元令嬢の魔法騎士ですが、皇太子様に求婚されました〜皇太子と氷の英雄〜
途中に残酷な描写がちょっとあります。
紳士淑女の社交の場。帝国の皇帝主催の夜会の会場の片隅。
侵入者を捕縛していた騎士にあんなことが起こるなんて。
「貴方の強さに感服したよ。だから、僕と結婚してくれないかい?」
∮
私はアルマ・ネイビー。タリオン帝国の黒獅子騎士団所属の魔法騎士だ。
現在社交シーズンの真っ最中。なので今日も下っ端騎士の私は警護に励んでいた。
数年前、皇帝が代替わりして血統主義から実力主義になったことで現皇帝は古狸達から恨みを買っている。
だから皇帝主催の夜会に古狸の手の者がよく忍び込んでくる。黒獅子騎士団は皇城の警備の任を任されているから、私たちが侵入者に対応、捕縛する。
今回の侵入者はすごく巧妙な手口で忍び込んで来たなぁ。
まさか招待客の貴族が侵入者だったなんて。
フロアの真ん中で自爆しようとしたときはホントに血の気が引いた。一緒に警備してた同期たちも顔を真っ青にしながら慌ててそいつを抑えにかかった。
結果、派手な大捕物になってしまった。
対象の男を魔法結界で隔離した後、魔法で感電させて気絶したところを捕縛。
出来れば他の招待客の皆さんに気づかれる前に対処したかったんだけど。
「はあ」
「アルマ部隊長。こいつ、どうしますか?」
「会場から離れ次第、麻酔薬を投与。その後はいつも通りの手筈で」
「はっ、承知しました!」
テキパキと私の部下に当たる騎士たちが男を運び出していく中、私は他の招待客の方々に向き直った。
「夜会をお楽しみのところ、水をさしていしまい大変申し訳ありませんでした。黒獅子騎士団第三部隊部隊長、アルマ・ネイビーの名のもとに深く謝罪いたします。今回の不手際、すべて私の監督不足で御座います。今後、このようなことが起こらぬよう誠心誠意努めてまいります」
この場には高位貴族の方もいる。今後の騎士団の活動に支障があってはならない。矛先が向くのなら、私一人だけに収めなければ。
片膝をつき、頭を深く下げ続けていると、遠くからパチパチと拍手が聞こえてきた。
「先程の捕縛、実に鮮やかな手際だったよ。流石、黒獅子騎士団員。僕たちが安心して夜会を楽しむことができるのは貴女方の活躍があってこそ。感謝すれど、責めるなど有り得ないよ」
……この声……もしかして……
「顔を上げてください」
「はっ」
目の前に現れたピカピカに磨き上げられた革靴。視線を上げていけば、帝国中の少女たちの憧れの的である
「帝国の小太陽に御挨拶申し上げます」
ハーヴェ・チェード・タリオン皇太子殿下は柔らかな笑みを浮かべた。
「立ってくれないかな? 何時までもレディを跪かせたままは僕の理念に反するからね」
「は、かしこまりました」
……レディ扱いされるなんて何時振りだろう? 少なくとも魔法騎士になってからは無かった。久々にされると何だかむず痒い気持ちになる……
立ち上がり顔を上げた私は目の前の光景に危うく素っ頓狂な声を上げかけた。
「なっ……にを、なさっているんですか!?」
「何って、敬意を払っているんだよ」
「帝国の皇太子殿下が、騎士ごときに跪くなど、あってはなりません!!」
あわあわと手を彷徨わせてどうにか殿下が私に跪くのを辞めてもらおうとするけど、騎士が王族の御身に触れるなど、緊急事態でない限り許されない。
周囲の人々も驚きを隠せないようで、私達を遠巻きながらも見つめている。
「貴方の強さに感服したよ。だから、僕と結婚してくれないかい?」
「――はいっ!?」
なんて? いま、なんて?
