37. ジン、警らをクビになる
「ジン、ドゥアルテ、それに、そうだ、マイルズも執務室に来るのだ。そしてベリンダ、お前も今日見たことを忘れろ。いいな!」
驚きが一段落し、気を取り直したラオ男爵が皆に命じた。
ベリンダとは女中のことだろう。小心そうな彼女はただかしこまって頭を下げていた。
執務室に入ったラオ男爵は皆を応接テーブルに座らせると、話し始めた。
「まず、ジン、お前はもう警らをやめろ。うん。ドゥアルテ、ジンを外すぞ、いいな? うん。それで、ジン、給金を一日五〇〇ルーンにしてやろう。朝七つに必ず領主館に報告に参れ。警ら隊遁所ではないぞ、ここにだ。あとは自己裁量でとにかくあの武器の開発を進めろ。金がかかってもいい。そうだな、だが、青天井ではない、百万ルーンまでだ。そして、マイルズ、お前はもう五〇〇ルーンもらっておるので、昇給は無しだ。ジンの補佐について、開発周りの雑用をしろ。うん。なに? 何か不満があるのか? ない? ならいい。うん。ドゥアルテ、ベリンダにもう一度念押ししておけ。それから、ジンが抜けた後の警らに心当たりはあるか? ない? なら、冒険者ギルドに募集を出しておくように。日給三〇〇ルーンだぞ。お金はそんなにないからな。それから……うん。こんなものか」
三人は唖然としながらラオ男爵を見ている。
「わかったら、行け。時間は買えない」
ラオ男爵は立ち上がって執務机に戻りつつ皆に指示を出す。
「「「はい!」」」
三人は同時に返事をして動き出すのだった。
◇
「あーなんだってんだよーっ!」
マイルズはジンの横を歩きながら、叫んだ。そんなマイルズにジンは少し揶揄うように訊いた。
「なんだ、不満か?」
「不満? 不満に決まってるだろう。俺は門番で満足だったんだよ。それをこのなんだかわからないことに巻き込まれてしまって」
「なら、ラオ男爵に訊かれたとき不満だと言えばよかったじゃないか?」
「お前、あんなときに言えるかよ。ラオ様の顔、見たか? あれは行っちゃってるよ。マジで怖かった」
「まあそれは分かる。いずれにしてもこれからよろしく頼む」
「で、そもそも雑用ってなんだよ?」
マイルズは毎日決まったことをやりさえずれば給金が貰える衛兵の仕事を気に入っていた。気楽だし、気楽だ。それをよくわからない「雑用」などに駆り出されてしまったのだ。
「俺もよくわからんのだ。まあ、とにかく、やってればいろいろ出てくるだろうから、よろしくな」
「で、今日は?」
「実は特にない。もう、あらかた職人たちに伝えてあって、職人たちの間で喧々諤々やっているはずだから、こっちは待ちの状態だな」
「お、それはいいな。街をぶらぶらすれば五〇〇ルーン貰えるなんざぁ、誰もが羨む仕事じゃないか?」
「はは、お前は現金なやつだな、マイルズ。一応、午後には職人たちの様子を見に行く。それまで一度宿に戻ってニケやツツの様子を見たり、食事をしたりするつもりだからお前も付き合え」
もう朝九つを過ぎていたので、今から東地区の鍛冶屋街に行くと一ティックほどかかって朝十一にもなる。そうなるとまた外食という流れになってしまうこともあって、ちょうどニケの様子も見て、一緒に食事をしておこうと考えたわけだ。
宿に着くとニケは部屋でポーションの調合をしていた。なんでもアラムの店に卸す分を今日中に作らないといけないらしく、えらく集中していた。
集中しすぎて、ジンに同行者がいることすら気づかないようだった。
「ニケ、こちら、マイルズさんだ。俺の仕事を手伝ってくれることになった」
ニケはジンが一人だと思い込んでいたので、びっくりして顔を見上げた。
「よう、ニケちゃん、俺、マイルズってんだ。よろしくな」
