48. 強度試験
つまり、言い換えれば強度九の射程範囲が二〇〇ミノルということになる。
そして、暴発こそしなかったものの、雷管にはひびが入ってしまっているようだった。外から見ても分からないほどのひびで、モレノがハンマーでたたいた際に発覚した。
「まあ、予測の範囲内です。実は雷管部分の部品はいくつか用意してあって、これは二番目に薄いものです。厚めの物を使えばもちろん丈夫になるのですが、重くなって取り回しがよくありません。出来るだけ軽いものを使いたかったのですが、仕方ありません。すこし厚めの物に替えましょう」
モレノは丁寧にラオ男爵に説明した。
「そのように簡単に交換できるものなのか?」
と、ラオ男爵。
「一体鋳造ではありませんので、交換できます」
モレノはラオ男爵に対しては全くのややこしさを見せない。ジンとマイルズはそれをなぜか恨みがましい表情で見ていた。
「男爵、いかがでしょうか? もう日も落ちてきましたが、的も発射用の木枠も用意できている状態です。懐中魔灯さえあれば、作業は続行できます。それに、十の強度で耐えられるなら、明日には射手による簡単な練習もできるでしょう」
と、モレノは続けた。
これは、あれだ、間違いない。ジンとマイルズはモレノが明らかに老いらくの恋とやらに陥っているのを感じ取ってしまっていた。
老いらくと言うのはまだ失礼かもしれないが、四十代後半のモレノからすれば、男爵は若すぎるし、それに身分も違い過ぎる。いずれにしても、少しでも彼女の役に立ちたいと彼がややこしくなくなるのであればそれは歓迎すべきことだった。
「モレノ、いいのか?」
男爵が少し申し訳なさそうにモレノに訊いた。
「ええ、男爵。急いで工房に戻って、雷管の換装に取り掛かります」
「ジン、ついて行ってやれ。道中何かあれば大変だ」
ラオ男爵がジンを見遣って、そう命じた。
「ああ、男爵、痛み入ります」
モレノがそれに感謝した。男爵にとってはこの鉄砲がフィンドレイ将軍の手の者に落ちたり、あるいは大切な技術者であるモレノに何かあれば大変だという思いから出た言葉だろうが、モレノは大いに感激していた。
ジンは、なんだかな、あのややこしさはどこに行った、と思わないことはないが、「はい。かしこまりました」と返事をしてから、モレノと馬を伴い工房に向かうのだった。
モレノは馬に乗れない。かといって、タンデムで乗るには重すぎるので、ジンは馬を引きつつ、モレノと一緒に夕暮れ時の表通りに領主館を出た。
「なあ、モレノ、今からそんなことが本当にできるのか?」
「ああ、できるさ。ラオ男爵はあのような若さで街のために必死になって働いているんだ。俺はな、感動したんだ」
「そ、そうか」
「俺がその鉄砲を修理している間、ジン、お前はヤダフのところに行ってこい」
「ヤダフは今、弾作りに忙しいんだ。邪魔はしたくないな」
「何、大した時間は取らせないさ。ヤダフにこう言えばいい。予備の砲とその他一丁分の部品をよこせ、とな」
「どういうことだ。モレノ?」
「もう一丁作れるんだよ。これと同じ強度試験版だがな。しかし、もうこれは強度試験版とは呼べないぜ。薬包の量が満タンに、その、十の強度とか言ってたな、その量で試験がうまくいけばこれはイスタニアで最初の鉄砲になる。要するに俺はそれの二丁目が予備の部品で組み立てられる、って言ってるんだよ」
「そう、なのか?」
ジンは全く予想してなかった事実を聞かされて驚いた。
モレノにとっては当たり前のことだった。各部品を作る際にワンオフで作るなんてことに合理性は全くない。不具合があるかもしれないし、壊れたときの交換も考える。それに鋳造部品というのは型を作ってから作るのだから、一つ作るのも二つ作るのも手間はさほど変わらない。ただ、これはあくまでも強度試験版だったのでそんなに多くは作らなかっただけだ。
二人がそんな話をするうちに、東地区の鍛冶屋街が見えてきた。
「じゃ、俺はこれを預かっていくぜ。お前はヤダフのところに行くんだ」
ジンは頷いて、馬に飛び乗った。
モレノはそれを見て、思わずこぼした。
「お前、この街では街中の移動に馬は使えないって決まりがあるのは知ってるんだろうな?」
