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7. 旅立ち

 実のところ、ニケにとって、二年もジンそれにツツとこの森で過ごしてきたのは、単にジンの語学力向上を待っていただけだった。


 言葉ができなければ、人間世界に行っても物事はスムーズには動かないだろう。


 何より、ニケのいうことを理解できず、魔の森を超えなければ人々と会えないと思い込んでいたジンだったのだ。


 つい最近まで言葉ができないためにそんな誤解すらも正せなかったジンが急いで人の街に出たところで何ができただろう。


 言い換えれば、ニケの説明が理解できるようになるまで結局二年を要した、ということがつまり本質である。


 ようやくジンはこの世界の一端と言葉を理解した。


 ならば、これ以上ここにいる理由は何もない。

 二人と一匹は旅支度に二週間ほど費やし、森の小屋から出発したのだった。


 旅支度に二週間も費やしたのにはわけがある。これまで狩ってきた肉を保存のきく干し肉や燻製にしたり、この世界に来てからほぼ使わなくなってしまった名刀、〈会津兼定〉を研いだり、矢が足りなくなっていたので、鏃に魔物の硬い骨を使って、新しく数十本作ったりもした。


 そうすると今度は荷物がかなり多くなり、ニケはツツが背負える形の荷鞍のようなものを魔物の皮で作ったりもした。


 ここに来てから剃らなくなった月代(さかやき)もきれいに剃りなおして、と思ったが、異世界で月代もなかろう、と思い直して、きれいに切りそろえるだけにした。


 幸い、初夏だったこともあり、衣服はさほどかさばらなかった。


 そんな二週間の準備を経て、二人と一匹はすでに東の人間世界への旅の途上にあり、すでに三日、野営をしながら森の中の道なき道を進んでいた。


 夏とはいえ、森の中は薄暗く涼しい。長距離を歩く一行にとってありがたいことだ。


「森の巫女というのは一生続くのか?」


「ううん。十歳になったら、別の巫女に交代するの。新しい七歳の子が小屋にやってくることになってるんだよ」


 ニケをまじまじと眺めて、見た目は十五歳の少女であるニケがまだ十歳にもなっていないことをいま初めて知らされた。


 ツツは少し先行して魔物を警戒してくれているようだ。


「けど、どっちにしても、もう巫女の仕事は終わりだよ。ジンが来たんだから」


 そういえばそうか、と頷くジン。


「その、任務を終えたことを誰かに報告しなくてもよかったのか?」


 普通、任務というものは完了したときにそれを与えた者に報告する。武士として育ったジンはそれが当然だと思った。


「それはそうなんだけど、村は魔の森の向こう、アスカだよ。だから、別の巫女があと一年ほどで小屋に来るはずだから、来た時にわかるようにちゃんと書置きを残してきたよ。もう待たなくていいんだよって」


「そういうものか」


 ジンは釈然としないが、それでいいとニケが言うのなら、ジンには納得するしかない。


「あと十日も東に進むと、この森もだんだん疎らな木々になって、いずれ、森が切れる。森が切れると人間世界になるよ。ジン」


 ジンは相槌ちを打ちながら、二年も過ごした森の、その果ての話を聞いている。


「ま、これは私も聞いただけで、本当はよく知らないの。だって魔の森を超えて、東側に来たのは巫女になってからだし、それまではずっと西側に住んでいたんだから」


 そう、ニケにしても魔の森の東側で知っているのはこの森だけだ。


 森のさらに東にあるのは人間の世界。情報として知っていることもあるが、実際に見たことがない未知の領域。


 二人と一匹はこれからその人間世界に足を踏み入れるのだ。


「ニケ、今更だが、俺はニケの話す言葉を覚えた。これは人間世界で通じるのか?」


「もちろん。この大陸の言葉は十個くらいあるけど、今私が話している言葉はコモンっていって、この大陸での共通の言葉だよ」


「そうなのか?ニケはこの言葉で育ったのか?」


「ううん。私はアスカの言葉で育った。でも、巫女になることがもう決まっていたから、コモンの言葉も勉強しながら育ったんだ」


「なら、大丈夫だな」とニケの肩を軽くたたくジン。


 二人と一匹はまだ深い森の中にいた。時折、獣や鳥の鳴く声が響き渡っていた。


 日が暮れてくると、ただでさえ薄暗い森は夜の闇に包まれていくのが早い。


「この辺りで夜を明かすか」


 ちょうど手ごろなスペースを木々の間に見つけて、火を起こす。ニケが携帯式の種火を使って、手近にあった枯葉に火を移すと、用意していた細めの木の枝をくべる。

 枯葉や乾いた木の枝が燃え上がり、パチパチと火がはぜると暗闇に赤く二人の顔を浮かび上がらせた。


 ジンが集めておいた大きめの木の枝や乾燥した朽木の端を火にくべては火を大きくしていく。

 ツツは近くで寝そべって、周りを警戒してくれている。

 このあたりの手順はもう何度か繰り返してきたので二人と一匹にとっては慣れたものだった。


 ツツの嗅覚は一行にとって欠くことのできない戦力だった。魔の森の中ほどではないが、それにつながっているこの森も魔物はそれなりに多い。


 魔物の住む森でこうやってある程度は安心しながら野営ができるのはひとえにツツのおかげだった。


 まだ明るいうちに偶然出くわした鹿をジンとツツは狩った。

 鹿一頭を持って歩くことはできないので、その場で解体して、毛皮と後肢だけいただいた。

 その場に残された鹿の肉や臓物は他の獣か魔物の餌になるはずだ。鹿の命は無駄にはならない。


 干し肉や燻製肉もあったが、日持ちするものは出来るだけ消費せずに、こういった生肉から消費していく方が合理的だ。


 一番大きなひと固まりをツツにあげるとツツは嬉しそうに尻尾を振りながら齧りついた。太い両前足で器用に骨を押さえつけながら、いとも簡単に肉を引きはがしては嚥下した。


「おい、ツツ、ちゃんと噛まなきゃ」


 ジンはまるで子供にでも注意するかのように言うが、ニケは「ふふふ。ツツはあれでいいんだよ。」と気にしていないようだ。


 食べやすい大きさに切って金属の串にさし、それを火にあぶると何とも言えない肉の油が焼ける匂いがして、ニケとジンの食欲をそそった。


 考えてみれば今日も今日とてひたすら歩いて、狩りをして、解体して、と休む間もなく東に向かって森を進んだのだ。二人と一匹は空腹だった。


 頃合いを見てさっと塩を振る。塩は岩塩だ。小屋にいたとき、ニケがどこかから採ってきていたのは知っていた。


 十日ほど歩くと、森の様子が変わってきた。木立の葉を突き抜けて通る陽の光が増えてきた。木が徐々にまばらになってきたのだ。


 これまでいた深い森の中では地面に草は生えていなかったが、この辺りには草が目立ち始めた。


 二人と一匹はいよいよ森を抜けようとしていた。


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