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86. グプタ村の危機

 移民団は、ファルハナを出発して、少しだけ、およそ二十ノルほど南に進み、チョプラ川の支流、ファルハナ川を渡る道を西に進んだ。ファルハナは北のどん詰まりの場所にある。北東は鉱山であるキノ山、北西はファルハナ川に遮られていて、北に行くのにも一度南に下ってから、西にファルハナ川を渡らなければならない。


 ジンたちにとって二十ノルだけでも南に下るのは非常に恐ろしかった。少しでもノオルズ公爵軍の移動が早ければ、顔を突き合わす危険すらあったのだ。


 朝方出発した移民団はほぼ半日かけて、急いで南下し、夜になってからファルハナ川を西に掛かる橋を渡った。


 実際にはノオルズ公爵軍がこの辺りを通過したのは、その六ティック後の朝四つ、まだ日も昇らない時間帯だったので、ニアミスとも呼べないほどの時間差があった。


 移民団はファルハナ川を超えると、遅い野営にした。


 まだ出発一日目と言うこともあって、皆の疲れはさほどでもない。むしろ、皆、興奮してしまっていて、ずっと馬車に閉じ込められていた子供たちは焚火の周りを走り回り、女性たちは違う馬車に乗っていて、道中、話ができなかった人たちとの社交に余念がなかった。


 そんな、にぎやかな野営で、ジンはシャヒードに近づいて行った。


「シャヒード、ちょっといいか?」


「なんだ、ジン?」


「ここから少し行くとグプタ村と言う俺が世話になった村がある。そこに騎馬で先行して向かいたい。今、荷駄隊が進む道は俺がグプタ村からファルハナに来た時に通った道だ。森にも離れていて魔物も出ないし、あまり商隊も通らないことから野盗もいない。俺はこの安全な間に道を外れてグプタ村を見たいと思っている」


「ジン、お前のことだから、ただ挨拶に行きたい、というわけではないのだろう?」


「ああ。知っていると思うが、森に近い街道でオーガの群れと遭遇した。撃退したが、〈魔の森のほとりの森〉から魔物があふれているとすれば、森に近いグプタ村が心配だ」


「お前ひとりで、と言うわけではあるまい」


「それなんだが、マルティナとマイルズ、それにエディスを借りたい」


「わかった。いいだろう。だが、バルタザールも連れて行け。奴にも鉄砲を扱わせたい。エディスから教えてもらえれば、今後大きな戦力になる」


「ありがとう、シャヒード。そして、その、ニケを」


「言わんでも分かっている。ニケは心配ない。魔物が相手ならツツも連れて行け」


 荷駄隊にはシャヒード、ファニングス、ファウラー、弓姉妹、セプルベダが残る。戦力としては十分だ。


 シャヒードはそのグプタ村とやらに何の同情心もなかったが、森の状況は気にかかっていた。その調査になるだろう。



 ◇



 野営の翌朝、ジン、マイルズ、マルティナ、エディス、バルタザール、それにツツがグプタ村に向けて出発した。ニケもグプタ村に行きたがったが、馬に乗れない彼女にその選択肢はない。


「ニケ、留守の間、シャヒードの言うことを聞いて、安全に過ごすのだぞ」


 ジンは言わなくてもいい注意をニケに与えると、行けない悔しさからか、ニケは珍しく「わかってるって」と少し強く言ってしまって、彼らが出発してから後悔した。


 五泊野営を繰り返す間、五人はずいぶんと親しくなった。マルティナは例の生意気さを発揮していたが、誰もそれを気にすることなく、むしろマルティナは四人に可愛がられていた。


 エディスはなぜかマルティナと気が合った。エディスがマルティナを見る目は、まるで妹を見るそれだ。


「ねえマルティナ、マルティナは何で移民団についてくることにしたの?」


「なに? 付いてきたらダメだった?」


「まさか。ファルハナに残れば、また王宮魔導士として取り立ててもらえたかもよ」


「あんなの王宮なんかじゃないし。魔法を教えてくれる人もいない中で、単に戦争の道具として使われるなら、こっちに着いてくる方が楽しそうじゃん」


「そっか。でも、マルティナ、こっちについてきてもあんたの魔法はアテにされてるよ。その証拠に今回だって」


「……向こうにはツツはいないじゃん」


 マルティナは、短い間だったが迎賓館で寝泊まりする間、ニケやジンに隠れて、いつもツツとじゃれあっていた。別にニケもジンもそれを知っていたし、歓迎していたのだが、なぜかマルティナはそれを恥ずかしがっていた。 


