171. ウォデル奪還作戦―3
レイエスはその炎の塊が何かを知った時には、盾持ち十二人と共に彼の命はなかった。
彼らの肉体は一瞬で炭化した。
「じ、地竜……」
城門から二〇〇ミノル離れたところで新アンダロス王国軍鉄砲隊二千の督戦に当たっていたフエンテス将軍は固まってしまった。
「い、いかん、後退!」
フエンテス将軍は我に返って指示を出した。実際、レイエスたちを焼いた火焔の一撃は、前髪を焼くような熱をフエンテス将軍の立つ、ここにまで届いていたのだ。
将軍は地竜の火焔は二〇〇ミノルまで届く。その情報を思い出すまでもなかった。
フエンテス将軍麾下の鉄砲隊二千は、地竜が門外に出てくるに合わせて、後退した。二〇〇ミノルの距離は対地竜では危険な距離だ。
「城壁より三〇〇ミノルまで急いで後退!」
フエンテス将軍の声が響き渡り、それを大隊長が、そして中隊長が各部隊に伝達していく。潮が引くように、新アンダロス王国軍二万が一〇〇ミノルほど後退し、後ろにいたバルタザールの銃騎兵隊の真ん前にまで来た。
「フエンテス将軍は我らの後ろに兵を下げてください! 飽和射撃を行います!」
バルタザールは大声でそう叫んだ。
「分かった!」
二万の新アンダロス王国軍の兵卒が、展開する五千の銃騎兵隊たちの間を縫うように後退していく。
後退しながら、新アンダロス王国軍の兵士たちが銃騎兵たちに声をかけている。
「頼んだぞ!」
「死ぬなよ!」
「手柄を譲る!」
バルタザールには当然、マグノ砦での帝国軍対地竜の戦いの情報は入ってきていた。とにかくデカい的なのだ。地竜を自軍からの距離、二〇〇ミノル内に入れないこと、そして二〇〇から三〇〇ミノルの距離を保ちながら、ひたすら弾丸を叩きこむしかないことを理解していた。
「地竜が押し出してこれば、その分下がるんだ。敵を二〇〇ミノル内に迫らせるな。そして、撃てるだけの弾丸を地竜に……」
バルタザールの指示は、途中で止んだ。それはウォデル西門から二頭目、三頭目の地竜が出てきたからだった。
(三頭! ……だが、我らスカリオン公国軍の鉄砲装備率は帝国軍よりはるかに強力だ。とにかく撃ちまくるしかない!)
バルタザールは五千人の新式、つまりモレノ式鉄砲を装備する騎兵を持っているのだ。地竜の一頭が三頭になったところで距離にさえ注意すれば、竜たちを葬れる自信があった。
その時、ウォデルの街の城壁の向こうで異変があった。
城門からではなく、城壁の向こうから突然無数の黒い影が飛び発った。
「あ、あれは!」
バルタザールにその姿は見覚えのあるものではなかったが、知識としてはあった。
「ガーゴイル!!」
正確な数は分からないが、三〇〇ミノルほど離れたウォデルの西側城壁の向こうから飛び立ったガーゴイルの群れは、かなりの数だ。千以上、二千未満はいるはずだ。無数の黒い影が空に上がったかと思うと、バルタザールの銃騎兵隊に向かって迫って来た。
地上には迫る地竜。こちらはまだ火を吐く気配はない。距離が離れすぎているのだ。しかし空から迫るガーゴイルは一瞬で間を詰めてきた。
「弓矢か!」
ガーゴイルたちは弓矢を装備している。それを空から射かけてくるのだ。
「応戦!」
バルタザールは悲鳴のように号令をくだした。
上空で羽ばたきながら、時折左右に移動し、射かけてくるガーゴイルたちに対して、五千の銃騎兵たちが射撃を開始した。
「敵に鉄砲兵がいるぞ!」
弓矢で攻撃をしてくるガーゴイルに混じって、一部のガーゴイルは旧式だがミニエー銃を装備していた。ウォデル陥落の際に鹵獲した鉄砲を使っているのだろう。
