58. 死戦―中編
ジンの予想通り、盾持ちたちが盾を器用に隙間なく並べ、中にいる魔導士らしき人物を完全に防御する形になりながら前進し始めた。
騎馬兵も歩兵も横隊で二二〇ミノルほど先で磔台を盾にして布陣。動かない。
盾持ちたちはまるで鎧ネズミのように盾のドームを作って、それが前へ前へと南大門に向かって進んでくる。幸い、この〈鎧ネズミ〉の動きは本物のネズミほど早くはない。
この〈鎧ネズミ〉が一七〇~一八〇ミノル付近にまで近づいてきた。
ドゥアルテは声を潜めて、狙撃隊に確認した。
「エディス、セプルベダ、用意はいいか!?」
エディスとセプルベダはすでに装弾済みの銃を持ち、鋸壁を背もたれにして、座っていた。
「はい! いつでも!」
【鋸壁:城壁の上部に凹凸になっている部分。城壁の上に設けられ、弓矢や銃などの武器から身を守るための防御的な機能を持っている。そこから敵に対して攻撃を仕掛けることができ、同時に相手の攻撃から身を守ることもできる】
ラオ男爵の号令が響く。
「弓隊! 引け―!」
弓の弦が引かれて、キリキリと音を立てる。
「撃て―!」
ついに、戦端が開かれた。
ヒュンヒュンヒュンと風を切る音を立て、一挙に二十一本の矢が〈鎧ネズミ〉に襲い掛かる。半分ほどの矢が命中して、盾持ちたちの盾に突き刺さる。
「引け―!」
「撃てー!」
見る間に〈鎧ネズミ〉は針ネズミに変貌した。
〈鎧ネズミ〉改め〈針ネズミ〉は南大門までの距離、一五〇ミノルにほど近くなってきた。
ドゥアルテは距離を確認しつつ、エディスとセプルベダに目くばせする。
「まだ、撃つなよ。一五〇まで待つんだ」
と、その時、〈針ネズミ〉の直上の空間に変化が始まった。
その辺りの空気が熱せられているのか、ゆらゆらと陽炎のように〈針ネズミ〉が歪んで見え始めたのだ。
ドゥアルテはこれを今撃たれて、届いたならば弓隊にいかばかりかの被害が及ぶことを心配してしまった。
「まずい! 魔法だ!」
だが、そう叫んだあと、思い直した。これに怯んで、鉄砲を使ってしまえば、命中率が下がってしまう。
まだ一五〇ミノルより先だ。ナッシュマンの敵の魔導士に関する推察が正しいとするなら、こちらに当たったとしても軽いやけど程度だろう。
「……いや、だが、届くまい! このまま、待て!」
〈針ネズミ〉頭上の陽炎は急に実体を持ち始めた。オレンジ色に明るく輝く高熱源体が十個、中空に表れたかと思った時、それは城壁に向かって放たれた。
しかし、近づくにつれ、中心の明るさは徐々にその輝きを失い、ついには霧散したかと思われた。
「あちーーー!」
「お、あちちちち!」
「熱い熱い!」
弓隊の内、およそ半分の兵たちが叫んでいた。まだ熱は完全になくなっていなかったようだ。
ラオ男爵は城壁の内側、南大門前の広場に向かって叫んだ。
「救護隊! 低級ポーションを運んで来い!」
救護隊の女たちが箱ごとアラムから寄付された低級ポーションを持って動き始めた。
「弓隊! まだ撃てるな?」
「はい! 大したことありません」
「では、引け! ……撃て!」
矢の一本が盾の隙間を抜けて、盾持ちの一人に当たったようで、一人脱落した。
それでもかまわず〈針ネズミ〉は前に進んでくる。
ついに目安の一五〇ミノルラインを超えて、迫ってきた。
ラオ男爵が命じた。
「弓隊! 私の命に依らず、撃てるだけ撃て!」
命じてから、ドゥアルテを向いて、目くばせした。
鋸壁の陰になるようにドゥアルテは腰をかがめて、エディスとセプルベダに向かって走って行った。
エディスとセプルベダはそれぞれの標的に照準を合わせている。
エディスは魔導士、セプルベダは二〇〇ミノル以上先にいるフィンドレイ将軍だ。
エディスにとっての標的は近いが盾で隠されている。
セプルベダにとっての標的は見えるが遠い。
どちらにとっても難しい任務ではあった。
「エディス、セプルベダ、いいか、私の合図だ。小さく『今だ』という。次に私が言ったときが、そのときだ。いいな?」
「「はい!」」
そうして、ドゥアルテは最後に鋸壁の凹の部分に顔を出して、〈針ネズミ〉の様子を確認した、そのとき、矢がまた盾の隙間から盾持ちをもう一人貫いた。
そして、脱落する盾持ちが〈針ネズミ〉の中でもがいて、〈針ネズミ〉の動きが止まった。
「今だ!」
ババーン
二丁のミニエー銃がほぼ同時に火を噴いた。
◇