「あ! そうか、マルティナの目当てはツツか! あは」


「笑わなくたっていいじゃんか」


「ごめんごめん、マルティナはなんか可愛いなぁ」


 ツツは、マルティナが自分の話をしているのに目ざとく気が付くと、マルティナの隣にお尻を向けて座った。


「もう!」


 マルティナはそんなツツの背中に顔をうずめた。



 ◇



 こうして、五日目の野営を終えると、五人と一匹の目にはグプタ村が見えてきた。


 ジンやニケが村のみんなと一緒に作った馬防柵が見え始めた。ここを経ったのがほんの二ケ月前とは信じられなかった。多くのことがありすぎて、ジンにはグプタ村が懐かしいとさえ思えた。


 グプタ村にたどり着くと、だれも家々の外にいなかった。ところどころ、馬防柵が壊されていて、ジンはすぐに異変を感じた。


「誰かおらぬか?」


 ジンが大声で呼ばわると、クオンの家から、クオンの娘、リアが飛び出してきた。


「ジン!」


「リア!」


「ジン、お父さんが大変なの!」


 ジン一行はクオンの家に入ると、皆は腐臭に顔をゆがめた。

 意識もなく、床に横たわるクオンだったが、彼の左腕上腕部は紫に変色し、蛆が沸いていた。クオンの妻、シアがその蛆を一匹一匹つまんで、取り去っている。


「シア、いったい?」


「オーガよ。二週間ほど前、突然、森から湧いて、村を襲ったの。クオンは噛まれてしまって……」


「なんとか撃退したのか?」


「ええ、でもサミーと村長が亡くなったわ。クオンもこの通り……」


「シア、かわいそうな話をするが、その腕はもうだめだ。腐敗している。このまま放っておけば、腐敗の毒が体中に回って、クオンは死んでしまう」


「でも、いったいどうすれば……」


「シア、落ち着いて聞け。俺がその腕を切ってやろう。それでも助かる保証はないが、望みはおおいにある。どうする?」


 シアとジンのやり取りにクオンが目を醒ました。


「……ジンさん、よく戻ってくれました。私はもうだめです。どうか村のみんなを連れて行ってもらえませんか?」


 ジンはすぐに返答をせず、一緒に来たみんなを見渡した。すると、部屋の隅で手ぬぐいのような布を両手に握りしめて、ポツンと不安そうに立つトマを見つけた。


「トマ、約束通り、ツツを連れて来たぞ」


 トマは青洟を垂らして泣きじゃくりながら、言った。


「ジン、父さんを助けて。もうわがまま言わないから」


「トマ、お前は良い子だ。お前のわがままなど、わがままの内に入らない。お父さんは助かるかどうか正直分からないが、やれることをやろう。いいな、クオン、お前の腕をこの兼定でぶった切る。なに、切り口はニケの特性ポーションですぐに治療するから大丈夫だ」


「ジンさん、頼みます。私はもうだめだ、なんて言ってしまった。トマが、リアが、まだいるというのに……」


「ああ、分かっている。シア、トマを頼む。リア、お前は見ておけ。みんなはクオンを外に運び出してくれ」


 ジンがそう頼むと、皆が動き始めた。



 ◇



 クオンを外に運び出して、彼の左腕をマイルズとバルタザールがジンの斬りやすい位置に二人で支えると、ジンは〈会津兼定〉上段に構えた。


「クオン、少しだけ我慢するのだ」


 リアは自分の心臓が跳ね上がるように脈打つのを感じた。が、それは一瞬のことだった。ジンは「ふん」と気合を入れると兼定を振り下ろし、一瞬で腐ったクオンの左腕上腕部が地面に落ちた。


 ジンはすぐにニケがいつもジンのために用意してくれているポーションを切り口に振りかけると、蒸気を発して、まるで失われた腕を再生するかのように筋繊維や骨繊維が伸びたが、伸びた先での『依り代』を見つけられずに諦めたかのように収縮すると、患部を盛り上げて、出血を止めた。


 ジンは、何かの骨組み、土台が残っていれば腕そのものだって再生しかねないな、とその働きに驚愕した。


「みんな、すまない。クオンを寝床に戻してやってくれ」


 ポーションの働きに対する驚きから我に返って、そうみんなにお願いすると、ジンは井戸から水を汲んで、〈会津兼定〉に着くクオンの血を洗い流してから、脂を自らの服で拭った。