前面の地上では地竜がその火焔の射程範囲内に入ろうと迫って来る。
銃騎兵たちも、新アンダロス王国軍麾下の鉄砲兵たちも、地竜から三〇〇ミノルの距離を保つべく、後退しなければならない。そうしながら、上空から矢や鉄砲で攻撃してくるガーゴイルの対応を余儀なくされた。自然、命中精度は下がる。
「くそっ、当たらねぇ!」
銃騎兵たちも毒づいているが、それをあざ笑うかのように、蝙蝠のような形状の羽を羽ばたかせて、左右に移動しながら、矢や鉄砲の弾を放ってくる。
バルタザールの銃騎兵にも少なからぬ被害が発生し始めていた。
かと言って、命中精度を上げるために、下乗して膝立ちでガーゴイルたちを狙おうものなら、地竜たちに距離を詰められるという状況だ。とにかく、後退しながら、弾丸をより多く撃つしか対処の方法がないのだ。
バルタザール銃騎兵隊も、フエンテス将軍麾下の鉄砲兵も、すでにいっぱいいっぱいの状況だったが、そこに、破壊された城門の向こうから十数体のトロルが走り出てきた。
「ト、トロルまで……」
フエンテス将軍の顔は青くなった。が、そこにまだ幼い男児の声にも聞こえるミルザ伯爵の声が響いた。伯爵は後方から、騎馬で駆けてきた。
「フエンテス将軍! バルタザール将軍! ガーゴイルは我らやリヨン伯爵の弓兵隊に任せられよ! 鉄砲隊は地竜とトロルに集中を。何なら、全隊一度後退をやめて、全火力を地竜に集中してください!」
「わ、分かりました! 鉄砲隊、地竜に集中攻撃だ!」
フエンテス将軍は子供に等しいミルザ伯爵の声に救われた。バルタザールもミルザ伯爵の声に冷静になった。
(確かに! 何が何でも鉄砲隊でなければいけないことはない。上空のガーゴイルは重武装じゃない。弓矢で十分だ)
「伯爵、お願いします! 銃騎兵、全射撃を地竜に向けよ! 電撃弾は使用するな! 硬い鱗に阻まれては、数少ない電撃弾が無駄になる。いいか、トロルとの接敵にはまだ時間がある。まずは地竜に出来るだけ多くの弾丸を叩きこめ! 全隊、後退止め、下乗の後、地竜三体に集中砲火!」
バルタザールは声の限り叫んだ。命令は素早く伝達されていく。
実際、トロルはまだ地竜の後方にいる。地竜が火焔放射を行うのが前提なのだから、地竜より前に出ないのは合理的だ。
ちなみに、電撃弾とは例の新兵器だ。しかし、持っている数が少ないうえ、敵が地竜では効果があまり期待できないため、対地竜では使わないのが正解だ。戦況はひっ迫しているが、バルタザールはまだ冷静でいられた。
そして、逃げるのをやめた銃騎兵たちのモレノ式の火力はすさまじかった。
上空のガーゴイルから放たれた弓矢に少なからぬ銃騎兵たちが倒れてはいるが、元込め式のモレノ式を持つ兵たちが、射撃にだけ集中した時の火力は、地竜三体を倒すに十分なはずだ。
短時間に数万発の弾丸が地竜たちに襲い掛かった。
硬い鱗が多くの弾を弾いたが、入射角の良い弾は鱗を破壊し、地竜の地肌を露出させ、その柔らかい地肌に、さらに多くの銃弾が突き刺さった。
しかし、敵もひかない。ガーゴイルたちに〈意志〉による指令が来ているのだろう。彼らは更に距離を詰めて、銃騎兵や鉄砲隊のほぼ真上にまで迫ってきて、矢を放ち始めた。
地上ではウォデル軍、パディーヤ軍の弓兵隊がそのガーゴイルたちの攻撃に必死に応戦するが、位置の優位を取る連中に対しては相当不利だった。
真上にいるガーゴイルに対して、地上から射た矢は、外れれば、自分たちに落ちてくるのだ。重力がガーゴイルたちを味方していた。
