167. マウンガ・カカリキ
エノクはジンたちに事の成り行きを説明した。
魔物の襲撃があったこと、壁守のこと、ナウブが先に行ったこと、そしてファウラーとツツが負傷してしまったこと……。
「ツツは大丈夫なの!?」
マルティナは悲鳴のような声を上げた。
「ああ、ニケのポーションがなければ死んでたと思う。ファウラーさんも危なかった」
「何にしても、無事でよかった。で、その様子だとナウブ殿を除いて、まだ南に抜ける算段は付いていないようだな」
エノクたちも壁の北側でまだ南に行く算段を付けられていないことにノーラは少し安堵した。
「そうでもないよ。今、カノという壁守が総長に会わせてくれるように頼んでくれている。総長に会えれば、みんなを壁の向こうに行く許可が貰えるかもしれない」
「それは望みが薄いな。エノク、知っておるか? 総攻撃が始まる。魔物どもを電撃魔法で一掃するらしい。そんなタイミングで我々だけ先に行かせてくれるとは思えん」
エノクたちには総攻撃の情報は伝わっていなかったようだった。
「総攻撃? そんなことが始まるの? ……で、みんなは兵士になってどうする気なの?」
「ひとまず、壁を超えるにはこれが一番手っ取り早かったってだけだ。その先のことはなにも考えていない。というより、他に取れる方法がなかったんだ……」
ジンがエノクに応えていると、カノが戻って来た。
「エノク、この人たちは?」
カノはエノクの周りにいるジンやノーラたちを見て、エノクに訊いた。
「カノさん! この人たちはね、イスタニアから俺と一緒に来た人たちだよ。で、総長さんはなんて?」
エノクの質問には答えず、カノはジンに右手を差し出した。
「カノと言う壁守だ。エノクやファウラーには壁で世話になった」
「ジンと申す。それで、総長殿の返答は?」
「うん。総攻撃のことは聞いておるな? それより前には壁の向こうに行かせることはできない、とのことだ。だが、総攻撃はもう明日の話だ」
「ということは、総攻撃が終われば壁の向こうに行けるの?」
エノクの顔がパッと明るくなった。
「いや、そう言う意味ではない。総長が言っているのは総攻撃の前は絶対ダメだ、ということだけだ。総攻撃の結果次第では、可能性はある、とは思うが」
これまで黙って聞いていたナッシュマンが口を開いた。
「つまり、この総攻撃が成功すれば、ワイ・トゥカ国は南に進撃する、ということか?」
「そこまでは分からない。何にしても総攻撃の結果次第で状況が動く。南に行けるかどうかは、その状況次第と考えてくれ」
「カノ殿。ファウラーとツツは今、カノ殿の家にいるのか?」
ジンたちは兵として総攻撃に参加することになっている。報酬無しで募兵に応じたジンたちだったが、もうこれを変更はできない。
しかし、兵として南に行ったとしても、そのままそれ以上は進めないだろう。軍から勝手に離脱するわけには行かないのだ。それに、ファウラーやツツ、それにロッティとスィニードを壁守の家に残しては進めない。
「ああ、俺の家ではないが、すぐ近くの壁守の家だ」
「総攻撃の間、壁守はどうするのだ?」
「壁守は自分の担当の壁を守ることになっている」
「では、エノクたちをしばらく預かってはもらえまいか? 総攻撃が終われば、必ずカノ殿を訪ねよう」
「承知した。エノクたちは壁の戦力になる。こちらとしても助かる」
総攻撃が始まれば、ジンたちは壁の南に進撃して、エノクたちは壁に残って戦うことになった。
エノクとカノは森の中の壁に戻って行った。
ジンたちは軍の指示に従い、明日の出撃を待つだけとなった。
◇
マルティナが電撃魔法使いであることは軍には申告していなかった。そうなれば、マルティナは前線に立たされるだろう。敵が魔物だけならマルティナは何ら問題がないが、人間や獣人が大勢混じっている。人間や獣人を殺して回るのは、マルティナにはまだ割り切って考えることはまだ難しかったのだ。
それで、彼女はニケやカルデナス、それにチャゴと一緒に救護班に配属されることになった。ジンやノーラにとって、そのことは安心材料だった。万が一、後方の救護班が魔物たちに襲われる事態になっても、マルティナが一緒にいれば安心だ。マルティナとて、ニケたちに命の危険が及べば、遠慮なく電撃魔法をぶっ放すに違いない。
ジン、ノーラ、リア、それにナッシュマンの前には初めて見るウィドナ国の風景が広がっている。
パートゥ・ロアの辺りのウィドナは、ところどころにある小さな林を除いては緑の平原だった。平時なら牧草地帯なのだろう。しかし、放牧されているような家畜の姿は全く見えない。
魔物や敵勢力の姿も見えず、ただ、見晴らしの良い緑の平原が続いている。
ワイ・トゥカ軍は今回の総攻撃に、四人の総長、四つの総領から兵を集めたとのことだった。その数四万五千人。大軍である。
軍は、オカリトを出発して、街道を南に進み、街道の東に見える小高い高地を目指している。この高地はマウンガ・カカリキと呼ばれ、魔の森のほとりの森の外縁部にある。この高地が敵の巣窟になっているらしかった。
