18. 冒険者ギルドと無意識の差別
荷物を部屋に置いた二人。冒険者ギルドに向かうことにしたのは、そろそろ夕時の昼後五つだった。
冒険者ギルドは二階建てで、高さはさほどないが、広い敷地を使っている大きな建物だったので、二人はすぐにそれと分かった。
ツツは厩舎で留守番、というより、冒険者ギルドに連れてきてもどうしようもない。それに、二人が出掛けに厩舎を覗くと、ツツは食事の後だったのか、藁をうずたかく積んだ寝床の上で満足げにお腹を見せて仰向けに寝ていたので、もう声もかけずに出てきた。
冒険者ギルドの入り口は両開きのドアになっていて、ドアの両脇に一人ずつ衛兵らしき人が立っていた。
ドアの左にいる男は胸と腹だけを覆う金属製の甲冑に短槍、ドアの右側には鎖帷子を上半身に着込んで帯剣する女。衛兵、というにはまるで不揃いな二人だった。
ジンとニケはそんな入り口に近づいて行った。
二人がドアをくぐろうとすると、衛兵らしき男女の内、男の方が短槍で二人の行く手を塞いた。そして、男はジンとニケを代わる代わる見た。
「お前ら見かけない顔だな?」
「ああ、ここに来るのは初めてだからな」
ジンは短槍で入り口を塞がれ、少しムッとしながらも応えた。
「冒険者か?」
男は短く訊いた。
ジンはどう答えるべきか一瞬考えた。そもそもその冒険者というのが実はよく分かっていない。グプタ村の人々やニケから少し聞いてはいたが、いったい、具体的に、何をする人々を差して冒険者と呼ぶのか。いや自分は侍だ、と答えても混乱をきたすだけだろう。
この世界にあっては自分を説明するのにこの世界にある概念で示さなければ、理解されない。一瞬の逡巡の後、ジンは「ああ、そうだ」と答えるにとどめた。
そう聞くや否や、男は「ここが初めてなら、まずはカウンターに行くんだな」と言いながら、塞いでいた短槍をひっこめた。
(なんともあっさりとした簡易検問だなこれは。「ああそうだ」だけで通れるならそもそもこいつら要らんだろ?)
内心思ったジンだったが、もちろん口にするわけもない。
衛兵らしき二人に軽く目礼をしつつ、ドアをくぐった。
カウンター、と聞いたので、それらしきものを求めて見渡した。ドアをくぐったところにはテーブルや椅子が不規則に置かれているが、だれもいなかった。
ただ窓を通して入り込む西日がそれらの椅子やテーブルの影を床に長く引き伸ばしていた。
その不規則に置かれた椅子やテーブルに面してカウンターらしきものがあったが、そこにも誰もいなかった。
それでジンは振り返って衛兵の男を見ると、衛兵の男は意外と親切に教えてくれた。
「ああ、そのカウンターじゃない。それはバーカウンターだ。右の奥にあるのがギルドのカウンターだ」
「かたじけない」
ジンは衛兵の男にそう短く礼を言ってから奥に進むと、それらしきカウンターがあって、それ越しに立つ眼鏡をかけた四十代後半と思しき女が立っていた。
ジンはその女に声をかけた。
「ここに来れば武辺者でも役に立てる仕事があると聞いて来たのだが」
「武辺者……」
女はそう小さく復唱して笑いを堪えているように見えた。
ジンは少しムッとしたが、いや、これは言葉の問題かもしれないと思い直し、もう一度別の言葉で言いなおそうとした。
と、女が「いいえ、失礼いたしました。お仕事ですね?」と今度はちゃんとジンを向いて、応えてくれた。
「ああ、宿のおかみにここに来れば仕事があるかもしれないと聞いてな」
少し機嫌を直しながら、ジンは言いなおした。
「冒険者登録はどこの町でされていますか?」
「ん?なんだその冒険者登録というのは?」
「……もしかして、そこからですか?」
「そこから……とは?」
「いえ、いいです。ギルドで仕事を請け負うにはギルドに登録してもらわなければなりません。ちょっとお待ちください」
女はカウンターを離れていった。
残されたジンはニケに「なんだかいろいろあるみたいだな」と同意を求めた。
アスカの故郷と森の生活しか知らないニケもこんな仕組みは全く知らなかった。ただ肩をすくめて、私も知らないよ、と態度で示すしかなかった。
女が戻ってきた。
「これが登録書です。お名前と住所を書いてください。そしたら、仮登録書をすぐにお渡ししますので、お仕事はすぐに請け負えます。……と言っても衛兵の仕事くらいしかないのですけどね」
「住所は宿の住所でいいのか?」
そう訊ねつつ、ここでジンは重大なことに気が付いた。
(字の読み書きができない……)
「ニケ、お前は字が書けるんだよな。いつか置手紙とか言ってたから」
「置手紙はアスカの言葉だよ。コモンはちょっと怪しいけど、名前や宿名くらいなら……」
ジンはカウンターの女に向き直る。
「住所じゃなくて宿名でもいいのか?それと……代筆でもいいのか?」
訊きながら、なんとも言えない恥ずかしさをおぼえた。ジンのいた日本では武士階級は言ってみればエリートだ。読み書きは出来て当たり前で育ってきたのだ。
「ええ、有名な宿でしたら宿名で大丈夫ですよ。あと代筆でも大丈夫ですが、ただ仕事内容はそこの掲示板に張り出されるので、それが読めないとなると……」
「それはニケがいるので大丈夫だ」
「猫のお嬢ちゃん、獣人なのに読み書きができるのね。えらいわね」
何気ない一言。しかも悪気もなかったのだろう。けれど差別に敏感なニケはそこに獣人を小馬鹿にする人間をどうしても見ずにはおられなかった。
少なからず怒りがこみあげてきて、その怒りをこのカウンター越しのこの女に見破られないようにするために視線を床に落とすしかなかった。
ニケも獣人の中において、いわばエリートだった。薬剤師としても一流だし、巫女教育も受けて、コモンだって読み書きができるほどまでの教育を受けてきていた。そして、なにより使命を背負ってここにいるのだ。彼女はどうしても敏感にならざるを得なかった。
いや、むしろ、人間は獣人を差別する、という情報をアスカで学んでいなければ、ニケもそんな風に感じることもなかったのかもしれなかった。けれども、それはもう彼女の中に不安や知識としてすでにあったのだから、仕方がなかった。
「いや、この子は俺よりよっぽど賢いし学があるんだ。それにそんなことはどうでもいい。これをニケに書いてもらえば、明日から仕事ができる、と考えて大丈夫なんだな?」
ジンはニケが下を向いたのを見逃してなかった。ああ、これか、とジンも感じて怒りを覚えたが、ここでことさらそんな話をすれば余計にニケを傷つける可能性もある。
「ええ、大丈夫です。衛兵や護衛の仕事しかないですが。ああ、私、マリアムを申します。あともう一人、受付がいますが、冒険者としてお仕事が始まったら今後いろいろとあると思いますので、なんなりとご相談くださいね」
実際、即座に仮登録証を発行してジンに手渡してくれている、このマリアムと言う女性は親切でまともな類の人間なのだろう。それでも言葉の端々でどうしてもこういったことが出てしまうのは、もう仕方がないと考えるしかない。それほど人間と獣人の間には隔たりがあるのかもしれないとジンはその時思ったのだった。