疑問符が吹き荒れる脳内。驚きで回らない頭で殿下に問いかける。
「あ、あの、殿下……? 今、なんと……?」
「先程述べた通りだよ。僕の伴侶になってほしい」
くらっ。
やばい。ちょっと目まいが……
「きゃーー!! 誰か倒れたわ!!」
「こちらもよ!」
わあわあと一気にホールが騒がしくなる。
その渦中で私はどうしていいか分からず途方に暮れた。
「アッハハハ!! 賊を捕縛したら皇太子殿下に求婚されるなんて! ひ〜っ、面白っ!!」
夜会が終わり、諸々の事後処理も終え、寮に戻ってきた。今日は他の場所で警備をしていた、ルームメイトであるメルティーナ・カンファに夜会であったことを話したら、机を叩いて爆笑だ。
「笑い事じゃないよぉ、メルティ。何で私もこんな事になったのかサッパリ分かんないんだから。しかもこれから私、国中の殿下に憧れてたご令嬢から嫉妬と憎悪を向けられる事になるだろうし」
「そりゃあ、殿下だからねぇ。文武両道、容姿端麗、そして優しい。惚れてる娘も山ほどいるでしょうね」
「はぁ~。だって私、凄い事故物件だよ? 自分で言ってて悲しくなるけど。元子爵令嬢の魔法騎士。しかも貴族令嬢でなくなった理由が実家の没落。こ〜んな有り様だから結婚とかそういうのとは無縁でずっと独り身貫くつもりだったのに」
「アルマは強いわね」
「メルティだって婚約者作る気無いじゃん」
「だって騎士やるのに邪魔だもん、婚約者なんて」
ふん、とそっぽを向くメルティは伯爵家の末っ子だ。家は長男が継ぎ、溺愛してくれる両親のお陰で無理に嫁にも行かずに済むメルティは、昔からの夢である騎士になったんだとか。
騎士になると家族に言った際は猛反対されたけど、振り切ってきた、と言っていた。……週に一度のペースで『騎士を辞めて家に戻ってこないか』的な手紙が来ているけど。
一回見せてもらったけど、物凄い文章量で若干引いてしまった。メルティ曰く『長々と書いてるけど要望は一つだけ』とのこと。……アレだけで本が一冊作れそうだった。
「それで、どうしたの? 求婚」
「どうしたもこうしたもないよ。『私は卑しい身ですので』って丁重にお断りしてきた。そもそも私、貴族に戻るつもり無いし」
「ふ〜ん。受ければよかったのに」
「受けれるわけないよ」
頬杖をついてニヤニヤこちらを見てくるメルティの頬をつつく。
「帝国で2番目に権力を持つ皇太子様と、下っ端の魔法騎士とじゃ釣り合うわけないでしょ?」
「……いっつも思うけど、貴女自分を卑下し過ぎだと思うのよね」
「? 事実を言っているだけよ?」
言っていることの意味がわからず首を傾げると「もういいや」って溜息吐かれた。なぜだ。
――コンコン。
「? はぁい、どなたですか?」
「俺だ。……アルマ、居るか?」
「あれ、副団長? はい、居ます。今出ます」
ノックの音に二人揃って目を瞬かせたけど、聞こえてきた声にドアを開ける。
「こんな夜更けにどうしたんですか、副団長」
「団長から『この後執務室に来るように』と言伝を預かっている」
「了解しました。後程伺います」
「それと……俺からはこれを」
「? タオル、ですか?」
「…………今日は災難だったな。だがこれからも気を強く持てよ」
「??」
気まず気な表情でそそくさと去っていく副団長。言われた言葉とタオルを渡された意味が理解できず、二人で顔を見合わせた。
「どういうこと??」
「何でタオル?」
「……まあいいや。団長の執務室に行ってくる」
「は〜い、いってらっしゃい」
騎士服のままで良かった。一回脱いだ騎士服を着直すのは面倒くさいからなぁ。
「団長。アルマ・ネイビーです」
「ああ、入ってくれ」
「はい、失礼します」