マウンガ・カカリキはその昔、鉄鉱山だったが、魔物の襲来が始まるずっと前に、すでに廃坑になっていた。廃坑の坑道が高地の地下には張り巡らされているが、これが魔物の格好の住処となったようで、ウィドナ北部における敵の一大拠点とみなされていた。今回の総攻撃の目的はマウンガ・カカリキにいる敵勢力のせん滅にあった。
敵が平原に出てきてくれれば、広範囲電撃魔法で倒しやすいのだろうが、敵は狭い坑道内にいる。接近戦の剣士と魔導士の共同作業が必要となる。魔導士一人につき、一個混成小隊を編成する。小隊は通常十人だが、坑道内の狭さを考えて、実質四、五人の半個小隊を行動単位とすることになった。
狭い坑道内での戦闘で想定される接近戦に剣士、電撃魔法が放てない場合の遠距離攻撃に弓兵、など状況に即応できるように混成小隊になった。
四万五千人の大軍に電撃魔導士は一三〇人しかいない。そのため、マウンガ・カカリキへの突入は六〇〇人程度になった。ほとんどの兵はマウンガ・カカリキを包囲して陣を張り、逃れ出る魔物がいれば倒す算段になっていた。
マウンガ・カカリキに到着するまで、魔物による抵抗は全くなかった。というよりも、魔物の姿を見ることすらなかった。平原に出れば、電撃魔法で殲滅されることを知っているとしか思えない。
ジン、ノーラ、ナッシュマン、リアは同じ小隊に配属してもらえた。ピピと言う名の若い女性魔導士、ニケと同じ猫の獣人の小隊だ。
ノーラとリアはモレノ式の鉄砲、ナッシュマンは長剣、ジンは当然会津兼定を装備している。
ピピの小隊―ジンたち―の目の前には廃坑の入り口が見えてきた。
すでに先行する部隊が続々と行動の中に吸い込まれていく。
大人数で廃坑に入って行く皆に緊張感はほとんど見られなかった。
「ねぇ、その武器、なんていう武器?」
ピピは廃坑の入り口に進みながら、早速ノーラとリアの持っているモレノ式に興味を持った。
「ん、これか? これは鉄砲と言う武器だ」
ノーラは特に勿体ぶるでもなく、普通に説明した。もう鉄砲の存在は秘密のものではない。イスタニア中にその威力は知れ渡っていたし、アスカでも上層部の人は知っていない者はいない。
「どうやって使うの?」
「これは、こうやって狙う。この筒の先から弾丸と言う鉛の弾が高速に飛び出すんだ。ちゃんと当てればトロルだって一撃で倒せる」
「またまたー」
「ハハ。まあ、疑っておればよい。その時になれば、いやでも鉄砲の威力を見るはずだ」
「大丈夫だよ。トロルでも電撃魔法で一撃だからね。ノーラにそのテッポウとかってのを使うタイミングはないと思うよ。それより、先鋒のお二人さん。しっかり頼むよ。急には魔法は撃てないんだからね。廃坑内での遭遇戦は任せたよ」
「ああ、任された」
ジンとナッシュマンが先鋒で、坑道の先頭を歩く。続いてピピ。最後尾にノーラとリアが並んで進む計画だ。
そんな話をしながら、進んでいると、ジンたちは廃坑の入り口に差し掛かった。
中は真っ暗だが、先を行く小隊の懐中魔灯がすでに点灯されていて、何も見えないという事はない。ジンも用意してきた懐中魔灯を点灯させた。
廃坑内には積み出される途中で放棄された石が山積みになったモッコや一輪車の荷車が放置されている。
そんな中を進んで行くと、ゴブリン、オーガなどが突然飛び出して来て肝を冷やす場面もあったが、ジンたちは難なく敵魔物を倒して行った。
結果、ノーラが鉄砲の威力をピピに見せる場面もなかった。ピピはマルティナに比べて数十分の一以下の魔力量にもかかわらず、効率よく微弱な電撃魔法を放ち、危機らしい危機を小隊にもたらすことはなかった。
他の小隊も状況は似たり寄ったりのようだった。もはや、坑道内は魔物の虐殺場と化していた。
◇
(何かがおかしい)
ジンはそんな感想を持たざるを得なかった。
ジンの懸念をよそに、ピピは得意そうに言った。
「結局、弱点が電撃だったとはね。こいつら見掛け倒しったらありゃしない。これで長く続いた魔物禍もようやく終わるね」
圧倒的殺戮に興奮して騒ぐ別小隊の声が坑道の奥から聞こえる。
魔物はもはや脅威ではない。微弱な電撃魔法でいとも簡単に倒せるのだ。
結局、凡そ六〇〇人の坑道突入部隊の内、戦死者はたったの十二人だった。そしてその死因は全てフレンドリーファイア。つまり同士討ちだったのだ。
ジンたちも近くで戦っていた小隊に声をかけられた。
「もう粗方終わったみたいだぜ。なんともあっけない戦いだったな。お前たちも手柄が立てられず、さぞ不満だろうが、もう敵はいなさそうだ。そろそろ撤収しようぜ」
コモン語が話せる他の小隊の剣士に声をかけられた。
「ああ、俺たちもそうするとするさ」
ジンはそう返しながら、これまでの魔物との戦闘を思い浮かべていた。
魔物は自分たちの被害を恐れない。個に対する憐憫の情がない事はすでに知れていた。ならば、坑道の中の敵はおとりだったのではないか。ジンにそういう考えが浮かぶのは、これまでの戦いを考えると、仕方のない事だった。
だが、敵はこの大量のオーガとゴブリンを犠牲にして何を狙ったというのか?
(四万五千のマウンガ・カカリキを取り巻く軍団! これが目的か!?)
突然、ジンは確信を持ってしまった。
「ノーラ、ニケたちが危ない!」