65. ラオ男爵の決断と決断できないこと【簡略マップあり】
ラオ男爵たちは当面の行動計画を立てた。
避難民は押し寄せるだろう。
だが、その人たちはフィンドレイ将軍のような敵ではない。ただ生活していたのに津波によって家を終われた被災者たちなのだ。これをファルハナは可能な限り受け入れる。
もともと、ファルハナは五万人が暮らしていた都市なのだ。今となってはその半数以下だが、だからこそ受け入れられる素地はあるはずだ。
人は資源でもある。
すぐに職につけて、彼らを生産力に変えていけば街はやって行けるはずだ。そう簡単にいかない面は多くあるだろう。だからと言って避難民を見捨てていいわけがない。
ただ、押し寄せるのが避難民ではなく、軍だった場合はどうか。
武装解除して避難民として街に入ってくるのであれば、それは避難民として受け入れよう。
ファルハナを武力で乗っ取り、従わせようとした場合、これはフィンドレイ将軍となんら変わりがない。
そういった場合に備えて、急遽、銃の量産体制、薬莢の量産体制を整えることが決められた。
鍛冶ギルドの代表としてヤダフ、細工鋳造ギルドの代表としてモレノ、その他多くのギルドの代表がバンケットルームに集い、銃の量産体制について話し合われた。
弾丸はヤダフが作っていたが、材質を低温でも成形しやすい金属に変えることで、鋳造で大量生産が出来ることが分かってきたため、モレノの担当になった。
薬莢も何ら製法を秘匿する必要がないことが明らかになって、薬莢製造工場を領主館のすぐそばの建物に製造設備を作ることが決まった。
要は火焔石を削る際に必要な触媒液の製法さえ秘匿すれば、火薬の製法は他国やほかの勢力にばれることがないことがニケの話から分かったからだ。
触媒液はあくまでも触媒であることから、製造過程でほとんど減らないのだ。だから繰り返して使える。
ラオ男爵は触媒液の製造方法をニケの頭の中だけに置いておくことにした。そうすれば製造法が広がらないからだ。
ただ、この方策の肝はニケの絶対の安全が確保されることだ。ニケの警護が必要になったことから、ジンとニケは長らく住み慣れた〈レディカーラの瀟洒な別荘〉を引き払って、領主館付属の迎賓館に移ることになった。
カーラがツツとの別れを悲しんだことは言うまでもない。ただ、その間の距離は大通りを直線に走って、たった三ミノルなので、ツツにとっては三ミティック(およそ三分)もあれば領主館からカーラに会いに行けるわけだが、カーラにとって厩舎にツツがいないのは新しく出来た娘を取られるに等しいことだった。
弾丸を鋳造に変える過程で、薬莢の型も作ることになった。型に弾丸を入れてから、ニラの木の樹液をその型に流して、上型を乗せる。ニラの木の樹液が冷めてから、上型を持ち上げて、形取られた薬莢のくぼみに火薬を定量入れる。それから仕上げにニラの木の樹液を適量垂らす。これだけで一度に十個の薬莢が出来るようになった。
弾丸の方も同様だ。鉛と言う低温でも溶けるが、あまり強度がなくこれまで使い道がさほどなかった金属を、型に流し込むと、一回の作業で十個の弾丸が出来る。型の仕組みのせいで出来てしまうバリというはみ出た部分の鉛は小刀で簡単に削り取れてしまう。
宴の準備の間、モレノもヤダフもこんな準備をしていたものだから、銃の大量生産が決定した時には薬莢の大量生産はすでに形になっていたのだ。
問題はやはり砲身だった。こればかりは大量生産に向かない。
鋳造ではない鍛造というところで、どうしても鉄の叩き手に技術が要求されるのだ。
少なくとも、砲身の製造スピードが、銃の製造スピードになった、という点では大きな進歩だった。
ヤダフは見習い職人たちに対しても技術を伝承すべく、必死になっていたが、見習い職人たちが作る砲身は歪みがあって、そのままでは使えないものがほとんどだった。
それでも、一度形が出来てしまえば、それを曲げたり、内径を削ったりしながら成形する職人も育ってきて、量産が決まってから五日も経った頃には鍛冶屋街全体では一日三~四本のライフリング加工済みの砲身が完成するようになっていた。
しかし、ラオ男爵はアンダロス王国から正規軍がこのファルハナに向けられた時、徹底抗戦するかどうか、まだ決めかねていた。そのため、鉄砲の射撃手育成には手をこまねいていた。
それは一度射撃手を大勢育ててしまえば、間違いなくその力を笠に着て、主戦派が大勢を占めることになることが目に見えていたからだ。
負ければ全滅。勝っても政変以降最大の王国の危機になるだろう、アンダロス王国正規軍がこの辺境で敗れたとなれば、王国は滅びたも同然だ。
今は沈黙を保っている北のアンダロス王国の衛星国、さらにその北にあるラスカー帝国の侵略をまともに受けることになるかもしれないのだ。
アンダロス王国正規軍が出てきた場合の対応については、まだ彼女には判断が付いていなかったのだ。