60. 決着
ナッシュマンが裂ぱくの気合と共に肉厚の長剣を振り下ろすとまた一人フィンドレイの手勢がその命を散らした。
ドゥアルテも三人を相手に手こずっていたところに弓兵たちが剣や槍を持って参戦すると、一番近くにいた敵を鮮やかな突きで葬った。
しかし、ヤザンは驚異的な体力と剣捌きで見る間に群がる弓兵たちを葬っていっていた。
騎士シャヒードはその状況を見かねて、敵兵を二人も相手にしていたにもかかわらず、隙を見てヤザンに躍りかかった。
ヤザンはシャヒードの一撃をしゃがみ込んで躱して、その姿勢から伸びて鋭い突きをシャヒードに放つと、シャヒードはそれを肩に受けてしまった。
シャヒードが元々相手にしていた二人の兵がここぞとばかりにシャヒードに躍りかかった。
ジンは相手にしていた兵の右脇の装甲のない部分に突きを入れて、戦闘不能にしてすぐ、シャヒードが負傷してヤザンと二人の敵兵に追い込まれていることに気が付いた。
「シャヒード!!」
ジンがヤザンの前に躍り出て、マイルズはシャヒードを追い込む二人の敵兵の前に割り込んだ。
シャヒードは自分を守るために出てきたジンとマイルズに詫びた。騎士は本来護りし者である。護られていてはいけないのだ。
「すまん! ぬかった!」
南大門前の広場での混戦。
敵兵がもうすでに四人になっていた。
本来であれば、降伏するとか恐慌を起こして逃げ出すとかがあっていい状況だったが、狂気をその目に宿すヤザンがそこにいるせいで、他の三人もまだ望みを捨てていないようだった。
十五人のボランティア剣士たちは無傷、弓兵たちもすでに城壁を降りて手に剣や槍をもって四人の敵兵を囲んでいる状況だった。
それでもヤザンの一撃でウートンが命を落とし、シャヒードも戦闘不能になっていた。
冷静だが腕の落ちるファニングスは、すでに勝負が決まったこの状況で誰も命を賭してヤザンに挑むべきではないと考えていた。今のヤザンにはナッシュマンですらかなわないかもしれない。
敵兵四人はすでに三十人近いファルハナ防衛隊の皆に囲まれている状況だ。
その囲みから、ナッシュマンがヤザンに挑むべく、前に出た。
それを見たジンが叫んだ。
「剣を捨てよ! 命を無駄にするではない! 勝負は決まった。お前たちの負けだ」
顔面をウートンの血で真っ赤に染めたヤザンがジンを睨んだ。
「俺が死んでないうちは負けてはおらぬ!」
「冷静になれ。周りを見ろ」
ジンはヤザンの命を惜しい、と思ってしまっていた。
戦いの最終盤、瓦礫の上で兵を纏め上げ、そしてファルハナ側を危機に陥れた。それに失敗してなお、剣を振るい、次々にファルハナ防衛隊を葬る彼の動きは称賛に値するものだった。
ヤザンは厳しい顔で武装解除を迫るジンを睨んでいたが、ふと、その顔が緩んだ。
「……名を名乗れ」
「ジン。お主は?」
「ヤザンだ。この状況はさすがに俺でも分かっている。ただ、このままでは終われない。武人としての矜持だ。お前にもそれは分かるはずだ」
ジンにはそれが分かる。敗残兵として、命辛々逃げ込んだと言ってもよい御香宮神社で、西洋甲冑と一騎打ちになろうかという時、こういう命の終わり方は悪くないと思ってしまった自分を思い出した。
結果、その思いとは裏腹に奇妙な現象が起こって、その現象がジンをここに導いたのだが、西洋甲冑と対峙した瞬間は確かに命を懸ける高揚感に身をゆだねたのだ。
しかし反面、自分の命を散らせてでも最期の美を飾るという行動は理解しつつも、決して褒められたものではないとも思うのだ。それは身勝手だ、と。
「ヤザン、と申したか。それは悪あがきと言うものであろう。剣を捨てよ。フィンドレイに義理立てして何が得られよう? あの臆病者は未だに矢の届かない遠くからこの戦いの顛末を見ているだけだぞ」
「ふん。あ奴に従っていたのは忠誠心などからではない。フィンドレイ家にずっと仕えてきたからな。惰性というものだ。ただ、今の俺はあの俗物には到底理解できない心持ちにある。ジン、俺と一騎打ちしろ」
ジンは心動かされてしまった。理屈ではない。もしジンが負けて彼が勝ったとしても、彼の扱いは一切彼に有利な方向にはならないだろう。ただ武人として、最後に自分と戦いたい、とこの男は言っているのだ。
そんな心持ちは繰り返すようだが、ジンにもある。ただそれは身勝手だと思うのは変わらない。それでも彼の思いに応えてあげたいと思ってしまうのだ。
「ジン、ならぬ!」
ヤザンを含むフィンドレイ兵四人を囲む集団の後ろからラオ男爵の声が響いた。
