8. 妹、チズ
甚兵衛が目を醒ますと、いつもの若松における仮住まいの一部屋だった。
萱野家は鶴ヶ城のすぐ北にあって、城に詰めるには抜群の立地だったが、若くして道場の師範代になった甚兵衛は、米沢街道を随分を北に上がった道場に毎日通っていた。
さすがに嫌気がさして、近くの庄屋に間借りをして、そこから道場に通うことにしたのだ。
こうして一人暮らしをするようになったのは、いつまでも当主である兄夫婦との同居に息が詰まるというのもあった。
ともあれ、目が醒めたのは、まだ十二歳、年の離れた妹チズに起こされたからだった。
チズはわざわざ家の下男を伴って、若松の家からここまでやってきては何かとおせっかいを焼いている。
「あにじゃ、起きねば。そろそろ道場の時限であろう? いつまでたってもあにじゃには世話が焼ける」
「ああ、チズか、お前、ずいぶんと朝早く家を出たのだな。そんな早くに起こされて、三郎もたまったものではなかったろう」
「いえいえ、甚兵衛様、こうやって久しぶりに甚兵衛様の顔を見れるのもいいもんでございますよ」
下男の三郎はそんな風に笑ってくれていた。
「そうか、三郎、いつも悪いな」
「あにじゃがさっさと起きて、このチズがなーんもせんでも道場に行ければ、三郎にもこんな労はかからなかったのだ。さ、あにじゃ、支度を始めねば」
甚兵衛を起こすためだけに片道半刻以上も掛かる道のりを一緒に歩かされた三郎の労を完全に甚兵衛のせいにして、自分は単に甚兵衛の世話を焼いていると言い募る妹は、甚兵衛にとってやはり可愛い。
しかし、変な夢を見たものだ。
「なぁ、チズ、俺は猫又と旅をしておったぞ。その猫又がお前とそっくりでなぁ」
そう言って、からからと甚兵衛は笑った。
チズはいったいこの兄は何の話をしているのか、と首を傾げたが、聞き捨てならない言葉に気が付いた。
「あにじゃ! チズが猫又に似ているとはどういう了見ですか? 阿呆なことを言ってないで、さっさと支度をしなさい!」
甚兵衛は苦笑して、こまっしゃくれたチズの物言いに頷いた。
「そうだな、ニケ、俺もいい加減に起きないとな」
「そうだよ、ジン、いつまで寝ぼけてるんだよ」
上半身を起こすと、森を完全に抜ける前に「ここで最後の野営をしよう」と決め、火を起こして、昨晩、鹿肉を焼いた焚火の跡が目に入った。
なぜか、ジンの目には涙があふれ、ポロポロとそれがあふれ出た。
ニケは心配になってジンの頭を撫でた。
「ジン……どうしたの? 大丈夫?」
「うん。大丈夫だ。なんだか変な夢を見てたよ」
ニケにはジンがどこか遠くにいるような気がした。
「……そう。ジン、どこにもいかないよね?」
「ああ、仮にどこかに行ってもニケとツツとは一緒だ」
「そうだよね。うん。ジン、昨日の鹿肉がまだあるから、それ食べて、行こ!」
「ああ、いよいよ人間世界だもんな」
いよいよ森が切れる。その先は人間世界だ。
二人と一匹はまた歩き始めた。
これで「転移編」はおしまいです。転移編だけ一挙に投稿しました。
明日から、「グプタ村編」を1話ずつ朝方に投稿していく予定です。