92. パーネル城の宴
「もう一つのお願いは、このカルデナスという男と、チャゴと言う獣人の男の子のことでございます」
公王フィルポット一世は一団を見渡して、すぐに獣人と呼ばれた子供を視界にとらえた。
「うむ……続けよ」
「彼らはアスカの地からダロスの港に貿易船でやってきたところで、件の津波を受けたのです。そして、縁あって、我々と行動を共にすることになりましたが、元々船乗りです。オーサークに行っても役には立ちません。ここ、パーネルなら彼らは、あの津波の中、船を操って、生き残った船乗りなのですから、きっと役に立つはずです。陛下のお足元のこのパーネルに住まわせていただきたいのです」
「ほう、そういうことか。なら余からも条件がある」
「……はい、なんなりと」
「その方たち、前に出よ」
公王フィルポット一世はチャゴを一段の中から見つけると、そう言った。カルデナスを見なかったのは、この一団の中で誰がカルデナスか分からなかったからだ。チャゴは獣人だからすぐにわかったというわけだ。
カルデナスとチャゴが前に進んだ。
「その方たちは、今現在、このパーネルにおいて、いや、スカリオンにおいて客人である。だから客人としての礼を余も受け取った。で、その方たちはそのままでよいのか」
カルデナスもチャゴもいったい何のことか分からなかったが、ジンはすぐにわかった。つまり、ここに今回の鉄砲のプロジェクトに関係なく、このスカリオン公国の臣民になろうというのだ。本人たちにその気はなくとも、スカリオン公国人になろうというのであれば、彼らがここまで行っていた礼の在り方は間違っている。
ジンはそれをどう伝えようかと思っていたところだったが、突然、カルデナスが片膝をついた。
「公王陛下、大変な失礼を。申し訳ございません。俺は……私は、一介の船乗りでこういったことに通じておりません。ですが、陛下、港を失った私はもう船乗りではありません。このパーネルが私を船乗りにしてくれるのなら、ここは私の故郷になるでしょう。陛下、鬱陶しいとは思いますが、私の忠誠を」
「うむ。で、そこの獣人、お前はどうなのか?」
チャゴは考えた。アスカが彼の故郷だ。この忠誠と言うのは、「仮に」出来ることなのか? であれば、チャゴは片膝をついて、すぐにでもこの果断な公王に忠誠を誓うだろう。だけども、いずれアスカに帰りたい、とも思うのだ。
その逡巡の時、それは起こった。マイルズ、職人たちが跪いたのだ。
「陛下、私はファルハナの工房を後にしたときに、すでにアンダロスを捨ててきました」
と、ヤダフ。
「陛下、私もです。ダロスの王は民の王ではありません。この大難のとき、自分達のみ生き残ることに拘泥し、なんら民を顧みることがなかった。すでに私は見限っております」
と、モレノ。
ジンもニケもまだそこまでは割り切れていなかった。そもそも、彼らはアンダロス王国に対してすら忠誠心など持ち合わせていなかった。
ジンの心の中で引き裂かれていたのは、アンダロス王国とスカリオン公国という国家間の間で揺れる忠誠心などではなかった。
それは、忠誠を誓ってしまえば、何かがあった時にラオ男爵の元に馳せ参じることが出来なくなる、と言うことと、この異世界において、忠誠を誓う国としてはスカリオン公国はふさわしい、という気持ちもあった。それらの間での葛藤がジンにはあった。
容保公に対する忠誠を盾に誰にも仕えないなどという気持ちはすでになくなっていた。この世界での自分の在り方が日本における在り方に影響するとは思えなくなっていたのだ。
ニケは、と言えば、彼女は忠誠心などよくわからなかった。ここで跪いてうまく行くのであればお安い御用だ、とばかりに周りの様子を窺っていたが、ジンが跪かないことで、ニケも躊躇していた。
「ふむ。ジン、とか言ったか。お前は跪かないのだな」
「陛下。拙者はアンダロスなど、なんとも思っておりませぬが……ラオ男爵が危急の時は彼女を助けたいと思っています。陛下には忠誠は誓えませぬ」
「おお、言い切りおったな。なんとも気分が悪い。だが、そうか、それ以外に存念はあるか?」
