95. 静かな冬
クオンは農夫だ。文字は読めない。その上、左腕まで失って、オーサークに来ても出来る仕事は限られている、と思われていたが、弾薬の大量生産というオーサークにとって、いやスカリオン公国にとって大切な計画が彼の救いになった。
型にニラの木の樹液を流し込んで、冷めるのを待って、型を外す。ニラの木の樹液を流すぐらい、右手一本で何の問題もない。
ジンたちがパーネルから帰ってきて、数日すると鉄砲と弾薬の量産体制がシュッヒ伯爵とインゴによって半ば強引に整え始められた。パーネルから来た鍛冶屋や細工師たちはヤダフとモレノを中心に次々と銃身や部品を作っていく。素人でもできる組み立て作業は守秘義務を十分に理解しているファルハナからの移民たちにあてがう仕事としては最適だった。
火薬の製造だけは領主館に併設された工場で行われた。火焔石を削る際に使う触媒液の製造方法は公王にすら明かされていなかった。これだけは、ジンたちの新しい家でニケが調合して工場に持っていく形が取られた。
年の瀬に迫ると雪の日が増えた。イスタニア湾から流れ込む湿った空気が冷やされて、ここオーサークにも雪が降るらしい。内陸部に比べればましだが、さすがに北部の辺境公国群だ。ジンたちが朝起きてまずやることは雪かきだった。
ニケとリア、それにマルティナはおよそ同年代に見えた。ニケだけは五年ほど若いのだけど、獣人の成長の速さで、この三人は丁度同じ年齢に見えた。彼女たちは今のファルハナの状況や、帝国が春になればこのスカリオンに攻めてくるかもしれない状況など忘れて、大いに親交を深めた。
三人の少女と幼いトマ、そして一匹の狼がこの家ではまるで兄弟であるかのようにいつも一緒にいた。
いつも一人でいたニケにこんなに親しい友人たちが出来たことを、ジンは自分のことのように喜んでいた。
◇
ラスター帝国軍の主力は騎馬隊だ。しかし、必ず強力な魔導士が帯同する。しかも質の悪いことに騎馬魔導士という恐ろしい連中もいるらしい。高速に魔法の間合いに入ってきて、広範囲魔法を使ったりするらしい。こういった情報の出どころはマルティナだ。マルティナはもちろんそんな連中と戦ったことなどないが、アンダロスの王宮で魔法の指導を受けていた時に聞いたらしい。そんなわけで、マルティナも子供のくせに乗馬が出来たりする。騎馬の修練が魔導士の養成に含まれていたとのことだ。
それを聞いて、ジンが思いついたことは、騎馬射撃兵だ。ただ、馬に乗りながらの次弾の装填はかなり難しいと言わざるを得ない。せめて、長州の一部の兵が使っていた元込め銃が実用化できれば、騎馬射撃兵も不可能ではなくなるのだが、ジンは元込め銃のメカニズムを自分の目で見たことはなかった。
ニケが調薬室に閉じこもって、火焔石を削るのに必要な触媒液を作っている間、マルティナとリアは電撃魔法と弓の練習を家の庭でやっていた。
リアはグプタ村を離れてから、狩りをする機会を失って、弓矢を使うことがなくなっていたので、このままでは腕が落ちると思い、自ら率先してそれを始めた。
的を庭に自分で立てて、矢を射る。そこへ、暇を持て余したマルティナが来た。
「リアだけずるい。私もやる」
と、魔法の練習をし始めた。そこもジンが現れた。かと言って、何かするわけでもなく、二人の様子をほのぼのと眺めていた。
「というわけだからさ、ジンも魔導士対剣士の実戦形式の模擬戦、やろうよ」
ジンも相当体がなまっている感覚があったので、この申し出はありがたかった。
「そもそもの質問をするぞ、マルティナ。魔法と言うのは剣で躱せるのか?」
「剣で跳ね返すんだよ。ジン、魔導士と戦ったことなかった?」
「ないな」
「だったら、私が最初の敵になってあげる……よ!」