マイルズはジンの連れ合いが獣人だと知っていたので、特に驚かないし、元冒険者だけあって、いや今も冒険者だが、魔の森で獣人族に会ったこともあって、この種族に対する偏見はほとんどなかった。
「あああ、びっくりした! ジン一人だと思ってたから。マイルズさんっていうのね。よろしくお願いします」
ニケもマイルズの対応を見て、すぐにこのいい加減な元冒険者、じゃなくて現冒険者を気に入ってしまった。
「なんだか忙しそうだから、ちょっとツツにもマイルズを紹介してくるよ。後で戻ってくるから、飯にしよう」
ジンは昼食時間まで少しあることに気づき、その間の時間を使って、ツツを散歩に連れ出すことにした。
出がけに宿のおかみに昼食をマイルズの分一食多く作ってもらうようにお願いしなければならない。
「おかみー、おかみー」
いつものように呼ぶが反応がない。
そういえば、おかみの名前を聞いたことがなかった。ちなみにこの宿の名前は〈レディカーラの瀟洒な別荘〉という。
あるいは、と思い、ジンは「カーラ!」と呼んでみた。
すると、カウンターの奥からおかみ、いや、カーラで反応したから、この老婆がレディカーラで間違いない、が出てきてくれた。
「なんだい、騒々しいねえ」
「今日、三人で昼食が食べたい。追加料金を払うから、三食用意してもらえないか、カーラ?」
「面倒くさいねぇ。ああ、わかったよ。最近お前さん、うちで昼食を食べてないから、追加料金はいらないよ」
カーラは言い残して、カウンターの奥に消えていった。
(これだ!おかみを名前で呼ぶ。この宿を快適に過ごすコツをまた一つ覚えてしまった)
ジンは内心ほくそ笑んだ。
ジンとマイルズが厩舎に行くと寝そべっていたツツはシャキンと立ち上がった。そして、ジンの横に見知らぬ人がいるのを見つけて、まるでジンがマイルズを紹介するのを待つかのように、尻尾を振りながらマイルズの顔とジンの顔を交互に見ている。
「マイルズ、ツツだ。狼で俺のもう一人、いや一匹か、どっちにしても相棒だ」
「おお、お前さん、でけーな。ツツか、よろしくな」
マイルズがそう言うと、ツツは尻尾を振りながらマイルズに頭を下げて近づき、彼の後ろに回る。
「お、おいおい」
マイルズは怯えるわけでもなく、ツツの行動に少し驚いている。
そして、彼のお尻の匂いを嗅いで、また前に回ったかと思うと、ぴょんと立ち上がり、マイルズの肩に両前足を置いて立ち上がった。
マイルズから見ると巨大な狼の顔が目の前にある。
(へっへっへっへっへっ)
ツツは荒く息をすると、マイルズの顔をペロっと、いやベロっと舐めた。
「おおお、お前、積極的だなー!」
マイルズはなぜか大喜び。
「なあ、ジン、こいつ、俺のことが好きでいいんだよな?」
「ああ、そのようだな」
「俺もお前が気に入った。なあ、ジン、飯までちょっとその辺をツツと一緒にぶらっとしようぜ」
そんなわけで、ジン、ツツ、マイルズは人の疎らな大通りを散歩することにした。
「マイルズ、お前は不思議なやつだな」
「はは、その言葉、お前にそっくり返すよ」
マイルズにしてみれば、ジンは獣人の女の子や見たこともないほど大きな狼を連れてこの街に突然現れては、今やラオ男爵にも信頼され、街の危機を救うために動いている、異国風の男。これこそ不思議なやつだ。
ジンにしてみれば、獣人のニケであっても、貴人のラオ男爵であっても、はたまた狼のツツにでも、誰に対しても態度が変わらない。最初からこいつはそうだった。この街に着いた翌日、ジンはマイルズに領主館で初めて会ったが、その時も、この男は誰に対しても平常なのだ。ラオ男爵に対しては最低限の礼儀は示しているが必要以上にかしこまったりしない。
きっとツツはそんなことをマイルズに感じたのかもしれかった。