84. 出発の朝、別れと再会
朝になった。朝七つに南大門前広場に集合と申し合わせをしていたので、朝六つを過ぎたころから、三々五々、移民団に加わる人々が集まりだした。人によっては一度、馬車に食料や衣服などの物を積み込んでから、また家に戻って取りに行ったりを繰り返したりしていた。
ジンは厩舎からまだ名付けていないジンの馬――すでにもう一頭の馬はノーラと名付けられて、いつの間にかマイルズの愛馬になっていた――を引き出すと、馬の鞍に多くの荷物を載せて、自分も麻袋一杯の荷物を背負って歩き始めた。
ニケはツツと連れ立って、小さな体で荷車を必死に曳いていた。荷車には多くの製薬道具が積み込まれていた。ファルハナに着いたときには、ほんの少ししか持っていなかったのに、たった二カ月の滞在でこんなにも増えてしまっていた。
ニケが荷車を曳いていると、急に曳くのが軽くなった。驚いて後ろを振り返ると、誰かが後ろから荷車を押してくれていた。
「手伝うよ」
声はするが、荷車の前にいて、曳いているニケには、後ろから押してくれている者の姿は見えない。荷車に載る荷物の陰になって、見えないのだ。
「あ、ありがとう」
誰かは分からないが、親切な人だ。ニケはとりあえずお礼を言った。
「良いってことよ、ニケ」
ニケは驚いた。相手の声を聞いてもだれかわからないのに、相手は自分のことが分かっているようだった。
「誰?」
必死に荷車を押しながら、息を荒くしながら、荷台を押してくれている人は答えた。
「ニケ、本当にわからない?」
確かに聞き覚えがある声だ。随分と昔に聞いた声だ。でもここはファルハナだ、アスカの知り合いがいるわけもない。と考えた後、気が付いた。
(そう言えば、シャヒードさんが道中、船乗りの人間と獣人の二人組を保護したって言ってたっけ)
「チャゴ! チャゴなの!?」
「ああ、ニケ、そうだ。俺もびっくりしたよ。シャヒードさんにあてがってもらった宿からちょっと外に出たら、前を小さい獣人の女の子が必死に荷車を曳いているな、って、よく見たらお前がこんなところにいるなんて!」
二人は荷車を進めるのをいったん止めた。二人は幼馴染だった。広大なアスカの中の小さな村出身の二人が、イスタニア最果ての地で再会したのだ。
「チャゴ、村のみんなは元気?」
「ああ、たぶんな。俺も正直あんまりわからないんだ。ニケが巫女になって森の小屋に向かって、それから一年ほどで俺もマハの港に行ったからな」
チャゴはアスカ北部の村を出て、はるか南にある、アスカ南部、マハの港町に行ったのだ。そこで船員見習いをして、今回が初めての航海だった。
ニケはチャゴの話を聞きたがったが、荷車を押さないと、朝七つに間に合わなくなってしまう。
「チャゴ、チャゴもオーサークに行くの?」
「いや、行かない。俺とカルデナスさんが行くのは港町パーネルだ」
一瞬曇ったニケの顔はパッと明るくなった。
「やっぱり一緒に行くんじゃない!」
「途中まではね」
「途中までって……オーサークとパーネルはほとんど最後まで一緒に行くのと一緒だよ!」
「へへ。よろしくな、ニケ」
そんな会話をしていると、カルデナスがどこからか現れて、「よいしょ」と言って、勢いよく荷車を押し始めた。すると、荷車のハンドルが持ち上がり、軽いニケも一緒になって持ち上がった。
「わぁ!」
ニケは驚いたが、ハンドルを持っているだけで、荷車がどんどん進んでいく。
「カルデナスさんすごい!」
チャゴも興奮してカルデナスを応援する。
「任せろ!」
カルデナスはそう言うと、ニケもろとも、荷台を南大門に向けて走らせるのだった。
◇
