ようせいのむすこ
とある高級住宅地に、アール夫人という未亡人が引っ越して来た。一人息子を連れたアール夫人は、亡くなった夫の遺産でこの高級住宅地に豪邸を建てたのだ。
アール夫人が庭で紅茶を飲んでいると、近所でも有名な医師、エヌ氏が通りがかった。
「こんにちは。ご機嫌いかがですか」
「あら先生。良いお日柄ですわね」
引っ越してすぐに知り合いになった二人は、時折こうしてアール夫人邸の庭で話をするのが楽しみだった。
「息子さんはお元気ですか」
「ええ、それはもう。そろそろ幼稚園に入れようかと思っているんですのよ」
「それは良いことです。もうすぐお遊戯会もあるようなので、早めに入園をお勧めします」
エヌ氏にも一人娘がおり、近所の幼稚園に通わせている。アール夫人の息子が入園すれば、同級生になる。エヌ氏は、仲の良いアール夫人の息子と自分の娘が、同じように仲良くなることを心待ちにしていた。
「ええ。もちろんですわ。ところで先生、私の坊やがお遊戯会に出るなら、何役が良いと思います?」
「息子さんがですか。見てみないことには分かりませんね」
「では今呼んで来ましょう。坊や、先生にご挨拶なさい」
アール夫人が家の中へ声をかけると、小さな男の子が外に走り出て来た。
その姿を見たエヌ氏は顔をしかめ、こう言い放った。
「息子さんは妖精です。お急ぎになった方がよろしいかと」
アール夫人が返事をする前に、エヌ氏は足早に立ち去ってしまった。
残されたアール夫人は息子の頭を撫でながら呟く。
「妖精だなんて、素敵な役だわ。私の坊やがとても可愛らしいということなのでしょうね。でも、どうしてあんなに険しい顔をしてらっしゃったのかしら」
アール夫人が呟くと、息子が小さなくしゃみをする。
その様子を見て、アール夫人はまた呟いた。
「そうだわ。先生は坊やの可愛さを妬んでいらっしゃるのよ。自分の子どもが坊やより可愛らしくないと分かったのかしらね。今頃、坊やのことを話していらっしゃるに違いないわ。だから坊やはくしゃみをしたのよ」
納得したアール夫人は、そのまま息子を連れて家の中へ戻って行った。
数日後、アール夫人の息子は高熱を出して倒れてしまった。その体には青い斑点がいくつも浮かび上がり、苦しそうに呻き声を上げている。
「ああ、どうしたものかしら。そうだわ、先生に診て貰いましょう」
だがあいにくエヌ氏の診察は予約が埋まっており、明日以降になるということだった。
「坊や、頑張ってね。明日になったら、先生が診てくれるからね」
アール夫人はできる限りの看病をし、息子を励まし続けた。
だが翌日、息子は息を引き取った。
悲しみに暮れるアール夫人がよろよろと庭に出ると、診察に来たエヌ氏が庭から声をかけた。
「こんにちは。息子さんの具合はどうですか」
アール夫人はエヌ氏の到着が今日になってしまったことを心の中で呪いつつ、エヌ氏に返事をする。
「それが、今朝亡くなってしまったんです。私、もうどうしたらいいか……」
頬を涙で濡らすアール夫人を見て、エヌ氏は言った。
「やはり間に合いませんでしたか。この辺りではブルードット症という感染症が流行っていましてね。感染すると高熱が出て、体に青い斑点が出てくるんです。息子さんのご不幸は、それが原因でしょう」
「まるで分かっていたような言い方をされるんですのね。そうなら、早く教えてくだされば良かったですのに」
アール夫人はエヌ氏を責めるような言葉を続ける。だが、エヌ氏はどこ吹く風だ。
「私は忠告しましたよ。お急ぎになった方が良いと」
「それは幼稚園の入園手続きの話でしょう。坊やの不幸とは関係ありませんわ」
「いいえ、私はちゃんと忠告しましたよ」
「嘘を言わないでくださいな。私は聞いていませんわよ」
エヌ氏はきょとんとした顔をしながら、アール夫人に向かって言った。
「だから言ったでしょう。「息子さんは陽性です」と」