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69. ダロス港の惨事

津波の描写があります。お気を付けください。

 時を遡る。


 ファルハナがフィンドレイ将軍の襲撃を撃退したその夜、ダロス港沖では一隻の商船が港に入ろうとしていた。


 海は凪いでおり、風も弱く、縮帆(しゅくはん)した船はゆっくりと錨地(びょうち)に近づいていた。


【縮帆:帆船の帆を縮めて、推力を弱くすること】

【錨地:船が(いかり)を下ろして停泊するところ】


 まだ十歳のチャゴは今回が初めての航海だった。

 チャゴは狐の獣人の男の子、ようやく背も伸びてきたが、一・六ミノルほどしかない。初めてアスカの地を離れて、このイスタニアにまでやってきた。


 アスカの地とイスタニアの間には魔の森が横たわっている。

 陸路が使えない中、獣人世界と人間世界の交易は主に海路で行われていた。


 それらの間を行き来する、ほとんどの船の船主は人間だったが、船員には獣人もたくさんいた。

 チャゴは船員になってアスカの外の世界を見るのを夢見てきたが、今回の航海でそれがかなったのだ。


 日は暮れて、ようやく暗くなってきた。

 逢魔が時、なんて恐ろしい言われ方をする時間帯になった。


 初めて見る人間の街、しかもアンダロス王国の王都が港の海を隔ててチャゴの目の前に広がっていた。


 王都の至る所で無数の魔灯が輝きを放っている。チャゴは、まるで、お祭りの夜か何かなのだろうか? などと思ったが、別にそういうわけではない。いつもの夜であった。


 街と船を隔てる海面も街の光をきらきらと反射していた。


 チャゴはもう待ちきれなかったが、その前に大仕事が待っていることを思い出した。


(ううう。まずは荷物の積み下ろしだな。うーん、まあ、楽しみはそのあとだ! もうひと頑張りで上陸なんだから!)


「おい、チャゴ、ボーっとしてないで、帆の操作をちゃんと見とけよ!」


 甲板長のカルデナスが街をただ眺めるチャゴを咎めた。


「ごめんなさい、カルデナスさん! でも、俺、初めてなもんで」


 カルデナスは人間の二十代後半の男。日に焼けて黒光りする肌とごつごつした手、細身の体には引き締まった筋肉がついていて、いかにも海の男と言った風貌だ。


 チャゴは種族は違うが、そんなカルデナスにあこがれていた。


「そうか、チャゴはアスカを離れるのは初めてだったな」


「うん。それでちょっと見とれてしまってました」


「ははは、そりゃ仕方がねぇな。まあ、もう少し見ておけ。積み下ろしはその分頑張れよ!」


 チャゴが元気に「はい!」と返事した時、カルデナスがふいにチャゴから視線をそらして、急に空を見上げた。


「カルデナスさん?」


「チャゴ、後ろを見てみろ」


 振り向いたチャゴの目に二つ、三つ、と流星が流れた。

 チャゴは思わず興奮して叫んだ。


「あ、流れ星!」


「流れ星にしちゃあちょっとデカいな。いや、近いのか」


 そういう間にも、四つ、五つ……いや、もう数えきれないほどになってきた。

 チャゴの興奮は更にヒートアップした。


「すごいすごい! ねー、カルデナスさん!」


「ああ、こりゃすごいな」


 縮帆した船はどんどん減速していったが、いよいよ錨地が近付いてきていて、カルデナスはいつまでも天体ショーを眺めているわけにもいかなくなった。


「あとは惰性で行くぞ。帆を畳め!」


 甲板員たちも空で起こっている一大スペクタルに目を奪われていたが、カルデナスの声で気が付いて、畳帆(じょうはん)作業を始めた。


 と、そのとき、チャゴが叫んだ。


「あ、あれ!」


 畳帆作業をしながらも、カルデナスや甲板員が空を見上げると流れ星うちの一つが、突然閃光を放つと、一瞬、まるであたりが昼になったかのよう明るくなった。そして、それは水平線の向こうに消えた。


 カルデナスも閃光には驚いたが、特に近辺では何も起こらなかったので、とにかく投錨(とうびょう)を終えるまではこっちに集中だ、と、ばかりに甲板員に大声で指示を出した。


