163. 城塞都市オカリト―3
イスタニア風のタバーンだったが、入ってみると中はまるで違っていた。
円形のテーブルに半円状のカウンター。カウンターの上にはカウンターに沿って、半円状に巡らされた吊り棚に色とりどりの酒瓶。完全にアスカ風のインテリアだった。
「ジン、これはすごいな。イスタニアの酒場よりよっぽど、なんというか、先進的だ」
「ああ、アスカの人々の酒に対する執念が見えるようだ」
二人の会話を聞いていたカウンターレディーの狐の獣人が口を挟んだ。イスタニア語が分かるようだ。
「旦那たちは帝国の人かい?」
「いや、アンダロスから来た」
「アンダロス……王国はもうなくなったって聞いたんだがね」
「王国がなくなっても人がみんな死ぬわけじゃないし、土地もなくなるわけじゃない」
「確かに。で、何を飲む?」
「うむ。なにを飲めばいいのかさっぱり分からん」
「あはは、旦那、正直でいいねぇ。これなんかどうだい? ガツンと来る……」
「いや、俺はあんまり酒に強くないもんでな。イスタニアのエール的なものでいい。ノーラもそれでいいか?」
「ああ」
「じゃ、アスカのエールを飲んでみな」
ジンは一度アスカのエールを飲んだことがあったので、抵抗はない。
「ああ、それをもらおう」
琥珀色の液体がガラス製のグラスに注がれた。イスタニアだと木製の器が多いが、この店ではガラス製の器がほとんどだ。
「ガラス製か……きれいなものだな」
「アスカ切子ってやつさ。高いんで割るんじゃないよ」
ガラスの杯に光がきれいに反射するように美しい切り目が無数に入れてある。
「ノーラ、ひとまず乾杯と行くか?」
「ああ。ジン、とりあえずここまでたどり着いたことに。それと、ここからの安全を」
ノーラはそう言うと美しいアスカ切子の杯を突き出した。ジンはそれに自分の杯を合わせた。
情報収集開始だ。
「なあ、マスター……マスターでいいのか?」
「マスター! 悪くない響きだな。いや、私は雇われだよ。ナイワと呼んでくれ」
「ナイワ、か、いい名前だ。俺はジン。で、彼女はノーラだ」
「ジン、ノーラ、よろしく頼むよ。まずはこのエールのお代から頼む」
「お、おお、そうか、お勘定が先だったな」
ジンはそう言って、イスタニア銅貨をジャラっとカウンターに広げた。
「これだけ頂いておくよ」
ナイワはそう言って、六枚、一ルーン銅貨を集めて、懐に入れた。
「ナイワ、この街はアスカなのにイスタニア風の建築が多いな」
「そりゃそうさ。ここはもともとイスタニア人の街だったからな」
「そうなのか? アスカにあるのに?」
「壁は見たかい?」
「ああ。すごい長さの壁だな」
「パートゥ・ロア……『長い壁』って意味さ。あの壁は元々ロングム・ムルムと呼ばれていたけど、アスカの人々が取り返して、パートゥ・ロアになったのさ」
「いや、すまんが、意味が分からん」
「旦那も物分かりが悪いね。ここはイスタニア人の対獣人戦最前線の街だった、ってことだよ。昔のイスタニア語で『ロングム・ムルム』は『長い壁』って意味さ。アスカ語になって、『パートゥ・ロア』になったのさ。昔のイスタニア人はイスタニアから獣人……アスカ人を追い出したのに飽き足らず、今のワイ・トゥカ全域を占領して、ここに長大な壁を作ったのさ。南から取り返しに来る獣人たちをここで抑えるためにね。だからこの街はイスタニア風の建築物が残っている、ってことだよ」
「なんだか申し訳ないな」
ノーラが伏し目がちに呟いた。
「やめとくれよ。昔の話だって言っただろう。それに、皮肉な話だが、パートゥ・ロアがあるおかげで、ワイ・トゥカはウィドナから攻めてくる魔物どもを押しとどめられているってわけさ」
「それって千年ほど前の話か?」
ジンはこの話はナバロの話とも符合があうと思った。
「私も詳しいことは知らないけど、たぶんそれくらい昔の話だとは思うよ」
「じゃあ、アスカの人々はイスタニアの人々に恨みが残っていたりしないのか?」
「旦那、バカみたいなことを聞くんじゃないよ。もう千年だよ? それにイスタニアもアスカもお互いにいろんなものを融通しあって生きているのが今の世界さ。そんな恨みなんて感じているアスカ人は百人に一人いるかどうかってところじゃないかな」
「すると、このタバーンは千年もこの形を保っているのか……すごいな」
「ああ、ちゃんと手入れして使っているからね。イスタニア人が残して行った文化も今やアスカ人の一部さ。……ただ」
「ただ、なんだ?」
