50. 晩さん会
ジンは〈レディカーラの瀟洒な別荘〉に戻った。
馬を戻しに厩舎に入ると、カーラから猪肉をたらふく頂いたのか、ツツは藁をうずたかく積んだお手製のベッドの上で腹を上に向けて、完全リラックス体制で寝ていた。
「ツツ、ご機嫌だな」
ジンは一声かけてから、部屋に上がっていった。
部屋に入ると、ツツとは対照的にニケが不機嫌そうに、ひたすら薬莢を作っていた。
「ニケ、強度六と八はもういらないことになった。十で行く。十だけ作ってくれれば大丈夫だ」
「大丈夫だよ。六も八も決まった分量だけ火薬を足せば十になるから」
「そうか、では六と八を作った労力は無駄にならないってことだな、それはよかった。ニケ、十だけが必要になったってことはつまり、十が成功したってことだぞ。ニケ。お前のおかげだ」
ジンはニケを褒めたかった。ニケの火薬や薬莢がなければ、ここまでたどり着けていなかったのだから。しかし、それに対するニケの反応は乏しかった。
「ふーん」
「ニケ、飯は食ったのか?」
「ジンが必死に走り回っているのに私だけ一人で晩御飯なんてできないよ」
「なんだ、そんな遠慮はいらないのに。食べておけばよかったのだ。もう八つだ。今からだと、俺の知っているところだと〈宵闇の鹿〉で食べるしかなくなったぞ」
いつか、ニケを連れて行くと言っていた〈宵闇の鹿〉に連れて行く良い機会だとも思った。しかしそれでもニケは釣れない。
「もう今日は要らない」
「何を言っているんだ。行くぞ。馬に乗せてやるぞ!」
ニケも疲れていたのだ。それはそうだ。たったひとりで、ただひたすら薬莢を作っていたのだから。
それでも、馬に乗ってジンと外に食べに行く。このことで少し機嫌を直したニケは大人しくジンについて厩舎に向かう。
ツツはさっき馬をつないだ時と全く同じ場所でまったく同じ姿勢のままだ。
「ツツ、ちょっと出かけるからな」
ジンはそう言って、ニケを馬上に引き上げた。
「ニケ、ちょっとだけ領主館に寄るからな。馬だと早い。強度十のテストをするはずだ」
「ジン、ご飯食べに行くんじゃなかったの?」
「もちろんそれは行くよ。ほんの少しの時間だ」
「ふーん」
ニケの直りかけた機嫌がまた悪くなったころ、領主館の門が見えてきた。
「ニケ、お前は領主館は初めてだったな。お前は俺の誇りだ。ファルハナを救う薬剤師だからな。堂々として……」
ニケはジンの言葉を遮った。
「ジン、そんなのいいから、早く用事を終わらせて食べに行こうよ。さっきは要らないって言ってたけど、もう倒れそうなほどお腹が空いて来たよ」
「お、おお、そうか、すまない。すぐ済ませるからな」
門に到着するとバルタザールがちょうど帰り支度をするタイミングだった。
「ジン! それに今日は噂の猫の嬢ちゃん付きか。俺はちょうど交代のタイミングで帰るところだけどな、ラオ男爵がお前のことを待っているぞ。なんでも十が成功したって話で、お前の報告を待ってるぞ。さっさと中に入んな!」
ジンは馬で急いで宿に寄ってから来ただけだ。モレノは徒歩だったのでちょうどタイミングが合うと思っていた。それなのに強度十の試験がもう終わったとバルタザールは言うではないか。
「試験はもう終わったのか?」
「ああ、終わったぞ。俺も照明係で見てたからな。あれはすごいな。ってそんな話はいい。さっさと行け!」
思いのほかモレノが早かった、いや、速かったのだろう。老いらくの恋のなせる技に改めて驚いてしまった。さぞ護衛した職人たちは彼の歩調に付いて行くのが大変だったことだろう。
「ニケ、どうやら実験は予想通り成功で終わったようだ。俺は少しだけラオ様に報告して、ああ、そうだ、お前もラオ様に紹介したいしな」
「わかったよ。でももうほんとにお腹が空いて倒れそうなんだからね」
「すぐに終わらせて、〈宵闇の鹿〉に行こう。な?」
ニケをなだめながら、領主館の廊下を歩いた。
すると、ベリンダという顔見知りの女中が廊下にいて、というよりジンを待っていたようでジンの姿を見ると「ああ、ジン様」と声をかけてから、その影を歩いていた獣人に気が付いて「ひっ」と声を上げ驚いた。
もちろんベリンダの「ひっ」には気づいたジンだったが、敢えてそれを完全にスルーして「どうした?」と返事をした。
「ジン様、ラオ男爵がジン様を見かけたら、バンケットルームに案内するように申しつかっておりました。ご案内いたします」
そう言うと、ベリンダはジンをいつもの執務室の前を通り過ぎて、さらに奥にある少し瀟洒な両開きの扉まで案内した。
「……こちらです」
