52. 徴税の前日、それぞれの一日
ラオ男爵はさっそく帰って薬莢づくりや弾作りを始めようと、歩き出したニケやヤダフ、それにモレノも引き止めた。
「ヤダフ、ニケ、それにモレノ、相談したいことがあるのだが」
まずモレノがすぐに返事をした。
「ええ、男爵、何なりと」
「優先順位の問題だ。明日、フィンドレイがやってくるわけだが、決して戦争をしに来るわけじゃない。明日は弾の一発も消費しないだろう。鉄砲をもう一丁でも二丁でも作っておいた方がいいのではないか?」
ラオ男爵はずっと二丁では足りない、本当は十丁でも欲しいくらいだった。
「男爵。俺は鉄砲の心臓である砲の部分を作っている。これには型がない。すべて寸分の狂いもなく、一から鍛造で作るのだが、これにはどうしても三日かかる。螺旋状の溝を切らないのであれば、一日で三本は作れるのだが。それに、明日、門を閉ざされて引き上げたフィンドレイ将軍が、もし明後日にでもすべての兵を連れて攻め込んできた場合、何もできずに終わってしまうんじゃないか?」
ヤダフの懸念はもちろんラオ男爵も考えていたことだった。
「そうか。それにヤダフは弾丸も作らねばなるまいしな。であれば、弾作りに注力してもらおう。なんとか一丁当たり三〇発の弾が欲しいのだ」
それから、男爵は少し腰を低くして、ニケの高さに目線を合わせた。
「ニケ、そろそろドゥアルテがお前の助手を見つけているころだろう。来たらすぐに宿に行かせるから」
ニケは礼を言った。
「ありがとう、ラオ男爵!」
「ニケ、ノーラと呼んでくれ。いいな?」
ラオ男爵は一人娘で兄弟を持ったことがない。ニケが妹ならいいのにと本当に思ってしまうほどなのだ。
「わかりました。ラオ……じゃなくてノーラさん」
ニケは少し言い淀みながらもラオ男爵を名前で呼んだ。
「ああ、それでいい。では、みんな、頼んだぞ。私は銃の訓練があるからな」
ラオ男爵はそう言いながら、ヤダフとモレノ、それにニケの元を離れ、近くで銃をいじっている新人衛兵エディス、それにセプルベダという警ら隊員に近づいて行く。
それぞれがそれぞれの動きを始めたとき、モレノがヤダフを引き止めた。
「ヤダフ、ちょっといいか」
その後、モレノはヤダフと何やら話していたが、「ああ、それで行こう」と合意して、それぞれの工房に帰って行った。
銃撃試験の結果、エディスとセプルベダの二人が見事に甲冑の頭を打ち抜いた。
セプルベダに関しては、旧バーケル辺境伯領であったころからファルハナに配属された兵士で、弓の腕も高かったので、ラオ男爵は彼が弓隊の核になる男だと考えていて悩んだが、約束通り鉄砲射手訓練生に選ばれた。
鉄砲射手訓練生、と言っても今日一日の話なのだが。
そうして、射撃訓練生二名としてエディスとセプルベダが選ばれると、残った者たちは領主館の周りにある一棟の大きな建物に入っていった。
ここはファルハナ唯一の室内弓場で、立派な設備だった。
いざ、訓練を始めてみるとおよ全員の三分の一にあたる六名が兵士出身であったり、冒険者として弓専門職であったりして、何ならジンよりよっぽどうまいことが発覚し、指導側に回ってもらうことにした。
一方、ラオ男爵は射撃としては今朝練習した十発だけ、エディスやセプルベダに比べて先輩なわけだが、照準器の見方の説明、引き金を引く際に狙いが変わらないようにするコツ、素早く装填するコツ、を手際よく説明していた。
そんな様子で午後は訓練に明け暮れた。
◇
皆が訓練に明け暮れる中、宿に戻ったニケの元にアラムがやってきて、ポーリーンという名の女性薬剤師を置いて行った。
なんでもアラムは今朝、急にドゥアルテの訪問を受けて、「街の興亡に関わることだ。今すぐ腕のある薬剤師を紹介してほしい」と頼まれたらしい。
ドゥアルテの話を詳しく聞いて行くと、なんとニケの助手に、ということではないか。アラムは驚きつつも、ニケならではの話だと思いながら、嬉しくなって、とっておきの取引相手であるポーリーンを直接ニケの元に連れていくことにしたそうだった。
ポーリーンは年のころは二十代前半の線の細い、黒い髪をした、一日中、白衣を着て過ごすような人物で、顔には痘痕が少し目立つにも関わらず、化粧の類は一切しないような女性だった。
悪く言えば地味、よく言えば研究熱心な薬剤師、それがポーリーンだった。
最初ポーリーンがアラムの話を聞いたとき、話に出てくる〈九歳の獣人〉に頭の中に疑問符が飛びまくった。
そして、それに追い打ちをかけるように、アラムがポーリーンにその子供の助手をしてほしいと頼んでくるに至って、「私だって一介の薬剤師よ。なんでそんな子供の助手なんて!」と悲鳴を上げるように拒絶したが、「あのポーションの薬剤師だよ」というアラムの一言で納得して依頼を受けることにするのだった。