「ジン、相変わらず、その剣はすさまじいな」


 クオンを寝床に運んで、外に戻って来たマイルズが思わずジンに言った。マイルズは少しだが武器オタクの気がある。


「ああ、これはこの世に二つとない業物だ。斬れないものはない、と言いたいほどだが、実際はそうでもないがな」


 ジンが刀の手入れをし終わると、無言で立ち尽くしていたリアが崩れるように倒れた。気絶してしまったようだった。



 ◇



 アシュレイも久しぶりのジンとの再会にも何の声もかけられずにいたが、クオンの処置が終わると、ジンに近づいてきた。


「ジン、戻ってきてくれてうれしいよ」


「ああ、アシュレイ、俺もだ。ベイロンは元気か?」


「元気にしているよ。ただ、この村はもう終わりだよ。ラガバンもサミーも死んじまった。ジンたちは何でこの村に戻ったんだい?」


「アシュレイ、津波の話は聞いているか?」


「津波? いや、よくわからない」


 この最辺境にある寒村には誰も立ち寄らなかったのだろう。しかも街道とも離れているのだ。情報の伝わり様がなかったのだ。


「アンダロス王国沿岸部は巨大な津波に襲われて、王都や他の多くの主要都市は壊滅した。貴族や避難民たちが北部に押しよせてきている。魔物も同じだ。魔の森の沿岸部が広い範囲でやられたことで、生存域を失った魔物たちが〈ドーザ倒し〉で北に北に押しやられている。あふれ出たオーガたちもきっと食料の確保が出来ずに人里を襲うことにしたんだろう」


 亡くなったサミーの子、エノクは、いつの間にかジンやアシュレイのそばまで来ていて、二人の会話を黙って聞いていたが、口を開いた。


「ジンさん、ジンさんが弓矢の稽古をつけてくれたおかげで、皆殺しにはなりませんでした。それでもおやじは死んじゃいました。俺はこの村を出て、ジンさんに着いて行きたい」


 エノクと仲の良いリアも気絶から意識を取り戻していた。彼女もエノクの言葉に便乗した。


「ジン、私も一緒に行きたい!」


 ジンはまだ説明しきれていなかった。


「お前たちの気持ちは分かるが、まずは俺の話をすべて聞いてからにしてくれないか。俺たち自身も避難民なんだ。ノオルズ公爵軍がファルハナを今頃占領している。俺たちはそれから逃れて、スカリオン公国に行くんだ。六〇〇ノルはある。それにこれから真冬になる。それに行った先で受け入れてもらえる保証もない。それでもお前たちは付いて来るというのか?」


 ジンが去ったとき、十人ほどいた老人たち、オーガたちの餌食になって、もう五人

になっていた。村の人口はたったの十二人にまでなっていたのだ。


 しばらく黙っていたアシュレイが口を開いた。


「ジン、この村は本当にお終いなんだ。まず働き手がいない。クオンとシア、それに私しかいないんだ。クオンだって、しばらくは働けないだろうさ。今は危険な中、エノクとリアが森に行って、狩りをして、それで何とか食いつないでいるが、冬になれば私たちはもう飢え死にするしかないんだ」


 ジンはよくぞこのタイミングでグプタ村を訪れることが出来たと天に感謝した。

 しかし、彼らの移動は難しい。五人生き残った老人たちをどう街道まで運ぶかが問題だった。


「いや、それは俺が何とかするよ」


 マイルズが、さもそんなこと何でもないかのように言った。


「まず、今すぐ俺はまた南に引き返して、荷駄隊と合流するだろ? それから、荷馬車を一台、空にする。で、その荷馬車をここまで走らせる。なに、空ならそんなに時間はかからない。ノーラの脚なら……そうだな、荷駄隊もこっちに向かってきているから、二日で合流、二日か三日でグプタ村に帰ってこれるよ」


 ジンも計算した。


「その間、荷駄隊は五日分進んでいるので、ちょうどグプタ村に近い街道の辺りか」


「ああ、だから悪くて二日、良くて一日分しかグプタ村のみんなを乗せる馬車は他のみんなに遅れない。どこかで無理をすれば、すぐに追いつくよ」


「マイルズ、頼めるか?」


「ああ、俺が言い出したことさ。きっちりやるぜ?」


 グプタ村のみんなが歓声を上げたが、ジンはまたしなくてもいい注意をしてしまう。


「ああ、喜ぶのは良いが、それまでになんとかクオンの熱を引かせないとな」


 盛り上がったグプタ村の皆はお互い顔を見合わせて、希望の光に水を差すジンの不必要なまでの生真面目さに閉口するのだった。


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