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隠者と女王

作者:



 私がかつて治めていた国は毎年飢餓で少なくない人間が亡くなるほどの貧相な土地で、時には南からの流れ者が穀を求めて襲撃しにくるというとても住むには適さない豪雪地帯でした。確か今から3年前くらい前の秋のことでしょうか。ある青年が力を貸したいと訪れたのは。その年は平年の比でないほどの大不作に見舞われたので、普段なら問答無用で追い出すであろう若者を謁見させることにしたのです。彼はもともとこの国のある小さな村の長の末っ子で、飢饉の際に村を追放されてこの王都に来た後は遺跡に伝わる魔法を解明して土から魔物、野生の生物とは異なる容貌を持つ人造生物を生み出す術を完成させたそうです。彼の発言に則るならばこの魔法は新しく生命を創りだす術なのですが、伝承のこともあり今ではこの術は召喚術と呼ばれています。ともかく、彼のおかげで素養のある全ての国民が魔物を召喚できるようになり、賊に襲われたときにはゴーレムを創り出し撃退し、食料が尽きたときは奇怪な動物を創り出しその肉を食べて飢えをしのぐことができるようになりました。彼は正真正銘の救世主でしたし、今でも彼に感謝こそすれ憎む理由など一切ございません。あの惨事を招いたのは他ならぬ私たちの不徳と惰性なのですから。



 平穏な日常が変わり始めたのは1年ちょっと前、彼が仕官してから2年が経った頃でした。


 「あなたがこの国に仕えてから今日でちょうど2年の歳月が経過しました。あなたがいなければ今日までにどれほどの命が失われていたことか。女王としてこの機会に改めて礼をさせていただきたいと思っています。私が与えられるもので望むものがあればなんでも仰ってください。」


 「…ご無礼を承知で申し上げます。私に暇を出していただけないでしょうか。」


 「暇ですか?いつからどれくらいの期間がご希望でしょうか。」


彼の働きにより冬を越せる程度の食料はとうに確保することができていましたから冬の間くらいは休暇を出してもいいだろうと考えていました。


 「…休暇という意味の暇ではありません。私の官吏としての任を解いていただきたいのです。」


 「…それがあなたの望みであるのなら阻みはしません。ですがなぜあなたは退官しようと言うのですか。あなたは自身の立場を自覚しているはずです。あなたがいればこれからも多くの民が救われるでしょうし、私はこの国をあなたに差し上げることさえ考えていました。」


 「私もこの国から離れてしまうのはとても心苦しいです。ですがこの国の未来のためにも私は世俗を離れることを決めたのです。」


 結局のところ彼が本当に国のために立ち去ったのかは怪しいものではありますが、彼なりの葛藤というのを抱えていたのでしょう。


 「女王様。確かにこの2年で民の生活は大きく変わりました。私がこの国に来た時のような死と隣り合わせで重苦しく忙しない空気は今や見る影もありません。それは人々が恐怖から逃れたということであり、女王様も含め多くの方にとってはこれが理想であったのでしょう。」


「つまりあなたは今の状況が喜ばしくないと?」


 国民の命が救われなければ良かったという発言を許すことはできませんから、この時の私はかなり怒っていたでしょうね。


 「そうです。私は今の状況を少なくとも手放しに喜ぶことはできません。確かに死に直結するような命の危機というのは我々から離れていきました。しかし、それによって民たちにはある種の慢心、自身が死を克服したかのような錯覚が生まれたのです。これはある意味では2年前よりも危惧すべき状況であるかもしれません。人々は救世主である私や召喚した魔物たちを心のよりどころとし、自力で死、苦痛、恐怖へ対抗しようという意思のあるものは少数派になってしまったのですから。私はこの二年の間ずっと悩んでいました。新たな英雄の誕生や技術革新の余地が私のせいで失われてしまったのではないかと。私は今生きている民の多くを救うことができました。ですが、これから先10年、100年、1000年の歳月が経過した際、人々には多くの災厄が降りかかってくるでしょう。他者に頼りきりで辛い現実から目を逸らせるようになった今、人々はそれらに対抗できないのではないか。私がこの国の人類の絶滅に加担してしまったのではないか。そんな恐怖がずっと私の中を巡り廻っているんです。」


「そんなの予測できるようなものではないでしょう。確かにあなたのせいで人類が絶滅する可能性は否定できませんが、同時にあなたのおかげでこれからの危機を免れることができるかもしれないではないですか。今はただ目の前の民が救われたことを祝う。それではいけないのですか?」


「私も昔はそうでした。親の言いつけを守り、周りの人が望むように動き称賛される。今となっては懐かしいがそんな自分を誇っていた時期が確かに私にもあった。変わってしまったのはいつからだったでしょうか。家を追い出され、食い扶持を探して放浪していたころか。いや、その間もまだ世のため人のために動こうとしていたし、今でもその名残は残っているはずだ。だがどうしてだろう。今の私は自分の功績にあらゆる罪を感じてしまうんだ。私がこれまで仕えていたのも女王様の元にいればその優しい温もりを再び取り戻せるかもしれないという希望があったというのが大きかった。でももう疲れたんです。一つの不運で無駄になる徒労。功績の裏にまとわりつく罪。これからは目を逸らし続けた犠牲に苛まれることになるのだろう。だがそうだとしても私は歴史の表舞台から立ち退き苦痛と向き合っていきたいんです。苦難を受け止め人々を救う偉大なる我らが女王よ。私はあなたのような人々が創る世の中を望んでいます。私はそのような人間ではなかったというだけの話です。」


 これが彼の最後の言葉でした。その後の彼を知っているという人に私は未だ会ったことがありません。

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