「こやつを倒しても倒さなくても、もう終わったのだ。お前が危険を冒してまで一騎打ちをして何の意味がある!」
「ラオ様、申し訳ございません。今日のお給金は返上いたします。ですから、拙者にこの者と戦わせてください!」
ナッシュマンはこの戦の決着はこの一騎打ちにしかないと思った。しかも、その一騎打ちは自分こそがやりたいとも思っていたが、ヤザンはジンを指名したのだ。騎士として、いや、男として(いやいや俺こそがここで一騎打ちをすべきだ)などと口が裂けても言えたものではない。
そうであれば余計にこの一騎打ちを目に焼き付けたいと思った。ウートンやシャヒードですら敵わなかった、この敵の騎士と、一目見て認めてしまったこの小僧、いやジンとの一騎打ちを。
「お嬢様、差し出口叩くこの老兵をお許しください! この一騎打ち、手前が差配いたしまする! ジンとて負けますまい!」
ラオ男爵は一瞬「黙れ!ナッシュマン!」という言葉が口を突きかけて、それを飲み込んだ。代わりに自分が女であることを呪ってしまった。敢えて言うなら馬鹿馬鹿しい男の論理が、理屈ではなくここに強く働いていて、女である自分がここで何を言っても誰かに恥をかかせる結末にしかならないことを、頭のいい彼女は悟ってしまったのだ。
「……よかろう。だが、ジン、勝って、そして給金は受け取っておけ」
「はっ!有り難き幸せ! ……ヤザン、待たせたな」
ヤザンは返り血で真っ赤に染まる顔に、何かつきものが落ちたような笑顔すら見せた。
「ジン、礼を言う」
ジンはそう言うヤザンに向き直り、表情を引き締めた。
「萱野甚兵衛時敬、参る」
ジンは日本語で小さく呟くと、会津兼定を正眼に構えた。
◇
勝負は一瞬で決まった。
ヤザンは低く、剣を自分の右に引きつけた構えを取った。
ジンがどう斬り込んできてもこの突きで一撃に屠ってやる、と言う意思が見える構えだ。
ジンはただ正眼に構え、動かない。
ヤザンが率いてきた生き残り兵三人も、彼らを取り囲むファルハナ防衛隊も、固唾をのんで二人の全く動きのない攻防を見守っていた。
ヤザンから見て、ジンの構えに隙は見当たらなかった。
敢えて動いて、ジンがその動きに対応する中に隙ができるかどうか。ヤザンは自身の右に構える剣を左に構えなおそうとした。言い換えれば、右の構えを左に変える。体を入れ替えようとした。
その瞬間、ジンは動いた。
ジンは低く、頭からヤザンの右に大きく踏み込んだ。
ヤザンにとって突きの標的であるジンの頭が自ら距離を縮めて間合いに入ってきたのだ。
ヤザンは体を入れ替える最中で、ちょうど、その瞬間、ヤザンの体はジンの正面を向いていた。その状態での突きは溜がなく精彩に欠いた。
精彩には欠いたが、ヤザンの突きはジンの左肩に突き刺さり、骨まで達した。
それでも、ジンの右手には会津兼定が握られており、低いところから、下から剣を跳ね上げると、突きを出すヤザンの両腕を捕らえた。
深い青の甲冑もろともヤザンの両腕を斬り飛ばし、返す刀で兜を、ヤザンの頭を中ほどまで切り裂いた。
ヤザンは即死。
ジンは両腕を斬った時点で、彼を生き永らえさせるのは酷だと思った。そう思っての返し刀だった。
生き残った三人のフィンドレイ兵、いや、ヤザン配下の兵たちは唖然としながらをれを見ていたが、ヤザンの散り際を見て手に持っていた剣を落とした。
その瞬間、一騎打ちを取り囲むファルハナ防衛隊から鬨の声が上がった。
「うおおおおおおおお!勝った!守り切ったぞ!俺たちが勝ったんだー!」
「おおおおおおおおおおおおおお!!!!!!」
「俺たちの勝利だ!」
広場にほど近い家屋に避難していたボランティアの非戦闘員たちもそれら家屋から出てきて、その熱狂に加わった。
熱狂は波紋のように街中に伝播していき、この寂れてしまった街にこんなに人がまだいたのか、と思うほどの熱狂に包まれた。
ジンは血ぶりして剣を鞘に納めると、右手の平を立てて、ヤザンの冥福を祈った。
ニケは救護施設に指定されていた家屋から出て、その一部始終を見ていた、いや、聞いていたというほうが正確だろう。
ラオ男爵が一騎打ちを止めようとする言葉、それに、ジンが一騎打ちを望んで発した言葉、を聞いていた。
ただ、ファルハナ防衛隊に囲まれて行われた一騎打ちの様子は全く見えなかった。
ニケは、一瞬皆が静まった時、決着がついた、と理解した。どちらが倒れたのかはまったく見えなかった。
ジンが負ける図は想像できなかったが、それでも胸の奥が締め付けられるような心配が彼女を襲った。