「弓兵隊、撃ち方止めぃ!」
上から射かけられる矢に加えて、自分たちが射た矢まで襲ってくる。たまらず、リヨン伯爵は攻撃中止の号令を下した。
弓兵隊は即座に撃つのを止めた。止めたが、止めたら止めたで、ガーゴイルたちは攻撃を避ける必要がなくなり、撃ち放題になった。
その時、血みどろの地竜の一頭がついに倒れた。
それに続いて、もう二頭もほぼ同時に倒れた。
「銃騎兵隊、今だ! ガーゴイルを一掃せよ!」
バルタザールの命令がなくとも、銃騎兵たちは、地竜が倒れるのを確認するとすぐにガーゴイルたちを撃ち始めていた。
素早いガーゴイルたちは飛んでくる矢は避けられることもあるが、鉄砲の弾丸はそう言うわけには行かなかった。次々に打ち落とされ、急速にその数を減らして行った。
地竜の後ろにいたトロル十四体が焦ったように銃騎兵隊と鉄砲隊に向けて走り始めた。ただ、まだ距離が二〇〇ミノル程度残っている。
銃騎兵隊たちも必死だ。上空のガーゴイルの戦力を残したまま、トロルに集中砲火を浴びせると、真上から矢が振ってくることになる。かと言って、ガーゴイルにだけ集中すれば、怒涛の勢いで走って来るトロルと接近戦になれば、生き残る可能性はゼロに等しい。
(まだだ。まだトロルには走らせておけ。今は少しでもガーゴイルを減らす!)
バルタザールは歯噛みするような気持ちで、馬から降りて、銃撃を続ける銃騎兵隊の隊列の後ろで、馬上に居ながら戦況を見ていた。
(ダメだ、限界だ……)
「銃騎兵隊! 標的、トロルに変更! 電撃弾を使え!」
走って来るトロルから銃騎兵隊までの距離はすでに五十ミノルにまで迫っていた。
銃騎兵隊たちは上空に向けていた射線を水平射撃に変更すべく、銃口と視界を下げた。下げてから、その景色に衝撃を受けた。
十四体ものトロルの巨体がもうすぐそばにまで迫ってきているではないか。
多くの銃騎兵隊は馬上からの速射の訓練を受けているが、狙撃手としての能力はそこまで高くない。
だが、新兵器である電撃弾に命中精度はさほど必要なかった。第一射目で十四体のトロルを全滅させてしまった。
眉間を貫く必要がないのだ。顔辺りに当たれば、弾に込められた電撃魔法がさく裂して、脳を巣食う白線虫に大ダメージを与えるのだ。
「トロル沈黙! 標的を上空のガーゴイルに!」
バルタザールが命令をしたが、今回もその必要はなかった。銃騎兵たちは最後のトロルが倒れた瞬間から、上空のガーゴイルたちに銃撃を開始していた。
門の破壊、地竜の攻撃から始まった敵襲はこうして鎮圧できたが、四軍連合軍にも小さくないダメージを残した。
リヨン伯爵は命を下した。
「全軍、突撃! 白虫どもを皆殺しにしろ!」
総勢にして千名ほど失った四軍連合軍だったが、ウォデル奪還のための最終局面である街への突入を始めた。
◇
「伯爵、昔、言ったことがあるだろ? アウトレンジ攻撃が主体になって、剣など出る幕はもうないって。剣どころか俺の槍ですら出る幕がないもんな」
前線で戦う銃騎兵隊や鉄砲隊の後方二〇〇ミノルほどにいたマイルズが、隣に立つミルザ伯爵に話しかけた。
実際、フエンテス将軍麾下の旧式鉄砲隊とバルタザールの銃騎兵隊、それに各軍に所属する弓兵隊以外の兵たちは、損耗を恐れて、ここに至るまで前線に出ること全くなかったのだ。
「だが、マイルズ、市街戦になれば話は変わるかもだぞ」
「ああ。伯爵も辻々での遭遇戦には気を付けてくれよ」
「心配するな、マイルズ」
若き貴族と冒険者上がりの騎士も土煙の向こうに見えるウォデルの西門に向けて、馬を進め始めたのだった。