担任教師はモブ希望! ~乙女ゲーの世界で推しを眺めていたら、いつの間にか私が攻略対象(?)になっていた件~
いくつか短編作品を投稿して、反応のいいのを長編化しようとおもっているので、
面白いと思ったらなにからリアクションしてもらえると嬉しいです
「いや、無理無理無理! なんで私がこのクラスの担任なんですか!?」
新任教師アリア・オークウッド、二十五歳。私の内心は、今まさに嵐の真っただ中にあった。
目の前に広がる光景は、神々の悪戯か、あるいは過労死した私への最高のご褒美か。
キラキラと輝くシャンデリア。磨き上げられたマホガニーの机。そして何より――そこに座る生徒たちが、全員揃って顔面偏差値カンストの美男美女。
そう、ここは私が前世で寝る間も惜しんでプレイした乙女ゲーム『エターナル・ラプソディ』、通称『エタラプ』の世界。
そしてこの教室は、メイン攻略対象である王子様も騎士様も宰相閣下のご子息も、果てはエルフの留学生様も、そして何より光り輝くヒロインちゃんも在籍する、奇跡のクラスなのである。
「……落ち着け、私。佐藤凛子、享年二十八歳。お前は過労の果てにこの世界に転生した幸運なオタク。教師になるという夢も叶った。そして今、目の前には3Dで動く推したちがいる。これは天国だ」
私は誰に言うでもなく心の中で呟き、きゅっと拳を握りしめる。
私の願いはただ一つ。
――モブになりたい。
壁になり、空気になり、教壇のシミにでもなって、ただひたすらに彼らの尊い青春を最前列の特等席から眺めていたいのだ。
物語に介入するなんてとんでもない! ヒロインのリリアナちゃんが、攻略対象たちと恋に落ち、困難を乗り越え、ハッピーエンドを迎える。その歴史的瞬間を、私は「ああ、尊い……」と涙ぐみながら見守る、名もなき担任教師Aでいたいのである。
「では、諸君。今日から君たちの担任兼、魔法史を担当するアリア・オークウッドだ。一年間、よろしく頼む」
完璧な笑顔を顔に貼り付け、私は高らかに宣言した。
さあ、始めよう。私の最高に幸せな、モブ教師ライフを!
――そう、思っていたのは、本当に最初だけだった。
◇
事件が起きたのは、赴任して一週間が経った昼休みのことだった。
中庭から聞こえてくる怒声に、私はピクリと眉を動かす。この声、このシチュエーション、間違いない。
「カイ・アシュフィールドと不良生徒の決闘イベント……!」
『エタラプ』の共通ルート序盤に発生する、騎士団長の息子でツンデレ気味の攻略対象、カイ様のイベントだ。実直で正義感の強いカイ様は、弱い者いじめをする不良生徒が許せない。本来なら、ここでヒロインのリリアナちゃんが割って入り、彼女の持つ光魔法の癒やしの力で場を収め、カイ様の心を少しだけ溶かす……という流れのはず。
私は窓からそっと中庭を覗き込む。よしよし、カイ様、今日も顔がいい。不良に絡まれて少し眉を寄せている表情、解釈一致です、ありがとうございます。
ん? でも、肝心のリリアナちゃんがいない。彼女は確か、図書委員の仕事で少し遅れるはずだ。
だが、カイ様の堪忍袋の緒は、思ったより短かったらしい。
「いい加減にしろ! その汚い手を離せ!」
「ああん? やんのか、特待生様よぉ!」
不良生徒が下級生の胸ぐらを掴む。カイ様の拳に、赤い魔力の光――炎魔法の兆候だ――が宿り始める。
まずい。このままだと、カイ様が不良をボコボコにしてしまい、学園の懲罰委員会にかけられて停学処分になる。ゲームではリリアナちゃんが止めるから未遂に終わるが、このままではバッドエンド直行ルートだ。
推しの停学なんて、解釈違いも甚だしい!
気づいた時には、私の足は中庭に向かって走り出していた。
モブでいるという誓いはどこへやら。推しの未来を守るためなら、私はなんだってする!
「――そこまでです!」
凛とした声が、我ながらよく響いた。
中庭にいた全員の視線が、私に突き刺さる。カイ様も、不良生徒も、ぽかんとした顔でこちらを見ている。
「アリア、先生……?」
カイ様の戸惑った声が聞こえる。ごめんねカイ様、しゃしゃり出て。でも推しの曇った顔は見たくないの!