と、その瞬間、鬨の声がファルハナ防衛隊から上がって、ジンの勝利を確信した。
ニケはニケ製ポーションを手にジンに駆け寄った。
◇
フィンドレイ追撃の声が防衛隊の面々から上がった。
ラオ男爵はどうにでもしたらよい、と思った。追撃するな、とも言いたくなかったし、してもしなくても、彼を捕らえても捕らえなくても、もはやどうでも良い、と考えていた。
いつの間にか、五〇〇ミノル先にいたはずの彼と数名の護衛たちの姿はなくなっていた。
防衛隊の内、十人ほどが追撃の許可を求めてきたので、好きにさせたが、結局彼は捕まらなかった。
手勢を失った彼に何が出来るというのか。もはや権力者としての彼は終わったのだ。
それよりもしなければならないことは山のようにあった。
フィンドレイ将軍が放置して逃げて行ったため、三〇〇ミノル先の磔台に放置された女性たちの保護を速やかに行わなければならなかった。
戦いの成り行き上、盾にされそこなった彼女たちの命は助かったのだ。
シャンテレ村にもすぐに兵を差し向けて、磔にはならなかったが村に残されているかもしれない残りの婦女子たちも救出しなければならない。
負傷者も多かった。彼らの手当ても迅速に行わなければならなかった。シャヒードや最終的には前線に立った弓兵たちに少なくない重傷者が出ていた。
敵兵を無力化したことで、救護班は自由に動けるようになったので、ポーションで手当てをしたり、失血が多い者たちは止血後、担架で運んだり、皆がせわしなく動いていた。
城壁に出来た大穴もある。これは簡単には塞げない。フィンドレイ将軍の勢力は撃退したが、野盗の類がまた組織立って攻撃してきたとしたら、次は防げないだろう。だが、これは今やるべきことではないし、今やろうとしてもできることでもなかった。
これら問題の中で、一番の問題は敵の死傷者たちだった。
まだ息のある者も少なくなかった。手当てして、野に放てば、野盗や匪賊になるだけだ。そもそもフィンドレイ将軍の手勢の多くはもともと野盗だった者を彼が従えたのだから、彼がいなくなれば野盗に戻るだけだろう。
かと言って、彼ら全てを牢に入れておくというのも費用が掛かる。それでも放置しておいて、見殺しにすることはできなかった。
死者たちは敵も味方もなく、南大門の内側にも、城壁の大穴にも多数転がっていた。季節は夏なので、遠からず腐敗し始めるだろうことは明らかだった。
戦勝の後とはいえ、これらのことが一挙にラオ男爵にのしかかっていたが、昼後七つを過ぎて日がとっぷり落ちると、騎士ファニングスが解決策にもならない解決策を口にした。
「ラオ様、今日はもうやめませんか。ちょうどボランティアの剣士たちもいるんです。治療後の敵兵の警護をしてもらいましょう。亡骸は明日、街のみんなでどうにかすればいいじゃないですか、一日で腐敗することもありますまい」
ファニングスは城壁の外、敵兵の遺体が無数に転がる城壁の大穴の前に立ち尽くしながら、ひたすら後片付けに頭を悩ますラオ男爵に笑顔を向けた。
「そうだな。長い一日だった。皆も疲れているだろう」
その言葉を聞いて、なんだかつきものが落ちたような表情でラオ男爵が振り返ってファニングスを見た。
しかし、ファニングスは振り返ったラオ男爵のその表情を見ることはなく、ラオ男爵の背後に移る光景に目を奪われてしまっていた。
南の空に彩る無数の流星群。
自分の方を向きながら、その視界にまるで自分が映っていないファニングスを見てラオ男爵は怪訝に思った。
「ラオ様、後ろをご覧ください」
「ん? なんだファニングス?」
「ええ、後ろです。美しいものです」
ラオ男爵は言われるまま、後ろを見た。
「おお、なんだ、あれは」
ファニングスの目はまだそれにくぎ付けだった。
「流れ星、ですね」
疲れもあるはずだが、ラオ男爵もその幻想的な光景にくぎ付けになってしまった。
「美しいものだな」
やるべきことは山積していた。それでも、今、この光景を眺める時間は自分に許されていいはずではないか。ラオ男爵はそう思いながら、地平線の向こうに落ちる流れ星を眺めていた。
城壁の上で作業をしていた兵たちも騒ぎ始めた。
夜も遅くなってきていたが、フィンドレイ将軍の勢力との戦もあって、街の人たちほとんどがまだ落ち着きを戻しておらず、家の外に出て周りの様子を窺ったりしていたので、多くの人がすぐに流星群に気が付いた。
彼らも自分たちが行ける範囲での高い建物に各々登ってその天体ショーを見入っていた。