の祈りを捧げた。

 ただしそれは、いつもと違って早口だ。いつもは朗々とした声音で、ゆっくりと、まるで歌を歌っているかのように祈りを捧げる。それを聴いているマシェリラの、うっとりとした顔を見るのが嬉しいから……その顔を見たいから……だからラシードは、彼女を想いながら祈りを捧げていた。

 だが今は違う。

 彼女は今、ここに居ない。

 おそらく誤解をしただろう。早くそれを解くべきだという事くらい、ラシードだって解っている。だが、それよりも先にキセラをここへ呼んだ神官を探し出し、経緯を吐かせ処罰をする方が先だ。独断であったのならば、神官に罰を与えればいい。

 だが、そうでなかった場合、罰せられる者達は広範囲になるだろう。

 その中に、キセラも入っているかもしれない。


「他の事ならば、いくらでもキセラにやらせたものの……王妃の座まで欲するのか。愚かな……。王妃でなくてもいい事は、お前意外の女どもでも構わないというのに……」


 だがこれだけは駄目だ。

 唯一、誰の目も気にすることなく、二人だけになれる時間であり、マシェリラに対する己の非道さを神に懺悔する時間なのだから。

 面と向かって言えたのならば、どんなに良いか……だがそれができない自分が、ラシードは嫌でたまらない。


「くそっ、こんな愚かな事を、いつまで続けるんだ俺はっ!!」


 髪から銀のそれを外すと、ラシードは強く握り締めた。これを贈ってくれた時の、あの、花が綻ぶような笑み思い浮かべながら………。



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