16. 別れと新しい街
翌朝になった。この朝、ジン、ニケ、ツツはクオンの家で朝食を摂らせてもらった。
クオン家の長男、幼いトマはツツにくっついて離れないでいた。幼いながらも野盗を撃退したからには、ツツを含むジン一行がこの村を出て行ってしまうことを知っていたからだった。
朝食を終えるとジン一行は二十日以上も世話になったクオンの家をいよいよ辞することになった。
「クオン、シア、世話になった」
クオンとシアはだた無言で頷いた。
クオンの家からジンやニケ、それにツツが出てくると村人たちが一行の元に集まってきた。
「ベイロン、母上と力を合わせてこの村を守るんだ。だけど、お前はまだ幼い。無茶はするな。いいか、剣を毎日振れ。リア、エノク、お前たちは弓を鍛えろ。弓は良い。狩りにも村の防衛にも役立つ。……トマ」
トマは大泣きだ。青洟を垂らしながら、ツツの首にしがみついて放そうとしない。
「ジンは行ってー! ツツは村に残るーーー!」
抱き着かれたツツは、トマの流す涙をひと舐め、ついでに青洟も舐めとった。
しょっぱいから舐めているのか、慰めているのかはわからないが、ツツなりの愛情表現なのだろう。
「……トマ、ツツを連れて絶対に村に戻ってくる。ツツは俺と行かなきゃだめなんだ」
「うわーん! ジンは行ってしまえー!」
トマはなかなか泣き止まなかった。
「ニケ、助かった」
村長ラガバンがポーションのお礼をニケに述べた。少し照れて、間があって「役に立ててよかったよ」とニケが返した。
「ジン、私たち、弓を頑張る!いつかジンが村に戻ってきたら、一緒に旅に連れて行ってほしいの! ニケ、その時はもっと仲良しになれるように頑張るから」
リアは何かを決心しているようだったが、クオン夫妻はそんな娘を困ったような目で見ていた。
「ジンさま、正直今でも引き止めたいのはやまやまですが、お約束です。これ、一五〇〇ルーンです。二十二日で片が付きましたが、三十日分の報酬が入っています。何分、大きな貨幣がなかったので、村中からかき集めた小銭ばかりで重くなってしまいましたが……」
そう言ってクオンが麻袋に入った報酬をジンに渡した。
「千百ルーンでいい。お前たちもこれから大変だろう」
ジンは約束通り一日五〇ルーン、二十二日で千百ルーンで十分だと言ったが、クオンは村人全員が必死になって集めた満額一五〇〇ルーンを渡すと言って聞かなかった。
「前にも言ったように、グプタ村は農村です。お金は必要ですが、なくても野盗さえいなければ飢え死にするわけじゃない。村で助け合いながら、何とかやっていきます」
ジンは素直に感謝して、満額をいただくことにした。
「そうか、ならありがたくいただくとする」
トマは顔中をツツに舐め回され、いつの間にやら笑顔になっていた。
「では、行くんだな?」
たった二十二日間だったが、村を変えてくれたジンに感謝が絶えないサミーも名残惜しそうだった。
ベイロンの肩を抱きながら、アシュレイは大きく頷き、ジンに感謝の意を伝えた。ベイロンはジンにもっと稽古をつけてもらいたかったが、もう十歳だ。聞き分けのないことは言わずに、静かに一行を見送るつもりで立っていた。
「ニケ、ツツ、行くか」
ジンが促すと、ニケがジンの後ろに立って、ツツは最後にトマの頬を大きくひと舐めして、ジンの横に移動した。
「では、みんな達者でな」
ジンはそう別れを告げると、野盗から分捕った馬二頭を加えて旅路を再開した。
◇
ジンと小さなニケは同じ馬にタンデムで乗り、その横を狼であるツツが駆けていた。もう一頭の馬は荷物用としてそれにしっかり付いてきていた。
荷物用の馬が勝手にどっかに言ってしまわないか心配だったが、野盗にしては馬をよくしつけており、ジンとニケを新しい主人と認識して、しっかりついてきてくれていた。
ニケが馬に乗れればよかったのだが、あいにく、そんな経験など全くしたことがなかった。そういうわけでこんな編成になってしまったのだ。
半月以上も村で過ごしたが、季節はまだ夏の真っ盛りだ。直射日光を浴びながら、一行は次の目的地に向かって進んでいた。
次の目的地、それは旧バーケル辺境伯領の領都、ファルハナの街。
この辺境にあって唯一の都市ということもあり、ファルハナは人口五万人を誇る小規模ではあるがれっきとした都市だ。
ジンもニケも大いに楽しみだった。ジンは〈役目〉や会津に帰るための情報、ニケにとっては不安もあったがそれよりも初めて見る人間の街に対する好奇心が大きかった。
残る道中は何とも不思議なほどの平穏が続いた。森から離れたことで魔物は出現せず、途中出会った行商人に護衛を頼まれた。
商人はラーキンという三十路の男と陰気な十代半ばの少年、きっと丁稚奉公の見習いなのだろう、の二人だった。
