71. ダロス脱出
津波被災地の描写があります。ご注意ください。
「いいか、チャゴ、あいつらを追い抜かすぞ」
「カルデナスさん、何言ってんですか? この行列、どこまで続いているかもわからないってのに」
二人が北に向かって歩き出すと、家を失った大勢の避難民たちが街道を北に北にと進んでいた。彼らの表情は一様に暗く、足取りは重かった。
ダロスの郊外にまで来たが、津波の被害の痕はまだまだ先まで続いていた。
至る所に膨れ上がった水死体や轢死体があり、それらの亡骸に縋りついて泣く人々がときどき見られた。
街道沿いの建物も押し流されていたり半壊していたりしていたが、津波を耐えた建物には瓦礫が纏わりついていた。
街道の上にも多くの瓦礫が散乱していて、人々はそんな瓦礫や倒壊した建物を避けながら北に向かって歩いていた。
カルデナスは周りを歩く避難民に聞かれないように、真上にピンと立つチャゴの狐耳に口を近づけ、声を潜めた。
「チャゴ、よく聞け、あいつらが最初の無事だった街にたどり着いたとき、街はどうすると思う?」
チャゴはそう聞いて、はっとした。
(たしかにそうだ。こんな大量の避難民を保護できる街などない。どの街も門を閉ざすにちがいない)
カルデナスはチャゴから答えは帰ってこなかったが、チャゴが理解したのを察して続けた。
「見てみろ」
街道の脇に脱ぎ捨てられた甲冑をカルデナスは指さした。
「アンダロスの兵隊や貴族たちの兵が大勢交じっている。奴らは今でこそ北に向かって歩くのが精いっぱいで、きっと何も考えていないだろうけど、いざ、門を閉ざされて自分たちが保護されないのが分かれば、牙を剥いてでも街に押し入ろうとするはずだ」
チャゴはカルデナスの話を聞いて、ゾッとした。
「だから、俺たちは前に出る。先に街に入って食料や水、それに服もどうにかしたいだろう」
チャゴも頷くしかなかった。食料はそれなりに確保できたが、水が心細かった。
カルデナスはさらに付け加えた。
「あいつら、みんなと一緒だからなんとかなるだろうって安心してる。集団心理ってやつだ。みんながいるからどうにもならんのにな。あんな災害の後だからな、疲れ果てて、ちんたら進んでいるが、だけど、もし俺たちが走り出したりしたら、あいつらも焦りだす。いいか、それとなく早歩きで急ぐんだ」
「わかった。カルデナスさん」
二人はスタスタと、しかし目立たないように速足で歩き始めた。歩きながら、干し肉をかじり、乏しくなった水を口にした。
津波に襲われた地域で飲料水を確保するのは非常に難しい。
まずは一番近い津波の被害を免れた街道沿いの村や街を見つけて、水を確保したかったのだ。
◇
街道を進むと、貴族の一行だろうか、二人の前方で大量の物資を積んだ馬車が瓦礫に立ち往生していた。
馬車の御者の見えない死角から、物資を盗もうと一人の若い男が馬車に近づいているのがチャゴにも見えた。
御者がそれに気が付いて「おい! 何をやってるんだ」と怒鳴ったが、芋か何かの野菜を両手に持てるだけ持って、男が走り去ると、それを見た他の避難民たちも馬車に取り付きだした。
御者の後ろに座っていた貴族らしき身格好の男が怒鳴った。
「お前たち、こんなことをして許されると思っておるのかー!」
しかし、飢えている避難民たちは群集心理も働いて、次々と人々が馬車に群がり、食料を奪っていった。
チャゴとカルデナスは出来るだけこの貴族と群集に関わらないように、少し街道を外れて、しばらく道なき道を行くことにした。すると、地面は海水でまだぬかるんでいて、チャゴは何かに脚を取られて躓いて転倒してしまった。
チャゴは、何に躓いたのか、と足元を見るとそれは仔牛の死体だった。
あたりを見渡すと泥濘で分かりにくくなっているが、もともと牧草地帯だったようだった。
街道から見える範囲全てに海水が残して行った瓦礫や泥濘に覆われていた。
この辺りが王都ダロスの食料を支える田園地帯だったとすると、復興には長い時間がかかるだろうことがチャゴにもわかった。
◇
カルデナスは、貴族の馬車とそれを追いはぎをしている群衆を追い抜かしたので、街道に戻ろうと思った。
さっきまで歩いていた街道を見渡すと、疲れ果てながらも北へ北へと歩いて行く避難民の列が途切れることがなくずっと南にも北にも続いているのが分かった。
助かった船員六人と別れてからというもの、ただひたすら歩いているが、未だに津波の被害に遭った地域を抜けられていなかった。
街道を北に行く行列はそれらの地域からの人をどんどん吸収して膨らみつつ、北に向かっていた。
日が暮れてきて、ようやく疲労困憊の人々は街道沿いで小高くなっているところなどを見つけて、そこで火を起こしたりし始めた。
「チャゴ、大丈夫か? まだ歩けるか?」
「正直、もういっぱいいっぱいだけど、ここが勝負なんでしょ? カルデナスさん」
「ああ、そうだ。みんな休み始めた。この間に少しでも距離を稼ぐぞ」
二人はまた無言になった。もう、かれこれ半日は歩き続けていた。