20. 領主館
「ではジンさん、まだ朝も早いし、なんだったら、今日から引き受けますか?」
ミリアムはジンの経済状況を理解していたので、早速今日から働きだしたらどうかと勧めた。
「ああ、そうさせてもらおう」
引き受けるのが一日でも早い方がお金の減り方が少ない。実際、もうすでに一泊して稼ぎもなかったわけだから、三五〇ルーンは減ったわけだ。ジンに否やはなかった。
「では、領主館に行って、ラオ男爵にこの書類を見せてください。そうすれば正式に冒険者ギルドの仲介でこの仕事を引き受けたことが向こう様にもわかるはずなので」
宿の老婆から聞いた話を思い出して、ジンは言った。
「なんだ、領主はいるのか? いないと聞いたぞ?」
「いませんよ。ラオ男爵が自主的にこの街の治安を維持してくれているだけですから」
「そうなのか。自主的に、とはよくわからん話だな……いやいや、いろいろとかたじけない」
ジンはミリアムに礼を言った。
昨日のニケに対することは決して悪意からではないのは分かっていたし、この中年女性はいろいろと親身になってジンのために動いてくれているのだから、決して悪い人ではないのだろう。
「表通りに出れば鐘楼が見えるよね。そこに向かって大通りをまっすぐ行くだけ。三ノルとちょっとくらいだから」
「ああ、重ね重ね礼を言う。かたじけない」
ジンはそう言いながらギルドを出た。
ギルドの衛兵、バーレットが「がんばれよ!」と一言かけてくれた。
ジンはそれに対し目礼を返し、大通りの先に見える鐘楼を見上げ、それから歩き出した。
鐘楼が近付いてくると、鐘楼の周りに大小さまざまな建物が隣接してあるのが分かった。最初どれが領主館かわからなかったが、鐘楼の基部に当たる部分が大きな館とつながっているのが目に入ると、これが領主館と思われた。
領主館と鐘楼のみ七尺……二ミノルほどの高さの頑丈に見える塀に囲まれ、塀が一部分切れているところに鉄扉があった。
それがこの領主館の門と思われた。門の両脇に衛兵が立っていた。
ギルドの衛兵であるバーレットやアメリアとは違って、揃いの白色に彩色された金属製の甲冑を纏っていることから、少なくともラオ男爵という人物が自主的に、という割には酔狂で治安維持を行っているわけではなく、領主不在の中、組織的にこの街の治安を守ろうとしていることが分かった。
「ラオ男爵にお目通り願いたい。拙者はジンと申す」
ジンは自身が持つあらゆるコモンのボキャブラリーを駆使し、武士として失礼にならないように衛兵に告げた。
「あ? なんだってぇ?」
厳めしい白色の甲冑を纏っている割にはカジュアルな返答だった。
「いや、その、冒険者ギルドから紹介を受けてだな、警らの仕事を引き受けたのだが……」
ジンは砕けて言いなおすしかなかった。
「おお、それならあれだ、お前、紹介状とか持ってるのか?」
「これがそのはずだ」
ジンはそう言ってマリアムからもらった書類を渡した。
「ああ、わかった。うん。求人応募だな。ちょっと待ってろよ」
書類に目を通すと衛兵の内の一人が領主館の中に入って行った。
もう一人の衛兵は何か言うわけでもなくジンを見つめている。
何かあるわけでもない、ただ門の前で待っているこの時間、ずっとこの衛兵に見つめ続けられるというのはジンはぜひとも遠慮したかった。
「お主も冒険者でここで雇われているのか?」
知り合いでもないのだから、共通の話題などあるはずもない。ましてやジンは異世界から来た侍だ。衛兵はきっと雇われ冒険者のはずだというここまでの経験から得た知識を前提に訊いたに過ぎない。
沈黙が続く。しかもまだこの衛兵はジンを見ている。どうにも気まずい沈黙が続いていたが、ようやく彼がその口を開いてくれた。
「今、中に入って言ったやつはそうだがな。私は冒険者などではない」
「そ、そうなのか。なら、ここに立っているのはなぜだ?」
「私はラオ男爵に忠誠を誓う騎士だ。ラオ男爵がこの街を守ろうとしているのだから、その騎士である私はそれに従っているだけだ」
(侍がこの世界にもいるのか? 兄者が容保公に仕えるように男爵に仕えているというわけか……この世界も忠誠心と無縁ではないのだな)
ジンは嬉しくなってしまった。忠誠心や誇り、そう言った概念はこの世界でも通用するのだ。
ジンとて容保公、ひいては会津に忠誠を誓っている。
ただ、彼はもうその忠誠の対象が存在する世界に存在していない。
この状況を脱さなければ、会津や容保公の役に立つことはできないのだ。脱するためには情報がいる。情報を得るためにはこの街にしばらく滞在するべきなのだ。そして滞在するためには……
お金が必要なのだ。
ただひたすらにお金を求める今の情けない状況はさて置いて、コミュニケーション能力に乏しそうな、ラオ男爵に忠誠を誓うこの男に、どうしても好意を持ってしまった。それはジンが侍として育ってきたためだろう。
「いや、失礼をした。拙者、ジンと申す。良ければ貴殿の名前を聞かせてはもらえぬか?」
「……ドゥアルテだ」
「ああ、ドゥアルテ殿、今後とも良しなに」
そんな名前を交換するだけにとどまった自己紹介を終えたころ、領主館の中に入っていったもう一人の衛兵が戻ってきた。
「ジン、とか言うんだったな。今日はもう一人の衛兵が体調が悪くて非番になったんで、ドゥアルテさんに応援で衛兵をやってもらってたんだけど、本来、ドゥアルテさんは警らの隊長だ。ドゥアルテさん、このジンは警ららしいよ」
ジンは上司になるであろうドゥアルテに目礼した。
「うむ。配属は分かったが私はいま衛兵の仕事がある。ひとまず領主館に上がってラオ男爵と面会するがよいだろう」
ドゥアルテがそう言って、いま戻ってきたばかりの冒険者であるもう一人の衛兵にジンの案内を促した。
「ジン、ついてきな」
そう言って領主館の中から戻ってきた衛兵がジンについてくるように促した。
「ああ、俺はマイルズってぇんだ。冒険者をやってる」
ジンは極めてカジュアルに行われた自己紹介に頷いた。
そうして、ジンはラオ男爵の元に通されたのだった。