「ただ、今回の侵略者はイスタニア人とは違うね。なんというか、気持ちが悪い」
「気持ちが悪い?」
「ああ。イスタニア人は良い意味でも悪い意味でも、私らとそう変わらない。だけど、奴らは違う」
「ナイワ、奴ら、って言ったけど、敵の正体がわかるのか?」
「ああ。なんとなくだけどな。って、おい、次のエール、飲まねえのか」
「お、おお、入れてくれ」
ナイワはアスカ切子にまたエールを注ぐとテーブルに広げたままになっていた銅貨を六枚取って行った。
「あいつら、まだ街が電撃魔法でのスクリーニングをちゃんとやっていないときは普通に街中を歩いていたんだ。まるで司祭のような連中だったよ」
「司祭?」
「ああ、『全にして個、個にして全』とか触れ回って、信者みたいについて行くやつもいたよ。そいつらはみんなは白線虫に取り込まれちまったけどな」
「それが、敵か?」
「いや、敵の何か、だとは思う。私もあれが敵の正体だとは思っていないよ。でもな、敵の何かだ」
「意志、ってやつか?」
「うーん。意志、か。そう言われれば、そうかもしれない。イスタニア人でもアスカ人でも、魔物でも、あるいは動物でも白線虫に乗っ取られれば敵になるってことを考えれば、敵の正体は白線虫になるけどな」
「ただ、あの虫が敵とは思えない」
「ああ、そうだな。だから『意志』なのか……そう言われればそんな気もするなぁ」
「ナイワ、誰の意志だと思う?」
「それは分からないなぁ。ウィドナに行けばもう少し詳しいことが見えるかもしれないけど、ウィドナはもう魔物の勢力圏内だからなぁ」
ウィドナへの入り方。これも必要な情報の一つだ。それには総長との面談が必要になる可能性もある。
「ナイワ、まあ、分からないことを考えても仕方がない。ナイワが知っている情報があれば聞きたい。俺たちはウィドナに行きたいと思っている。何か方法があるか?」
「無理だね。パートゥ・ロアの向こうには誰も行けない。城の兵士になればもしかしたら、ってくらいかな」
「城の兵士にはどうやってなるんだ?」
「そりゃ簡単さ。ここを出てちょっと行けば募兵事務所があるよ。そこで兵になりたい、っていえばすぐさ。兵はずっと足りてないからね」
(その手があったか!)
イスタニアでは大物貴族や将軍、はたまた王子にまで認められて、かなり自由の利いたジンだったが、アスカに来て、そうもいかない現実を突きつけられていた。
しかし、兵士になれば、パートゥ・ロアの向こうに行ける可能性があるのだ。
◇
結局、エールをもう一杯ずつ飲んで、最後に小粒銀を一枚チップとしてナイワに渡した。
「いろいろ話をしてくれたお礼だ。また、ここに来るから、いろいろ話をしてくれると嬉しい」
「旦那、ありがとよ。また来るんだよ」
「ああ」
ジンとノーラはタバーンを出た。
「ノーラ、兵士になるという手があるが……」
「なんだ、私に遠慮しているのか?」
「そりゃそうだ。ノーラは貴族令嬢だぞ」
「今更、貴族令嬢もなんもあったものではないぞ、ジン。しかしな、その策だとニケやカルデナスたちはどうする? さすがにニケに兵士になれ、は無理だぞ」
「……ここで待たせておく」
「またそれか! ジン、以前、ニケがそれに強烈な拒絶反応を示したのを忘れたわけではあるまい?」
「ノーラ、だが、今回はそれしかない。ここは軍事施設だ。この壁の向こうに行く者は兵士か貴族。貴族と言うのかどうか知らんが、総長だか何だかのえらい人だ。ニケはそんな家の出の者ではないだろう? ならば、ここで待ってもらう。前に進むにはそれしかない」
「まあ、良い。私がそれに否と言う必要もないだろう。ニケに話してみるがよい」
「ノーラの言うとおりだ。まあ、話してみるよ。別にニケたちをここに置いて行こう、ってわけではないしな。ニケも理解してくれるはずさ。とにかく壁の南に出て見なければ状況が見えないのだから、まずは兵士になるしかない」
「……あれだな。募兵事務所ってのは」
「ああ、そのようだ」
◇
ジンとノーラは募兵事務所に入って行った。
中はなんとなくだがファルハナの冒険者ギルドに似ていたが、カウンターに座って、書類をめくりつつ、何かの記入している狼の獣人の中年っぽい女性しかいなかった。女性はジンたちに気づくと、何事か、アスカ語で話したが、ジンたちの反応がない事を見て取ると、コモン語で言った。
「ああ、もう今日はお終いだよ。また明日の朝に出直してくれないかい?」
「遅くにすまない。いや別に今、手続きしようと思ってきたのではない。少し内容を聞こうと思ってな」