ベリンダはそう言って扉を開けると、薄暗かった廊下にバンケットルームの中の明るい光がこぼれ出た。
ジンとニケは案内されるがままに部屋に入った。長いテーブルの一番奥に座るラオ男爵が入り口から正面に見えた。いつもとは全く雰囲気の違うドレスを着ている。赤い髪に似合う濃緑のワンピースだ。
「ジン! それに可愛いそなたはニケだな? 待っておったぞ。よく来た」
ラオ男爵は二人を歓迎した。マイルズもいて、ニケに微笑みかけた。
「ニケちゃん、よく来たな!」
ヤダフが猫撫で声で、空いている隣の席にニケに座るように促した。
「おお、猫の嬢ちゃん、さ、こっちにお座り」
モレノがジンに声をかけた。
「すまん、ジン。実験はあっさり成功だ。お前も見たかったろう?」
そして、テーブルの一番奥に座るラオ男爵を挟むようにして座るラオ夫妻。ガネッシュがニケに声をかけた。
「ニケだね。えらかったね。お前がずっとこうして薬莢を作ってきてくれたおかげで安全に強度試験が出来たよ」
マイルズやヤダフは知っているが、知らない人がいっぱいいる部屋に入ってきて、みんなから声をかけられ圧倒されるだけ圧倒されているニケはただ目を見開いて、固まっていた。
そんなニケを見て、ジンが笑顔で彼女をかばった。
「ああ、皆さん、ニケはこういう場は初めてですから、少し緊張しているようです」
ラオ男爵が口を開いた。
「皆よくやってくれた。鉄砲が出来たからと言ってすべてのことが解決するわけではない。けれども確固たる希望が私には見えた。皆のおかげだ。礼を言う。
明後日にならなければ正直このファルハナの街がどうなるかはわからない。
しかし我々は最善を尽くした。後は自信をもってその日を迎えようではないか。
今日は食事もろくに取らせずに遅くまでご苦労だった。これはラオ家としての心づくしである。どうか、食事を思う存分楽しんでいってほしい」
と、その時、ノーラことラオ男爵の母親であるシェイラが初めて口を開いた。
「ほら、みんな、ノーラもそないゆうとるんやから、はよ食べや」
ガネッシュとラオ男爵以外の全員が絶句した。トーンは非常に柔らかく、表情は上品な笑顔、そこから飛び出るどこの方言かわからない訛り。ジンには上方言葉のコモン語バージョンに聞こえたが、ほかの者にはどう聞こえたのだろうか?
ニケもようやく緊張が解け、進められるがままヤダフの横に座るのだった。
◇
「ニケ、今はお前に負担をかけているのは承知している。薬莢の作業を手伝うにはどんな技術を持った者が必要だ?」
ラオ男爵がニケに問うた。
「火焔石の加工には薬剤師の技術を持った者が必要です。ニラの木の樹液から薬莢の殻を作るのは手先の器用な人であれば大丈夫です。弾丸は私は作れませんので、ヤダフさんにお願いするしかありません。後の作業はちゃんと計りが使えて、決まった量の火薬を入れるといったことが出来る人であれば、だれでもできます」
ニケも慣れない丁寧語でしっかり話せた。
一生懸命話すニケを見ながら、ラオ男爵はこの小さな猫の獣人がいっぺんに好きになってしまった。彼女の保護欲を極限までかき立てる何かをニケは持っているようだ。
「そうか。ニケ、無理をさせてすまない。ニケが無理をしなくても何とかなるようにしよう。ドゥアルテ、聞いておったろう。今言った能力を持つものを明日の朝には見つけてくるのだ」
「あ、明日の朝ですか?」
「そうだ。フィンドレイは明後日には来るのだぞ? 出来るだけの薬莢を確保しようと思えば、人がいるだろ? ニケを過労死させる気か?」
「もちろん、最善の努力をしてまいります」
そうと答えつつ、そんなものどうやって見るければいいんだとドゥアルテは悩んだが、ラオ男爵が言うことはもっともだ、とも思った。フィンドレイ将軍は待ってはくれないのだから。
「うん。頼んだぞ。そうだ、モレノ、先ほどそなたが言っておった二丁目の鉄砲というのはどういうことだ?」
「ラオ男爵、二丁目は組み立てるだけですので、明日の朝にはできます。構造的には強度十の実験に成功した一丁目と全く同じです」
「素晴らしい。このファルハナという街はお前のような凄腕の職人を多く抱えておるのだな。私は何としてでもこの街をフィンドレイから守ってみせるぞ」
「男爵! もったいないお言葉です!」
モレノは感動に打ち震えた。
実はラオ男爵はすでにワインを中デキャンタ一本分ぐらいすでに消費していて、語りだすと止まらないようになっていた。
「ジン! 一度お前に訊いたことがあるが、何やらうやむやにされたようだったから、改めて訊くぞ。そなたはいったいどこから来た? あのような武器をどこで知った?」
