表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
61/177

61. 戦の後始末

 逢魔が時。短くなってきた晩夏の日がすっかり落ちた。空を彩っていた流星群が少なくなって、城壁の外にいて作業に当たる人々たちも落ち着いてきた。


 みな、我に返って、こう暗くてはもうこれ以上作業は無理だな、と思い始めたのが、昼後八つごろだった。


 この天体ショーも終わりに近づいていたころ、軽い地揺れがあって、ファルハナの人々は少し不安に思ったが、何か特別なこともなく、夜は更けていった。


 ジンはニケが持ってきてくれた特製ポーションで肩の傷を負傷後すぐに手当てできたので、失血も怪我の固定化も起こらずにすんだが、体なのか心なのか、御しがたいほどの疲労感を覚えて、とにかく宿に戻って床に入りたかった。


 宿への帰路を二人と一匹は歩きはじめた。


「ジン、もう肩は大丈夫?」


「ああ、ニケのおかげだ。何の問題もないよ。ただ、さすがにちょっと疲れたかな」


 ニケは心配そうにジンの顔を覗き込んだ。ツツもジンの腰のあたりに頭を擦りつけると、ジンの顔を見上げた。


「ニケ、よく無茶はせず、救護所でじっとしてくれていたな。俺はお前が飛び出してこないかずっと心配していたんだ」


「そんな無茶はしないよ。私が出て行けばジンに無理させるだけだから……。それにツツがずっと私やみんなを守っていてくれたよ」


 ジンが自分を守るために無理をしてしまう。普通にそれを言葉にしてくれたニケをジンは嬉しく思ったが、それを口にする代わりにツツを褒めた。


「ツツ、えらかったな。お前がいて、俺は安心だ」


 褒められたのが分かったのか、ツツはジンの横を歩きながら、またジンの腰のあたりに頭を擦り付けた。


「はは、えらいやつだ、お前は」


 ジンはそう言いながら、ツツの頭を撫でた。宿はもう目の前になっていた。


「ツツ、今日は晩飯がなかったな。カーラに言って、明日は多めに朝飯を出してもらうようにするからな。我慢して寝な」


 ジンはそうツツに言うと、ツツは大人しく厩舎の自分専用のふかふかの藁ベッドがある馬房に入って行った。


 宿の部屋に入った二人。ジンは「服を着替えなきゃな」などと言いながら、ベッドに縁に腰掛けて、ニケと二言三言交わすと、ニケがまだ今日のことをいろいろ話しているにもかかわらず、ジンは返り血がにじむ服のまま寝落ちしてしまっていた。


 ニケはジンに残る血の跡、部屋中にある弾薬製造工場さながらの道具や作りかけの薬莢、そんな戦の痕跡をすべてこの部屋からきれいに追い出してから、いつもの宿の部屋に戻してから寝たかったが叶わなかった。


 かなり早めに就寝したことで、朝早くに目覚めてしまったジンは、まだ眠っているニケを部屋に残して〈レディカーラの瀟洒な別荘〉の裏庭に出て刀を振ろうと思った。


 昨日、実戦で振るいまくった刀を、朝また振ることなど無用に思われたが、ジンにとって、いつもの自分に戻るためにはこれが一番自分に必要なことに思われたのだ。


 しかし、鞘から刀を抜くと、まだ刀にはヤザンを斬った血糊が残っていた。


(これをきれいにしてからじゃなきゃ、振るうに振るえんな)


 ジンはあきらめて、刀を鞘に収めた時、裏庭に面する廊下から自分を見ているニケに気づいた。


「ニケ、早いな」


「うん。昨夜は早かったからね。目が醒めちゃった」


「今日はどうするんだ?」


「アラムさんのところを覗いてみようかと思ってる」


「それがいい。ツツと一緒に行くんだぞ」


「え、なんで?」


「まだ街の様子が分からないからな。用心のためだ」


「……ツツ、アラムさんのところに言っても玄関前で退屈そうなんだよね。でも、分かった。一緒に行くよ」


「うん。そうしてくれ。俺は領主館に行くよ。まだいろいろとありそうだからな」



 ◇



 ジンが領主館に着くと、本来門に詰めているはずのバルタザールもエディスもいなかった。門を無断でくぐるべきかどうか逡巡していると、ちょうど後からマイルズがやってきた。


