26. ストックルーム
フィンドレイ将軍が街に入ってきたとき、ニケはアラムの店にいた。大通りが騒がしくなると、その大通りに一街区だけ隔てて並行に走るこの道にもその音が聞こえてきた。
アラムは窓に近づいて、外の様子を確認した。
店からは街区越しに大通りが見える。そこを行く青甲冑たちが見えた。
「ニケさん、奥のストックルームに入ってなさい」
アラムは静かに、しかし否やはない調子でニケにそう言った。
「ん? どうして?」
「うん。嫌な連中が街に入ってきたようだ。ニケさんは獣人だからね。目立つ。何かあったら大変だ」
アラムはいつもの穏やかな表情ではなかった。
「わかった」
ニケは賢い。雰囲気や相手の言外の意図を即座に理解する。
(何かが起こっているんだね。アラムさんの言うことを聞いておこう)
そう考えて、先日、ポーション用の空き瓶を取り出してくれた狭いストックルームに素直に入った。ドアの向こうからアラムの声が聞こえた。
「大丈夫になったら、私が呼びますから、それまで暗くて狭くて窮屈だろうけど、我慢するんだよ」
「うん。アラムさん。大丈夫。ありがとう」
ニケは真っ暗のストックルームの中でそっと足を動かして、座れるスペースがあるか探った。アラムの商品を壊してしまったりしたら大変だ。
そうやって、ここなら座れそうだ、というスペースが分かると、暗闇の中で膝小僧を抱くようにして座り、じっとアラムが外から話しかけてくれるのを待つことにした。
そうするうちに、睡魔が襲ってきた。真っ暗な中で、することもなく座っているのだから、若いニケにとっては睡眠は現実逃避先としてはもっともありうべき場所だった。
睡魔がいよいよニケを眠りに陥れようかとするその時、薬剤店の扉が開き、誰かが入ってくる物音がして、ニケは睡魔を撃退した。
「おやじ、この店、良いポーションを扱っているんだってな。俺たちはこの街を守るために魔物や野盗と日々街の外で戦っているんだ。良いポーションの寄付はおやじ自身のためだぞ」
二人ほど入ってきた気配があって、内、一人が大声でそんな口上を述べた。
「ああ、いらっしゃいませ、ポーションをお探しですか?」
アラムはいつもと同じように、返答する。
「……おやじ、聞いていたのか?こいつは『寄付を』と言ったはずだがなあ」
もう一人の男が低い、脅すような声でアラムに言う。
「はい。いつもありがとうございます。おかげさまでファルハナの街の安全は守られております」
「ああ、そうだろう。それで、寄付の話だがな」
あいにく……と言いかけて、アラムは言いなおす。
「ない」と言えば、この連中は探してでもポーションを略奪していくだろう。探す過程で絶対にニケは見つかってしまう。
「ええ、ちょっとお待ちください。とっておきのポーションが一箱分、二十本あります」
アラムはストックルームではなく、カウンターの下から木箱を持ち上げて、カウンターに置いた。
「もちろんまだありますが、寄付分と言われれば、これになります。他の分までお渡しすると、私も商売ができなくなってしまいます」
「ああ、そうだろうな。うん。それでいい。これが噂のポーションか。部隊に持っていくぞ。いいな?」
質問形にはなっているが、有無を言わせない響きがそこにあった。
「ええ、お役に立てて幸いです」
アラムはその顔に張り付いたような笑顔を浮かべ、両手を小さく広げ、どうぞ持っていってくださいと言わんばかりの仕草をした。
「うむ。その方の貢献はこの街の安全に直接結びついている。忘れるでないぞ」
そう言いながら、フィンドレイ将軍の兵の一人が木箱を抱え、もう一人はアラムをじっと睨んでいた。
「在庫を確認させろ」
木箱を抱えていない方の兵は、アラムがあまりにすんなりと貴重なポーションを一箱も寄付したことを逆に不審に思った。
「ご無体を。さっきも申し上げた通り、もちろん在庫はこれがすべてではありません。かといって、在庫を全部渡してしまえば、私はどうやって生きていけばいいというのでしょうか?」
「全部召し上げるとは申しておらん。ただ確認させろ、と言っている」
「ああ、確認だけなのですね。いいでしょう。ストックルームにまだ少しあるでしょうから、そこを見てもらいましょう」
アラムは『ストックルーム』という言葉をことさら大きく言ったので、それはそこに隠れているニケにも十分聞こえた。
(どうしよう……どこに隠れたらいいの? 真っ暗で下手に動けば何かに当たって物音がしちゃう……)
ニケは軽い恐慌を起こしてしまっていた。
(落ち着け。落ち着け! ……アラムさんはわざわざ兵隊がストックルームに来ることを私に聞こえるように言ってくれた。自分で何とかしなきゃ!)