「おい、畳帆急げ!」


 すると、急に大気の流れが変わった。沖に向かってスーッと大気が動いた気がしたかと思うと、今度は爆風が沖から襲ってきた。


 幸いにして、畳帆がほぼ終わっていたので、船はさほど煽られなかった。


 カルデナスは嫌な予感がした。船長に相談すべきかもしれないが、そんな時間はないのかもしれない。これは沖に向けて舳先を向けるべきだ、と船乗りの直感が騒いだ。


「甲板員、縮帆に戻せ! 舳先(へさき)を沖に向ける! 操舵! 舳先を沖に向けろ!」


「カルデナスさん、どうしたっていうんですか?」

「もう投錨ですよ?」

「今さら、舳先を沖に向けたら、後が大変ですよ!」


 甲板員は口々に言うが、カルデナスはそれでも自分の直感通りに皆に再度指示を出した。


「いいから俺の言うことを聞け、時間がない!」 


 そして、舳先が完全に沖を向いたとき、不思議なことが起こった。


 船がスーッと沖に向かって引き寄せられたのだ。


 舷側に甲板員たちが駆けよって、海面を見た。


(何も起きていない)


 甲板員たちの最初の感想はそれだった。

 しかし、そうではなかった。海面が沖に向かって傾いていたのだ。


 船はどんどん沖に向かって進んでいく。


 誰かが叫んだ。


「海が引いている!」


 船尾付近にいた猫の獣人の甲板員が、港から海水がなくなって、港に投錨していた船が座礁というより、着底しているのを遠くに見つけたのだった。猫の獣人は夜目が利く。


 カルデナスは船首近くにいて、沖を向いていた。

 そして、沖の水平線が変なことに気づいた。

 水平線は真直ぐのはずなのに、それが所々で曲がっているのだ。


「来るぞ」


 カルデナスはまず、小さく呟いた。

 今の今まで、海の坂を下り降りていたのが今度は登り始めたのを確認してから、大声で叫んだ。


「来るぞー! 何かに掴まれー!」



 船に動力があったなら、船はその二〇ミノルの高さの坂を上りきったのかもしれない。


 帆は縮帆してあり、追い風もないのだ。惰力でその巨大な波の中頃までは登ったが、登り切れずに、今度は下に滑り落ちていく。


 チャゴが船尾方向を見ると、港がどんどん近くなってきていた。


 船は舳先を上にして立ち上がっているかのようだ。


「絶対に手を離すな―!」


 カルデナスの声が聞こえた。


 チャゴは必死になって、手近にあったロープを、自分の腰に巻いてから、舷側にある手すりに括り付けた上で、手すりを両手で掴んでいた。


 しかし甲板が急角度になるにつれて、これ以上、自分の体重を支持するのが難しくなってしまい、両手を放してしまった。


 今や、腰に巻かれたロープだけがチャゴと船とを繋いでいた。


 チャゴの視界が船尾方向に向けられた瞬間、チャゴは何人かの甲板員たちが船尾方向に滑り落ちていくのが見えた。


 と、その瞬間、チャゴは何かに急に後頭部を殴られて、意識を失った。



 ◇



 チャゴが気が付くと、船は横転しており、腰をくの字に折って、舷側(げんそく)にある手すりからロープにぶら下がっている状態だった。


【舷側:船体の側面】


 暗さもあって、自分がどんな状況に置かれているのか、よくわからなかったが、目が暗闇になれるにつれ、だんだんと分かってきた。


 船は横転しているのに、沈没していなかった。船は(おか)の上にあったのだ。


 チャゴがぶら下がっている舷側は上にあって、反対側の舷側は地面に付いていた。


 甲板はチャゴの目の前にあったが、それは垂直に立っていた。


 反対側の舷側まで、つまり、地面までおよそ五ミノル、ロープを切って、落ちれば大けがだろう。


 だからと言って、ここにずっとぶら下がっているわけにはいかない。海水をしこたま飲んだためか、喉が焼けるように熱いのだ。


(ロープを切って、空中でバランスを整えて、脚から落ちる。シュタっと着地。うん。狐の獣人の俺なら、何とかなるかも)


 そんなことを考えていた時、少し離れたところから、カルデナスの声が聞こえた。


「チャゴ、気が付いたか? 生きているな? 今助けてやるからな」


 そう言って、暗闇の中から現れたカルデナスは、梯子(はしご)を持ってきてくれていた。


「カルデナスさん!」


 チャゴはそう声に出そうとしたが、ほとんど出なかった。

 お腹はロープで圧迫されているし、喉も相当やられているみたいだった。


「チャゴ、無理するな。ちょっと待てよ」


 カルデナスは梯子を垂直に立つ甲板に立てかけると、チャゴのそばまで登ってきた。


「チャゴ、梯子をしっかり掴むんだ。いいか、俺がロープを切ったら、お前の体重が一度にその両手に掛かるぞ。しっかり持ってな。切るぞ?」


「うん、切って」


 ずん、と両手に反動が来たが、身軽な獣人なだけあって、しっかりと体重を支えることが出来た。



 そうして、二人は地面に下りた。


 これがチャゴにとって初めての人間世界への上陸だった。


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