私は不良生徒のリーダー格である、恰幅のいい男子生徒の前に仁王立ちした。
「君、名前は確か……マーカス君、でしたね」
「な、なんだよ、教師が……」
私はにっこりと、聖母のような笑みを浮かべてみせた。そして、前世の知識――『エタラプ』のファンブックに豆粒のような文字で書かれていたキャラクターの裏設定――をフル活用する。
「昨日、君のお母様が職員室にいらっしゃっていましたよ。『うちのマーカスは、最近少し元気がないみたいで心配だ』と。今朝も、君のために大好物のミートパイを焼いてくれた、と嬉しそうに話していました」
「なっ……!?」
マーカス君の顔が、さっと青ざめる。
そう、この不良生徒、見た目に反して超お母様っ子なのである。反抗期ゆえに素直になれないだけで、本当はお母様が大好きなのだ。
「そのお弁当、お母様が心を込めて作ってくださったものでしょう? それを無駄にして、喧嘩騒ぎを起こして……お母様が知ったら、どれだけ悲しむか。君なら、分かりますよね?」
「う……ぐっ……」
マーカスの巨体がぐらりと揺れる。完全に図星だったらしい。
彼は掴んでいた下級生の手をそっと離し、ばつが悪そうに俯いた。
「……悪かった」
小さな声で謝罪し、仲間たちを引き連れてすごすごと退散していく。
残されたのは、静寂と、あっけにとられたカイ様と、そして「やっちまった……」と内心で頭を抱える私。
「先生……」
「か、カイ君! 大丈夫でしたか!? 怪我は!?」
慌てて駆け寄ると、カイ様は少し顔を赤らめ、そっぽを向いた。
「……別に。あんた、なんであいつの弱点知ってんだ」
「そ、それは教師としてのカン、みたいなものです!」
苦しい言い訳! でも、これしか言えない!
そこに、息を切らしたリリアナちゃんが駆けつけてきた。
「はぁ……はぁ……カイさん! 大丈夫でしたか!? って、あれ?」
何事もなかったかのような中庭を見て、彼女はきょとんとしている。
カイ様は、ちらりと私を見ると、ふいっと顔を背けて呟いた。
「……あんた、意外と、やるんだな」
その言葉と、ほんの少しだけ和らいだ表情。
あああああ、推しのレアなデレ顔、いただいてしまいました!
モブ教師ライフ、初手から計画大崩壊の予感。しかし、推しの笑顔プライスレス。私の心は、後悔と幸福感でぐちゃぐちゃにかき混ぜられていた。
◇
あの中庭事件以来、どうも生徒たちの様子がおかしい。
特に、攻略対象たちの私を見る目が、明らかに変わってしまった。
カイ君は、ぶっきらぼうながらも魔法史の質問をしてきたり、私が重い教材を持っていると無言で奪い取ってくれたりする。ツンデレのデレが仕事しすぎである。尊い。
そして、次なる刺客は、この国の第一王子、アレクシス・フォン・ヴァイスラント様だった。
放課後、私は薔薇園で、一人佇むアレクシス王子を見つけてしまった。
これもゲーム内イベントだ! 王族としての重圧に苦しむ彼を、リリアナちゃんがその天真爛漫さで励ます、胸キュンシーンのはず。
私は植え込みの影に隠れ、息を殺す。
しかし、神はオタクに優しくなかった。
パキッ。
足元の枯れ枝が、絶妙な音を立てて折れた。
「――誰だ」
低く、鈴を転がすような美声。ゆっくりと振り返るアレクシス王子と、ばっちり目が合ってしまった。終わった。
「アリア先生、か。何をしていたんだ?」
「あ、いえ、その、美しい薔薇に見とれておりまして……! 決して殿下の邪魔をしようなどという、そんな大それたことは……!」
しどろもどろになる私に、アレクシス王子はふっと寂しげに笑った。
「別に構わない。……先生、君は、どう思う?」
「は、はい?」
「王族として生きること、決められた道を歩むこと。それは、本当に幸福なのだろうか、と」
キターーー! 王子の悩み相談イベント!