「ああ、もちろん知っているが、これは公務だからな」
「ふん。そうか、部品を落とすんじゃねえぞ」
ジンは馬を巡らせ、モレノを見下ろした。
「ああ、すぐ戻ってくる」
◇
「ヤダフ! いるか?」
日がいよいよ沈もうとする鍛冶屋街で、ジンは表の通りからヤダフの工房に向かって大声で呼んだ。
「ああ、ジンさん!」
扉が開き、ヤダフの元で働いている鍛冶の若いドワーフが出てきた。
「ヤダフはいるか?」
「おやっさんなら、奥で弾作っていますよ。呼んできましょうか?」
「ああ、頼む」
ジンは待つ間、少し冷静になって、鍛冶屋街の別の工房を見渡す。すると、数人のドワーフや人間が工房から出てきて、馬上から大声でヤダフを呼ばわるジンを何事かと見つめていた。
(ああ、やっちまったな)
ジンは苦笑しつつ、出てきた職人たちに会釈をしていると、ヤダフが出てきた。
疲れた顔でジンに告げた。
「弾ならもう若いのに走らせてニケちゃんに届けたぜ」
「いや、そうじゃない。『予備の砲とその他一丁分の部品をよこせ』とそう言えばお前が必要なものを俺に渡してくれるってモレノに聞いたんだがな」
「なに! ってことはうまくいったのか!?」
「ああ、ちょっと雷管に不具合が出たが、大したことはない。今、モレノはその部品の交換をしている」
「おお、そうか!俺の作った砲や螺旋状の溝はどうだった?」
「全く問題なかったぞ」
「そうかそうか。モレノの作った部分にだけ不具合が起こったんだな?」
「大人げないこと言うな。モレノだって軽量化を考えてのことだ。雷管の部品、少し厚めの物を使えば問題ないって言ってたぞ」
「ふん。ちょっと待ってろよ」
そう言って、工房に戻ると、様々な金属部品、主だったものと言えばもちろん砲身だが、それらを麻袋に放り込んで、表に持ってきてくれた。
ジンは多少失礼ではあるが、騎乗のままそれらを受け取った。
「かたじけない、ヤダフ!」
そして、モレノの工房に引き返して行った。
◇
「モレノ、持ってきたぞ!」
馬を玄関口に結わえると、断りもなくモレノの工房の玄関扉を開けて入っていきつつ、モレノに到着を告げた。
「おお、来たか、だが、それはここに置いて行くぞ。俺も一緒に行く」
モレノの手にはすでに雷管の部品を交換した強度試験版、いや、異世界版ミニエー銃第一号が手に握られていた。
ジンは驚いた。
「もうできたのか?」
「ああ、言っただろう。大した問題じゃない。二段階分厚い雷管にした。本当は一段階にしたかったんだが、また亀裂とかが入ればもう明日の実射練習には間に合わないだろう?」
「ああ、たしかにそうだな」
そんな話をする二人はちょうど昼後七つの鐘を聞いた。
(また飯を食い損ねたな)
そんなことをチラッと考えてしまったジンだが、もちろん今そんな状況ではないことは理解していた。
(ん?ちょっと待て、強度九で試験して、ひびが発生、そこから雷管の厚みを二段階上げるってことは、強度十でこの銃を使う気か)
「モレノ、お前のところの若い職人はまだいるのか?」
「ああ、数人は残っているはずだ」
「では、一足先に領主館に彼らと一緒に向かってくれ。金槌でもなんでもいいから武器になるものを持ってな」
「ああ? いったい何の話だ」
「護衛を連れて、領主館に向かってくれ、と言っているんだ。俺はいったん馬で宿に戻ってニケに強度十の弾丸だけでいい、と言わないと、ニケは今、六と八と十の強度で作っている。このままだと六と八は無駄になるだろう?」
「たしかにそうだな。よし、そうしろ。心配するな、ちゃんと護衛になるかどうかは別として、何人か見繕って一緒に行くからよ」
「頼んだぞ!」
ジンはそう言うと、馬にまた飛び乗り去って行った。
(まるで嵐だな)
モレノはつい最近知り合ったばかりの異国風の男が、まるでモレノの人生に嵐を起こしているように感じていた。
(少なくともあいつが来てから退屈とは無縁になったな)
モレノはそんなことを考えながら、背は低いが筋骨隆々のドワーフの職人二人に金づちと型を削るときに用いる小刀を持たせた。
自分は雷管を換装した異世界版ミニエー銃の入った麻袋を抱えて領主館に戻るのだった。