部屋に入ると団長が書類の山に埋もれていた。団長、サインを書いて判子を押す機械と成りかけてる……
「だ、団長。大丈夫でしょうか。疲れた顔をしていらっしゃいますけど……」
「ああ、すまない。少し待ってくれ。この書類を片付けたら……」
「はっ」
執務机の前で待機する。よろよろとサインをし、団長はゆっくり顔を上げた。
「今日の夜会のことは聞き及んでいる。よくやってくれた。はあ。年々手口が巧妙に、しかし派手になってきたな」
「そうですね。今回は流石に肝が冷えました」
「賊の尋問はもうすでに始めさせているから、何か分かれば伝える」
「はい、承知しました」
コクリと頷くと、更に団長の覇気が無くなった。
「さて、ここからが本題なんだが……アルマ、お前皇太子殿下に求婚されただろう?」
「……えぇ、まあ。はい、そうですね……」
そろーっと微妙に団長から視線を外す。き、気まずい……
「そのことで皇太子殿下から要請が来ている」
「要請、ですか?」
「『黒獅子騎士団のアルマ・ネイビーを暫くの間、僕の警護につけてもらいたい』だそうだ」
「!?!?」
はあ!? という悲鳴をなんとか喉で押し止める。
「な、なぜ……?」
「『僕のことを深く知ってもらえれば、想いに応えてくれるかもしれないだろう?』だそうだ」
団長、皇太子殿下の言ったことを言う時、地味に本人に似せて喋るの、辞めてもらえません……?
「悪いがこれは〈要請〉という名の命令だから、俺も拒否できない」
「え」
嘘でしょ……
こうして呆気なく、私の異動が決まった。
「今日から異動になりました、アルマ・ネイビーです」
翌日、私は殿下の執務室で殿下と殿下の近衛の方々に挨拶をしていた。
あ〜帰りたい。皇太子殿下+近衛騎士のキラキラしたオーラにげんなりする。
家が没落して良かった唯一のことは、社交界に行かなくて良くなったことなのに。仮面を被って腹の中を探る化かし合いとか、キラキラした場所とかが凄く嫌いで、〝没落〟と聞いた時、『あ、じゃあもう行かなくて良いんだ。やった〜!!』と思ったくらい。
その後、心配する両親の同意をもぎ取って、黒獅子騎士団に入団した。女性の騎士は殆ど居なかったから、メルティが初めて出来た同性の騎士友達だ。
まあ、たまに『魔法騎士だから』っていう理由で魔獣討伐に行かされたりしたけども。国内の魔法騎士って8人しか居ないからなぁ。しかも女の魔法騎士は帝国の歴史上私が初めてだし。
カチャリ。左腰に佩いた剣が鳴り、柄に付けられている石が輝いた。
それからの日々は呆気なく過ぎていった。執務室だったり、街だったり。様々な場所に行く皇太子殿下の護衛をしていた。
ちょっと困ったこともあったけど。殿下のキラキラオーラに目がやられかけたり。令嬢たちの嫌がらせに遭ったり。上から水が降ってきたときは「うっそだぁ」って思った。副団長がくれたタオルが役立つとは思わなかった……女の僻みって怖いなぁ……
あと、事あるごとに殿下が「結婚してくれる?」って訊いてくる。かれこれもう数十回は同じこと繰り返してる。毎回丁寧に断るけど、その度周りからの視線が痛いんだよなぁ。
けど、そばで殿下のことを知っていくうちに、私の中である想いが生まれていた。
私が殿下の護衛をし始めてから半年が過ぎたある日、殿下は公務で地方の貴族領の視察に来ていた。
その最中、賊に襲われ
「! 殿下!!」
対処のため殿下の側を離れ、守りが手薄になった隙をつかれ、殿下が賊に襲われた。
魔獣使いが居たのだろう。魔獣に騎士たちが撹乱されている隙に連れ去られてしまった。
「っくそ!」
「追いかけたいが……魔獣共の相手で手一杯だ!」
「どうしたら……」
近衛騎士の方々と協力して必死に剣を振るい魔獣を仕留めていくけど……数が多すぎる!