という経緯が今朝という短い時間の間に起こったことこそまさに驚くべきことだったのかもしれない。
ともあれ、昼後になった今、ポーリーンはニケと一緒に宿の部屋にいた。
「ポーリーンさん。そこに大量の火焔石がありますので、火気厳禁です。あと、出来あがった火薬の管理も厳重にしてくださいね。もしこの部屋で爆発させたりしたら、そこにある火焔石にも引火して、この建物どころか街の一角は吹き飛んでしまいますので」
ニケは脅す気ではなかったが、注意すべきことをまず注意したかった。
「わかりました。ニケさん」
そんな爆発物に囲まれて作業をするのは恐ろしくもあるが、注意すれば大丈夫だろうとポーリーンは高を括った。彼女にしてもこれまで危険な薬剤や材料を用いて調剤したことなどは何度だってあるのだ。
「で、やっていくのが、この火焔石を削って粉にしていく作業です」
「いやいや、ニケさん、そんなことをしたら火事になります。火事どころか、さっきニケさんが言ったようにこの一角を吹き飛ばしてしまいますよ」
「ポーリーンさん、それこそが火薬の製造方法なのです。削る際に一時的に火焔石の表面を安定化させるため、触媒としてこの薬剤を使います。あくまで触媒ですから、後で水に漬ければ薬剤は水より軽いので分離して浮いてくれます。それを取り除いてまた使います。出来た火焔石の粉は水に混じりますから、水分を乾燥させれば出来上がりです。」
「で、その薬剤は何ですか?」
ポーリーンが訊く。
「それは言えません。この触媒になる薬剤がまさに火薬製造の秘密です。私はぜんぜん教えても大丈夫なんですが、今のところラオ男爵から禁じられています」
ポーリーンは決して火薬でお金儲けをしたりしようと思ったわけではない。純粋な薬剤師としての好奇心だったのだが、ニケはこれでポーリーンを少し警戒してしまったかもしれなかった。
「さ、では作業を始めましょう」
ニケは砥石に触媒液をたらし、完全に砥石に液が染み渡ると、火焔石を砥石で研いでいく。触媒液が赤く濁り、受け皿に赤い液体としてこぼれていく。
「砥石に乾燥している面があるとそこで発火する恐れがあります。必ず砥石の表面全体に触媒液がいきわたるようにしてから、研ぎ始めてください」
「分かりました。では始めます」
ポーリーンは慎重に触媒液が砥石全体に行き渡るように垂らして、砥石表面の色が変わると、手に取った火焔石を恐る恐る研ぎ始めた。
こうして、薬剤師チームも火薬増産に向けて動き出した。
◇
一方、弾丸製作チーム……というよりヤダフの工房ではもともと人手が多かったので、単に今受注している仕事をすべて今日中断するだけでよかった。
五人いるドワーフの見習い職人や雇われ職人たちを弾丸製作に回すだけでよかったのだ。ヤダフはと言えば、また砲身を製作していた。これだけはヤダフでないとできなかった。あと、三本、今日中に仕上げなければならない。
ヤダフとモレノは相談して、出来るかどうか確証のない中、ラオ男爵にそれを告げることもできずに、あと三丁、滑空砲、つまりライフリングのないミニエー銃を作ろうとしていた。接近戦になれば十分使えるはずだ。
モレノも自分の工房に戻り、三丁作るのに必要なだけの部品を鋳造していった。型はあるので、どんどん作っていき、後は型ではできない細かい作業を施していくことになる。
マイルズはバルタザールと共に当日の、つまり明日だが、入街管理のプロトコルやフィンドレイ将軍が来た時の対応の演習を行っていた。
実際の検問は明日まで行わないが、街の出入りはすでに活発になっていた。フィンドレイ将軍とその〈徴税官〉たちが明日やってくるという情報は多くの街の人の知るところになっていたのだろう。
入って来るより出ていく方が圧倒的に多い。外からやってきている商人や商隊にとって、ファルハナに滞在しているだけで、徴税の対象になるのではたまったものではないからだ。
ドゥアルテと、彼が面接を行った冒険者たちも弓の練習に合流した。
ドゥアルテはアラムのお店から戻ってくると、すぐに冒険者ギルドから紹介された四人の冒険者を面接し、問題がないことを確認すると、すぐに弓場に連れて行った。
結局四人の冒険者が今回の守備隊に加わったのだが、その中にはいつもは冒険者ギルドの門番をしているアメリアとバーレットもいた。
ドゥアルテは新たに加わった四名を弓場に案内すると、すぐに到着したばかりの元ラオ男爵であるガネッシュ、それにナッシュマンら四人の騎士に明日の体制の説明をするとようやくドゥアルテは遅い昼食にありつけたのだった。