「そのストックルームとやらはどこだ?」
兵の声がドア越しにニケにも聞こえた。
「ああ、それはですね、あ、ちょっと待ってください、そういえば休憩室にも少し在庫がありました! 今取ってきますね」
アラムがまるで今思いついたかのように兵に告げた。
(アラムさんが時間稼ぎをしてくれている)
ニケも頭をフル回転させていた。
「いや、取りに行かなくてもいい。俺もその休憩室について行く」
「おや、そうですか、どうぞどうぞ」
ニケにも床のきしむ音が聞こえて、アラムと兵が店内を移動している気配を感じた。
(そうだ、火種。それに火焔石。これを使って明かりを作れば、隠れる場所も出来るかも!)
ニケのポーチには携帯火種や火焔石、あとポーションが五本ほど入っていた。ポーションは使ったり、売りさばいたりして本数は二本にまで減ったが、アラムから小瓶がもらえたので新たに数本作ったのだ。今日はそれらを追加でアラムに売ろうと思っていたところだった。
ニケは火焔石を携帯火種にくっつけるようなことは、もちろんするつもりはなかった。そんなことをすれば、兵士二人は撃退できるだろうけど、自分もアラムさんも巻き添えになって吹き飛んでしまうからだ。
だから火焔石同士を軽く打ち付けた。すると閃光が迸り、一瞬だけストックルームの室内がニケの目に映し出される。
そのなかで、なにか引火しやすい、かといって火焔石のように爆発や火事を起こすようなものではない、理想的には枯草、あるいは紙、そんなものが見つからないかストックルーム内を探したかったのだ。
カチ
火焔石同士を打ち付ける音がストックルームの外に響かないか心配するニケ。それでも、その火花はストックルーム内の景色をニケの網膜に焼き付けた。
目の前にある棚。その二段目に紙の束っぽいものがあったように見えた。
カチ
もう一度打ち付けた。今度はその棚の二段目を見つめていたので見間違えようがない。
(紙だ!)
そうっとそこに向かって歩いて、紙束から一番上にある紙を一枚だけ、するっと取った。
(これを火種で……)
ふーふーと出来るだけ音がしないように息を吹きつけつつ、紙に携帯火種を押し付けると、ポウっと赤い明りが灯り、ストックルームの様子がニケの目に映った。
(ああ、こうなっていたのか)
燃える紙の炎がしだいに大きくなった。このままでは紙が燃え尽きるか、ストックルームにあるほかの物に火が移ってしまう。物音も立てられない中、ニケは右手で燃えている紙の一部を握って、火を小さくした。
(熱っ!)
そうしながら、ストックルームの奥の方に何かの獣、あるいは魔物の大きな毛皮が重ねておいてあるのを見つけて、ニケは物音を立てないように近づいて行き、その毛皮を持ち上げた。
(軽い)
左手に残る燃える紙をさっき火傷した右手の平でまたもみ消してから、平積みに積まれた毛皮と毛皮の間に小さな自分の身をうずめた。
(うぅっ!)
ニケが熱さに顔をゆがめた瞬間、ストックルームの扉が開いた。