私の倍は場数を踏んでいるであろう騎士たちが悪態をついた。引っ切り無しに襲ってくる魔獣のせいで殿下の追跡に手が回せない。
……こうなったら、アレを使うしか……
「皆さん。少し聞いてくれますか」
「ネイビー? 何か策が有るのか?」
「ええ。ですが、それを実行する前に皆さんにはここを離れてほしいのです」
「!? それは一体、どういう……」
「すみませんが、説明をしている余裕はありません。一刻も早く、離脱を!」
「…………わかった。ネイビーを信じよう」
「感謝いたします」
「気を付けろよ」
それだけ言い残し、騎士の方々は素早く離脱していった。
あの決断力と行動の速さ、見習わなければなぁ。
騎士たちがしっかり距離を取ったことを確認し、じりじりと距離を詰めてくる魔獣たちに向き直る。
「さってと。コレを使うのは久しぶりだから、上手く調整できるかな?」
バチリ、と柄にはめ込んでいた石が青い光を放ち始めた。同時に辺りに冷気が漂い始め、ぐっと気温が下がる。
賊たちが足元を見て驚きの声を上げた。
「なっ……霜だと!?」
「悪いけど、手加減できる余裕は無いの。せいぜい死なないように足掻いてね」
剣を胸の前で構える。ますます光の強さが増す。
「全てを凍らせろ。広範囲魔法〈氷結地獄〉!!」
「殿下。殿下」
「ん、んん……」
「起きて下さい、殿下」
「う、アルマ……? 僕は一体……」
「申し訳ありません。私の不手際で殿下が賊に拐われてしまいました」
「あ……そう、だったな。助けに来てくれて、感謝する」
そこまで言った殿下が、私の顔を見て目を見開いた。ガバリと起き上がり、私の顔を触る。
「どういうことだ、アルマ! 何故そんな姿に!?」
「姿、とは? 私は至って普段通りの姿ですよ」
「しらばっくれるな!」
見たことの無い、鋭い目つきで私の目を覗き込む。
「何故身体が凍っている!!」
無理矢理に笑みを浮かべれば、パキパキッと氷の割れる音が響いた。顔だけでは無い。私の身体すべてが薄氷に覆われていた。草も木も。人間でさえ、氷に包まれ、沈黙している。
「申し訳ありません。すぐに殿下の救出に向かいたかったのですが、賊側に魔獣使いがいたようで、通常の方法ではきりがないと判断して、広範囲魔法〈氷結地獄〉を使いました」
「なっ!? 〈氷結地獄〉は、とてもでは無いが、一人で扱えるような魔法ではないだろう!?」
口調を荒げて殿下がにじり寄ってくる。一歩動くごとにパリと音がする。
広範囲魔法〈氷結地獄〉は、周囲のすべてを凍結させる魔法。本来ならば十数人の魔法使いが集まってようやく発動することができる。けど、私はそれを一人で発動することが可能だ。何故かは解らない。
そして、一人で発動させた場合、術者の身に代償が降り掛かる。
――自身の身体が氷で覆われること。
初めて発動させたときは状況が理解出来ず、危うく魔力が暴走しかけた。あれは危なかった。すべてを氷で覆い尽くしてもなお、魔力を放出し続け、無理矢理に止められなければ死んでいた。
「大丈夫です、殿下。近衛の方々を呼びましたので、もうすぐ助けが来ます。賊も対処済みです」
パキパキと氷の張る音が徐々に大きくなっていく。遠くから微かに、氷を踏んで近づいてくる足音がする。
「ですが、まだ、危険なことには、変わり、ありませんので、合流次第、私のことは置いて、この場から、離れて、下さい」
「なっ!?」
パキンッ。
一際大きな音と共に、私の全感覚は遮断された。
∮
