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5. 〈役目〉

 この世界に来てから二年がたった。


(日本、いや会津に帰らなければ)


 ジンのこの思いは日に日に大きくなっていた。


 ニケとツツとの生活はとても好ましいものなので、単に生きていくだけならここにずっといてもいい。


 だけど(それは違う)とジンは思う。まるで落武者のようにここに引きこもって余生を過ごすなど若いジンには考えられなかった。


 会津の、そして日本の行く末を見なければ、幕末の動乱、いや、自分自身が参加した鳥羽伏見でのあの戦いはいったい何のためだったというのだ。


 それにあの西洋甲冑の剣士は何者だったのか。ジンは何かに呪われて、あるいは仕組まれて、ここにいるように気がしてならない。


 まずはアスカの人々に会わなければならない。会って、情報を得なければ、会津に帰る手段が分からないのだ。


 ともあれ、ニケとのコミュニケーションはずいぶんと問題がなくなった。


 そうなるにつれて、ここに来てから自分なりに解釈していたことが実はそうでなかったり、やっぱりその解釈は正しかったり、ということが多く出てきて、いろいろと認識を改めつつあるジンだった。


 それら改まった認識のうちでことさら大きな意味を持つのが〈魔の森〉……アスカの人々に会うためにまず越えなければいけない〈踏破不可能な領域〉だ。


 ニケの言葉を理解し始めたとき、今いる場所からアスカの人々が住む領域に行くには魔の森を越えなければいけない。そしてそれは不可能だ。と理解していたがどうやらそうではないようだ。


 実際には不可能ではない。問題は魔の森に漂う瘴気とも呼べる大気というのが分かった。


「ニケ、その瘴気というのはなんだ?それを吸うと死ぬのか?」


「死なないよ。魔物になるだけ」


「は?それは死ぬよりつらいじゃないか!」


「たぶん、つらくはないと思う。つらいとか感じないようになるはずだから」


 ニケの返答を聞いて絶句した。つまり、変わってしまった自分を変わってしまってつらいとも思えないようになってしまうということだ。言い換えれば自己を失うということに他ならない。


「だとすると、やっぱり魔の森は越えられないということだ。俺の言葉が下手だった時の認識は間違ってなかったってことだな?」


「うーん。微妙に違う」


 ニケも随分成長した。猫又のように猫そっくりの耳を立てる彼女は獣人族ネコ科に属するとのことで、人間より成長がずいぶん早いそうだ。


 さらにジンが来たことが、ずっと一人だった彼女に精神的な成長も随分促したようだった。


 ジンが来たばかりの時は意思疎通の難しさによるストレスもあってか、すぐ怒ったり泣いたりしたものだが、二年たって彼女は人間で言うと体は十五歳ほど、精神的には……どうだろうか、これも十五歳ほどか、いずれにしてもずいぶんと成長して、よっぽどのことがなければジンに冷静に応えてくれることがほとんどだ。


「魔の森は越えられる。ただ、瘴気の害から身を守るために大きな魔力が必要」


 ニケはそう説明した。


「って、ずっと私はそう言ってたんだけどね。ジンは『不可能だ』って理解してたわけね」


「そりゃ俺も言葉がよく分からなかったからな。で、その魔力ってのは魔法みたいなもんか?」


「うーん。それも違う。魔力はみんなが持ってる生き物の力だよ。それを形にするのが魔法とか魔術。ジンの魔力はたぶんすごい」


 そう聞いて、ジンの頭の中は疑問符だらけになる。


「いや、ちょっと待て。俺は会津老中家の四男坊だ。魔力なんてものを持っているはずがない」


「そのアイズロージューケというのはよくわからないけど、ジンは大きな魔力を持ってるよ」


「会津老中家というのはだな、会津のお殿様に……ってそれはいい。どうして俺が、その、魔力を持っているとニケにはわかるんだ?」


「それはまたいずれゆっくり話すよ。それよりも魔の森を渡るための魔力がないのはツツだよ。魔の森に入ればツツが魔物になってしまう」


「……え?いや、ならばニケとツツはここに残ればいいんじゃないか?」


 どうして、ニケもツツも自分と一緒に魔の森を超える前提になっているのかまったく理解できず、ジンは訊きなおした。


「ジンが来るのを私たちは知っていたっていうのは前に言ったよね?」


「ああ、それは聞いた。聞いて驚いた」


「驚いて、驚いただけで、それはなんで?って思わなかったの?」


「いや、思ったよ。だけど、まだ言葉が下手だったから、聞き違いかも、と。それでもう気にしないようにしていた」


「……ま、いいよ、それは」


 こんな大切なことを、気にしないように、などと言うジンに多少腹を立てたニケだったが、少しの沈黙の後、なぜジンがこの世界に来るのを知っていたのか、その理由を話し始めた。