イスタニアの歴史で初めて銃器が戦争に用いられたこの瞬間、それより時は少し遡る。
フィンドレイ将軍はイライラしていた。
女どもの磔を見れば、戦意を喪失して向こうから使者を送って来るかと期待していた。魔法での城門破壊の後の強行突破になってしまえば、一定の被害は免れないのだ。
なのに、ファルハナの連中はこのかわいそうな女たちを何ら顧みることをせず、抗戦を決め込んでいる。
(この六人の女を順番に槍で串刺しにでもすれば、奴らも目が醒めるかもしれん)
一瞬はそう考えてもみたが、そうしてしまえば、城に近づいた際の磔女たちの盾を失ってしまう。
「御しがたい連中だ! こうなればもはや皆殺ししかないではないか。作戦通り、盾持ちを護衛にシュワバー、それにデュラハンを押し出せ!」
こうして、いまや〈針ネズミ〉となった魔導士と盾持ちたちは、城壁に一四〇ミノルまで近づいていた。
その時だった。
パパーン、と城壁の方で乾いた音がしたかと思ったその瞬間、盾に守られていたはずのデュラハンが突然、全身の力が失ったかのように崩れ落ちた。
盾のドーム内に一緒にいたシュワバーはそれを見て、決断した。
まだ距離はあるが、乾坤一擲の一撃を加えると。
◇
一方、フィンドレイ軍の最後方にいたフィンドレイ将軍にも異変が起きていた。
二〇〇ミノルより近くに決して前に出ずに、ひたすら後方から指示を出していたフィンドレイ将軍は突然馬上から転げ落ちた。
フィンドレイ将軍の傍らで騎乗のヤザンはいったい何が起こったのか、まったくわからず、ただ、驚くしかなかった。
「フィンドレイ将軍? 将軍? いかがなされました!?」
馬上から落ちたフィンドレイ将軍もいったい自分に何が起こっているのかわからなかった。
「ヤザン。お前、儂の肩を押しただろう!」
「将軍、まさか、私がなぜそんなことを……将軍! 将軍の肩!」
「ん? なんだこれは?」
フィンドレイ将軍は突然右腕の付け根に焼けるような痛みをおぼえた。
ヤザンは軍勢全体にパニックを起こしてはならないことを思い出し、将軍の周りにいた歩兵二人を捕まえた。
「おい、お前たち、将軍が後ろに下がれるように護衛しろ」
その時だった。
ヤザンの命令に復命しようと敬礼しかけた二人の兵のうち一人の眉間に突然穴が開いたかと思うと、どさっと崩れ落ち、眉間から血を流して絶命した。
距離はあるが、セプルベダにはそれらの様子がはっきりと見えた。一撃目は外れてフィンドレイの肩に当たった。致命傷にはならないだろう。
敵が何が起こっているかわからないうちに急いで二撃目を装填し、放ったが、フィンドレイには当たらず、横にいた兵の頭を撃ち抜いた。
「ちっ! むちゃくちゃ難しいじゃなねぇか!」
◇
一方、エディスの方は盾に隠れて見えない魔導士を一撃で打ち抜いていた。
盾持ちの盾は足元を覆っていなかったため、魔導士の脚が見えたのだった。
なら、頭はこの辺りか、と撃った一撃は見事にデュラハンの頭を撃ち抜いたのだった。
そして二撃目は盾持ちをもう一人あの世に送っていた。
フィンドレイは焦った。二〇〇ミノルも離れているのに、一撃で兵が、しかも自分の目の前にいる兵の命が一瞬で絶たれたのだ。
下がるぞ!と命令しかけたとき、城壁で異変が起きた。
フィンドレイはそれを見て、命令を真逆に変えた。
◇
時はまたもや少し遡る。火の魔導士であるデュラハンがエディスに狙撃されて命を落とした直後だ。
シュワバーは驚いた。盾のドームの中で、目の前にいたデュラハンが突然魂を失ったかのように崩れ落ちたからだ。
何かの精神魔法かもしれない。そんなものはこれまで実際には見たことはなかったが、そうであってもおかしくはない、と思った。
二~三十人の兵力で百二十人のフィンドレイ将軍に立ち向かうことに決めた連中だ。何らかの切り札を持っていてもおかしくはない。
威力のある魔法は一度使えば、すぐには使えない。それは魔法の原則だ。
(俺とお前の勝負だな。どっちが先に次を撃てるか、だ)
シュワバーは決してフィンドレイが好きではなかったし、彼のやり方には虫唾が走っていた。かと言って、そんなモラルを気にして、高給をあきらめたりする性格でもなかった。
何よりも、この瞬間にあっては高等魔導士としてのプライドが先に立った。
と、その時、盾持ちの一人がまた崩れ落ちた。
(なに! もう撃てるというのか! いや、やってやる!)
