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85. ノオルズ公爵の〈帰還〉

 ノオルズ公爵は貴族用の揺れの少ない馬車の引き窓をスライドして開けた。


 秋の澄んだ日光が急に差し込んで、眩しくて一瞬目をしかめてから、外の景色を眺めた。


「ファルハナか、遠くに来たもんだ」


 そう独り言ちると柔らかい馬車の座席に深く腰をかけなおした。


 二千人の兵を率いるノオルズ公爵がファルハナの南大門前に到着したのは、移民団が出発した翌日だった。かなりのハイペースで軍を進めていたことになる。


 文官らしき男が南大門に向かうと、まだ何も話していないのに、門は開いた。

 多くの大臣たちが津波で亡くなる前は、ほんの木っ端役人だったキルヒナー男爵は被災地から辺境への長旅の間、糧食の管理を任されるうちに、気が付けば文官の中でも上の方の立場になっていた。


「ふむ。良い心がけだ」


 彼はそう独り言ちつつ、門をくぐると、アメリアとバーレットが敬礼して立っていた。


「「殿下の御帰還をお待ちしておりました」」


 アメリアとバーレットはまるで申し合わせたかのように、同時に歓迎の意を示した。


「このまま、領主館にお入りください」 


「うむ。そうさせてもらおう」


 キルヒナー男爵は一度南大門を出て、本隊の馬車に向かった。


 しばらくして、威容を正した軍勢が整列して街に入ってきた。ノオルズ公爵が乗る馬車は行列の中ほどだ。騎馬兵は下馬することなく、あたかもどこかの戦争から凱旋したかのような趣を街の皆に見せつけている。


 キルヒナー男爵はノオルズ公爵の馬車に同乗した。


「のお、キルヒナーよ、あの城壁を見たか?」


「ええ、殿下、何かあったようですね」


「ここを管理する者にまた聞けばよいか」


「私の方で情報を集めておきますので、殿下はまずごゆるりとされてくださいませ」


「ああ、そうさせてもらおう……あれが、領主館か。何ともみすぼらしいではないか」


「殿下、こう言っては何ですが、ここは辺境です。あの程度でも我慢するしかありませぬ」


 ファルハナの領主館は決して他の街と比べても見劣りするわけではない。しかし、王城の威容を基準とするノオルズ公爵にはなんとも頼りなく見えた。



 ◇



「殿下の御帰還をお待ちしておりました」


 ラオ男爵はナッシュマン、ドゥアルテと共に領主館の門の前に立って出迎えた。

 そう言えば、彼らがやってくるのは一年ぶりだ。一年前も突然やってきて、徴税だなんだと街から根こそぎ奪って行った。その時はもちろんノオルズ公爵自身はいなかったが。


「うむ。その方は?」


「殿下の留守中にファルハナの治安をお守りしておりました、ノーラ・アンドレア・ラオと申します」


 こう名前を伝えることで、相手に自分が貴族であることが伝わる。昔から貴族同士の付き合いで行ってきたことだ。


「ラオ……ラオ、ああ、男爵家であったな。大儀であった」


「有り難きしあわせにございます。つきましては、政務の引継ぎを行いたく思料いたしますが」


「うむ。キルヒナー、良きに計らえ」


 ノオルズ公爵は、彼の斜め後ろに立っていたキルヒナーにそう命じた。


「ラオ男爵、スヴェン・ミーメット・キルヒナー、男爵にございます。お見知りおきを」


 頭を軽く下げながらも、その卑屈そうな目を上目遣いでラオ男爵に向け、ラオ男爵の身体を上から下まで舐めるように見た。


 痩せて頬がこけたこの男の卑屈そうな目だけがぎらぎらと輝き、なぜかこの男の生気を強くしているように見える。


「キルヒナー男爵、今後とも良しなに」


「キルヒナー、そろそろよかろう。余は疲れたぞ。ゆるりとさせよ」


 そんなどうでも良いことに自分の時間を使うな、とばかりにノオルズ公爵はキルヒナーを急かした。


 と言ってもキルヒナーはファルハナの領主館のことを何も知らない。


「はい、殿下。ラオ男爵、して、殿下の寝所となる場所は?」


「ひとまず、迎賓館をお使いになればよろしいかと」


 ツツの毛だらけだった迎賓館を、急遽、冒険者ギルドから人を派遣してもらってきれいにした。こういう急ぎの案件については冒険者ギルドは使い勝手が良い。冒険でもなんでもない、ただの掃除なのだが。