「正確に言うとね、ジンが来る、っていうのは知らなかったんだよ。誰かが来るのは知っていた」


「よくわからん話だな」


「うん。これは私も本当はよくわからないんだ。私は村で〈役目〉を与えられたんだよ。もう何年も何百年も村では〈森の巫女〉を選んで、ここに遣わしてきたんだよ」


 ジンはニケが何を言っているのかわからないので、ただ、黙って続きを聞くしかなかった。


「私は〈森の巫女〉として、この世界に均衡をもたらすはずの人が現れるという座標をずっと見張っていたんだよ」


「……ちょっと待て。俺の語学力じゃニケの話が全く見えない。座標?均衡?見張る?どういうことだ?俺が来ることが最初から決まっていた、ということなのか?」


「うーん。そうでもあるし、そうでもない。絶対ジンじゃなきゃダメ、ってわけでもない。

 とにかくこの森には座標があって、そこに何十年、何百年に一度、別の世界から人が呼ばれることがある。それは村の人たちがずっと継承してきたことなんだ。だけど、いつ来るかとかは誰も分からない。だいたい世の中が荒れて……」


 ニケの話がさらにわけのわからない、いや、ジンには言葉は分かっていた。


 たしかに座標やら均衡やらの言葉は分からない。それよりもわからないのは(なぜ、俺なのか?)ということだった。


「いや、ちょっと待て。俺は俺の世界にいた。その世界も、いや、国か。国は荒れて俺はその真っただ中にいたんだ。あっちに戻って、会津のために働かないといけないんだ。なのに、ここに無理やり引っ張ってこられたっていうのか?」


「……ジンはここが嫌い?」


「嫌いなわけないさ。ニケとツツと、ここで生活した二年は本当に楽しかった。その……ニケもツツも今となっては俺の大切な人だ。

 けど、俺は向こうにもたくさんの大切な人と、故郷と、そして、国を残してきたんだ。なぁ、ニケ、〈巫女〉だってんなら、俺を向こうに返してくれないか!」


「……そう」とだけニケは呟いて、少し沈黙してから続けた。


「ジン。ジンは帰れないよ。ごめんね。ここに来たってことはジンも〈役目〉を背負ってしまったんだよ。役目を終えるまで、ジンは帰れない。」


 本当のことを言えば、ニケにも〈役目〉を終えればジンが帰れるかどうかなど全く分かっていなかったが、ジンの気持ちを考えるとニケはそう言うしかなかった。


「なら、俺はその役目とやらをさっさとこなそうじゃないか。だから、最初の話に戻るけど、俺はアスカの人々に会いに行くぞ。俺には魔の森を超える魔力があるんだろ?なら、それを超えていく」


「ツツはね、座標から現れたんだよ」


 ここでニケから初めての事実が知らされる。ツツもこの世界の存在ではなかったのだろうか?


「私は巫女として、ツツがその役目を持った存在だと思ったんだよ。でも、ツツもこっちに来てから、ずっと座標を見張っていたんだよ。誰かが来るのを待っていた。それがジンだったんだよ。」


 ニケが言っていることの語学的な理解はできた。

 だが、ジンには理解ができない。

 確信を持って語るニケの表情から、ニケが何かの宗教や伝承を妄信して語っているのではないのはわかる。かといって、そんな話があるか?


 ツツは賢い犬だが、犬は犬だ。


 犬が待っていたからと言って、待ち人がその〈役目〉を背負った人だとなぜこうも確信を持って信じられるというのだ。


「つまり、ツツが待っていたから、俺がその〈役目〉とやらを背負った人だと」


 ニケは無言で、ただしっかりと頷いた。


 確かにツツの待ち人は現れた。現にジン自身がここにいることがそれを証明している。


「で、ツツも一緒に行かなければ、役目は果たせない、と〈巫女〉であるニケは考えている……そういうことか?」


 ニケはまた無言で頷いた。


 賢いニケはこれ以上、能弁にどのように説得したとしても、多くの物ごとや人々との絆を故郷に抱えるジンには到底納得できないことだ、と分かったからだ。


 ならば、ただ、ジンの言うことを肯定する。それしかできなかった。


 いずれジンは自分で考えて、どうすべきか結論を出すだろう。

 自分で考えることでジンは自分の行動に責任を持てる。

 ニケはそう考えて、これ以上多くを語らないことにした。


 ジン自身が考えて、自身の行動を決めるはずだ。


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