すでに盾持ちが三人、それに火魔法の中等魔導士、デュラハンがやられてしまっている。残る盾持ちは七人だ。
「おい、盾持ち、走るぞ」
盾持ちの一人が反対した。
「シュワバー様、走れば盾に隙間が開きます。それではあなたを守り切れません!」
「このままじりじり一〇〇ミノルまで近づいたときにはお前たちは全滅しているだろうな。それでも、このままの方法で前に行くか?」
「そ、それは……」
「だろう。なら、俺の言うことを聞け」
返事はないが、残った七人の盾持ちのうち、三人が頷いている。なら十分だ。どうせ他の奴らもいったん動き始めればついてくるはずだ。
その間にも矢が雨のように降り注ぎ、盾に突き刺さる音を立てている。
タン、タンタン、と。
「俺が詠唱を始めたら、走り出すんだ。いいな、チャンスは一回きりだぞ」
◇
その時、エディスもセプルベダも次弾を放つべく弾の装填を急いでいて、城壁の外の様子を見ていなかった。
先に気が付き、声を上げたのは弓兵をしていた冒険者ギルドの衛兵アメリアだった。
「針ねずみが走って来る!」
弓隊がそれに呼応して、必死に矢を射かけた。
盾はすでに七枚になっていて、隙間も多くなってきていたし、近づくことで弓矢の命中率が上がっていた。
盾持ちはさらに三人脱落し、ついに四人になった。
盾持ち四人はドーム状にシュワバーを守ることをあきらめ、斜め上に縦を掲げて、四人横隊で後ろにいるシュワバーを守っている状態だった。
エディスが、そして少し遅れてセプルベダが弾の装填を完了して、鋸壁の凹から銃口を出したとき、それは起こった。
盾持ち四人の後ろに隠れるシュワバーの頭上に巨大な横倒しの氷柱が急激に育っていく。まさに、育っていく、と表現するのが適切だろう。氷柱の芯に当たる部分が光を帯び、その周りに周辺の水分が吸い込まれるようにしてくっついて行き、それに従って、氷柱はどんどん太くなっていった。
そしてそれは、ゆっくり起こったことではなく、一瞬でそのような変化を遂げたのだ。
突然現れた中空に浮かぶ氷柱はその先端を南大門に向け、ゆっくりと加速していた。
「どけっ!」
シュワバーはそう叫ぶと、前を守っていた盾持ちが、二人ずつ左右に分かれて、シュワバーは城壁にいる敵に対して完全に無防備になった。
彼は両手を少しずつ加速しつつある氷柱にかざし、待ちうるすべての魔力を押す力に変えている。
巨大な氷柱は推進力を得て、どんどん加速していった。
◇
「わたしがやる」
エディスはそう小さく呟くとミニエー銃の銃口から炎が迸った。
シュワバーの眉間を狙って放たれた弾丸はシュワバーがかざす彼の右手のひらを貫いた。
「っ!!」
シュワバーは弾丸を手のひらに受けた衝撃と痛みに顔をゆがめた。
両手の平を通して、注ぐ魔力により氷柱を押していたのだ。
右手の平が撃たれたことで、氷柱は右に逸れ始めた。
右に逸れながらも、凄まじいスピードで南大門の右横、城壁の内側である街の中から見れば、ゲートの左側の城壁に直撃した。
大質量対大質量の衝突。
氷柱は粉々になりながらも城壁を粉砕して、突き破った。
衝突地点である城壁の上にいた数名の弓隊の兵士たちは形も残さず消えてしまった。
氷や城壁の破片は破壊された城壁にほど近い南大門の見晴台にいたラオ男爵、ジン、騎士たち、それに鉄砲射手たちにも降り注いだ。