64. 商人の話
領主館前での弔いの祈りが終わると、街の人たちはまた大通りの出店や、南大門前の広場で昼後4つから催される演劇に向かって大通りを南に歩き出した。
領主館の周りから人々が消えると、ラオ男爵の周りに騎士たちにジン、マイルズ、それにバルタザールが集まった。
「これはまだ全く確かな話ではない、という前提で聞いてほしい。王都ダロスを含む王国南部が壊滅したらしい。
こういった話には尾ひれがつくことが多いからな。言葉のまま聞くのではないぞ。あくまで商人から伝え聞いた話だ。その商人もそれを見たわけではないのだ。
王都ダロスを含む沿岸部に高さ三十ミノルにも及ぶ津波が押し寄せた、とのことだ。津波は沿岸部だけにとどまらず、ダロス大河を遡り、大河沿いの貴族領を飲み込んで、内陸部二〇〇ノルまで達したらしい」
騎士たちが呆然としている中、ファニングスが一番最初に口を開いた。
「それはいつの話なのですか?」
しかしラオ男爵も今しがたバルタザールに耳打ちされた情報しか知らないのだ。
バルタザールもラオ男爵に伝えた以上の情報はない。
「いや、細かいことは分からない。早急に調査しなければならない」
騎士シャヒードはフィンドレイ軍との防衛戦から今に至るまで、自分の役割が軽すぎると感じていた。その上、その防衛戦では不覚を取って負傷までしていた。名誉挽回のチャンスが来たと感じた。
「私を調査に遣わせてください。馬なら、一日で六〇ノルは進めます。十日も南に進めば、何か変化や異常があればわかるはずです」
片道十日、戻って来るのに十日、合わせて二十日間。その間の糧食を馬に積めば、馬の速度も下がる。かと言って馬車にすれば、もっと遅くなる。この情報を伝えた商人はいったいどのようにしてこの情報を掴んだのか、それによって取りうる対応は大きく変わるはずだ。ラオ男爵はそこまで考えて、シャヒードに答えた。
「待て、シャヒード。まずはその商人の聞き取りだ。その商人はどうなっている?」
「今は南大門で留め置いておりますが、持ってきた商品を戦勝の宴が開催しているうちに卸さないと大損害だとわめいております」
直接対応したものにしかわからない内容をバルタザールが告げた。
「バルタザール、すぐに南大門まで走って、商人に商品はすべてラオ男爵家が買い上げるから心配するなと伝えて、そのまま南大門で待つように伝えろ」
◇
バルタザールに遅れて、ラオ男爵とシャヒードが南大門の衛兵詰め所に到着した。
「バルタザール、ご苦労。で、その方が情報を伝えてくれた商人か?」
五〇代後半ほどに見える前から後ろまで禿げ上がった、小太りの男性がそこにいた。待っている間の茶菓子がローテーブルに置かれていて、ラオ男爵は南大門の衛兵がちゃんと接遇していたことが分かった。
「はい、男爵。ペレット商会のシュルツと申します」
「シュルツ、まず、引き止めて悪かった。商品については心配しないでほしい。男爵家が買い取る」
「はい。そちらの衛兵の方から伺っております。ありがとうございます」
「で、詳しく聞かせてもらえるか?」
シュルツの話を要約すると、こういう話だった。
シュルツの商隊の本拠地は、ファルハナより遥か六〇〇ノル南に位置するホルストという都市だ。
ホルストは牧羊や酪農が盛んで、チーズをファルハナより南一〇〇ノル、ホルストより北五〇〇ノルに位置する小都市リーチェの取引先に納入するために商隊を率いて旅していた。
すると、道中、馬が使い物にならなくなって、難渋している騎士にあった。
彼はリーチェの領主に仕える騎士で、王都ダロスの駐在員だった。
騎士はダロスで大津波に遭遇したが、なんとか難を逃れて、この情報を国元であるリーチェに届けるために馬を飛ばしていたが、馬が持たなかった。
商隊は騎士と同道し、一番近い村で騎士を馬車から降ろした。
その道中、シュルツが騎士から聞いた話がこの情報の元になっている。
騎士が言うには、ダロス港から見える水平線の向こうに空から星が落ちてきて、間もなくすると大津波に襲われた、とのことだった。
港町であるダロスの唯一の高台は王城が聳え立つシナン丘陵だが、多くの人がそこに避難した。しかし、津波はシナン丘陵さえも、それどころか、シナン丘陵に立つ王城すらも飲み込んだ。
騎士は引き潮にさらわれたが、尖塔の屋根に掴まり、九死に一生を得たと言っていた。まだ、どれほどの被害かわからないが、王都も王国も滅んだも同然だ、とも言ったらしい。
商隊は騎士と途中の村で別れた。
ここからはシュルツの予想だが、騎士はその村で馬を調達して、急いでリーチェに行ったのだろう、とのことだ。
商隊はリーチェに着いて、荷物を降ろした際に、この戦勝祭のことを聞いた。
空馬車になったので、ホルストは心配だが、商機を逃しては商人としては失格だと思い、食料品を積んでもう一儲けのためにファルハナにやってきた、とのことだった。
ラオ男爵はそこまで聞いて、一息入れた。
「ふむ。天地がひっくり返ったような話だな」
「ええ、私自身も直接見たわけではありません。今心配しているは私の商会があるホルストの状況です。ここから六〇〇ノルも南なので、どうなってしまったかと心配しております」
「心配だな、シュルツ」
ラオ男爵はそう同情を示したが、本当のところよくわからないでいた。
空から星が落ちてきた、とはあの流星群のことだろうか? 確かにあの後小さな地揺れがあったが、あれも関係しているのか? 疑問は尽きないが、これが本当なら大変なことが起こるのだろう。
あくまでこの話が本当だと仮定すると、多くの人は死んでしまったのかもしれないが、生き残った人々はどこに行くのだろうか?
そんな状態であればダロス港も使えまい。食料も物資も届かなくなっているだろう。それに、家を失った人々もたくさんいるはずだ。
そして、ノオルズ公爵や王家、貴族たちはどう動くのだろうか?
ラオ男爵の本当の心配な点はこれらにあった。
「シュルツ、訊かせてもらいたいのだが、その方たちの商隊はおよそ何日かけてここファルハナまで来たのだ?」
「二十七日かかりました」
「で、騎士と出会ったのは何日目だ?」
「六日か七日前なので、二十日目か二十一日目あたりだったと思います。もうリーチェがずいぶん近くになっていましたから」
シュルツの出発点、ホルストの街はおおよそダロスから内陸に百ノルにある。
この辺境付近の街には早馬での知らせがちょうど今頃伝わってきているはずだ。
シュルツは途中、早馬の騎士に出会ったことで、商隊としては一番早く情報を知ったわけだ。
ファルハナとダロスの距離はおよそ七〇〇ノル。もし避難民や領地を失った貴族たちが軍を率いてファルハナ近郊に現れるとしたら、早くて十日あとくらいになるだろう。
ラオ男爵はすでにこのシュルツの話を疑うことはなくなってしまっていた。
それほどまでに彼の話は信ぴょう性があり、彼が嘘をついて得することなど何もないと推察されたからだった。
(なんで、こう次から次へと……)
ラオ男爵はため息をつくのだった。