79. 徴発行
ノオルズ公爵とその軍勢は津波の翌朝、ダロスを進発した。従えるのは生き残りの近衛兵七十八名。それに、文官八名――政権を担っていた八十名の大臣、長官、役人の生き残りたちである。他、女中や下働きの者たち十五名、全て併せて一〇一人。
女中や下働きの者たちはもっと数がいたのだが、多くが王城の職務を放棄して自分たちの家族の元に逃げて行った。ノオルズ公爵はむしろこれは僥倖だと感じていた。多くの人がいれば、それだけ食料や飲料水が必要になる。戦力にならない女中や下働きの者たちは不要だと考えていたところに、自分の身の回りぐらいはこなしてくれそうな最低限の数、十五人が残ったのは丁度都合が良いくらいだ、と感じていた。
ホルストにたどり着いた一行は、津波で大きな被害を受けた街から、残る食料や飲料水、そして、ポーションなどの物資を徴発した。加えて、生き残っていたホルストの領主とその兵を従えると、ノオルズ公爵の集団は一五〇人を超えた。
続いて、ラウフ、ターパなどの主要な町も通りながら徴発を繰り返し、道中、避難民の中から各地領主の貴族や、その配下の軍人を従えて、アンダロス王国北部の、辺境にほど近いリーチェの少し南の宿場街に着くころには総兵力二〇〇〇人近くに達した。
ノオルズ公爵自身は、ただ馬車に揺られ、特に何もなすところはなかったが、有能な配下であるアジィス近衛団長が多くの非情な仕事をしてくれた。
街全体が浸水したホルストでは救助作業や復旧作業に多くの兵が必死になって働いていたが、アジィスは彼らをそんな作業から引きはがし、自らの軍に加わるように強制した。
ラウフでは被害が比較的軽微だったので、ラウフの領主や兵たちは自分たちの街を離れることに抵抗した。すると、ノオルズ公爵軍は恭順して北に向かうなら赦すが、そうでなければ殲滅すると宣言し、その通りにした。ラウフの人々にとっては津波の被害の後に、自分の国の軍人たちに襲われる、という悲劇が待っていたわけだ。
津波の被害からは逃れえたターパは、物資の徴発を許す代わりに、兵を出すことを拒んだ。ターパは被害がなかっただけに、兵たちもそのまま残っていて、アジィスにとって、ターパの守備兵と戦ってまで、ターパ兵を従えるのは分が悪いと感じて、ターパの申し出通り、物資の〈供出〉を得て、そのままターパを立ち去った。
ノオルズ公爵が体感できた地獄は、津波がシナン丘陵を襲ったあの日以来、ほとんどなかった。ただ、揺れの少ない貴族用の馬車で北に向かうだけだったからだ。あえて言うならあの心地の良いダイニングで食事ができないのが苦痛であった。それでも上げ膳据え膳で、残った十五人の女中や下働きが必死になって整えた野営の食事であったのだが。
「大所帯になって来たな。アジィス、糧食は大丈夫か?」
「殿下、宿場町ごとに補給できますので、そこは大丈夫です。ファルハナに着けば、二〇〇〇人程度は十分食べて行けるはずです」
こうして、〈ノオルズ公爵軍〉となった兵団はイナゴの群れのように行く先々で徴発を繰り返し、後からやってくるはずである民間人の避難民たちの命綱である食料を根こそぎ奪って行った。
チャゴやカルデナスが必死になってでも先行したのは、不幸中の幸いと言えただろう。
ノオルズ公爵軍はリーチェの南、一〇〇ノルにある比較的大きな街、ボロックに到着した。リーチェを超えて、チョプラ川の支流を渡れば、いよいよ辺境だ。ノオルズ公爵にとって、自分の領地である旧バーケル辺境伯領に入ることになる。
◇
ノオルズ公爵軍にほんの少し先んじてボロックに到着していたマイルズは、入って来るノオルズ公爵軍の総勢を確認した。
ボロックの領主は元々ノオルズ公爵派だったため、政変後もここを治めていた。ノオルズ公爵が入街するにあたっては完全にフリーパスだった。
(一五〇〇はいるな。いや、もっとか? どうにも避難民には見えないな。脱ぎ捨てたはずの甲冑を着ているということは途中の街々で徴発したのか)
ノオルズ公爵軍が到着したのは、昼後三つごろだったので、マイルズは夕食時の酒場の様子などから、情報をもう少し深堀りすべきだと感じた。
◇