近衛騎士たちがアルマに呼ばれ駆けつけると、そこには想像を絶する光景があった。
すべてが凍りつき、きらめいている。植物も、人間も。物言わぬ氷像と化して、静かに佇んでいる。
周囲を見渡した騎士等はその真ん中に主であるハーヴェを見つけた。こちらに気づく様子も無く、立ち尽くしている主の下に駆け寄るが、ハーヴェの側に佇む、一体の氷像に目を奪われた。
「アル、マ……?」
先程、自分たちにここから離れろと言った女の魔法騎士。その姿と瓜二つの氷像。地面に突き刺した剣の柄に両手を置き、立つ姿はまるで英雄の像さながら。
ハーヴェと同じように立ち尽くした彼らはある騎士の二つ名を呟いた。
「氷の、英雄……」
帝国はその立地上、昔から魔獣の被害に悩まされてきた。特に数年に一度発生する魔獣の暴走には帝国の最高戦力を派遣するほど。それでも討伐の際には死者が数百名も出るのだから、その危険度は災害級と定められている。
しかし、ここ数年、魔獣の被害や魔獣の暴走による死者が格段に減っていた。その裏にいたのは、一人の若い元子爵令嬢である女騎士。
齢18にして帝国の歴史上初の女魔法騎士であり、皇城警備の黒獅子騎士団所属ながらも、派遣された先で数々の武勲を立てた。その人気は帝都のみならず、帝国中の少年少女たちの憧れの的となっている。
彼女が使うのは長剣と氷魔法。どちらか片方だけならば、扱える者は山ほどいる。しかし、その2つを難なく操り、使い熟す人間は世界広しといえどもアルマ・ネイビーしかいないだろう。類稀なる剣と魔法の才能。魔法使いを凌駕する膨大な魔力量。それらを戦闘の中で効果的に使い熟す戦闘センス。
戦場の敵を氷像に変えていく姿を見て、味方は畏敬を込めてこう呼んだ。
――氷の英雄、と。
近衛騎士たちも、アルマが派遣される前に、彼女についての資料に目を通していた。その力の強大さを知っていた。つもりだった。だが、どうだ。その力の凄さは想像を超えていた。広範囲魔法を一人で使い、到底人間が創り得ないで有ろう、神話のような光景を創り出し、その中心で自らも氷像となり眠っている。
誰一人、声すら出せず。白い息を吐きながら。氷像となった英雄の前で立ち尽くした。
∮
……ん、眩しい……
膜一枚隔てたような、感覚の鈍さが徐々に薄れていく。
あーこの感覚、私……氷漬けになってるな。やらかしたの何年ぶりだっけ……
ぼんやりとした頭のまま、朧気な記憶を元に状況を把握した。身体に纏わりつく氷を割るべくのろのろと身体を動かしながら呟いた。
「……〈氷結地獄〉の2連続発動なんて、するもんじゃないなぁ」
バギンッ。氷が弾け割れ、光を反射させて白一色の視界を彩る。極限まで冷え切ってしまった身体は上手く力が入らない。
あ〜、これは倒れるなぁ。
光に慣れ始めた目がぼやけた青空を捉えた。
「…………っ!?」
……あれ。痛くない……?
覚悟していた痛みが来ず、ぱちぱちと目を瞬かせる。何かによって後ろから支えられている……?
四肢どころか全身の感覚がないせいで、どうなっているのか判らない。
唯一機能している視覚をフル活用するけど、完全に回復しきっていない視界じゃ物の輪郭と色を捉えるのが精一杯。
現状把握が出来ずポカンとしていると背中側から声がした。
「あっ……ぶなかった……」
「…………?」
あれ。何か、氷漬けになる直前に聴いていた声がする。
「でん、か? ですか?」
「ああ、僕だよ」
なんでいるの? 私、逃げろって言ったはずだよね??
