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9. 人間世界

 森が切れた。


 木々はまばらになり、遠くが見渡せるようになって来ていた。

 初夏の新緑。一望する限り草原が広がり、ところどころに木立、それに人工物らしき痕跡が見える。

 朽ち果てた小屋があり、その近くには家畜の柵が見えるが、すでにその機能をはたしていないのか、家畜の姿は見えない。


 二人は人が通らなくなり、石畳に草が茂る街道を見つけた。

 ここに沿って歩けば、きっと人がいるところに行けるはずだ。

 人がもう通らなくなって、何年も経ったと思われる街道を歩いていると、ジンは、ふと会津若松の街を思い出してしまった。

 鳥羽伏見での戦いは終始押されっぱなしだった。会津や徳川が負ければ、会津若松の城下町はどうなってしまうのだろうか。


「ジン!ジン!……ジンってば!」


 ニケの呼ぶ声にハッとして、ジンはニケの方を向いた。


「もう、さっきから呼んでるのに」


「すまん。考え事をしていた。どうした?」


 ニケは北東の方を指さした。


「向こうに小さな村が見えだしたよ」


 森が切れた場所は少し小高い丘になっていて、遠くが見渡せた。


 丘になっているこの辺りの元牧畜地区は魔物にでも襲われたのか、一帯は無人になっていて、一里(およそ四キロメートル)ほど先の北東方向に見える集落らしき建物群が人の気配が感じられる一番近い場所だった。


「ああ、見えるな。でも、この辺りにいた人たちはどうなったんだろうな?」


「さあ、森が切れる直前まで結構魔物が多かった気がするの。もしかしたら、魔物のせいで土地を離れたのかもね」


 ニケがそう答えたのには訳があった。

 ほんの半日前まで一行は森の中にいたわけだが、ゴブリンの大きめの集団の襲撃を受け、撃退したところだったのだ。

 そう、今はゴブリンと呼んでいるそれは、あの日、ジンがこの世界に来たばかりの時、ツツと撃退した小鬼のことだ。


「たしかにあんなのが近くで跋扈していたら、なかなか生活もままならなかったろう」


 そんな話をしながら、集落に向って歩く一行。

 ずいぶん集落が近づいてきた。


「もうちょっとだね。あと一ノルもない」


 ジンに並んで歩くニケが横目にジンを見てそう言った。


「なんだ、そのノルってのは」


 ニケは驚いた。これだけ一緒に過ごしてきたというのに、そういえば距離の話はしたことがなかった。


「……え?二年間、距離の会話はしなかったっけ?」


 実際、森の中での生活では、距離よりも徒歩で行ける時間で話していたような気がする。

 あの沢には一ティックで行ける、半ティックも経てば食事時だよ、などなど、こういう会話はあったが、なかなか距離を示す言葉はそういえば使うことがなかった。

【一日二十四ティック、一ティックは地球の時間にするとちょうど一時間、ジンの感覚だとおよそ半刻、半ティックはジンの感覚で四半刻】


 頭の中でいろんな説明が駆け巡るニケだったが、ここはシンプルに説明することにした。


「ノルはね、距離の単位だよ」


 先に見える集落を指さして、ジンが重ねて問うた。


「そうか。あの集落は一ノル先なのか?」


「うん。だいたいそんな感じだね。あとね、一ノルは千ミノルだよ」


(なるほど。一ノルはおおよそ四半里ほどか。そして一ミノルは三尺とちょっとか。)

【三尺はおよそ九〇センチ。一ノルはおよそ一メートル】


 ジンは頭の中で一生懸命に計算していた。

 計算しているうちに一行は集落がずいぶん近くになってきて、集落で何かが起きているのが徐々に見えるようになってきた。


「やめろー!」

「あーーーーー!」


 遠くからではあるが、はっきりと男の声、女の声、家畜たちが恐慌を起こして嘶く声などが聞こえてくる。


(襲われている!)