オーサークや港町パーネルに行く面々は、以下の通りだ。
ジン、ニケ、ツツ、マイルズのいつもの面々。
それに、チャゴとカルデナスの船乗りたち。
シャヒード、ファニングスの騎士二名。ドゥアルテとナッシュマンはラオ男爵と共にファルハナに残る。シャヒードもファニングスも親はいるが、妻や子供はいない。親たちはそもそもファルハナにいない。
魔導士マルティナ、剣士ファウラー、弓使い姉妹スィニードとロッティ、のホルストで津波に遭難したパーティ。
鍛冶屋ヤダフと六人の弟子たちとその家族、総勢二十一人。
細工屋モレノと三人の職人たちに彼らの家族、総勢十二人。
木型師ベントンと妻の二人。
そして、案の定、バルタザール、エディス、セプルベダたちも付いてきた。エディスは親がファルハナに残るらしい。セプルベダは独り身だ。バルタザールは妻とまだ幼い子供二人を連れてきた。
最後に、薬剤師ポーリーンが加わった。彼女は身寄りがなく、身寄りと言えばアラムが親しくしてくれていただけだったので、そのアラムからニケに着いて行くように勧められたとのことだった。
五十三人と狼一頭、馬が三十二頭、荷馬車が十台。これが〈移民団〉の総勢だ。
◇
朝七つの鐘が鳴ると、ラオ男爵が皆の前に立った。
「皆、聞け。苦しく、長い旅になるだろう。だが、どうか一人として欠けることなく、オーサークにたどり着いてほしい。シャヒードを団長とする。皆はシャヒードの指示に従え。ファニングスを予算、糧食の管理責任にする。何かが必要な時はファニングに相談するように。ジン、マイルズ、バルタザール、それに今回この一団に加わってくれた剣士ファウラーたち四人を旅団防衛担当にする。エディス、セプルベダ、お前たちは出来るだけ多くの団員に道中、機会があるごとに、鉄砲の訓練を施してほしい……それから……いや、これくらいか」
これがラオ男爵の最後の命令になるのかもしれない。彼女はまた例のテンションの高いモードに入っていたが、皆、彼女の一言も聞き洩らさないように耳を傾けていた。
「ファルハナを頼んだ。いつの日か、皆が帰還できる日を楽しみにしている。行け!」
残ることになった、アメリアとバーレットが南大門を開門すると、荷馬車を曳く馬たちが軽く嘶いて、歩き始めた。
馬車には乗らず、騎乗の人となった、シャヒード、ジン、マイルズ、バルタザール、それにファウラーたち四人の合計八騎と狼一匹が荷駄隊を守る陣形で進み始めた。
馬上のジンが振り返ると、ラオ男爵、ドゥアルテ、それにナッシュマンは並んで立って見送っている。
「ラオ様、ありがとう!」
ジンは何と言おうか考えたが、口を付いて出たのは、簡単な感謝の言葉だった。本当はもっと言いたいことはあったが、この場にはふさわしくなかった。
ジンの一声が口火となって、皆がラオ男爵に対する感謝を大声にした。
「「「「ありがとう!ラオ様!」」」」
鉄砲製造の技術を秘匿するために強制的にファルハナを退去させられるヤダフ達技術屋も本音のところ、ノオルズ公爵の支配のもとでまともに生きて行けると思っていなかったので、家族や弟子たちと一緒に希望に向かって旅立てることに関して、感謝の気持ちしかなかったのだ。
ラオ男爵は涙を必死にこらえていた。何かを言えば、堪えた涙が堰を切って流れ出すような気がして、両こぶしを硬く握りながら、皆を見送った。
一団が南大門をくぐると、ラオ男爵たちも南大門をくぐって、門の外に出た。
そして、ただ、一団が見えなくなるまで、そこに立っていた。
「お嬢様、そろそろ戻りましょう」
一団が見えなくなると、ナッシュマンが優しくラオ男爵を促した。