マルティナは言いながら、無詠唱で放てる低レベルの電撃魔法をジンに放った。
ジンはその直撃を体に受けて、文字通り、痺れた。
「マルティナ! 卑怯なり!」
電撃魔法は次々とジンを襲う。〈会津兼定〉でそれを薙ぎ払うが、電撃は刀を通じて自分に伝わってくる。地味に痛い。
「マルティナ、全然跳ね返せないじゃないか!」
「ん? おかしいなぁ」
「いったん、中止にしてもらっていいか?」
「うん。でも最後に一つ!」
この少女には嗜虐趣味が若干あるようだ。
「うわ!」
最後にマイルドな一撃にしびれたジンが叫んでから、マルティナに抗議した。
「いや、ほんとに、やめろよな」
「多分、その剣、対魔力防御が全くできない剣だよ」
「そうなのか……」
そう言えば、ヤダフがそんなことを言っていたことがあった。考えてみれば当たり前のことではあった。日本には魔法なんてものはなかったのだ。
「まあ、思い当たる節はある。ヤダフに相談してみるよ」
◇
ツツは大はしゃぎでこの広い屋敷の庭を同じコースをたどり、ぐるぐるぐるぐると走り回る。目で追うリアも目が回りそうだ。トマなど、目で追えてすらいない。
ツツはこのオーサークに来てから、機嫌がいい。それはそうだ。いつも周りに誰かがいる。まず、ツツが可愛がっているトマがいる。マスターであるジンもここのところ、一緒にいる率が高い。しかも、広い庭付きで、走り回れる。これで時々でもいいから狩りに行ければ言うことはないのだが、オーサークの周りには小さい森が少しある程度だ。狩りに自分一匹なら行けるのだが、この雪深い中、人間たちは誰も付き合ってくれない。狼は社会性の生物なのだ。一人で何かやるのもいいけど、みんなでやる方が楽しいに決まっているのだ。
ジンたち一行が、ファルハナを出て、北上する間、ツツはそれなりに自由に一人で勝手に森に入って狩りをしたりしていた。ツツは狩りだけではなく、自分にふさわしいオスも探していた。どこかに自分より大きい立派な、ツツが一目ぼれできるような狼がいるはずなのだ。しかし、そんな狼の影すら見られなかった。
つがい探しはひとまず放っておくことにした。クオン夫妻はツツの面倒をちゃんと見てくれるし、家族であるニケとジンもいる。それにマルティナ、トマ、リアも自分にとって新しい姉弟の様だ。ツツはこの生活がずっと続けばいいなと思っていた。
◇
鉄砲の量産は軌道に乗り出していた。ファルハナで製造し始めたときとは何もかも違っていた。シュッヒ伯爵が、公王の全権代官であるインゴの命を受けて、全ての手配をスムーズにさせていた。
ヤダフはただひたすら銃身を作っていた。ファルハナから連れてきた弟子の作る砲身もなかなかの精度になってきていた。パーネルから来た鍛冶屋たちは実力は申し分ないのだが、銃身と言う一切の歪みが許されない部品を作るのにはまだまだ鉄砲鍛冶としては経験不足だった。
細工師モレノもファルハナから持ってきた型で部品をどんどん作って行く。ただ、モレノにはすでに型があったので、モレノにしかできないような仕事はあまりなかった、そんな中、彼は先日のジンとの会話から、ある設計を考えていた。
「モレノ、元込めの鉄砲は作れぬか?」
「元込めとはなんだ?」
「今の鉄砲は〈先込め式〉と言う。筒の先から薬莢を押し込むだろう。先から込めるので先込めだ」
「では、元込めとはなんだ?」
「つまり、鉄砲のこの辺りに薬莢を装填する仕掛けがある鉄砲だ。これがあれば、銃騎兵隊が編成できる。機動力を持ちつつ、遠距離攻撃が出来る」
「うーん。戦の形は俺には想像もできないが、元込めだと何がいいのだ?」
「モレノ、先込めの鉄砲を騎兵が使うとしたらどうなる?」
