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この小さな花があの海に届きますように  作者: 富田 来蔵 / Kizō Tomita


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第6話 「遥か離れた遠い日の正解」

潮の匂いがやわらかく漂い、寄せては返す波の音だけが、

しばらく二人の間を満たしていた。

やがて響は、そっと弁当のフタを閉じる。


「……歩こっか」


かすかに震えた声だったが、逃げるようではなかった。


二人はゆっくり海岸沿いを歩き出す。

潮風が頬を撫で、時間だけが静かに流れていく。


「航ってさ……ちゃんと見てくれてたよね。

 私、友達少ないから……心配してくれてたよね」


「そうなのか? 響は自分じゃ気づかないけど、結構人気あったんだぞ。

 でも、友達作るのは苦手だもんな」


「……どうしても勇気が出なくて。

 でも航といると楽しいの。自然にみんなの輪に入れてくれるし」


「それは響が優しいからだよ。

 他の人がやらないことも率先してやるし、俺はちょっと後押ししただけ」


「航がいなかったら……私、きっと一人だった。

 だから……航、ごめんね。航は鈍感なんかじゃないよ」


太陽が傾きはじめ、昼と夕暮れの境目のような柔らかな橙色が世界を染めていた。

その光の中で、響の喉が小さく震える。

押し込めてきた想いが、もう隠せないほどに揺れていた。


「……ねえ、航」


弱く呼ぶ声。でも、逃げない音だった。


響は前を向き、一度だけ深く息を吸う――


「わたしね。

 昔から見てたんだよ、ずっと」


そこから先は、もう止められなかった。


「わたしのヒーローで……

 だから憧れでもあって……

 笑わせてくれる友達で……

 泣きたいときに気づいてくれる理解者で……

 時々、先生みたいにいろんなことを教えてくれて」


肩がほんの少し震えた。


「そういうの、全部ぜんぶ……

 “特別”って、言うんだよ」


響はゆっくりと航を見る。

その目は、逃げ場を失った透明な光でいっぱいだった。


「――一目見たときから。

 ずっと、航はわたしにとって“特別”なんだよ」


最後の「わたしの……わたしの……」は声にならず、橙色の風にほどけていった。

けれど航には、はっきり聞こえていた。


夕日の光が弱まり、二人の間に落ちていた影がゆっくりとほどけていく。


航は響の横顔を見つめ、もう言葉を選ぶのをやめた。


「……響、俺たち……付き合った方が、いいのかな」


唐突ではない。

でも、準備ができていたわけでもない。


響は一拍だけ目を閉じ、息を吸ってまっすぐ航を見つめた。


そして。


「――正解。でも、言葉が足りない」


やわらかく、それでいて力強い声だった。


何を考えているかわからない猫のように気まぐれで――

だけど、一度決めたら矢のように一直線で、もうぶれない。

夕焼けの中で凛とした横顔は、触れたら壊してしまいそうにまぶしかった。


航は逃げなかった。

逃げたくもなかった。


胸の奥に沈めてきた言葉を、ようやく差し出す。


「……俺も、好きだ」


その瞬間、響のまつ毛がかすかに震えた。


そして。


「――やっと言った」


泣き笑いの声。

十年分の想いが、そっとほどける音がした。


きらきらと光る水面だけが、二人の重なる影を静かに映していた。

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