45. ラオ夫妻
領主館では珍しい客が来訪していた。ちょうどフィンドレイ将軍が領主館を辞した入れ違いにやってきたのは元ラオ男爵夫妻……ラオ男爵の両親だった。
「おお、ノーラ、元気そうで何よりだ」
人のよさそうな顔に満面の笑顔を浮かべた初老の紳士、政変時にラオ男爵に家督を譲ったファルハナより二〇ノルほど北に離れた元ラオ男爵代官領にある屋敷の住人である。
ラオ男爵は三〇戸ほどからなる村を抱え、その徴税の代官業務をバーケル辺境伯から任じられていた。政変後、辺境伯が失権した際に、男爵も当然代官を罷免になったが、私有財産としての屋敷は残された。
事実上、ノオルズ公爵は旧辺境伯領を放置している関係もあって、ラオ男爵家はこの村の治安を守っており、村人も租税の義務がない中、作物などを男爵家に収めたりしながら、依然代官と村民、それも信頼で結ばれた良好な関係を保っていた。
ラオ男爵の父親、ガネッシュ・エイマン・ラオは金と銀の兌換率に目をつけ、金貨を蓄えてきた。銀貨は一切持たず、ひたすら金貨に交換してきた。金の価値が銀に比べ高くなるにしたがって、金の含有量が多い古い千ルーン硬貨が実際の取引では二千ルーンにも三千ルーンにもなることを知っていたからだった。
ガネッシュは普通の男爵家が持つ財産をはるかに上回る、伯爵家に匹敵するような財産を一代で作り上げた。
その割には贅沢をするわけでもなく、小さな代官領で一人娘の現ラオ男爵、ノーラを大切に育ててきたのだ。
ラオ男爵として自分が信じるまま、私財を投げうちながら、街を守ることができるのはこの元男爵である父親のおかげだった。
「お父様! な、なんというタイミングで……」
ラオ男爵は絶句した。
「ノーラ、このタイミングだから来たのだよ」
ガネッシュがそう答えると、隣に立つラオ男爵の母親、シェイラ・アンドレア・ラオもただ微笑みながら頷いた。
「え? お父様?」
「おお、わが娘よ。父はいつでもお前を見守っておるのだよ」
と、大げさな身振りとセリフ。
「お父様、どこまでご存じなのでしょうか?」
「お前の騎士は何人いる?」
ガネッシュは質問を質問で返した。
「ここにいるドゥアルテを含めて、五人ですが、それが何か?」
「ノーラも知っての通り、ドゥアルテ以外の騎士はラオ男爵家を守っておる。だが、ナッシュマンがのう、お嬢様がお嬢様がとうるさくてかなわんのでな。少し資金を持たせてやった。ナッシュマンはこのファルハナにもう一月以上暮らしておるわ。お前に目立たぬようにこの領主館や街の様子を調べて、儂に報告を上げておったのだよ」
「ナッシュマン……」
ラオ男爵は先々代ラオ男爵から家に仕える、この父親より年上の老騎士の顔を頭に浮かべる。
「それに、お前がラオ家のお金を湯水のように使い込んでおるのを儂が知らんとでも思っておったか?」
「お父様、それは!」
ラオ男爵が理由を説明しようとすると、ガネッシュはそれを遮る。
「責めておるのではないぞ、娘よ。ただ、お前が苦境にいるのを知らぬ父親ではないぞ」
「はい。ありがとうございます」
俯き加減に礼を言うラオ男爵に、警ら隊員たちの前で演説をしたあの時の勇ましさのかけらも見当たらない。親の前では単なる子に戻るのだろう。
「で、だ。どうなっておる?」
ガネッシュは直截に訊いた。
ラオ男爵はこれまでの経緯を順を追って話していった。
フィンドレイ将軍が取り放題にこの街から徴税していること。ついには人さらいまで始めたこと、そして、明後日にはまたやってきて人さらいをすると宣言していったこと。
ラオ男爵はジンと鉄砲のことは話さなかった。
このことが現状にどのような影響を与えるのか、ラオ男爵にも現時点ではわからなかったからだ。
「明後日、とな。ノーラ、お前は分かっているのかい? フィンドレイ将軍の目的が」
「ええ、なんとなくではありますが」
「ほう、お前の見立てを言ってみろ」
「はい。私の手勢はせいぜい二十人、あの者は百人以上も抱えています。
無理難題を吹っかけて、それも、街の人に被害が及ぶようなやり方でそうする。
そうして、その要求を突っぱねられない私を街の人が見限っていくようする。
それから、私をここから引きはがす。そうすれば、将軍は自分の手勢を失うことなく、この街を、鍛冶屋街と鉱山を手に入れることができる、そう考えていると思います」
「ああ、その通りだ。よく見ている。さすがノーラ、私の娘だ」
横で分かっているのか分かっていないのか、シェイラ、ラオ男爵の母親がほほ笑みながら頷いている。
「ノーラ、四人は本来、当主であるお前の騎士だ。儂はすでに十人ほどこの街で冒険者たちを護衛に雇ってある。それらを屋敷や村の護衛にするから、四人をお前に返したい」
「お父様、ありがとうございます!」
「お前も最初からそのつもりであったのだろう」
「ええ、明日にはドゥアルテを走らせてお父様にお願いに行くつもりにしていました」
「ノーラ、二十人の防衛軍をして、どのように守るつもりだ? まさかまた人さらいを看過するのではないだろうな?」
「それはありません! ですが、正直、どう守り切るか、これはまだわかりません。
相手の出方次第です。これまで、徴税の際は彼が手勢全員を連れてきたことはありません。いつも五十人ほどを連れてくるのがやり方です。
そうであれば、明後日については門を閉ざして、防衛軍……私の騎士と警ら隊員なのですが……彼らに弓矢を持たせて塀を守らせれば、その日はぐらいは凌げるでしょう。
フィンドレイ将軍も攻め側の不利は分かっているでしょうから、その日は帰るはずです」
「その次は全兵力による城攻めになるな」
「ええ、そうなると思います」
「いいだろう。さっき十人の冒険者を雇ったと言ったが、ここ、ファルハナの冒険者ギルドで募った。
みんなここファルハナ出身の冒険者だ。内五人ほどお前につけよう。
村や屋敷は小さい。五人もおれば十分に守れる。今までだって四人の騎士で守ってきたのだから。明日には騎士たちと一緒にここに来られるようにしておく。
そうすれば防衛軍は二十五人になる。攻め側は通常三倍の兵力が必要、というのは軍事の常識だ。二十五人に対して百人、まだ足りぬが、お前にも考えがあるのだろう?」
「なんの話ですか?」
まさか鉄砲のことをガネッシュが知っているわけがない。ラオ男爵はとぼけて見せた。
「はははははは! わが娘ながら、なかなか芝居がうまいではないか?」
「お父様、なんの話でしょうか?」
「繰り返すようだがな、我が家の金だよ。冒険者の給金なら減り方が毎日均等だ。それがここ最近急激に減っておる。で、来てみればお前が贅沢に日々を暮らしているような風でもない。なにか手を打っておるのだろう」
「……お父様、お母様、ひとまず昼食にしましょう」
ラオ男爵は両親にそう告げて、鉄砲の件をどう伝えるか、頭を巡らせていた。