36. ジン、「新しい概念」を開陳する
翌朝、目が醒めて、床を出たジンは強烈な頭痛に見舞われた。二日酔いだ。
帰りが遅いジンをニケは心配していたが、昼後十一(午後十一時)になると「もう知らない!」と独り言ちて寝てしまった。
朝になると、ジンが先に起きていて身支度をしていた。
「おはよう、ジン。昨日遅かったね」
寝る前までは怒っていたのだが、朝、ジンの顔を見るともう昨晩の怒りはどこかに行ってしまっていた。
「ああ、あれから鍛冶屋街に行ってな。いろいろと分かったぞ。あ、痛て」
「お酒の飲みすぎー?」
「ああ、そのようだな」
「いいなぁ、ジンは。楽しそう」
「なんだ、やきもちか?」
「私は毎日宿のごはんだよ。別に不満はないけど、たまにはジンと一緒に外で食べたいよ」
「ああ、そうだな。一度連れて行ってやろう」
ジンはそう言いつつ、〈宵闇の鹿〉を頭に浮かべていた。この店しかジンは知らないのだから。
「やったーっ!」
喜ぶニケを見て、ジンはふいに胸がギュッと押さえつけられたような気持になった。先日の青甲冑が接収に現れた際にニケがそこに居合わせてしまった一件を思い出してしまったのだ。
この子を失っていたかもしれない。この子を絶対に守らなければ。フィンドレイ将軍などにこの街を蹂躙させるものか。
「なぁ、ニケ、昨日俺が説明した試薬、出来てたりするか?」
「うん。安全な量に小分けにして十個、薬包み紙に分けてあるよ」
「おお、十個もか?」
「だって、本当に少量ずつだもん。これ以上まとめて持つと本当に危険だから。あと、絶対に落としたりしたらダメだよ」
「わかった。今日は遁所に一つ、あとでヤダフのところに一つ、もしかしたらモレノのところにも……三つだけまとめて持っていくよ。それぐらいなら大丈夫か?」
「うん。てゆうか、十個持っていっても大丈夫だよ。ただ、まとめて持つと何かあった時、全部に誘爆するので危ないだけだよ」
「誘爆か……なんだか恐ろしい言葉だな」
誘爆と言うボキャブラリーをおぼえるジンであった。
◇
ジンが警ら隊遁所に着くと、今か今かとラオ男爵はジンの到着を待ちわびていた。
「ジン! 報告せよ」
ラオ男爵はジンの顔を遁所入り口に見つけて駆け寄ってくるなり挨拶もなく命令した。
実のところ、ラオ男爵は昨晩ほとんど寝られなかった。フィンドレイ将軍の非道を抑えられない自分の非力さ、すでに犠牲になった二十人の女性たち、街のみんなの生活、あらゆる問題が頭の中を駆け巡り、うまく寝付けなかったのだ。
ラオ男爵に伸し掛かる不安は多く、そのどれ一つとっても解決案が浮かばない。現時点では小さくとも唯一の希望がジンに命じた調査の結果だった。
「ラ、ラオ様……。あ、はい。ただ場所が悪うございます」
「お、おお、そうか。なら執務室に行くか?」
「ええ、できればそうしていただければ」
「ドゥアルテ! ドゥアルテは居らぬか?」
ラオ男爵が遁所でドゥアルテを探すと、ドゥアルテが警ら隊員にいろいろと指示をしているところだった。
「ラオ様、今しばらく!」
ラオ男爵が呼んでいることに気が付いたドゥアルテは、急いで指示をしていく。
「ええい、ドゥアルテ、何をやっておる」
ドゥアルテを待つ間、イライラを表に出すラオ男爵をジンが諫めた。
「ラオ様、確かに余裕はないですが、そこまで急がずとも……」
「お、おお、そうだな。うん。すまない」
ラオ男爵も自らの取り乱し方に気が付いたようだ。
ドゥアルテがラオ男爵の元に駆け付けた。
「お待たせいたしました」
「うむ、ジンの報告を執務室で聞く。ドゥアルテも来るがよい」
ジン、ラオ男爵、そしてドゥアルテがラオ男爵の執務室に入って、執務机横の応接テーブルに座った。
「で?」座るや否や、そうジンに促す。ラオ男爵は掛かり気味だった。
「はい。ええとですね。どこから話しましょうか。まず、私がやろうとしていることから説明します」
男爵が頷いた。
「そうだな、そこから聞かないと始まらないだろう」
「新しい概念の武器の開発です。この武器は五〇〇ミノル先の敵を素人の兵が少しの訓練で倒せるようになります。極端に言えば……」
ラオ男爵が一度遮った。
「おい、ちょっと待て、なにを言っている?」
「ええ、間違っていません。そのままです」
ジンはもう一度その説明を繰り返した。
「極端に言えば、普通の人が最強の兵になります」
ラオ男爵もドゥアルテも唖然としている。
「何か紙と筆記用具がありますか?」
「あ、ああ。あるぞ。ドゥアルテ、そこの机にある紙とペンを持て」
ドゥアルテが執務机から白紙とペンを持ってきた。