 幕末ではあったがまだ平和な会津にあって、ジンはこのような光景は見たことがなかった。

 近づくにしたがって様子がより詳しく見えてきた。集落では馬を操る武装集団らしき連中が明らかに村人を襲っていた。

 いや、今や会津も新政府軍に襲われているかもしれない。そんな不安が一瞬頭をよぎってしまった。


「ニケ、行くぞ」


 ニケを横目で見て、ジンが低い声で言った。

 ニケの視線は先で起こっている惨劇を凝視したまま、頷いた。


 ジンは足の速いツツを先行させることも考えたが、こんな大きな犬が急に現れたら、むしろ集落の人々を恐慌に陥れる可能性もある。


 そう考え、ツツに自分の後ろについてくるように指示すると、狩りをいつも共にしたツツはジンの言うことは全部理解していると言わんばかりに指示通りにジンの後に着いた。


 ニケとジンが集落に向かい駆けだす。もう距離は半ノルしかない。


 息を切らせながら二人は精いっぱい走ったが、ツツにとってはもどかしいほどの遅さだ。

 それでも、いまやジン、ニケ、それにツツの一行は集落のほど近くまでたどり着いていた。


 馬上の男が長槍で短剣を両手で構える男の胸を貫いた。その光景ははっきりジンやニケにも見えた。


 走りながら、精いっぱいの大声でジンは叫んだ。

「やめろー!」


 八騎いる武装集団のうち、三騎が手綱を引いて、ジンが向かって来る方向に馬を巡らせた。


 ようやく集落にたどり着いたジンが大声で叫ぶ。

「その方たち、いったい何をしている?ブシが民を虐げて何とする!?」


 三騎のうち、一騎がジンを見て、目を見張った。あたかも道化を見るような目で。

「あ、あはははは、ははは!なんだーお前は?」


 もう一騎も続く。

「っていうか、お前、どっから来た?なんだ、その服は?」


 さらにもう一騎。

「コモンもまともにしゃべれねぇのか?」


 すると、集落の一棟から見た目三十代前半ほどの男がまろび出てきて、叫んだ。

「こいつらは野盗だ!助けてく……」


 言いかけて、助けを乞う相手がたった二人、いや、この男からすれば一人と幼い獣人だけだったことに絶句してしまった。


 野盗のうちの一人が家から勇気を出して飛び出してきた若い男をからかう様に煽った。


「わはは。いやー、楽しませてくれるねー。ほら、お前、続きをちゃんといわなきゃ、この勇ましいあんちゃんに伝わらねえぜ!?」


「おぬし等は野盗、ということで間違いないか。」


 ジンは自分の話す言葉をからかわれたのは分かったうえで、通じていることには確信ができた。だから、お前は敵なのか?と真っ向から訊ねたのだ。


「はは! 野盗が、自分たちのことを野盗って言うかよ! けどな、俺らは野盗で間違いねぇよ!」


「ならばよし」


 そう一言だけジンは呟き、腰の〈会津兼定〉を抜く。


 野盗の一人が刀を正眼に構えるジンに馬の方向を巡らせる。


「お! やる気か! いいねぇ!」


「萱野甚兵衛時敬、参る」

 低く、日本語で、ジンは呟いた。


「わかんねぇこと言ってんじゃねぇよ!」

 騎馬はまっすぐジンに向かってきた。


 長槍をジンに向け、突進してくる騎馬。ジンはその長槍の穂先に刀の軽い一撃を加え、穂先の方向をほんの少し左にそらせた後、そのまま長槍の柄に刀の刃を這わせて滑らせていく。


 キン! シューーー……

 金属音の後、刀の刃と槍の柄が起こす擦過音。


 ジンの刀の切っ先はそのまま槍の柄を滑っていき、それを握る野盗の手首と指を無残に切り落とした。

 馬は無傷のまま、ジンの横を走り抜けたあと、恐慌を起こして後肢で立ち上がり、乗っていた野盗を振り落としてしまった。


「痛てぇー痛てぇーよー!」


 地面に振り落とされて、親指を除く四本の指を失った右手で、手首ごと持っていかれた左手首の切断面を覆うようにしながら、情けなく叫ぶ野盗。そしてそのまま悶絶して気絶してしまった。


「ツツ!ニケを頼む!こいつら雑魚だ。俺が全員引き受ける!」


 ツツはニケを守るようにしてニケの前に立つ。


「ジン!怪我をしたら、これ使って!」

 ニケは小瓶をジンに投げた。左手でそれを受けるジン。取り囲もうとする五騎の野盗たちに対する警戒は怠らないまま、チラッと受け取った小瓶に目線を遣った。


「ニケ、なんだこれは?」


「ポーション! 止血に使える!」


「おお、ありがたい。だが、こいつらに俺をどうにかできるとは思えんがな。」


 ジンは完全に戦闘モードに入っている。


「てめぇ、本気で俺らとやるってのか!?」

「サイをやりやがったな。ぶっ殺してやる!」

「同時にやるぞ!」


 騎馬の野盗たちは口々に叫びながら、ジンの周りを囲み始めた。


「おお! 来いよ!」


 ジンはあの日、槍衾に囲まれた時を思い出していた。

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