「アルマが氷像になってからまだ3時間も経っていないからな。無理を言ってこの場に留まっている」
ゆっくりとその場に座らされ、ようやく視界も回復してきたおかげで、前側に回ってきた殿下の顔が見えた。その顔に浮かぶ感情に苦笑する。
「何でそんな泣きそう顔をしているんですか」
「……もう、目覚めないかと……」
「大袈裟ですね。もう一度氷漬け状態は経験済みです。二度目は大丈夫に決まっているでしょう? 殿下もご存知のはずです」
「そうだな。……………それで?」
「え?」
「さっきの言葉の意味はどういうことだ?」
「へ?」
アレ。さっきまでの泣きそうな顔した殿下はどこへやら。一転して怖い顔になり、詰め寄ってくる。
「あ、あの〜殿下??」
「『〈氷結地獄〉の2連続発動なんて、するもんじゃない』」
「!!」
まさか、聞かれてた……?
「一回発動するだけでも危険な範囲魔法を、二回発動だと?」
「え、いや……あの〜」
「言い訳は馬車の中で聞こう」
「え、うひゃあっ!?」
ふわっと身体が浮き、変な声が出た。皇太子殿下に横抱きにされているという状況がうまく飲み込めず、キョロキョロと視線を彷徨わせる。何故かニヤニヤしている近衛騎士の方々がいた……
ゴトゴトと動く馬車の中、対面に座った殿下がにっこり笑顔で口を開いた。
「二回、いつ使ったんだい?」
「え、えと……一度目は、襲われた場所で。二度目は殿下を見つけた場所です」
「ほお?」
口は笑みの形を作ってるけど、目の奥が笑っていない。
「その……あまりに敵の数が多く……あのままでは埒が明かないと判断しまして……」
視線を彷徨わせながら『言い訳』を言っていると、「はあああぁ〜」と特大のため息を吐かれた。怒られるっ、と反射的に身を竦めたけど、何も言われない。
恐る恐る顔を上げると、殿下は両手で顔を覆ってうつむいていた。
「で、殿下……? どう、されました……?」
「――ないでくれ」
「え?」
言われた言葉が聞き取れず聞き返すと、ばっと殿下に肩を掴まれた。思わず顔を反らす。
「あの」
「もうあんなことはしないでくれ!! 心臓に、悪い……」
「ぁ……」
不安げに揺れる瞳の中に、身近な人の死を恐怖する感情が見て取れた。
……殿下は王族だ。そして皇太子でもある。すなわち、命を狙われることなどいくらでもあっただろう。そして、その過程で身近な人が命を落としたのだろう。毒見役。乳母。護衛。数多くいる殿下の側で仕えていた者たち。
誰が死んだかなんて私は知らない。けど、その痛みを私は知っている。
「…………申し訳ありません」
ついさっきまで話していた騎士が魔獣によって喰い殺され、肉片となった瞬間は今でも私の頭の中にこびりついている。人の命など、容易く失われるのだから。だから人は死を恐れる。
「殿下」
肩に置かれたままの殿下の手をそっと外し、揺れる瞳に視線を合わせた。
「ですが、私は殿下に死んでほしくありません。……卑怯ですが、先日の求婚の件、ここで返事をさせて頂いても宜しいでしょうか」
∮
実力主義を掲げるタリオン帝国。血統主義を廃止した前帝と並び賢帝として称えられるハーヴェ帝は、生涯伴侶を持たなかった。
しかし、その傍らには何時も一人の女魔法騎士がいた。『氷の英雄』と呼ばれ、国内外にその名声を轟かした彼女は、『ハーヴェ帝と恋仲だったのではないか』という噂があった。
また、彼らをモデルとした小説は身分を問わず大人気となり、帝国1のベストセラー作品と呼ばれている。
それを読んだ者に「好きなところはどこか」と問えば皆同じ文を諳んじるだろう。
✽✽
「殿下の気持は嬉しく思います。しかし、后の座につけば私は剣を振れなくなるでしょう。私の望みは殿下を守ることです。ならば私は殿下の剣として盾として、殿下のそばにあることを望みます」
小説『皇太子と氷の英雄』より
読んでくださりありがとうございました。
出来ましたら、評価やいいね、感想などをいただけると嬉しいです。