ジンはサラサラとミニエー銃を描きながら、昨日ヤダフに説明したように、いや椎の実弾や螺旋状の彫の説明は省いてだが、説明していった。
「そうして、ここに弾を入れて、この引き金と呼ばれる細工を軽く引くと……」
ラオ男爵もドゥアルテもジンの話に引き込まれている。
「バーン!!と、この室内にあるカヤクが爆発してですね」
と、ジンが少し大きな声でバーンと言ったところでドゥアルテが軽くのけぞった。
「その力でこの弾が勢いよく弾き飛ばされ、敵兵に当たるわけです」
「そんなことが可能なのか?」
と、ドゥアルテ。
「ええ、可能です。可能か不可能か、という調査を昨日行っていました」
「これは誰でも扱えるのか?」
と、ラオ男爵。
「ええ、身長が1ミノル半もあれば、扱えるはずです」
「しかしそのカヤクとは聞いたことない言葉だな」
聡明なラオ男爵はこの火薬がすべてのエネルギー源であるとすぐに見抜いた。見抜いたがゆえにそんな物質が実際にあるのか疑問に思ったのだ。
「ああ、それでしたら、拙者が今日持参しております」
「「は?」」
ラオ男爵とドゥアルテが同時に言った。
「ええ、お持ちしました。これです」
と、言いながら、ジンは制服のポケットから薬包み紙の一つを取り出した。
「危ないのでここでは広げません。庭に出れば実演できます」
これ以上ないほど前のめりになっているラオ男爵は立ち上がった。
「見せろ。すぐにだ」
無駄にする時間はない。すぐさま、ジン、ラオ男爵、それにドゥアルテの三人は領主館の裏庭に向かう。途中、女中がいたので、ラオ男爵が助手になるだろうということで連れてきた。
「えー、何か硬い台のようなもの、それにダメになってもいい長槍かなにかがあればそれもお願いします」
ラオ男爵が女中に、門番から槍を預かってこいと、指示した。
聞いていたジンは思わず口をはさんだ。
「あの、ラオ様、門番の槍はちゃんとしたものですので、それはやめた方がいいかと存じますが」
「いや、構わない。それに硬い台といえば、そこのもう使っていない噴水の縁石があるだろう」
「いや、噴水もやめた方がいいです」
「何を惜しむことがあろうか?こんな魔力の無駄遣いの噴水など、何なら私が打ち壊してやりたいぐらいだ」
「そ、そうですか、では、さっそく」
ジンはあきらめた。もはや、男爵は何の忠告も聞かないだろう。
ジンは噴水の縁石にニケからもらった火薬、厳密には硝石から作った火薬ではないので全くの別物といっていいものだが、その粉末をそっと置いた。
「これは衝撃を与えると爆発しますので、取り扱いは慎重でなければなりません」
ジンが説明していると、女中が槍を持ってきた。槍の持ち主付きで。
「マイルズではないか」
ドゥアルテがその冒険者に気づいた。
「ああ、ドゥアルテ殿、この女中がですね、ラオ様の命令だから槍をよこせって言うもんで、そんな馬鹿なことがあるか、とついてきたわけです」
「何も馬鹿なことではないぞ、マイルズ。確かに私がそう命じた。だからそれをよこせ」
ラオ男爵はそれのどこに問題がある、でも言わんばかりだ。
「壊したりしないですよね」
「ああ、大丈夫だ。壊れたらちゃんと私が補償しよう」
「なら、どうぞ」
と、言いながら、マイルズはラオ男爵に渡そうとした。
「私ではない、ジンに渡せ」
首をかしげながら、マイルズはジンに槍を渡した。
「では、みなさん、良いですか?」
すると、ラオ男爵はここまで来てようやく機密の問題に気が付いた。
「いや、まて、ここにいる者たち、今これから見るものの他言は無用だ。わかったな? 他言しようものなら、私が自ら斬る。いいな?」
マイルズは訳が分からなかった。女中がやってきて、槍をよこせ、と言われて付いてきたら、他言したら斬られるとか。勘弁してほしかった。
「ええええ!? ちょ、ちょっと待ってください、じゃ、俺、見ないです」
しかし、そんなマイルズは猪突猛進中のラオ男爵に蚊ほどにも取り合ってもらえなかった。
「ええい、うるさい、やってしまえ、ジン!」
ジンが噴水の縁石に近づいて行った。
そして、縁石に盛られた赤黒い粉を槍の穂先でコンと軽く叩いた……その瞬間、バン、と赤い閃光が走り、直径約1ミノルほどの火球が一瞬だけ現れ、消えた。
「おおおおおお!」
恥も外聞もなくラオ男爵が声を張り上げる。
ドゥアルテ、マイルズ、それに女中まで目を見開き、口をあんぐりと開けている。
もちろん、ジンだってこの世界に来てからこんな爆発は見たことがなく、驚いている。驚いてはいるが、皆の驚きようの方にもっと驚いてしまうのだった。
「ていうか俺の槍ーーーーー!」
マイルズの叫びがこだました。