マイルズはボロックの貴族街にほど近い、大きめの酒場に目を付けた。
(連中、貴族街には入らないだろうが、いかにも〈支配民〉らしく、貴族街近くの高級な酒場で飲み食いしたいだろうしな)
そういった高級な酒場の一つにマイルズは近づくと、中に入るまでもなく、大勢の声が外に漏れ出ていた。
魔灯で明るい店内に入ると、甲冑を外したり、だらしなく緩めた兵たちがエールをあおっては大声でわめいたり笑ったりの大騒ぎだった。
ウェイターやウェイトレスたちは大わらわでエールのジョッキを持って走りまわっている。
隅の方のテーブルで得意げに武勇伝をひけらかす男とそれを聞く二人、の三人組にマイルズは目を付けた。
言葉の端に「ラウフ」とか「ホルスト」とかの地名が出てきたからだ。マイルズはそれとなく彼らのテーブル近くのカウンターでエールを注文して、待っている間に話しかける体で三人組に話しかけた。
「お前さんたちは被災者か?」
突然話しかけられて、武勇伝を声高々と話していた男が一瞬沈黙して、マイルズの方を向いた。
「ああ、そうだ。殿下の軍とともに北に向かっている」
ここから北っていえばリーチェかファルハナしかない。マイルズは確認した。
「ここから北っていうと、リーチェか? ファルハナか?」
「なんだ、お前、妙に探りを入れるじゃねぇか?」
エールの入った木製のジョッキがマイルズの元に来た。マイルズはうまそうにそれを一回ぐびっとやると、男に応えた。
「いや、そういうわけじゃないけどね。俺は冒険者だが、こんなんなっちまって、なかなか仕事も難しくってさ。雇ってくれねぇかと」
「ああ、なんだ、そういう話か。あとでアジィス様に取り次いでやるよ」
「ああ、ありがてぇ。で、そのアジィス様ってのは?」
「王都の近衛兵団長さ」
聞き出したい答えがまた一つ出てきた。この集団の核は近衛兵団だ。
「随分と偉い方が一緒なんだな」
「そりゃ、殿下の軍だからな」
「救世軍、ってやつか。アンダロス王国の危機を救う殿下の軍」
「おお、そうさ。ダロスがあんなになってしまって、王国がまさに危機だ。この隙に北のラスター帝国なんかが入ってきてはいけない。ファルハナは北の要の街だからな」
(やっぱり目的地はファルハナか……。それにしても、何言ってんだか。ただ安全なところを求めて逃げて来たくせに。北の要なら〈政変〉後、放置していたのは何でだ、って話だよ。まったく)
マイルズは内心そう思ったが、もちろん口にすることはせず、別のことを訊いた。
「ラウフに俺のいとこがいてな、この軍に同行していたりしないか?」
「それはないな。ラウフは街全体で俺たちに敵対姿勢を示したんで、懲らしめてやった」
「そ、そうなのか……俺のいとこがお前さんたちに敵対した連中に入っていないことを祈るよ」
「ああ、そう祈れ。なぜなら、この戦いでは俺は大活躍でな。ラウフ兵は皆殺しになったからな」
(この連中、まさにフィンドレイのドでかいバージョンだな。逆らう者どもは皆殺し、ってか)
マイルズは内心、かなりの怒りがこみあげていたが、顔に張り付けた笑顔は外さない。その代わりに冷静にこの連中のこれからの動きを計算していた。ここからリーチェまで一〇〇ノル、リーチェからファルハナまで一〇〇ノル、強行軍で六日、まあこの感じなら七日から十日でファルハナに到着するのだろう。
「俺はシャヒードだ。この通りの少し南にある〈カーラの宿〉に泊まっている。仕事の取次がうまく行ったら教えてくれ。今日はありがとな」
マイルズはでたらめの名前、でたらめの宿名、と言ってもパッとは思いつかず、シャヒードの名前とジンの定宿であったカーラの名前を出した。もっとも、〈レディカーラの瀟洒な別荘〉なんて正式名称は恥ずかしくて言えなかった。三人の兵、もとい、酔客にそう告げるや、ジョッキに残ったエールを飲み干して、酒場を後にした。
マイルズは酒場を後にするや否や、馬繋場に来た。
「ノーラ、一人にしてすまなかったな」
そう言ってから、ノーラの背を軽く撫でた。
「こんなとこに長居したくはないだろ、お前も」
マイルズは愛馬にひょいと跨ると、一路ファルハナを目指したのだった。