「ございません。陛下が民のためになされることには拙者は全身全霊をもってお仕えできます」
「民のため、とな」
「はい。ノオルズ公爵から逃れて、拙者どもはここに参りました。そのことひとつとっても陛下にはお分かりになるかと思います」
「……いや、もうよい。少し、追い詰めてみた。皆も立て。ただ、ここに遊びに来たのではないことはよくわかった。努めて鉄砲を公国の守りに役立てよ」
「陛下、自儘な拙者をお許しください」
「ジンよ、余はもう良いと言った。蒸し返すでない」
「はっ」
公王にとって、信頼さえできれば、支配しようとは思っていなかった。ただ、鉄砲と関係なく、このパーネルに住もうという二人の平民を「どうぞどうぞ」と客人扱いで歓迎する気はなかった。そこのけじめさえ、しっかり示せたのであれば、ラオ男爵から持ち掛けられた、この鉄砲計画が進めばそれで問題なかったのだ。
◇
パーネル城での一夜は謁見に来た一団にとって、本当に素晴らしいものだった。
公王は何と全員を晩さん会に招いたのだ。ただ、公王の晩さん会に招かれて喜ぶものなどいるだろうか? 皆の最初の反応はそれだった。それは当然だろう。何か失礼なことをしでかせば、悪くすると首が飛ぶかもしれないし、そうでなくとも、オーサークをノオルズ公爵や帝国から人々を守る拠点にするという計画はつぶれてしまうかもしれない。皆でどこか適当な食堂でもって、安いエールと普通の夕食を頂いた方がいいに決まっている。
しかし、パーネル城に半ば強制的に留め置かれた皆は公国の歓待に感動した。
まず、ジンだ。料理は魚料理がメインだった。料理人が素材を晩さん会が始まった時に持ってきて、どう料理してほしいか聞いて来る。
ジンは思わず「それを塩焼きにしてくれぬか」と何の遠慮もなく頼んだほどだった。港街に長くいるカルデナスやチャゴも魚料理に目がなかった。ソテーにしてもらったり、蒸してもらったり、といろんなリクエストが出たが、料理人はそれをそつなくこなした。
ジンは会津と言う内陸部の育ちで、魚は干物がメインで、こんなに新鮮な魚を焼いて食べたのは江戸に行った時が初めてだったので、それを思い出した。
ニケは森の中で魚など食べる機会がなく、もちろん内陸部のファルハナでもそんな機会はなかったが、アスカでは結構食べたので、それを思い出していた。
内陸部にしか住んだことがなかった職人たちヤダフとモレノは鹿肉を所望したがそれも叶えられた。
そんなリクエストが終わったころに公王が晩さん会の部屋に現れた。
「いや、立たなくていい。余も正式の謁見は終わったのでな。皆と忌憚なく話したいのだ」
ジンたち皆が立とうとするところで、それを制した公王は自分の席に着いた。
「うむ。今晩はな、礼儀などすっとばして、余にいろいろと教えてほしいのだ。アンダロスのこと、津波のこと、そして鉄砲のこと。家臣に話してくれてもよいが、それでは本当のところが余には分からなくなるからな」
ジンとマイルズは目を合わせて驚きを共有した。公王はまるでラオ男爵ではないか。
ラオ男爵は貴族ではあるが、あくまで低位の貴族だ。平民と同じ席に着いたり、議論を交わしたりするのは驚きではあるが、これほどのことではない。相手は公王なのだ。
すると、シャヒードが口を開いた。
「陛下、私も平民上がりの騎士ですので、さほど礼儀には通じておりませぬが、ここには職人、船乗り、はては元冒険者に異国の騎士もいます。大丈夫でしょうか?」
「シャヒード殿。余に二言はない。余が気にするな、と言えば、それはその通りの言葉なのだ」
「わかりました。ありがとうございます。……というわけだから、みんな、気にするな。陛下はみんなの忌憚ない話が聞きたいのだ」
「ま、そうは言ってもな、余の立場を考えれば、話せと言われても、まかり間違えば尋問するようなもんだろう。ちゃんと用意してあるぞ。皆が楽しめるものを」
公王がそう言うや否や、隣に座っていたコルテが、突然、手を打って合図をした。すると、皆が入ってきた入り口とは別の扉が開いた。