「……ああ、なるほどな。それだったら、俺でもわかるぞ。一度馬を止めて、ロッドで薬莢を装填しなければならないわけだな」
「その通りだ。そうなれば、一発撃つだけの銃騎兵になってしまう」
「なるほど、手元で薬莢を装填できればいいのだな?」
「ああ、俺はその存在を知っている。つまり、出来る、ということだ。ただ、それがどういう仕組みだとかは手近には見たことがないのでわからないんだ」
「まあ、暇だし考えてみるさ」
モレノはそう軽く返答しながら、絶対に作ってやると心に誓っていた。
◇
「ヤダフ!」
新しいヤダフの工房に訪れたジンは、工房の扉を開くなり、工房長の名前を大声で呼ばわった。
「おお、ジン! なんだか久しぶりだな」
筋肉達磨が工房の奥から入り口に向かって出てきつつ、そう応えた。
「実は相談があってな」
ジンが気にしていたのは、この〈会津兼定〉のことだった。
「どうした?」
「マルティナと模擬戦をやってな。魔法にはまるで太刀打ちできなかった」
「やっぱりな。俺の専門外だがな。以前言ったこともあると思うが、この剣は魔法には、からっきしだめだと思うぞ」
「ああ、お前がそれを言っていたのを思い出した」
「だったら、ちょうどよかった。パーネルから来た細工師の一人が、細工師って呼ぶのもどうかと思う、ってほどの魔道具師だった。奴は今俺から銃身づくりを必死になって学んでいるが、魔道具師の視点が面白くてな、俺も学ぶことが多い。奴に頼んでみるよ」
「ヤダフ、お前はやっぱり話の早い奴だ。カネサダを預けていく」
ジンはこのドワーフがマイルズの次に気が合った。まず、遠慮がいらない。かと言って、尊敬の念が持てないから遠慮がいらないのではなく、まるで真逆だ。尊敬が出来るから、気兼ねがない。
「おい、ジン、それだとお前は丸腰になる。ちょっと面白い剣が手に入ったからこれを貸してやる」
「剣、か、おれは剣の使い方は下手だぞ」
「いや、これは片刃だ。お前の、その、カネサダ、とか言ったか、それに近い感じだ」
そう言って渡された剣は確かに片刃だったが、刀のように反りがない。まるで、マグロ解体用の包丁のような代物だったが、ちゃんと鞘があって、刃渡りは〈会津兼定〉より少し長いくらいだ。
「いいのか?」
「ああ、それはいわゆる魔剣ってやつだ。お前の魔力を吸い取りながら、魔法を弾くことが出来る」
◇
年が明けた。ジンもニケも、寒くはあるがこんなに心安らぐ一カ月を森を出てからと言うもの過ごしたことがなかった。
クオン一家はまるで修羅のようなグプタ村での生活から逃れ出た。それに比べればオーサークでの生活はまるで夢のようだ。魔物や野盗の襲撃に怯えることなく、仕事があって、毎日の食べ物に困ることもない。トマも持ち前の明るさを取り戻して、今日もツツの背中に乗って、家じゅうを歩き回っている。
リアだって、ニケとマルティナという同世代の新しい友達が出来て、その上、弓矢の腕だって上がってきた。彼女はグプタ村にいたころ、死をいつも身近に見てきた。何かがある度に、いや、何もなくても誰かが飢えで死ぬ。
でも、ここでは暖かい家に守られて、飢えることなく皆で支えあって生きて行けている。それが幸せ過ぎて、彼女は逆に不安になるほどだった。
マルティナにとっては初めての家庭と呼べるものがここに出来た。いつのことだったか思い出せなくなっていたが、親に売られた話をしたときのジンやニケの表情を思い出していた。たった一カ月と少しの生活だったが、この生活こそ、自分から奪われたものだと知って、夜、寝床で一人泣いた。
皆にとって、これこそ人の生活、と言うものを冬の間、取り戻せた気がした。仕事をして、帰ってきて、暖かい家で飯を食う。くだらない話を言い合って、笑う。
こんな生活がずっと続けばいい、と皆が思っていた。