56. フィンドレイ、襲来
演説の成果もあって、ボランティアの数は二百人以上にも達した。
武器を持ったボランティアが五十人にも及んだが、ほとんどが素人で前線には出せたものではなかった。
幸いなことにその中には兵役経験者や元冒険者も十五人ほどいた。彼らには南大門前広場に待機してもらい、いざとなれば城壁に上がってもらうことにした。
残りの未経験に毛が生えた程度の者たちには武器を持って各自の家や近所を守ってもらうことにした。最悪の場合、彼らがレジスタンスになるだろう。
その他、救護、武器メンテナンス、弾薬運搬など多くのボランティアが集まった。
ただ、興奮というものはそう長く続かない。
朝十一の鐘が鳴ってしばらくすると、空腹を訴える者も増えてきた。
「ドゥアルテ、街の飯屋の連中の炊き出しはまだか?」
「ええ、もうそろそろ昼食をもって南大門前に来るはずなのですが」
ラオ男爵とドゥアルテがそんな話をしていると、各飲食店たちが各々の自慢の料理を荷車に乗せて南大門前の広場にそれを曳いてきた。
まるで、ファルハナの飲食店の合同イベントだ。
各飲食店が自慢の料理を小分けにして大きなニラの葉の上に盛って、ファルハナ防衛隊の皆や、戦力ボランティア、救護担当の女性たち、それに武器メンテナンスや弾薬運搬担当の皆に振舞っていた。
今日、という日は本来ファルハナにとって悪夢の日のはずだった。それが南大門前の広場ではまるで縁日のような雰囲気が漂っていた。
ジンは心配になってきた。
「ラオ様、こんなんでいいんでしょうか?」
「ジン、緊張はいつまでも続かない。フィンドレイがいつ来るか変わらないのだ。見張りさえしっかりしておれば、これでよいではないか」
「では拙者も宿にいるツツを連れてきてもよいでしょうか?」
「お前の狼か? 皆が怖がるのではないか?」
「もし、街の中に突入されたとしたら、ツツは大きな戦力になります。ツツに街の人を覚えてもらっていれば、混戦になった時にツツは街の人を守る動きをするはずです。……それに、ツツにうまい飯も食わしたいのです」
「ははは。最後のが本音だな。ジン。まあ、よい。宿は近いのであろ?」
「ええ、半ティックもあれば行って戻ってきます」
「なら、行け」
「かたじけない」
◇
ジンがツツを迎えに宿に向かっていたころ、フィンドレイ将軍は昼食を終え、その重い腰を上げていた。
「そろそろ行くか。磔の女どもにちゃんと水はやっておるか?」
傍らにいた副官ヤザンが「はっ」ともはや条件反射のごとく反応した。
「問題なく水、食料も少々摂らせております」
「なら、よい。兵たちも昼食は終えておるだろうな。では、出発するぞ」
ヤザンがまた「はっ」と反応すると、部屋にいた他の兵士たちも遅れて同じように反応した。
馬車が六台、騎馬三十騎、盾持ち十、槍兵三十、突撃兵三十、工作兵十、それに魔導士二名。
おおよそ一二〇の編成だ。三名、村の留守番に残した。事実上の全軍出撃だった。
◇
ジンが宿、いや厩舎に近づくと、何やら厩舎の中から声が聞こえてきた。
「ツツちゃんや、今日はね。婆やが旨い猪肉をいっぱい持ってきたからね。たんと食べるんだよ」
カーラだった。
ジンは意地悪くもすぐには厩舎に入らずにやり取りを見ていた。
ツツは背丈の変わらないカーラの顔に頭をこすりつけて、頬をひと舐めして感謝を示した。
「ひひひ、お前は本当にいい子だね。さ、お食べ」
カーラは上機嫌でツツにご飯を持ってきていた。道理で最近ツツがちょっと太り気味だなと思っていた。
当然森の暮らしに比べて、圧倒的に運動量が減ったこともあるだろう。しかし一泊五〇ルーンでこの量の猪肉は完全に赤字のはずだった。