本来ならリリアナちゃんが「私は、王子様が王子様らしくなくても、好きです!」みたいな百点満点の回答をするところだ。
だが、ここにいるのはただのモブ教師。そんな大役、務まるはずがない。
「そうですねえ……」
私は前世の社畜時代を思い出した。上司の命令、クライアントの無理難題、守らなければならないコンプライアンス。
「完璧でなくても、いいのではないでしょうか」
「……ほう?」
「誰だって、たまにはサボりたくなりますし、苦手なことだってあります。完璧な人間なんて、どこにもいませんから。王子様だって、人間です」
前世の経験から出た、ありきたりな言葉。
だが、アレクシス王子の目が、わずかに見開かれた。
私は調子に乗ってもう一歩踏み込む。これも全て、推しの笑顔のためだ。
「義務を果たすことは、もちろん大切です。ですが、ご自身の心が壊れてしまっては元も子もありません。……例えば、そうですね。誰も見ていないところで、こっそりと好きな絵を描く時間を作るとか。そういう息抜きも、時には必要かと」
ゲームの隠し設定。アレクシス王子は、幼い頃、絵を描くのが大好きだったが、王族にふさわしくないと周囲に反対され、筆を折った過去があるのだ。
「……っ!?」
アレクシス王子は、息を呑んだ。彼は美しい青い瞳で、まるで私の心を見透かすかのように、じっと見つめてくる。
「先生……君は、一体何者なんだ?」
「しがない魔法史教師、アリア・オークウッドです!」
私は満面の笑みで答え、そそくさとその場を退散した。
背中に突き刺さる、熱烈な視線を感じながら。
「またやっちまった……! でも、推しがまた筆を取るきっかけになったなら、本望……!」
この日を境に、アレクシス王子が時々、私にだけこっそりとスケッチブックを見せてくれるようになったのは、嬉しい誤算であり、心臓に悪い誤算でもあった。
◇
私の奇行は、当然、学園一の切れ者である宰相の息子、セオドア・クロムウェルの耳にも入っていた。
ある日の放課後、私は彼に職員室前の廊下で呼び止められた。
「アリア先生。少し、よろしいですかな?」
にこやかな笑顔の裏に、絶対零度の理性を隠した腹黒メガネ様(褒め言葉)だ。
「はい、セオドア君。何か御用でしょうか?」
「単刀直入にお伺いします。貴女は、一体何者です?」
銀縁眼鏡の奥の瞳が、私を射抜く。
「カイのいざこざを見事に収め、殿下の悩みの核心を突く。まるで未来を知っているかのような動き……。偶然にしては、出来すぎています」
やばい。一番勘のいい男に目をつけられてしまった。
だが、オタクをなめてもらっては困る。こういう時こそ、得意分野で煙に巻くのだ。
「何者、と言われましても……。私はただ、生徒の皆さんが大好きで、その輝かしい青春を応援したい、しがない一教師に過ぎません!」
そこから先は、我ながら見事なオタク特有の早口だったと思う。
「カイ君のあの不器用な優しさ! アレクシス殿下の気高さと、その裏にある脆さ! そしてセオドア君、君のその怜悧な頭脳は、全てこの国を思うが故! 皆さん一人一人が、この国の宝! 輝く星なんです! その尊さを前にして、私がじっとしていられると!? 無理です! 推しが困っていたら助ける、オタクの、いえ、教師の当然の務めです!」
熱弁する私を前に、セオドア君は完全にポカンとしていた。彼の完璧な計算式のなかに、「熱弁するオタク教師」という変数は存在しなかったらしい。
やがて、彼はこらえきれないといった様子で、くつくつと喉を鳴らして笑い始めた。
「……はは、ははは! なるほど、そういうことでしたか。いや、失礼。貴女という存在は、私の計算をことごとく狂わせる」
彼は眼鏡の位置を直し、面白そうに私を見た。
「ええ、実に興味深い。アリア先生。貴女のこと、もう少し観察させてもらうことにしますよ」
その笑顔は、もはや腹黒さよりも、純粋な好奇心の色を帯びていた。
遠くの窓辺では、物憂げな表情でこちらを見ていたエルフの留学生、フィン君が、ふっと興味深そうに微笑んだのが見えた。
……もう、だめだ。詰んだ。
私はモブ教師として、静かに彼らを見守りたかっただけなのに。
カイ君には懐かれ、アレクシス王子には心を開かれ、セオドア君にはロックオンされ、フィン君にまで興味を持たれている。
そして、肝心のヒロインであるリリアナちゃんは、最近「先生みたいに、みんなを助けられる素敵な人になりたいです!」と、私にキラキラした瞳を向けてくる始末。君がなるんだよ、ヒロインに! 私じゃない!
◇
そして、運命の期末試験打ち上げパーティー。
教室で開かれたささやかな会で、私は完全に包囲されていた。
「先生、いつもありがとうございます!」
リリアナちゃんが、生徒を代表して花束を渡してくれる。うん、可愛い。それでこそヒロインだ。
「先生のおかげで、毎日がとても楽しいです!」
「アリア先生。君の話は、いつも退屈しないな」と、隣で微笑むアレクシス王子。
「……あんた、意外と頼りになる」と、照れくさそうに言うカイ君。
「貴女という教師が担任で、今年は退屈しなさそうだ」と、楽しげに告げるセオドア君。
そして、無言で近づいてきたフィン君が、私の頭にそっとシロツメクサの花冠を乗せた。
攻略対象全員からの、好意しかない視線。
ヒロインからの、尊敬と親愛の眼差し。
クラスメイトたちの、温かい拍手。
ああ、なんて美しい光景だろう。
まるで、ゲームのハッピーエンドの一枚絵のようだ。
ただ一つ、致命的な間違いがあるとすれば。
その中心にいるのが、ヒロインのリリアナちゃんではなく、モブ志望の私、アリア・オークウッドだということ。
「(いやいやいやいや、私が欲しいのはそういうのじゃない! 私は壁! 私は空気! 私は教壇からみんなの青春をニヤニヤしながら眺めていたいだけなのにぃぃぃ!)」
私の心の絶叫は、誰にも届かない。
キラキラと輝く生徒たちに囲まれながら、私は遠い目をした。
私の平穏なモブ教師ライフは、一体どこへ行ってしまったのだろうか。物語はまだ、始まったばかりだというのに。