「お二人はイスタニアの方ですよね。帝国あたりで魔物と戦わなかったんですか?」
「いや、戦ってきた。だが、こちらの方が大変だと聞いてな」
むろん、アスカの方が魔物戦は大変だなどという事は聞いたこともないが、ジンはそう言えばここでの対魔物戦の状況が少しでも聞き出せると思ったのだ。
「そうだねぇ。確かに大変さ。けど、ちょっと遅かったよ。もう明後日の総攻撃が決まったからね。兵の編成が終わったころだと思うよ」
「総攻撃?」
「ああ。電撃魔法使いを一〇〇人以上用意したんだよ。これでパートゥ・ロアから押し出すらしいよ。もう奴らの弱点は分かっちゃったからね。一般の兵は魔導士の支援だけさ」
(電撃魔法使いならウチにも超強力なのが一人いるぞ!)と言いそうになったが、マルティナの心痛を慮って、ジンは辛うじて踏みとどまった。しかし、それにしても、この状況はよろしくない。魔物たちが電撃魔法で倒されるのはいいことだが、兵になれなければ、パートゥ・ロアの南には行けないのだ。
「総攻撃には間に合わなくとも、兵には登録できるだろう? 今回の総攻撃が絶対に成功するなんて保証はないはずだ」
ジンは食い下がってみた。
「まあ、そうだろうけど、上の意向は違うんだよ。いったん募兵を打ち切るってさ」
「そ、そうなのか……」
「ジン、今日はひとまず諦めて、宿に帰ろう。また策も出てくるだろうさ」
らちが明かないと思ったノーラはいったんここは引いておこうと思った。
「そうだな。……狼のお姉さん、何にしてもありがとう。また顔を出すよ」
「ああ、そうしな。総長も今回の大規模募兵で予算を使っちまったみたいで、それで募兵がなくなっただけだから、またしばらくすれば募兵はあるはずだよ」
「狼のお姉さん、ちょっと待ってくれ。俺たちは給金は要らない。魔物どもを倒したいだけだ」
「給金無しで働くってのかい?」
「ああ。俺はこう見えても強い。オーガ程度なら、鎧袖一触だ」
「ちょっとこのまま待っていてくれないかい。……いやいや、やっぱり明日の朝だ。今からじゃ総長にも確認できない。明日の朝に来てくれれば話は付けておく。お金がいらないんなら、話は早い」
「その……飯は出るのか?」
「当たり前だよ! 飯無しで兵が働けるわけがないだろう」
「なら、明日の朝にここに来るよ」
◇
ジンとノーラが宿に戻ると、ニケ、リア、それにマルティナたちはすでに寝ていた。ナッシュマンだけが、宿の一階にある飯屋で一人、ちびちびとエールをすすっていた。
ジンとノーラがそんなナッシュマンに話しかけたタイミングで、カルデナスとチャゴも宿に帰って来た。
「どうだ、なにか情報は得られたか?」
ジンは帰ってきた二人に話しかけた。
「まあね。兵隊になるしかない、ってところまでさ」
チャゴが応えた。
「まあ、同じだな。だが、お前たちはそうもいかんだろう?」
「救護係ってのが必要らしい。負傷した兵の治療や搬送に当たるらしい」
カルデナスは帝国兵を一時やっていたこともあるがあくまでも水兵だった。陸戦などやったことはない。
「カルデナスはそれでいいのか?」
ジンはカルデナスにそう訊きつつも、これでニケも一緒に行ける段取りが出来たと思った。
「それで十分さ。壁の向こうに行ければ、前に進んだことになるだろ? ひとまずはそれしかないんだったら、それでいいさ。それに俺はまともに魔物とやりあいたくはないからな」
カルデナスにも異存はないようだった。
「なら、明日の朝食の時にでもニケたちにも確認しよう。それで問題なければ、俺たちはみんなワイ・トゥカ兵だ」
後の問題は、壁を南に抜けた後、軍からどうやって離れるか、だ。
さすがに脱走はできない。軍からの脱走は重罪だろう。給金をもらっていなくとも、それに変わりはないはずだ。だが、現時点でそれを考えても仕方がない。とにかく壁の向こうに出る手段は今のところ兵になるしかないのだ。
(ツツやファウラーたちはどうしているかな? あいつらがすでに南に抜けていたりしたら、この街に寄った俺たちが失敗ってことか……)
長らくお休みを頂いておりました。
ブレインフォグというやつでしょうか。コロナにかかってから、熱は下がったのにまともに生活もできない状況に陥っていました。
ようやく少しは考えられるようになってきましたので、再開しますが、まだ本調子ではありません。
いつまでこの体調が続くのか不安になってきました。いずれにしても頑張って書いて行きます。