すると、ツツがジンの存在に気づいて、厩舎の外を見た。そのツツに気づいて、カーラもジンに気づいた。
少し気恥ずかしそうにして、カーラはジンの方を向いた。
「なんだ、お前さん、南大門で仕事じゃなかったのかい?」
「ああ、ツツをニケの護衛にしたくてな。ツツを連れて行こうと思って、戻ってきた」
「そうかい。この子にあんまり無茶させるんじゃないよ」
ジンは思わず吹き出しそうになったが、かろうじてそれを抑えた。
「ああ、今日は戦いにはならないそうだからな。ただ、もう連中を街に入れないことにした」
「そうかい。まあ、街を頼んだよ」
ツツはそんな会話の間にもすでに猪肉を平らげていたので、ジンはツツを連れて行くことにした。あまり長い時間、南大門前の広場から離れていたくなかった。
「ああ、じゃあカーラ、行ってくるよ」
カーラはジンとツツを見送った。
「お前さんも無茶するんじゃないよ!」
◇
南大門に着いた一人と一匹。
「ツツ、何が食べたい?」
「ワオーン」
「そうか、猪肉は今食べたところだからな。鹿肉だな? ちょっと待てよ、〈宵闇の鹿〉も店を出しているはずだから……おお、あったぞ。こい、ツツ」
それはすぐに見つかった。
ビーティがいたのですぐにわかったのだ。
「ビーティ! 元気にしてたか?」
「ジンさん! ……え、狼も一緒ですか……」
ジンの後ろからひょっこり顔を出したツツにビーティは気が付いた。
「ビーティ、そう怖がってやるな。ツツは人好きな良い狼だぞ。まあ、よい。鹿肉を俺とツツにくれ」
「ど、どうぞ。狼の分、生でなくて大丈夫ですか?」
「ツツは麦とか芋とかは無理だが、それ以外はほぼなんでも食べれるぞ」
「そ、そうなんですね」
「なあ、ツツ、このお嬢さんはなんでお前をそんなに怖がっているんだろうなあ」
犬嫌いは、いや、狼嫌いは直らないのかもしれない。そう思いながらも、ツツがなんとか街の人にかわいがってもらえればいいのに、そんなことを考えながら、ジンはそう言ってみたが、まるで効果はなさそうだった。
「ど、どうぞ」
ビーティが二皿、鹿肉のステーキをジンに差し出した。
「なー、ツツ、ビーティはお前のことが怖いんだって。こんなにいい子なのになー」
ビーティもジンのしつこさに少しイラっとした。
「ジンさん、あんまり犬好き……じゃなくて狼好きをひとに無理強いしない方がいいですよ」
「……そうか。そうだな。ビーティ、鹿肉ステーキ、ありがとうな」
「次の方、どうぞー!」
◇
そんなやり取りがあって、ジンとツツは〈宵闇の鹿〉のワゴンを後にして、別の飲食店の出すワゴンを巡っていた。
ジンは〈宵闇の鹿〉しか飲食店は知らなかったので、この機会にいろんな店の味が知れて、人々と知り合えたのは幸運だった。ツツも大喜びでウサギ肉や豚肉料理を楽しんだが、猪肉には見向きもしなかった。
ジンは不思議な感じがしていた。
もしかしたら、この人たちの明日は今日までの生活とは全く違うものになってしまうかもしれない。それでも、こんなに楽しい瞬間が今、目の前にある。
この人たちは自分より達観しているのかもしれない。人間、なるようにしかならない、と。
荷車で店から持ってきた食料がなくなって、ちらほらと空になった荷車を曳いて帰り始める店が目立つようになってきたころ、南大門の警鐘がけたたましく鳴り、それに続いて領主館の鐘楼の鐘も鳴った。
いつもの時刻を告げる鳴らし方ではなく、カンカンカンカン、と連続してそれは鳴った。
「敵襲!」
「てきしゅーーーー!」
「フィンドレイ将軍が来たぞーーーー!」
そんな声が方々から聞こえた。
ジンはそれが一二〇人からなるフィンドレイ将軍の全軍攻撃であることをまだ知らなかった。