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78. ノオルズ公爵

また津波災害の表現があります。ご注意ください。

 この話をするには時を遡らざるを得ない。

 ノオルズ公爵は流星がダロス沖の海に落ちたとき、王城にいた。


 下働きの者たちが騒々しいので、ワイングラスを片手にダイニングから海側に張り出したバルコニーに出た。


 出た瞬間、空がまるで昼間のように明るくなり、その突然の閃光から顔をそむけた後、もう一度眼前に広がる海を見た。水平線の向こうに行く筋かの流れ星が落ちて行く。ただ、先ほどまで夕食をしていたダイニングには下働きの女中がに四人いただけで、ノオルズ公爵にとって流星群に対する感動を分かち合う人間は周りにいなかった。


 しばらくそうやって流星群を見ていたが、だんだんとその数は少なくなり、公爵はバルコニーにいるのに飽きて来た。グラスに残ったワインを一気に飲み干すと、ダイニングに戻った。


「そろそろ寝所に向かうとするか」


 でっぷりと出た腹をさすりながら、独り言のようにそう言う。実際は意識せずに自分の行動を口にすることで下働きの者たちがそれに向けて万事滞りなく準備を整える期待をしている。


 さっそく下働きの者たちが動き出したとき、強い地揺れがあった。


「おい! 何事か?」


 地揺れは誰のせいでもないはずだが、なにか不都合なことがあると周りに怒鳴るノオルズ公爵だった。


「申し訳ございません。ただいま、様子を確認してまいります」


 女中の一人が恭しく告げると、ダイニングを下がって行った。


「余は静かな時間を寝所で過ごしたいのだ。分かっておろう?」


 残った女中たちも深々と頭を下げた。


「万事整い次第、殿下を寝所にご案内いたしますので、今しばらくお待ちくださいませ」


 女中の一人が、そう述べると、ノオルズ公爵は不機嫌そうに頷いた。



 ◇



 それからはまるで早送りのパニックムービーの様であった。


 津波が港を飲み込み、シナン丘陵という高台にあるはずの王城にすら高波が押し寄せた。

 王城の高い階にいたノオルズ公爵は、津波に直接のまれることはなかったが、大波は彼がいた階のすぐ下にまでやってきた。


「誰か居らぬか! 誰か!」


 ノオルズ公爵はなんら自ら危険を回避する行動をすることもなく、単に王城の最上階付近にいたことで難を逃れた。


 しかし、王城にいた多くの人々はその限りではない。低い階にいた者、王城の建物ではなく、周りの比較的低い建物にいた者たちはすべからく犠牲になった。


 津波の難を逃れるために、普段は入ることすらできない王城に多くの貴族たち、それに平民の兵が上がり込んできた。非常時だけにそれを咎めることもできずに、ノオルズ公爵はただダイニングの自分の椅子に腰かけていた。


「宰相は? ドハルティのやつはどこにいる!?」


〈政変〉の立役者であり、今も内政のすべてを牛耳っている宰相の名を呼ぶノオルズ公爵。しかし、既に夜も更けていたので、ドハルティ宰相は王城にはいなかった。


 近衛兵団長のアジィスは流星群の報告のため、王城に走り込んできていたこともあって、難を逃れていた。アジィスはノオルズ公爵がダイニングにいることに聞き及び、ノオルズ公爵の元に馳せ参じた。


「おお、アジィス! なんだ、これは? どうなっておる?」


「殿下、分かりません。ただ、王都は今巨大な津波に飲み込まれています。王城ですら、階下は浸水して大変な状況になっております」


「して、王は?」


「王もご健在です。王の寝所はこの階のさらに上ですから」



 ◇



 実際のところ、アンダロス王はただ寝所で寝ていた。起き上がって状況を見る体力もないし、普段なら周りにいるはずの女中や近衛兵である衛兵も付近にはいなかった。みんな持ち場を離れて、津波の状況を王の寝所に近いバルコニーから見ていたのだった。


 彼ら、女中や近衛兵が王の居室のバルコニーから見る景色は地獄そのものだった。津波は街の何もかも攫って行きつつあった。


 バルコニーから真下を見ると、王城で働く人々が迫る津波から逃れるべく、王城を囲む城壁の門に向かって殺到しているのが見えた。無情にも津波は彼らを攫って行った。


「……ダロスは終わりだ」

「ダ、ダロスがなくなってしまう」

「……うう、ああああああ」


 近衛兵も女中たちもダロスという街の住民たちなのだ。眼下で自分たちの生活、思い出の詰まったあの街角、そしてなによりも自分たちの大切な家族や友人たちが津波に流されているのだ。


 しばらく茫然と状況を眺めていた皆だったが、津波が行きつくところまで行って、引き潮に変わってきたタイミングで、我に返った。それぞれが自分の大切なものを守るための行動を始めた。自分の大切なもの――それは決して寝たきりの王の安否ではない――家族や友人たちの元に向かうために王城の階を下に向かって歩み出した。


「アーヴァイン……、アーヴァイン」


 王は自分の弟の名前を呼ぶが、返事はない。アーヴァイン・スプルペダ・ノオルズ・アンダロス、つまりノオルズ公爵は王の寝所の二つ下の階にいて、ただただ自分の身の安全を図っていた。



 ◇



 厩舎も兵舎も津波に飲まれた。王城の高い階にいた近衛兵の一部、あるいは城下でなんとか難を逃れた兵の一部、そんな者どもがノオルズ公爵にとっての最後の直轄の兵だった。


 内政のすべてを担っていたドハルティの所在は知れない。そんな中で頼りになるのは近衛兵団長であるアジィスだけだった。


「アジィス、生き残った兵をまとめろ。王都を脱出する」


「殿下、陛下は?」


「余に言わせる気か、アジィス? この状況でどのようにして陛下を動かせというのだ? 案ずるな。王家の血は余が継ぐ」


「……御意」


 こうして、病床にあった王を残して、ノオルズ公爵はアジィスや生き残った兵と共に王都ダロスを後にしたのだった。


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