32. カヤク
「ニケ!」
ジンは部屋に戻るなり、ポーションを調合中のニケに呼びかけた。
「あ、ジン、えらく早かった……というより、仕事は? まだ朝じゃない」
ニケもこんな時間にジンが帰ってきて驚いた。
「それはな」
と、話し始めようとして、ジンはいったいどこから話し始めればいいのか考え込んでしまった。
「ジン?」
調合の手を止めて、怪訝そうにそんなジンを見るニケ。
「うん。どこから話すべきか、まずだな、うん、ニケ、選択肢がある。このままにしておくとこの街はおしまいだ。俺たちはここを出て、別の街に行く、という選択肢がある。もう一つはこの街に残って、ここの人たちを助ける、という選択肢だ」
正直な話、ジンはすでに後者を選んでしまっているが、考えてみたら、ニケにだってその選択権はあるはずだ。
「いや、何の話か全く分からないよ。それにアラムさんから仕事がもらえて、もうこれからそんなにお金も困らなくなるはずだから落ち着いてこの街で〈役目〉に向かって動こうと思ってたところだよ。別の街に今出ていくなんて考えられないよ」
ニケは困った顔でちゃんと説明しろ、と言外に告げた。
「ああ、そうだな。まずはこの街の状況だ」
と、ジンは始めて、フィンドレイ将軍の問題、それに抗おうにも戦力が足りない問題、そしてジンの故郷、日本での状況、平民が騎士をバタバタと倒していく新しい戦争の在り方、そして鉄砲のこと。
武士階級の説明をしてもニケは分からないだろうから、敢えてそこは騎士に置き換えたが、鉄砲はどう説明していいかもわからずただテッポウと発音した。
「で、ジンはなんで帰ってきたの?」
ニケがまず知りたかったのはそこだった。
「それはだな、つまりこのテッポウがあれば、フィンドレイ将軍を倒せるわけだ」
ちゃんと説明しているつもりだが伝わっていないようだった。
「それで帰ってきたの?」
「ああ、そうだ」
「やっぱりわからないよ」
「うーん、そうだ、カヤク! カヤクだよ!」
ジンはやっとニケに問うべき核心を思い出したわけだが、火薬を表すコモン語を知らない。というより、そもそも火薬がこの世界には存在しないのだろうか?
「カヤクとかテッポウとか、ジンの国の言葉だよ、それ。全然わからない」
「まずはテッポウをちゃんと説明するよ。テッポウはな……何か書くものはないか」
ジンはニケのポーションの空き硝子瓶を包んでいた紙を広げると、ニケからもらった筆記用具を手にした。
そうして、鉄砲の仕組みを図と解説で説明し始めた。
「そしてこのライカン、いや、忘れてくれ、この小さな部屋でカヤクと呼ばれる薬を爆発させるんだ」
「そしたらどうなるの?」
ニケもだんだんと興味がわいて来ていた。
「ここにある鉄の弾が勢いよく飛び出す。うまく出来れば1ノル先の敵も倒せる」
「うそ。1ノル先なんて見えないじゃない」
「ああ、まあ1ノルは大げさだ。だけど300ミノル先なら狙って倒せる」
「だれでも使えるの?」
「ああ、練習は必要だがな。でも、誰でも、女でも子供でも使えるはずだ。背丈さえ1ミノル半もあれば十分に操れるだろう」
ジンは自分で説明しながら、論点が外れてきているのを感じていた。
「いや、そうじゃない、カヤクだよ。カヤクはな、叩いたり強い衝撃を与えると爆発するんだ。ニケにそんなものが作れるか?」
「作れるも何も、それ作ったことがあるよ」
「は? なんだそれ? この世界にはカヤクがあったのか?」
「いや、そうじゃないんだけど、火焔鉱石ってジンは知ってる?」
と、言いながら、ニケはポーチの中から火焔鉱石を取り出した。
「いや、知らない。それがそうなのか?」
「うん。これを火にくべたりしたら、この宿なんか一瞬で灰になってしまう。でもこうやって、火焔鉱石同士をぶつけると……」
カチ
火焔鉱石同士を軽くぶつける。閃光が瞬いた。
「これはね、粉末にするとそのカヤク?そのジンが言っている薬になる。だけど、こんな感じで衝撃を与えると発火するから粉末に削るには特殊な技術がいるんだよ。火をおこすのに便利かなと思って、一度その粉末を作ったことがあったんだけど、不安定すぎて危なくって」
「そう、その不安定さもカヤクそのものだ。ちなみにカヤクとは火の薬、という意味だが、そんな言葉、コモンにあるか?」
「うーん、ないね。もうカヤクでいいんじゃない」
コモン語の火薬はカヤクになった。
「そうか、分かった。うん。今はそれで十分だ。ちなみにニケ、持って歩くのに安全な程度の火薬の試料は作れるか?」
「うん。そんなに難しくないから、今日中にはできると思う」
「そんなに早くか! 頼まれてくれるか?」
「うん。わかった」
ニケが快諾すると、ジンは忙しくまた出かけるのだった。