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霧と共鳴

視界を埋め尽くすのは、音さえも吸い込みそうなほどに濃密な、乳白色の「無」だった。

奈落結界の内部。そこは現実の物理法則が歪み、空間そのものが意味を失った領域だ。この霧そのものに肉体を直接損なうような実害はない。だが、真に厄介なのは「存在の不確かさ」である。一歩進むごとに、自分がどこにいるのか、どちらが前なのかという方向感覚が、冷たい湿気と共に削り取られていく。現在位置すら判然としないこの場所で、ただ闇雲に動き回ることは自滅に等しかった。

「……クソが」

剣菱将(ケンビシショウ)は、思考を止めるように愛車・カワサキのスロットルを戻した。エンジンの回転数が落ち、アイドリングの低い排気音だけが、ここがまだ現実であることを繋ぎ止める細い糸となる。

焦燥が、胸の奥で火花のように散った。

その時、将の背後で、宮内純(ミヤウチジュン)の胸元が淡く、しかし鋭い光を放った。

それは彼の中に宿る「アルシャード」の輝きだった。

意志を宿し、力が継承されることで至った「アルシャード」という特別な次元。その光は呼応するように、霧の彼方で脈動を始める。この奈落の迷宮に閉じ込められているはずの、古藤三平(コトウサンペイ)藤拓人(フジ)が持つアルシャードと、目に見えない糸で繋がったのだ。

純、三平、そして拓人。

継承された力を宿す三つのアルシャードは、霧を透かし、次元の隙間を縫って対話を始めていた。それは言語による論理的な会話ではなく、魂の震えによって互いの座標を割り出し、存在を肯定し合う、クエスターにしか感知し得ない超常的な交信――精神的なソナーである。アルシャードたちが奏でる共鳴音レゾナンスが、虚無の霧の中に、仲間たちが存在する確かな「点」を打ち込んでいく。

だが、将にはその「音」が聞こえない。

彼の内にあるのは、いまだ自律して動くことのない、沈黙したままのシャードだ。それはただのシャードであり、他の三人のように「アルシャード」へと至る継承のプロセスを経ていない。将にとってのそれは、今この瞬間においては、指針を示すこともない、ただそこにあるだけの無機質な「石」に過ぎなかった。

仲間たちがアルシャードの力で必死に互いを探り、この閉鎖空間に風穴を開けようとしている。その対話の輪に加われず、位置すら掴めないという事実が、彼を孤独な暗闇へと突き落とす。

「ガイア持ち」として、そしてライダーとして、仲間の先頭を走る自負がある。だが、この神秘の領域においては、自分はただの「盲目の操縦者」に過ぎないのではないか。ハンドルを握るグローブの指先が、微かに震える。

「……っ、どうすりゃいい。どっちへ走ればいいんだ!」

吐き捨てた言葉が、湿った霧に飲み込まれていく。その焦燥を、背中の温もりが強く受け止めた。

タンデムシートに座る純が、将の腰に回した腕に力を込め、耳元で確信に満ちた声を響かせる。

「ネージがナビゲートするで、アンさん」

純のアルシャード――ネージが、彼を介して将の意識へと直接、その波動を伝えてきた。

それは冷徹な方位データではない。霧の向こう側、三平と拓人が待つ場所へと真っ直ぐに伸びる、熱を帯びた「道筋」の感触だった。

「……そうか。お前らには、視えてるんだな」

将は深く息を吐き、昂ぶる心臓の鼓動をねじ伏せた。落ち着きを取り戻した彼の瞳に、再び鋭い光が宿る。

自分にアルシャードの声が聞こえず、ただのシャードしか持たないのなら、それを聞き届けた仲間の足になればいい。彼らの絆を、この鉄馬の速度に乗せて繋ぎ止めるのが自分の役目だ。

「しっかり掴まってろ。道案内ナビは任せたぞ、純」

将は再び力強くギアを入れ、スロットルを大きく開いた。

カワサキの咆哮が、静止していた霧を力任せに切り裂いていく。迷いは消えた。三つのアルシャードが奏でる共鳴の導きに従い、二人の少年を乗せた鉄馬は、確かな足取りで深淵の奥へと再加速していった。

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