「ジン、なにやってんだ?」


「いや、衛兵が誰もいないんだ。これ、このまま行ってもいいのか?」


「まあ、昨日の今日だからな。ラオ様としては衛兵も何も、猫の手でも借りたい、って感じじゃないかな」


「ニケは今日はゆっくりさせるぞ」


「ニケちゃんの話はしてねぇよ。あは、お前、ああ、猫の手ね。ニケちゃんは猫は猫でもファルハナを救ったほどの猫だからな。比喩としてはしっくりこねぇよ」


「うん。で、これ、どうする?」


「まあ、もう手が足りてないんだったら、俺たちがここにいてうだうだしてる方がラオ様にとって問題なんじゃないかな。とりあえず、執務室にずかずか上がり込もうぜ」


「ま、確かにそうだな。行くか」


 執務室に入ると、意外にもラオ男爵の執務机には書類などはなく、男爵も執務机にあってお茶を楽しんでいた。


 いや、昨晩終わった戦いに関する書類は今作成中でまだ彼女の元に上がってないだけかもしれない。それでも、マイルズは少し想像していた様子と異なる執務室と彼女に驚いた。


「ラオ様、おはようございます。今朝はなんだか、あれですね」


「なんだ、マイルズ。私も茶ぐらい飲むぞ」


 ジンもその様子に少し安心した。戦いの後すぐにあれやこれやと手配を始めた彼女を心配していたのだ。


 今日はミニエー銃製作のために用意してもらった特別な待遇を返上しなければならなかった。


「ラオ様、今日は申し上げることがありまして」


「ん? ジン、いや、こちらも実はあってな」


「……先にお聞かせ願えますか?」


 ジンはまず男爵の言うべきことを聞かなければと思った。


「いや、いい。お前が言うべきことを先に申せ」


 聞いていたマイルズは思わずにはいられない。


(なんだ、この『お先にどうぞ』合戦は)


「では、拙者から先に。これで拙者の仕事、と申しましょうか、任務、でしょうね。それが完了いたしました。まずはそのご報告に、と。すでにラオ様は鉄砲の完成を見ておられますので、これ以上何もお伝えすることはないのですが、正式に、鉄砲の完成、それと実戦での有用性を報告させていただきたく……」


 ラオ男爵はジンを遮った。


「ジン、そういうのはよい。私もずっと見ていたわけだからな。で、なんだ?」


「……つきましては、一日五〇〇ルーンと言う破格の報酬、これを辞退させていただきたく。まだしばらくはファルハナの街にいますので、その間は警らの仕事に戻していただければ、と」


「はははは。お前、その五〇〇ルーンという報酬、一体何日分受け取ったというのだ? 一週間? まあ、よい。私の要件を話してよいか?」


 少し間があって、ジンの反応を確かめてから、ラオ男爵は続けた。


「ジン、お前はそのニホンという国の誰かに忠誠を誓っている、ということは私にもわかっている。だから、お前の忠誠をよこせ、私の騎士になれ、とは言わない。だが、私のため、ということではなく、このファルハナのために働いてくれぬか?」


 ジンはすでにファルハナのために働いている。ので、ラオ男爵の言うことに首をかしげざるを得なかった。


「ラオ様、拙者は今もそうしているつもりでおりますが」


「ああ、言葉が悪かったな。端的に言えば、ファルハナ防衛軍を結成してほしいのだ。今ある防衛隊は急造のボランティアたちだ。これをれっきとした軍にする。必要な予算、それに見合う徴税、そんなことはファニングスがやる。ジンにはドゥアルテといっしょに軍を、装備を、編成を考えて、それに必要な武器の準備と訓練をお願いしたいのだ」


 ジンは即答できなかった。


 即答できない理由がある。〈役目〉だ。この世界に転移し、ニケから聞かされたこの不思議な言葉が彼にそれを思いとどまらせたのだ。


 如意槍やヤダフとの出会いがあったとき、ジンは(この先に〈役目〉がある)と確信したものだったが、今となってはよくわからなくなっていた。


 ファルハナは救った。多くの街の人たちは救われた。だが、ファルハナは人口五万人の、いや、今となってはその半数以下しか住んでいない辺境の小都市だ。これを救ったことがどのように〈世の中の歪み〉を直すことにつながるというのだ。


「ラオ様、お話、理解いたしました。一日だけお時間をください。必ず明日にはお返事をさせていただきます。ニケとも相談しなければいけませんし」


 ラオ男爵とて、即答を期待していたわけではなかった。このジンと言う男にはまだ何かある、と感じていた彼女は彼の返事がどうなるか、全く予想がつかなかった。それだけに、可能性の残る彼の返事は今の時点での彼女にとって悪い返事ではなかった。


「ああ、そうだな。ニケにとってもいいようになれば、と私も思っている」


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