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エピローグ

 仁栄の入院する病院から出て来た二瑠は、周りに人がいないことを確認するとパーカーのポケットから小刀を取り出した。小学校の図工の授業で使う小刀だが、二瑠たちが学校で使っているものとは違うメーカーのものだった。


 柄の部分に小さく文字が彫られている。しかし汚れと摩擦のせいで、辛うじて最後の三文字の、「ウ」、「イ」、「チ」だけ読むことが出来た。


 二瑠はあの夜のことを思い出した。


 りょうの倒れているベンチへ戻る途中、二瑠は走っていて初めて後ろポケットに違和感を感じた。一旦止まってポケットの中を確認すると、そこには切り出し小刀が入っていた。彼は一瞬疑問に思ったが、直ぐにそれをパーカーのポケットに仕舞うと先を急いだ。


 洋介たちと向き合ったとき、無我夢中だった彼は自分でも気づかないうちにそれを抜いて戦っていた。そして、結果的にそれは、凶器を持った洋介と拓哉から彼を守ってくれることとなった。


「だから、これくらいで済んだ……」


 二瑠は歩きながら、まだ少し痛む左足に目を遣った。既に松葉杖なしでも歩ける程に回復していた。


 目的の家の赤い屋根が彼の視界に入って来ると、二瑠はそこで思考を止めた。


 赤い屋根の家から二軒程離れた辺りで、スーパーの袋を持った主婦たちが立ち話をしていた。二瑠は咄嗟に傍の電信柱の陰に身を隠した。


「……そうそう、林さんとこのお子さん、リュウイチくん?……なんか、まだ食欲もないらしくて、ずっと学校もお休みしているみたいよ。『登校拒否』っていうの? それとも『引きこもり』っていうのかしら? そういうの……」


「……まあ、どうしたのかしらねえ……最近、多いわよね、そういうの……うちの子も心配だわ……」


「……そうそう、それから随分前の話だけど、安田さんの奥さんが言ってたのよ。確か九月の中頃からじゃなかったかしら、遠足から帰って来た辺りから彼の様子がおかしかったとか何とか、林さんの奥さんから聞いたって……」


「……まあ、何かあったのかしらねえ? でも確かに安田さんの奥さんと林さんの奥さん、仲良しですものねえ?」


「……そうそう、まあでも、ほら、もともとあそこのお子さんは……」


 そのとき、赤い屋根の家の門がガチャリと開いた。サングラスをかけた女性が現れた。


「あっ、あら、林さん、こんにちは」


 主婦のひとりがにこやかに挨拶をした。サングラスの女性は会釈をすると、黙って主婦たちを通り過ぎて行った。


「あらやだ、もうこんな時間! わたし、そろそろ行かないと」


 主婦のひとりが突然、腕時計を見ながら声を上げた。


「あら、ほんと。わたしも行かないと」


 二人は短く挨拶を交わすと、それぞれ別々の道を歩き始める。


 主婦たちの姿が見えなくなると、彼は電信柱にもたれたまま空を仰いだ。空には赤く焼けるような夕焼けが広がっていた。彼の心は不思議と穏やかな気持ちになっていた。


 何度も読んだ「巌窟王」の内容がふと頭に浮かんでくる。そして思い出した、「巌窟王」の伯爵は復讐を完全に遂行しなかったこと、彼が最後のひとりを許したことを。


 しかし、「巌窟王」の伯爵と相川二瑠とでは、立場も時代も状況も全く違っていた。


 本当の答えは自分で出さなくてはいけない。決断は孤高であるべきだ。そして、決断に対する反応は高度なブーメランのように必ず自分に返ってくることを二瑠は痛い程に知っていた。


 赤い屋根の家に目を遣ると、二階の窓はカーテンが引かれて閉まっていた。彼は目を閉じてポケットの中のそれに触れると苦笑した。そして、ゆっくりと来た道を戻りはじめた。


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