ラオ男爵はなぜかこれを訊いてしまえばジンがどこかに行ってしまうような気がしていて、最初に会った時以来ずっと封じてきた質問を酒の勢いしてしまった。
ジンはというと、この大勢の前で、これをごまかすのは不可能だと一瞬で悟ってしまった。
「ラオ様。それがよくわからないのです。気が付けば森の奥深くにいて、ニケに助けられたのです。私がいたところはニホンと呼ばれる場所で、私は領主に仕える騎士でした。そこでは戦争が起きていて、この鉄砲というものが使われておりました」
嘘は一切言っていない。ジンが見たところ、この世界にはイスタニアの外が存在する。そして、アンダロス王国はそのイスタニアの一部を占めるにすぎず、遠くの世界、ましてやイスタニアの外のことなどまったく知らずにほとんどの人々は生活している。異世界から来た、などと説明さえしなければ、遠くの国から漂着した異国の戦士だと勝手に認識してくれるはずだ。
ましてや〈役目〉の話など絶対に出来ない。それを話すことで、それこそ本来正すべき歪みを自ら作り出してしまうのかもしれない。
だとしたら、銃の製造法などを伝授してよかったのか、という問題がある。しかし、それはジンの中では驚くほど合理的に理解、解釈されていた。
そもそも〈座標〉は銃の知識を持つジンをこの世界に召喚したのだ。それを正しい方向に使いさえすれば〈歪み〉は正しい方向にねじり戻され、〈役目〉は果たされる方向に物事が進んでいくはずだ、と。
しかしそれでもジンはこの解釈が都合がよすぎるな、とも感じている。本当のところ、〈役目〉とは何なのか全くわからないのだから。
そんな疑問を持ちながらも偽ることなく帰ってきたジンの返答に、ラオ男爵は重ねて質問した。
「ニホン、とな。寡聞にして聞いたことのない国だな。そしてお前は騎士なのか?」
「騎士、という階級はありません。ただイスタニアの騎士とよく似た階級なのでそう言いました。私が属していたのはサムライと呼ばれる階級です。領主に仕えて、民の生活を安んじるのが仕事でした」
「ジン、ならばお前は貴族なのか?」
「いいえ、イスタニアの貴族とは異なります。日本にも貴族はいましたが、国政には関わらず、ただ無益に富をむさぼる存在でした。サムライは実際に力をもって国や領地を守る存在でした」
「ジンよ。お前には名前があるのか?」
突然ガネッシュが口を挟んだ。
「はい。私の名はカヤノ・ジンベエ・トキタカと申します。カヤノがわが家の名です。トキタカが私の名です」
「ふむ。イスタニアでは市井の者は名を持たぬ。ただ字名を持つだけだ。例えばマイルズ、お前の名は? と問われてお前は何と申す?」
ガネッシュはマイルズに話を振った。
「はい。マイルズ、と答えます」
「そうであろう。だがそれは本当は名ではない。それは字名というものだ。名は王族、貴族にのみに与えられる。そしてジン、お前はそれを持つのだな」
「はい。でもイスタニアにおいては私はただのジンでおりたいと思っております。私の真の字名はジンベエですが、それをこのニケがジンにしてくれました。私はこのジンという字名、いいえ、マイルズが名を訊かれて答えるときのように、誇りをもってジンを名としてここで生きていきたいと思っています」
「はははは。なんと小気味の良い男じゃないか。なあ、ノーラ」
「父上、私は申し上げました。ジンはアンダロスを、いや、イスタニアすらも変える男だと」
やはりノーラことラオ男爵は酔っぱらっていた。
「ラオ様、どうかその辺りで容赦いただければ、拙者も安心して次の料理に手が伸ばせるのですが」
ジンは弱りきった顔でそうラオ男爵に訴えた。
「ジン、お前がどのような過去を抱えているかはわからぬ。ただ、今、お前はファルハナにあって街を力の限り救おうとしてくれている。私は、私は……」
ラオ男爵がそこで言葉に詰まり、嗚咽する。
彼女にしてみれば、ここに至るまで完全に八方ふさがりだった。その中で、小さくはあっても唯一の光を見せてくれたのが、ジンの鉄砲だった。
その鉄砲がついに実際の力を示したのだ。
ジンへの感謝の思いが、それに異性に対する思いも少し混じっていたのかもしれないが、酒の勢いもあって爆発してしまったようだった。
「おやおや、ノーラ、お前も疲れておるのだ。そろそろ、休め」
ガネッシュがそう言うと、ラオ男爵を連れて退出させるべく、シェイラが立ち上った。
「皆はこのまま、料理や会話を楽しんでほしい。決して体裁や礼儀で言っているのではないぞ。そうしないとノーラが悲しむのでな」
シェイラがノーラを連れてバンケットルームから去って行くと、ガネッシュは皆にそう告げた。