「では、そうさせてもらうぞ」


 そういうと、ノオルズ公爵はラオ男爵をただ見ている。


(ああ、案内しろ、ということか)


 すぐに気が付いたラオ男爵は「こちらです」と迎賓館に案内した。

 ノオルズ公爵は迎賓館に入りつつ、「昼餉の用意を頼む」とラオ男爵に告げた。


「はい。かしこまりました」


 もちろん、ラオ男爵は領主館の料理人たちにすでに頼んであったが、なんともやるせない気持ちになった。


(さっさと引き継いで、代官領に引きこもりたいものだ)



 ◇



 その日は特別何もなく、夕食の指示を料理人たちにした。その際、キルヒナーも伴った。「こうやって指示するんだよ」という引継ぎでもあったのだ。すると、キルヒナーが言い出した。


「ラオ男爵、今夕の食事は男爵もご同席ください。殿下としても男爵に聞きたいことがたくさんあるはずですから」


「はい、キルヒナー男爵、そうさせていただきます」


 ラオ男爵はそう受け答えしつつ、少しドキッとしていた。もしや、鉄砲のことがばれているのではないか、と。



 ◇



 夕食は領主館のバンケットルームで行った。これまで、ラオ男爵が座っていた中央の席には当然ながらノオルズ公爵が座る。ナッシュマンやドゥアルテは呼ばれていない限り、同席するはずもなく、ずらっと並ぶ、ノオルズ公爵の武官や文官でバンケットルームはいっぱいになっていた。


 ノオルズ公爵が口を開いた。


「ラオ男爵、聞かねばならぬことがある。城門の横の城壁に開いた大穴はなんだ?」


「殿下、あれは、このファルハナを襲おうとしたフィンドレイ子爵の軍に氷魔法を使う強力な魔導士がいて、それにやられました」


「フィンドレイ子爵、とな。今は亡きバーケル辺境伯の子飼いの将軍ではなかったか?」


 ラオ男爵はノオルズ公爵が『今は亡き』と言った彼の顔に喜色が一瞬浮かんだのを見逃さなかった。〈政変〉時、ノオルズ公爵にとって政敵の最有力貴族の一人がバーケル辺境伯だったのだ。


「はい、おっしゃる通りでございます。元辺境伯領に跋扈(ばっこ)する野盗どもを手懐けて、好き勝手にふるまっておりましたが、ついにファルハナを襲ってきましたので撃退いたしました」


 そこまで言って、少し『しまった』と思ったラオ男爵だったが、こんなことは調べればすぐにわかることだ。何か隠していると思われる方が良くない。


「その方の手勢でか?」


「はい、臨時の義勇兵をファルハナの民の中から募りました」


 嘘は言っていない。ただ、鉄砲のことを言わないだけだ。


「……臨時の義勇兵、とな」


「フィンドレイ子爵も寡兵(かへい)でしたので、なんとかなりました」


(あ、またやってしまった)言った後に、まるで釈明するように話す自分自身が客観的に見えた。ラオ男爵は、これは何かあると疑われるのではないか、と思うと、ますます、饒舌に話してしまう悪循環に陥っていた。


「寡兵、とは如何ほどであった?」


「二〇〇人ほどでした」


「ほう、二〇〇人と強力な魔導士を義勇兵で撃退したのか?」


「はい。かの者は、たびたびこの街を略奪しておりましたので、士気が非常に高かったのです。しかもこちらは守備側でしたので、なんとかなりました」


 だめだ。どんどんドツボに嵌っていく。しかもこれではまるで尋問ではないか。


「殿下、それはまた私のほうでも情報を集めておきますので」


 キルヒナーは、何かあるとは思っているが、ラオ男爵をあまり追い詰めたくなかった。追い詰めれば、隠すか逃げるかのどちらかになる。


「まあ、よい。ラオ男爵、よくこの街を守った。褒めて遣わす」


「はい。有り難きお言葉、恐れ入ります」


 食事が喉を通らないほど、ラオ男爵は緊張していたが、こわばった表情を何とかほぐし、笑顔でそう応えた。


書き溜めがほぼなくなりました。

今後、一日一回の更新になると思います。

時間的には朝か夕方~夜のタイミングです。

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