29. 青甲冑
昼時になって、鹿肉料理店、〈宵闇の鹿〉に次々と客が訪れ始めた。客層はほとんどがこの辺りの鍛冶屋街の労働者とあって、入ってくる人々は筋骨隆々の男ばかりだ。
半分がドワーフ、半分が人間という感じだ。
ツツが玄関先で寝転がっていると、そんなツツを恐れることもなく撫でてから入ってくる剛の者もいた。
「御馳走になった。お代を払わせてくれ」
ジンはビーティに声をかけた。ビーティに叱られて、また自分のカウンター席に戻ってワインを飲んでいるヤダフにも軽く目礼をした。
ちょうどそんなとき、青い、揃いの甲冑を着こんだ二人の男が入ってきた。
「いらっしゃいませ!」
ジンのお会計をしようとしていたビーティは元気な声を上げた。
「いい、先にあの二人を案内してやれ」
ジンがそう促すと、ビーティはすでに少なくなってきた空きテーブルに、甲冑の二人を案内しようと、彼らに近づいた。
テーブルに案内しようとするビーティを前にして、青甲冑の一人がもう一人の青甲冑に言った。
「この娘がそうだな」
「ああ、そのようだな。娘、ついてこい」
青甲冑は突然ビーティの腕をつかんで店外に連れて行こうと引っ張った。
すでに立ち上がって会計を待っているジンだったが、さすがにこの状況は見過ごすわけにはいかなかった。
「おい、そこの二人、何のゆえあって、この店の従業員を連れて行こうとするのだ?」
異変に気付いて、店の奥の厨房から店主兼調理人と思しき中年男性がホールに走り出てきた。
驚きつつ、二人の青甲冑に恐る恐る声をかけた。
「あのー、娘が何か失礼なことをいたしましたでしょうか?」
ビーティが厨房から出てきてくれた自分の父親に助けを求めた。
「お、お父さん!」
あろうことか、青甲冑たちはまるでこの略取が何でもない事かのように言ってのけた。
「なに、何の問題もない。定例の徴税だ。今回、フィンドレイ将軍は労働力での提供を望んでおられていてな」
奥のカウンター席にいたヤダフも出てきて青甲冑に抗議し始めた。
「おい、ちょっと待たぬか!?」
すると、お客だった筋肉達磨たちも立ち上がり、「おお、そうだ、何が労働力で提供だ!」「フィンドレイ将軍は奴隷狩りでも始めたのか?」「若い女を狙ってやっているのか!?」など口々に言いながら、青甲冑たちに迫った。
「お前ら、こんなことをしてただで済むと思うなよ!」
多勢に無勢、たった二人ではとてもではないがこの筋肉達磨たちを退けて女を連れて帰れないと悟った青甲冑はそう言い捨てて外に出た。
外に出ると巨大な狼が牙を剥いて、威嚇している。二人は走って逃げるしかなかった。
とても怖かったのだろう、ビーティは声も上げずに、ただポロポロと涙を流している。
父親はそんなビーティの肩を抱いて慰めながら呟いた。
「なんだってこんなことに……」
「おやじさん、娘さん無事でよかったな。……いくらだ」
ジンはそう父娘に話しかけつつ、手早く会計を済ませた。
ジンはニケが心配でならなかった。もしかするとニケはこの街で唯一の獣人だ。しかも薬剤師としても一流で、最近アラムの商店とも取引を始めた。もしフィンドレイ将軍にニケのポーションの性能を知られれば、一番最初に狙われてしまうかもしれない。
ジンは出来るだけ早く支払いを済ませて、宿に戻りたかったのだ。
◇
幸いにしてニケは無事だった。宿に戻るとポーションづくりに精を出しているニケがいた。
しかし、ニケがポーションの作業をしながらジンに話す、この午前中にニケを襲った出来事は、ジンにとって衝撃的なものだった。
もしもニケが青甲冑たちに見つかっていたとしたら、今、ニケはもうここにはいない可能性すらあったのだ。
翌朝、ジンが領主館の警ら遁所に出勤すると、いつもの風景が戻っていた。
ただ、みなの表情は暗い。
「おい、人狩りだってよ。将軍はもう野盗と変わらないことをするんだな」
「ああ、ラオ男爵もラオ男爵だ。あんなのを街で好き勝手させるなんてな」
「俺の行きつけのレストランにいた可愛いウェイトレスの子が連れていかれたんだとよ」
「徴税なんて言ってさ、持っていく物、人、相手、なんにも根拠がない。適当に自分たちが欲しいものを引っ張っていくだけさ。もうやってることは野盗そのものさ」
今から警らに向かうはずの冒険者や元兵士の警ら隊員たちは口々にそんなことを言い合いながら、遁所を出て、それぞれの担当地区に向かって行った。
ジンも西地区に向かうべく、遁所の出口を出たところで呼び止められた。
「ジン」
ドゥアルテだった。
「ドゥアルテ殿……」
「ジン、昨日のことは知っているな?」
「ええ、もちろん。ニケもかなり危ない目に遭ったようでしたし、拙者自身は飯屋でウェイトレスが連れ去られそうになる現場にも出くわしました」
ジンも無縁でなかったことをドゥアルテに伝えた。
「そうか」
ドゥアルテは口少なに相槌を打った。
「ドゥアルテ殿、このことをラオ様はご存じなのであろうか?」
「もちろん報告が上がっているはずだ」
「人さらいは今回が初めてだと聞き及びました。いったい何人ぐらい連れ去られたと?」
「わかっているだけで二十人ほどだ。若い婦女子ばかりが連れ去られた」
「ドゥアルテ殿、これは無法ではないのですか? 無法を取り締まるのが警らの仕事と思っておりましたが」
「ジン、今しばらく、男爵に時間をやってほしい。男爵も悩んでおられるのだ」
「わかりました。二十人を救出するような作戦が組まれたなら、必ず拙者にも声をかけてくだされ」
ジンは二十人の若い何の罪もない女の子ばかり連れ去られたということに少なからず衝撃を受けていた。そして、〈世の歪み〉を直すことが〈役目〉であるなら、これこそ自分がすべきことと感じていた。