途中、野営をしながら、グプタ村を出て三日目の朝になった。
「それにしてもニケ、あのポーションと言うのはまるで魔法だな。あんな風に砕けた手のひらがみるみる治っていく。俺はあんなものを見たことがなかったから心底驚いた」
ニケはそう言われて嬉しそうに破顔する。
「あれはね、実際に魔法みたいなものなんだよ。薬草やほかのいろんな材料を混ぜ合わせつつ、私の魔力を注いでいくの。だから魔力が形になるという意味では魔法みたいなもんなんだ」
「ニケは魔法を使える、ということか?」
ジンはまだ魔力の仕組みを理解していない。
「うーん、これまで何度も説明してきているんだけどな……そうじゃないよ。
魔力を直接いろんな形の力に変えるのが魔法。
私のは物に魔力を注ぎ込んで、その物が魔法的な力を持つ、ってことで直接的に魔力を力に変える魔法とはずいぶん違うんだよ」
「なんとなくは分かった。ニケは俺も魔力があるとか言ってたよな。すると俺も魔力を何かに役立てることはできるのか?」
「出来るよ。街に行けば魔道具っていう便利な道具が売っているはずだから、それに魔力を注げば魔道具が使えるよ」
「魔道具ってどう便利なんだ?」
「うーん、いろいろあるよ。例えば、夜道を照らす懐中魔灯があるよ。魔力を消費するけど、すごい明るいよ。今は持ってないけど、アスカの家にはあったよ」
「おお、それは便利だな」
そんな会話をしながら、商人とジンたち一行は石畳が整備された街道に入り、速度が上がってきた。
街道を小高い丘に続く緩やかな坂道を上がっていくと、丘の高みに達した。
突然視界がひらけた。
眼下にファルハナの街が広がっていた。
堅牢とまでは言えないだろうが、魔物の侵入は防げる十尺程、三ミノルの高さの城壁に囲まれいる。
城壁に囲まれた街の中央には城壁の五倍ほどの高さで鐘楼がそびえたっている。きっと領主館の塔なのだろう。鐘も機能しているようでちょうど朝十一の鐘(午前十一時ごろ)が鳴りつつあった。
「わあ!」
ニケが子供のように感動の声を上げた。いや、実際にまだ子供なのだ。
「ようやく着いたな」
ジンはニケやツツにも聞こえるように呟いた。
ここまで、グプタ村より三日。商人は途中何もなかったことで、結果論ではあるが護衛は無駄だったというわけで若干惜しそうにしながらも、約束通りジンに五〇〇ルーンを銀貨で五枚にして支払った。
ジンにとって初めて見る銀貨。小粒銀は村でも見たが、銀貨。これはなんとも大きい。日本の朱銀とは話にならないほどの重量感だ。
(この世界では銀の価値が低いのか、五〇〇ルーンがとてつもなくいい賃金なのか、のどちらか、というわけか……)
支払った後、商人ラーキンが思い出したようにニケに話しかけた。
「そういえば猫のお嬢さん、ポーションを作れるんだってねえ。良かったらおじさんに売ってくれないかい?」
「いくらで買うの?」
ニケはポーション瓶を残り四個持っていた。全部売る気はなかったが、一つぐらいなら路銀の足しにするために売っていいと思った。
「思い切って一〇〇出す。どうだい?」
ラーキンはいかにも一〇〇ルーンが大金であるかのように提示した。
ニケは一瞬(一〇〇ルーンも!)と思ったが、相手は商人だ。買い叩いていることも考えられた。
「二〇〇ルーン。効き目、すごいんだよ! ね、ジン!」
ニケがジンに目線をくれて、同意を求めた。ジンもニケの宣伝に加担することにした。
「ああ、それは間違いない。この手だが、馬蹄に踏まれて粉々になったんだが、ほら、すっかりこのとおりだ」
「わかりました。二〇〇ルーン、出しましょう!」
ラーキンは、この際大盤振る舞いだ、とも言わんばかりの様子で取引を受け入れた。
ラーキンは追加で銀貨を二枚追加で支払ったあと、内心でペロリと舌を出した。
(そんな効き目のポーションならもうハイポーションと言っていいほどだ。売値は八〇〇ルーンは下らない。護衛の謝礼は無駄になったと思ったが、これは逆に得してしまったな)
ニケもジンも護衛とポーションの代金で路銀が七〇〇ルーンも増えて大喜びだった。
(あの訓練や馬防柵の構築、それに野盗との戦いで一五〇〇ルーンと言うことを考えると、この七〇〇ルーンは破格だな)
ジンはそんなことを考えていたが、それはジンの全くの勘違いであった。
破格なのはグプタ村の方だった。安すぎる、という意味で。
ジンがそれに気づくのはもっと後だが、今はそんな風に喜んでいたのだから、おめでたい一行ではあった。
ともあれ、二人にとってこの世界での初めての都市にがいよいよ近付いてきた。
第15話が短いので、もう一つ投稿しました。
これでグプタ村編はおしまいです。
明日から、新章、ファルハナ編が始まります。